第5話 アザミ
「おはよう」
今日もタカラより早く起き、ウィッグに向かって吐き捨てる。そんな憂鬱にも感じる朝に夢の言葉を思い返す。常にこの世界で何をすべきか考え倦ねていた。正解なんてない、それは、何かに囚われなくてもいいということ。ありのままで、今この世界を生きていていいということなんだ。ふと窓から差す朝日に逆らって窓の前に立つ。雨は降っておらず、気持ちの良い朝日が体を照らした。早朝窓から見える街の様子はやはり青に囚われているようで、息を呑むほどに美しい。
今日はプロテア村長にきっかけを準備してもらうという約束があった。
昨日と同じようにリビングの机に頬を押し付けている。ひんやりしていて気持ちがいい。両頬を行ったり来たりしていると、タカラが起きてきた。
「おはよう」
眠そうな顔をして起きてきたタカラはキヨネの向かいに座り、ソワソワした様子で口を開いた。
「お姉さん、今日さ……」
そこで一度話が止まる。キヨネは意に介して顔を上げる、目が合ったタカラは少し目を泳がせた。少しして、臍を固めたタカラは慎重に口を開く。
「ユッカに大事な話があるって、言われたんだけど、なんだと思う?」
「それって……」
キヨネの頭の中にはある一つの単語が堂々と浮かんだ。
「真面目な顔だったし、もう遊べないとかなのかな」
今度はタカラが机に頬を押し付ける。タカラの切ない表情を見てここは慎重になるべきだと、頭に浮かんだ単語をブンブンと首を振りかき消した。ネガティブなままだと悲恋に終わる可能性が高い。
「普段、ユッカちゃんとは何して遊んでるの?」
「かけっことか? 魔法の勉強とか?」
「二人で?」
「うん」
念を押して確認する。
「へぇ、ユッカちゃんとは出会ってからどのくらい経つの?」
「半年くらい? 僕がこの村に来た時に仲良くなったから、そのくらい」
話を続けて一つ、分かったことがある。タカラはユッカのことを恋愛対象だと見ていない可能性がある。これ以上話を続けても自分では何もできないと感じ、頑張れと一言残した。
今日はタカラが一人でユッカを迎えに行くそうで昨日よりも早めに家を出た。キヨネも後を追うように準備を終わらせ村長の家へ向かった。
道は完全に覚え、いつもよりも早く着いたような感じがする。
ノックをして中から出てきたのはいつも通りのプロテアだった。
「お、今日は随分と早いんだね」
そのままいつもの席に座る。今日もいつも通りの甘い果実の香りのお茶を頂いた。
「あの、ちょっと相談なんですけど」
キヨネは今日のタカラのことについて話をしてみることにした、もっと伝えられることがあったんじゃないかと、後悔してしまわないかと心配になったのだ。
「そのために今日は早く来たってわけね」
「はい、タカラ君が今日、ユッカちゃんから大事な話があるって言ってたんですよ」
「タカラとユッカか、あの二人はタカラがこの村に来てからいつも一緒にいて……、あ、そういえば」
何かを思い出したかのように人差し指をピンと立てた。ただ、眉を顰め、どこか不安そうにしている。
「ユッカは今月中に王都に引っ越すって、母親が言っていたような」
「え、それじゃ、大事な話って」
「もしかすると、遊べなくなるってことだろうね」
「そんな……」
タカラの言ったことが的中するかもしれない。ユッカとタカラ、どこかお似合いで鴛鴦夫婦のようで和むものがあった。
「でも、タカラはまた新しい人と出会えてる、キヨネ、君だよ、ユッカはいなくなってもきっと支えにはなれる」
枯れた花のように俯くキヨネに対してプロテアは言った。その言葉はキヨネにとってより疑心暗鬼にさせるものだった。
私? 私はタカラの何様なんだろう。出会って、打ち解けあって。その時、タカラが言ってくれたことを思い出す。僕たち二人の言葉は同じ力を持とうよ。その言葉と共に思い浮かぶタカラの彫刻のように美しい表情。
「私は、タカラ君と出会ってまだ2日しか経っていないです、それなのにタカラ君の親事情とか、秘密とかを知ってしまって、それなのに私はまだ自分のこと何も教えていないし、自分でもわかっていない、それなのに、同情してもいいんでしょうか?」
「人と人との関係って名前がつけられているものに近づけようとしているんだよ、友達とか、恋人とか、目に見えないものをまるであるかのようにしている、それはお互いの認識を単語だけでも一致させるためにある、人と人の関係なんてたくさん持つからね、でも僕から見たらタカラとキヨネは、タカラとキヨネでしかない、言葉に囚われず、それ以上もないし、それ以下もない、それでいいんじゃないかな?」
常に傍観者でいたいキヨネにとって、物語のような異世界の人間関係に足を踏み入れることには億劫としてしまう。
友人としている時、ずっと友人としての務めを果たせるのか、喧嘩はいつするのか、笑い合いたいときはどういえばいいのか。人間関係をまるで世間一般的に言われているイベントをどう潜り抜けるのか、そんな風に考えてしまっていた。
「そうかもしれないですね、私はなるべくタカラと寄り添ってみようと思います」
感傷的になりすぎたのかもしれない、不安だったんだ、私とタカラの関係が。それに、タカラにユッカを取り除いたタカラを見るのが。
「それにしても、プロテア村長って本当に村長に向いているんですね、どんな言葉も説得力があります」
「いろんな人と話をしているからね。話をしているうちに力を持つ言葉を知ることができるんだよ」
プロテアと話をすると段々と自信が出てくる。きっと、好きになるのは自分から、という言葉を思い出すからかもしれない。
それからプロテアが準備したものを待つために二人で待つことになった。
「キヨネさんは好きな人いる?」
突拍子もないことを言うプロテア、その言葉の意味を理解すると、キョトンとしてしまう。相場ならドキドキするかもしれないが、プロテアの視線の先には確実に誰かがいた。
「私は別に、いない、です」
「僕はね、いたんだ」
寂しそうな横顔、その見つめる先にはきっとプロテアの愛人がいるに違いなかった。
「キヨネさん、歴史で受け継がれないものって知ってる?」
「歴史? 本当の真理、とかでしょうか」
自分で言っていても頭の上にクエスチョンマークを浮かべる。プロテアはいい答えだ、と深く頷き、一呼吸おき、口を開いた。
「別れの寂しさ、だよ」
そう優しく微笑んだ、どこか無理をしているような顔だった。息を呑むような答えに何も口を出せなかった。そうしてその場でポカンとしていると、ノックの音がした。
「ごめんください」
外から女の子の声がする。優しそうでゆったりとしている品のある声だ。
「きっかけが来たよ」
いつの間にか通常運転に戻っているプロテアは笑顔でドアを開いた。
「こんにちは、アザミです」
「アザミさん、いらっしゃい、求人の件、用意しておいたよ」
アザミ……、求人?
「本当ですか! 助かります!」
アザミという少女は両手を合わせてお礼をした。そして頭をずらしてプロテアの後ろにいるキヨネの方を見た。目が合うと目を細めて見つめられた。そしてプロテアに何かを耳打ちした。
「大丈夫、大丈夫、きっと打ち解け合えるさ」
「……そうでしょうか」
「あの、プロテア村長、もしかしてきっかけって……」
「うん、今日からこのアザミの所で働いてもらうこと、それがきっかけ」
「アザミ・ケイミです」
垂れた目に整った顔。ぼさっとした長いオレンジ色の髪の毛。その質素なロングスカートに布のトップスが相まってまるでおとぎ話に出てくる、田舎に生まれたお姫様のようだった。着ているものもドレスに見える。
「あなたは?」
見惚れている私に対して首を傾げた時、ハッとする。改めて私はここにいるんだと、思い知らされる。
「わ、私はキヨネです」
「キヨネ」
「はいっ!」
アザミの垂れた無気力な顔は、呼ばれると何かを見透かされたような感じがする。
「……よろしく」
「あっ、よろしくおねがいします!」
随分と小さな声での挨拶だったが元気よく返した。これから一緒に働いていく者同士、仲良くしていきたいものだ。
それからというと、3人でお昼を食べに行った。
大広場にある飲食店に入った。内装は店主の個性が出ていて動物の剝製が置いてあり、匂いが外まで回るようキッチンが入口付近にある。プロテアが匂いにつられて入っていったので、構造が理にかなった瞬間を見ることができた。
「よし、僕は決めた」
「私もです」
キヨネ以外注文が決まった中、キヨネは深刻な表情でメニューとにらめっこしていた。どれを頼むべきなのか。このメニュー表から地雷を取り除かなければならない。もし地雷を踏んでしまったらアザミさんに変な女だと思われてしまう。ムムムとメニューを舐めまわすように見ていると、見慣れたメニューを見つけた。
「よし、私も決めた」
他の席の皿を片付ける店員さんを呼び止め、注文をする。
「それでは、注文をどうぞ」
「僕はキシメの煮込み定食で」
「私はソイソの刺身とサラダで」
「私はブブブのステーキで!」
元気よくメニューを指差し注文するキヨネに対し、その場は凍り付く。店員は困った表情で、何が起こったのか呑み込めない中、隣にいるアザミがクスクスと笑いながら指を差した。
ー 子供用メニュー ー
ふっと天を仰ぐ。膝をつき、目元が隠れるように片手で頭を抱え、小声で言った。
「……すみません、私もキシメの煮込み定食をお願いします」
注文を繰り返し離れていく店員。もう聞かれていないなと大人しかったプロテアが吹き出した。豪勢に笑うプロテアに対しムッ睨みつける。
「ごめんごめん、っぷ、ブブブのステーキって、久しぶりにこんなに笑ったよ。キヨネは面白いね、次からはブブのステーキを頼みなよ」
どうやらブブブというのはブブという動物の子供の呼称らしく、一般的に大人向けはブブのステーキらしい。ブブブは子供のために安く仕入れるとかなんとか。そのまま恥ずかしさは消えず、料理が届いた後、死んだ魚の目のままキシメの煮込みを口にする。すると、さっぱりと煮込まれたキシメという魚が体を落ち着かせて、海が頭の中に映る。そんな美味しいご飯を前に
その後会計をプロテアが済ませた後、用事があると言ってプロテアはどこかへ行ってしまった。
「相変わらず用事多いですね、あの方は」
昨日からプロテアは用事があると言って離れることが多いが、これは通常運転なんだと知る。
「そうだね」
「それでは、これからどんな仕事なのか見に行ってみますか?」
頷いて着いていこうとすると、大広場の噴水にタカラがいるのが見えた。呼び止めようとしたが、今日はユッカから大切な話があるって言っていたから、こそこそと壁裏に隠れて見ていると、先を歩くアザミが気づいた。
「キヨネ、何やってるのですか?」
そうしてひょこっとキヨネの頭の上から覗き込む。
「あのお方……、もしかしてキヨネは好意を抱いているのでしょうか?!」
アザミの指差す方向にはタカラがいた。どうやら好意を向けているのかと疑われているようだった。すぐに首を横に振りながら否定をする。
「いや、別に好きとか嫌いとかじゃなくて、見守っていたい感じ、かな?」
そう、と興味のなさそうな返事に慌てて姿勢を戻して仕事の話に戻ろうとする。しかし、何かを吹っ切ったアザミは目を輝かせてもう一度覗き込んだ。
「いや、私も興味あるので、一緒に見ましょう」
随分と乗る気なアザミを前になんだか嬉しくなる。
「アザミさんがそういうなら」
すると、アザミは少し赤面し照れ臭そうに言った。
「さんなんて付けなくていいですよ、だって……」
少し間が空く、アザミは恐る恐る顔をこちらに向ける。
「私たち、友達でしょう?」
友達……。
「そ、そうだね、友達だね」
少し慌てて答える。まさか、アザミからこのような提案をしてくれるなんて。初対面の時、アザミの印象は可愛いだけではなかった。どこかとげの持つ、私に触れないでと言わんばかりのオーラを感じた。ただ、そんな薔薇のような雰囲気をまとうアザミからそんな提案をされると嬉しい。嬉しすぎて笑みが止まない。
ニマニマと口元が緩々になったキヨネを前に、アザミは恥ずかしそうに顔を戻した。すると、目を見開いて独り言のように口にした。
「あれ、あの子の前に女の子が立っていますよ」
その発言に慌ててキヨネも覗き込む、タカラとユッカが合流をしていた。今日のユッカは昨日と違うワンピース姿で髪を一束で結んでいる。出会ったころから一番オシャレをしているように見える。どちらもいつも通りの笑みを浮かべている。ユッカはまだタカラに別れることを伝えていないのだろうか。
「楽しそうだね」
二人に対してうっとりとした視線を向けるアザミだが、もしばれてしまったら二人を邪魔しては気分を害してしまうかもしれない。そう考えるキヨネはアザミの袖を引っ張り仕事の案内に戻るように促した。
「そうですね」
嫌な顔一つせずにゆっくりと頷いた後、肘についた汚れを取り払う。
「それじゃ、行こうか」
それにしても、男女二人というのは誰しもがどこかで憧れているものなのだろう。大人しそうなアザミでもあの二人を前に羨望の眼差しを向けていた。
「あの二人はお付き合いをなさっているのでしょうか」
ふと言われた言葉に振り向くと、アザミはまだ少しうっとりとしている。
「その、言いづらいんだけど……」
ここで二人が今日でお別れしてしまうことを教えた。そんな……、としょんぼりするアザミだったが、きっとまたいつか運命的な出会いを果たすんでしょうね。なんておとぎ話のようにポジティブな考え方にアザミらしさを感じる。
それから趣味などお互いのことをもっとよく知る会話が続いた。記憶がないキヨネの質問攻めだったが、笑顔で答えてくれた。年齢は18歳で妹がいる、母親は王都で働いているらしい。
大広場から約数分、たどり着いたのは大きな建物だった。石レンガを積まれてできた高い時計塔が一緒になっている。ペンキ塗りされている変わらない住宅が並ぶ中、この異質な頑健な建物からは歴史的な風情を感じる。
「ここが、アザミの働いている所?」
「そうです、ここで書物を整理したりしています」
その話からここが図書館だと分かる。図書館で働けるとなると色々な情報を得ることが出来る。異世界転生してきた者にとっては天職だった。
図書館を前に目を輝かせるキヨネに対してアザミは嬉しそうにする。
期待を胸に中に入ると、吹き抜けた館内に、上を向くと切妻屋根の内側がこちらを覗いている。二階は入り口すぐ左の階段から上がることができる。その吹き抜けた空間を手摺となぞりながら階段を登った後、ガラスでできた柵が配置されている。机と椅子も置かれており、元の世界で見慣れた机に向かい集中している人も多々いた。二階は読書スペースのようだ。
期待以上の図書館に真ん中で立ち尽くすキヨネ。
「どうですか? 大きいでしょう?」
ブンブンと勢いよく頷くと、アザミは嬉しそうに微笑んだ。直後、何か嫌な予感を悟ったように横を見た。急にどうしたのかと、同じように横を見ると、コソコソとこちらを見て話している人達がいた。それも、同い年くらいで、指差す先にはアザミがいた。
「行きましょう、私たちの仕事場はこの奥です」
先ほどの機嫌とは打って変わって目角を立てている。コソコソと話している集団を横目に、心残りになりながらも早足のアザミについていく。
棚をいくつも抜け、奥にある扉を開くと、少し埃臭い、手入れのされていない本がいくつもかごの中に置かれていた。
「ここが、私たちの職場です」
自信ありげに両手を腰に当てて胸を張っているのに、背を向けている。どうして顔を合わせてくれないのかと近づこうとすると、震えているのが分かった。
かける言葉もなく、手を伸ばしきれない中、アザミは勢いよくこちらに振り向いた。
「今日は、案内も終わったので、解散にしましょうか」
普段の無気力な表情がより無気力になっている。さっきの集団が何なのか分からないが、私にとって大事なのは、正義なのはアザミ側だ。夢で自分は言ってくれた。正解なんてない、裏を返せば不正解もないんだ。目を合わせてくれないアザミに思わず手を取る。
「一緒に、晩ご飯を食べない?!」
「えっ?」
ハッとした表情に変わり、目が合う。綺麗に整ったアザミの顔を見るとどうにも笑っていてほしくなる。
「ほら、いくよ」
そのまま手を引っ張り図書館から抜け出す。周りに目をやらず、二人だけの道を進むように。
そうだ、かける言葉が無かったわけじゃない。ただ、どう笑ってほしいかを考えてたんだ。
外はまだあまり暗くなっていない、6時くらいだろうか。手を離さずに大広場の噴水までたどり着いた。それまで口を開かなかったアザミがここで質問をする。
「晩御飯って、何を食べるの?」
「えーっと、ブブブのステーキ、かな?」
プッ、と聞こえる方に目をやると、吹き出して笑っていた。そんな鮮やかに笑うアザミを前にキヨネは相好を崩した。少し落ち着いた後、今度はアザミが手を引っ張ってきた。
「まだお腹空いてないでしょ? とっておきの場所、教えたいんです」
またこれだ、頭の中でタカラの時を思い返す。最初はリードしていたはずが、後から引っ張られていることに気づくんだ。救ったら救われる、本当に救われたいのは私の方かもしれない。
アザミの案内した場所は、来た道をまた戻っているように感じた。いや、また図書館に戻っている。
それでもアザミを信じてついていくと、図書館に着いた。
「ほら、こっちですよ」
今度は正面の入り口ではなく、時計塔の横についたドアから入ると、そこは時計塔を登る螺旋階段があった。なんとなくとっておきの場所に気づく。図書館に入った時以上に期待を膨らませ、最後の一段を登ると、赤い夕陽が体を照らした。
時計塔から見える景色は転生初日の森を抜けた時とは全く違う、壮大な景色だった、他に高い建物が少なく、村を一望できる。川はなんだか太く見え、山はより高く見える。
「ここが、私のとっておきの場所、この時計の音、聞こえますか?」
耳をすまさずとも聞こえる機械音は非日常的な要素を感じる。質問に頷いて答える。
「この音がまるで私の鼓動のようで、ここに私がいるって刻んでいる感じが好きなんです」
「アザミの音、ってことだね」
恥ずかしいことを口走ってしまっただろうか、アザミが驚いた表情でこちらを見る。すぐに前のめりになって言った。
「アザミの音、私のお母さんも言ってました、偶然ですね」
顔を見合わせると満面の笑みを重ねた。二人はリラックスした姿勢でただアザミの音を心に刻ませていた。
風が少し冷たくなり、時計塔の鐘が鳴る、もうニ時間近くいることを教えてくれる。空は随分と暗くなり、星も青空の布団から起き始める。
「それじゃ、行こうか」
「うん」
そうしてタカラの家に向かう途中、帰っている途中のタカラと合流する。アザミも今日大広場にいた少年だと認識した。
「タカラ!」
呼び止め、振り返ると、タカラの目には涙が浮かんでいた。そうだ、きっと今日、ユッカと別れることを伝えられたんだ。大きく振った手は段々と力を失い、同情の意を表す。一回しか会ったことがないし、タカラとの生活もまだ一週間も経っていない。関係性としては浅いこの二人との関係だが、本人の表情を見るとやはり胸は苦しくなる。
変な顔になっていないか心配になる。もうすでにタカラは涙を拭っていた。隣にいるアザミが気になるようだった。
「お姉さん、この人は?」
「私の友達、一緒にご飯を食べることになったの」
タカラは珍しいものを見る目つきで凝視するので、アザミは少し恥ずかしそうに会釈した。
「僕は、タカラです」
「初めまして、アザミです」
その後キヨネは自分がアザミの元で働くことを言うと、タカラはよくその図書館を利用していたことを知った。アザミは表に出る仕事ではないので出会ったことはないらしい。二人はお互い本好きという共通点からすぐに打ち解けあった。
二人が本について話をしている時、タカラはふと聞いた。
「アザミさんはこの村のリモトルボ学校に通っているんですか?」
きっと否定なんてされると思っていなかったのだろう。質問の後の沈黙にその場は凍りつく。
今日の図書館での出来事から、きっと学校で何かあったのだろう。キヨネは庇うように前に出る。
「ほ、ほら、学校って、色々あるじゃん? 私なんて学校に通ってないんだから……」
「行けなかったんです」
俯いたまま、キヨネの言葉を裂くように言った。急に変わった雰囲気にこのままではまずいと、直感が言っている。ただ、タカラは暗い表情なんてしていなかった。
「それじゃあ、お姉さんと二人で色々学べるんですね」
その言葉にアザミはフッと笑顔が咲いた。
「そうですね」
その場をまとめ上げる言葉が思いつかなかった。そこで、少し前に出る。そうすると、二人は頷き合い、また進みだす。
なにか困難があってもこの三人ならなんでも乗り越えていけるんじゃないかと、そんな気持ちに駆られていた。
初日に行ったお店に着くと、アザミは入ったことのない雰囲気の店を前にして、辺りを見渡しながら物珍しそうにしていた。
店主はいつも通り元気にしていて、アザミのことも歓迎していた。
「みんな、いつものでいいかい?」
タカラとキヨネは元気よく返事をする。アザミは迷った仕草をしながらも、キヨネと目が合うとつい頷いてしまう。
なにが出てくるか分からないアザミはカウンターからニョキニョキと調理場に顔を出した。すぐに出てきた圧巻な肉塊を前に、目を見開く。
「ほい、ブブブのステーキだよ、あと、これサービスでコンソスープね」
店員がそう言うとアザミが嬉しそうに目を合わせてきた。キヨネも自然と生まれた笑みに任せる。サービスのコーソスープは現実で言うコーンスープと似ていて、粒粒とした実がゴロゴロと入っていた。
「それじゃ、今日もありがとさん」
店の外まで出て見送ってくれる店主に、三人は体の芯まで満足した。
誰も喋らないでいる帰路は、それぞれ木や空、地面と会話をしているようだった。この時間も、笑い合える時間も、失われることがない、愛おしい時間だ。
そんな中で、自然との会話を辞め、口を開いたのはアザミだった。
「明日から仕事ですから、朝9時までには今日の図書館に来てくださいね」
明日の仕事のことを伝える内容に、ギクリとどよめく。
そうだった、明日から仕事なのか……
この時、急に言われたことに驚いただけではないことは、自分が一番理解していた。どこか心に毒霧が蔓延しているような、この世界に来てから時折舞い降りる症状のようなものが、ここでも発生した。
異変を悟られぬよう、取り繕うように返事をする。
「あっ、そ、そういえば、仕事って、何時までなの?」
「別に決まった時間があるわけではありませんよ」
「そうなんだ……」
目を合わせず、キヨネは前髪と睨めっこをする。そのしぐさも相まって、慌てているように聞こえたキヨネの言動に、タカラは異変を感じ、首を傾げる。
まただ。そう自分の中で困ったように放つ。定期的なこの症状の原因を頭の中で巡らせる。俯くように考える。約束が嫌いなのかな……。そんなときふとタカラと目が合った。
その綺麗な目を見ると、症状のことなんてどうでもよく感じ、少し笑みを取り戻す。
安心したタカラは笑い返し、すぐに元の地面との会話に戻った。
「それでは、私はこっちですので」
いつの間にか着いていた大広場の噴水を右に曲がろうとすると、アザミは図書館の方を指差して言った。
「バイバイ」
「うん、また明日会いましょう!」
いつもに増して元気な笑顔を見せて去っていく。二人も見えなくなるまで手を振った。その後、タカラがすぐに口を開いた。
「あのさ、今日のことなんだけど」
今日のこと。そう聞いて思い当たる節と言えばユッカのことだろう。そう確信し頷く。
「ユッカ、引っ越しっちゃうんだって」
知っていたことだったが、返事が出来なかった。それにしても随分とあっさりと伝えられたものだ。たまたま出会ったときは目に涙を浮かべていたものの、今は一切感情を露にしていない。もう吹っ切れたのだろうか。誰かがいない日常というよりも、また誰かがいる日常の方が……、って、何考えているんだろう。俯き、ネガティブな思考に陥る。こんな私なんて……。
「引っ越し先は、王都だって」
「……」
どうしても自己嫌悪に駆られるこの体は返事をしない。
「王都はね、ガラス張りの建物があるんだって、こんな田舎の村はガラスが希少だから滅多に使われないから、見てみたいね。他にも、僕よりもうんと高い、十倍以上ある建物もあるんだよ。それにね―」
急に欣然とし始め、大ぶりなジェスチャーをしてその壮大さを表し、三秒に一回は目を合わせてくれる。私はすぐに逸らしてしまうが。
「そ、そうなんだ」
テンションの差から申し訳なり、返事をする。ただ、タカラが楽しそうにしていると、なんだかこっちまで心が広がるような、楽しいが伝わってくる。
「遊園地っていうものがあるんだよ! それにもちろんお城もね、王様が住んでるんだけど、今は王様はいないんだって」
うん、うんうん。心の中では最大限頷いている。興味を示している。でも、まだ素直になれない自分は、声に出ない。馬鹿だなあ、私は、せっかく、こんなに素敵な世界にやってきたっていうのに……。
「それでそれで!?」
っっっふ?! まさかの声が出た。それも街に響くほどの大声が。急いで手で口を覆うが、タカラはそんなキヨネににっこりと笑い、勢いを増させ話を続けた。とても楽しかった。家に着き、そのままベッドで横になった時、まだ声が出た自分に対する余韻が残っていた。あの瞬間、殻を破ったような気がした。
自己嫌悪ばかりしてしまう自分、どうしてか、改善されなかった。きっとそれは、自分のままでいたいという気持ちがあったからだ。ここで元気よく返事をする自分を知らないからだ。それに、一度元気になったのに、また自己嫌悪している自分に戻ってしまった時怖いからだ。ただ、一つ、タカラを見ていて思った。どんなタカラがいても、それはタカラだ。タカラでしかないんだ。取り繕った元気かもしれない。でも、私にはその元気が響いたんだ。
自分じゃない自分なんていない――。自分で考え着いたのか、また夢の私が言ってくれたのか。また美しい言葉を知ることができた。
これという夢は見なかったが、また早い時間に起きた。
その時覚えているのは、隣ですすり泣いているタカラだけだった。
読んでいただき誠にありがとうございます。




