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第6話 汚い字、初出勤

 朝、顔に水を打ち付ける。一瞬でも目を瞑った時、起きた時のことが頭に浮かぶ。タカラのすすり泣く声が、頭の中に残って消えない。そう、一番悲しいのは本人だ。分かったつもりで心を痛めていた私は、ここまで分かったつもりでいれなかった。何もできずにいた自分を思い出すたびキュッと唇を噛む。

 毎度のこと朝はお腹が空かず、ぐったりと窓の外だったり案山子を矯めつ眇めつ眺めている。そんな時ふと、買っておいたノートとペンが目に入った。買った時は思いもしなかった疑問が頭の中に現れる。まだ元の世界の言語を書くことが出来るのだろうか。ノートを開くとなんだか懐かしい空気が送られた。その時、元の世界と紙質から全て、何も変哲のないノートに何かを呼び起こされるように手が動いた。

 ”馨音”

 書けた……。なんだか嬉しくなり、思いつく限り手が止まることはなかった。

 ”今日は初出勤。なんだかおぼつかないけど、頑張りたい”

 ”アザミってなんだか日本人の名前みたい、浅見、阿左美?”

 ”タカラは、宝? 誰かにとっての宝物だったのかな”

 "プロテアは、ぷ、ろ、て、あ。何にもならなそう"

 ”異世界転生をして今、不安もなく健康。魔族というものが気がかりだけど、少し我慢するだけだから大丈夫”

 ”1+1=2、計算もばっちりできてる”

 少しぐちゃっとした字、綺麗に書くのを諦めたような字でも書くことに一心になる。

 ”お願い、助けて”

 ”お母さんは私に■をくれた。だからこんな姿なんだよ”

 ”お兄ちゃんは私のことが嫌いみたい”

 ”素晴らしいこの世界に、神なんて……”

 まるで演奏をするように手を進めるキヨネは、急に手を止める。ノートから一度目を離す。その時、恐怖でその場に凍り付く。最後の四行、これは自分の意志で書いたものではないからだ。ドクンドクンと心臓がドラムを叩くように鼓動する。ぞっとしながらも、目を向ける。

 一行目、”助けて”とは何の話だろうか。二行目、お母さんのくれたものはインクでぐちゃぐちゃになっている。■のせいでこんな姿って、私のことだったら何になるんだろうか。次は兄に関して、元の世界の感覚では私は一人っ子だった気がする。真ん中の二つは家族のことだろうか。もしかすると、自分じゃない誰かの。そして、最後の素晴らしいこの世界に神なんて……、いない。そうだ、素晴らしい世界に神なんていない。これは、元の世界のある小説のタイトルだった気がする。初めの三行までは自分のことだと断言できないが、最後の行に認識のある言葉あったことで、書かれていることすべてがキヨネに纏わる可能性が高くなった。

 自分が無意識の内にこんなことを書いていたことに鳥肌が立ってくる。周りを見るのも怖い。辺りはまだ日が照らされきれていない朝未だき。なんだか視界の外にとても巨大な禍々しい気配を感じる。

 顔を動かさずに横を見ると、案山子がまるで私を指差しているような気までしてくる。今何時だろうか、いつタカラは起きてくるのだろうか。

 ノートをパタンと閉じ息を殺す、椅子を引くと床の軋む音が響く。その音にいちいち体を震わせ、ようやく立ち上がれるようになる。顔が恐怖で動かせない中、立ち上がる。鳴り止まない心臓の鼓動をそのまま、勢いよく振り向く。よし、何もいない。一歩、一歩爪先に体重を乗せて進む。廊下を挟んだ先にある階段、目を瞑り廊下を超え、一段飛ばして階段を急ぐ。その先の部屋がゴールラインのように感じながら入る。

 やっとの思いで入れた部屋にはタカラが眠っていた。そんな様子を見るだけでさっきまで気になっていた背後なんてどうでもよくなった。すやすやと寝息を漏らしているタカラを横目に、右と左のベッド比べ見る。疼く気持ちを抑えず、タカラの布団に背中合わせになるように入った。勝手に布団に入ったらタカラは怒るだろうか。もうすでに暖かい布団に迎えられ、すぐに眠りに落ちてしまった。

 不思議なことにこの二度寝で夢を見た。それも、今まで二回見た自分との会話ができる空間ではない別の空間だ。そこはまた異世界で、神話に出てくるような壮大な大理石の柱が8本、縦に2本横に4本そびえたっている。

 民家が一つ入るほどの柱と柱の間には、豪勢な大皿が一個ずつ配置されている。皿からは砂嵐のような風が起き、紙切れのような白い細かい何かが舞っている。地面はまるで海に立っているようで、一歩歩くと波紋が足を中心に広がる。上を見るとは雲一つない空が永遠に続いていく。果てに見える地平線にはシーブルーとスカイブルーが水平線を隠している。虚無の真骨頂のような空間にキヨネは息を呑む。

 辺りを見渡す中、六つある皿の一つが何かおかしいことに気づく。その皿からは何も舞っておらず、人影が映し出されていた。王冠を自分の手で支え被っている。背の高い男性だ。服装は影から察するに、とても絢爛な服装だ。この世界に来てからのことで一瞬プロテアにも感じられたが、何かが違う。全体的な輪郭が違う。この世界の王様だろうか。けど、今この世界には王様がいないと昨日タカラが言っていた。別の世界の王様? 元の世界の何か? 一体誰なのか、頭を捻っていると。いつの間にか夢からは目覚めていた。

 ぼんやりと目覚めると、第一に後ろを振り向いた。そこには誰もいなかった。布団がめくられていて、もうすでに起きていることを悟る。恥ずかしさを極力抑え階段を降りる。リビングにいるタカラをそっと覗くと、なんだか怪訝な表情をしていた。もしかすると私が一緒に寝ていたことに蟠っているのかもしれない。


「お、おはよう」

「お姉さん、おはよう」


 眉間の皺は晴れ、いつもの様子に戻っている。席に座っても特に話しかけてくる様子はない。その時、今日が初出勤だったことを思い出し、時計を見た。現在時刻は8時34分。集合時間は、9時。ぎょっとした表情で固まるキヨネに何かに気づいたタカラ。


「そうじゃん! 今日お姉さん初出勤でしょ!」


 硬化を解くような大声に慌てて準備を始める。肩下げのバッグには財布と水筒を、上はこの世界に来た時の服を来て、下はいつも通りお下がりのズボン。


「行ってきます!」


 そう言うと、タカラが階段から降りてあるものを届けに来た。


「お姉さん、これ! ウィッグとコンタクト!」

「そうだった、ありがとう」


 履きかけていた靴を放り、すぐに洗面台に向かう。今日まで早くても着けるのに10分以上は掛かっていたウィッグ着けもネットが奇跡的にうまくフィットし、たったの5分でウィッグとコンタクトの準備が終わった。

 今度こそ本当の行ってきますを言い放ち、飛ぶように図書館に向かった。


「おはよう、キヨネ」


 走って図書館に着いた後、息を切らしている所にアザミが来た。随分とゆっくり歩いてきたので時間は大丈夫だと悟る。


「おはよう、ギリギリセーフかな?」

「時間のことなら、そんなに気にしないでください」


 耳を疑うようなことを聞き、眉を曲げながら顔を上げる。目が合うとアザミは長いまつ毛がピクリと動いた。息を切らしたキヨネの形相に少し驚いた様子を見せる。


「よかったぁ」


 そのまま顔を上に向け安堵する。アザミも安心する。


「それじゃあ、中に入りましょうか」


 一呼吸置き、二人で図書館に入る。すでに開いている木の扉からは新鮮な石の匂いが体全体を覆う。昨日と変わらない内装、先日の同い年くらいの集団はいないようだ。

 奥の部屋に着き、中に入る。今日の仕事はこの本にラベルを張ったり、返却された本、書類の整理をするらしい。アザミから手取り足取り教わりながら仕事を進める。別に決められた期日は存在せず、アザミも伸び伸びと仕事をしていた。窓から差し込む光がアザミの影を作るとき、長くボサッとしたオレンジ色の髪の毛が独特な雲のようなシルエットが床に映しだされていた。

 気になる内容の本は少しだけ中身を覗きながら、着実に仕事をこなしていると、アザミが体を伸ばした。時刻は昼過ぎ、そろそろ昼休憩があるのかとソワソワし始める。


「今日はこの辺でよさそうですね」


 積み上げられた本に手を乗せながら言う。そんな本の山は私の3倍ほどの量だった。


「キヨネ、初日お疲れ様です、ご飯でも食べていきましょうか」

「もう、終わりでいいの?」


 求人として雇われた身としてはまだ疲労の欠片も感じない。


「ええ、お腹が空いたでしょ?」

「それは、そうだけど……」

「それじゃあ、行きましょうか」


 半ば強制的に仕事を終わらされ、仕事場から出る。何も喋らないまま図書館から出ようとする。少し急ぎ足にも思えた。その時、やたら騒がしく入ってくる集団がいた。顔を上げると、そこには昨日の集団がいて、すれ違うように図書館に入っていった。話の内容は聞き取れなかったがアザミに関することではなさそうだ。不安気にアザミの顔を覗き見ると胸に手を当てて深呼吸をしていた。


「何を食べに行きますか?」


 昨日の集団との遭遇が気がかりになり返事が遅れる。


「あ、ブブブのステーキ以外にしてくださいね」


 そう軽いジョークを言うアザミを見て一気に小気味いい気分になる。


「そんな……」


 笑いを堪えながらも、ショックを受けたように言う。すると、アザミは驚きながらも嫣然と笑った。つられてキヨネもくすぐられたように笑い合った。こんな優しい時間は世界を二人だけにする。

 その後も仕事中に見つけた面白い本や、周りで起きた面白おかしいことで話に夢中になった。そんなときふと、売店に置いてある新聞の見出しが目に入る。

 ”クラング王国 魔族出現か 騎士団1割壊滅”

 目を見開くような事象に思わずアザミの肩をつついてしまう。


「魔族、ね」

「そんなに魔族って強いの?」


 先ほどまでの緩んだ表情ではなく、真剣な面持ちで語る。


「10年前、この世のどこかから魔族が生まれた。いまだに観測できている魔族は二十数体。知能、魔法、技量などは観測、判別することが出来ていない。って感じでしょうか?」

「随分と、詳しいんだね」


 すると、アザミは心に穴が開いたような表情で言う。


「母さんと弟を殺されたんです、魔族に」


 かける言葉も見当たらず、頭の中は宙に浮いた感覚になる。それでも何かを口に出さないと話が続かない。


「そ、そうだったんだね……」

「キヨネも、この村に来たってことは、何か事情があるんでしょう?」


 その眼差しは、何も求めていない、これ以上先に進んではいけない。そう語られているようで、息を呑んでしまう。鼓動が早くなり、少しずつ瞳が揺らいでいく。


「う、うん、そう、私も、色々あったんだ、自分が……」

「いいよ、それ以上、ごめんね、無理に言わせようとしちゃって」


 また同じペースで歩みを始めるアザミを追いかけるように歩き出すと、涙が頬を通った。気づかない内に零れた涙に自分をずるく思う。後ろ髪を引かれる思いのまま後を着く。

 その後アザミが気になっていたというカフェに入り、パスティトといういかにもスパゲッティという麺類を食べた。トトマソースという口全体に酸味と甘味を同時に味わうことのできるソースがよく絡んで美味しかった。二人とも美味しい料理に機嫌がよくなる。


「この後は、どうする?」


 口を拭いているアザミに問いかける。アザミは待ってましたと言わんばかりに勢いよく目を合わせ、水を一口含んだ。


「この後、草原で魔法の練習しませんか?!」

「魔法の……練習?」


 期待の眼差しを向けてくるアザミに困惑する。思い返すと、タカラに手のひらを見せた時、青ざめさせた経験ならある。その時は魔法なんて使えるわけないか、くらいにしか思っていなかった。


「いきなりすぎたでしょうか?」


 もし、練習を積み上げて魔法が使えるようになるなら……。

読んでいただき誠にありがとうございます。

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