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第4話 夢の自分

 異世界に来てから初めての夜、ある夢を見た。

 真っ暗な空間、目を瞑っているのかすら分からない黒で埋め尽くされた空間の中、水の中なのか、宇宙空間なのか。そんな空間の中、目の前には私、キヨネがいた。体育座りをした、私だ。手を伸ばしたら届きそうな距離に、黒い髪に黒い瞳を持つ私がいた。ちゃんと村長の家の鏡で見た私の顔だ。もしかしたら元の世界での私かもしれない。

 だとすれば聞きたいことがたくさんある。

 口を開こうとすると、上唇と下唇がくっついて離れない、話しかけることができない。手で唇同士を離そうとするが、境界線が存在していなかった。


「キヨネ、大丈夫、何も恐れなくていい、あなたはあなたらしく生きるのが一番素敵だから」


 目の前の自分は口も動かさずにそう言った。というか、頭の中に直接響かせてきた。何かを悟ったような言葉にキヨネは勘づく。嫌な予感はしていた。異世界に来てからずっと心の中は曇っていた、雨が降り出しそうなほどに真っ暗な雲に覆われていた。元の世界の私。どこか臆病で、だけど心の中に明るい部分を閉じ込めていた私。周りの環境のせいにしたいけど、元はというと頑張らなかった私のせい。そうだ、きっと前世の私は、そんな世界を嫌い……。


「別に、世界が嫌いだったわけじゃない」


 考えを否定してくるように頭の中に聞かせてくる。まさか、考えていることが分かっているのかもしれない。それなら、今、私は何をしているの? こっちの私は今は元気だよ、守ってあげたい人ができたし、それに、なんだかこっちの世界を望んでいた気がしたから。

 目の前の自分は頷くと、プツプツと接続が切れるように姿が点滅し始める。


「……元の、世界の、ことは、全部、忘れて、いいから。今日は、この辺かな、また、明日、色々伝えるね」


 途切れ途切れに伝えた後、目の前の自分は立ち上がり、背を向け、どこかへ行こうとする。キヨネは急いで追いかけようとするが、自分が離れていくほど、意識が遠のいていく……。また明日も会えるの?


 急に引っ張られたように目を覚ました。本当にガバッと、フライパンを降って一斉に炒め物が飛び上がる勢いだった。なんで急にそんなこと思ったかは、外が土砂降りの雨だったからかもしれない。音がよく似ている。

 雨の朝は苦手だ、明るいはずの朝が、まるで闇に侵食されているようで、頭がどっしり重い。靄がかかっているようだ。ただ、ガバッと起きたせいでまた寝る気にもならない。

 まさか異世界に来てから2日目は悪天候に見舞われるなんて。ふとこの雨が今朝の夢から続く、曇天模様の心が今の天気を映し出しているように感じ、より心の内がモヤモヤとする。

 時計に目をやると、どうやら早起きをしたらしい。昨日は10時に寝て、今は4時。元の世界では、雨でなかったらこの時間帯に儚い青さをまとった街が見える朝だったはずだ。


「おはよう」


 隣で寝ているタカラに話しかけるが、タカラは幼い寝息を吐いている。

 ベッドのすぐ横にある物置には真っ赤なウィッグが窓の外を見ているように置かれていた。


「今日は雨だね」


 タカラに言うはずの言葉をウィッグに向けて放つ、そのままウィッグを掴んで洗面台へと向かう。

 これが日課になるんだろうなという物事はあまり好きではない。限りある一日を削られているようで、そのうち日課で一日が削り切ってしまいそうになる。何故だろう、これはずっと感じていたことだ、きっと元の世界からの性格なのだろう。

 洗面台に立ち、プロテアに教わったやり方でウィッグをつける。髪をまとめるのが難しかったが、時間をかければなんとかなった。鏡にしっかり黒髪が映っていないかを確認した後。用もなくリビングへと向かう。ウィッグとコンタクトレンズの準備だけで1時間を要していた。


「おはようございます」


 丁寧に案山子へお辞儀をする。その光景はいつ見ても悍ましいが、なんだか神聖なものにも感じてくる。

 案山子の隣に座り、窓の外をぼーっと見つめる。

 あれ、なんでだろう。これだけのことなのに、世界が広く感じてくる。ただ、寝室からリビングに出ただけなのに、だけなのに……

 テーブルにおでこを押し付ける。その姿勢のまま、夢を思い出す。忘れてもいい、そう自分に伝えられた。


「自殺、なのかなぁ」


 納得がいってないわけではない、はたまた、素直に頷ける事でもない。まだ分からない、しかし、過去の自分は確実に病んでいた。記憶が定かではないが、病むことの感情を理解している。複雑に虚無感と焦燥感のようなものが交差する。人間として生きていたくない、何もしたくないと考え陥る。それは病んでいる人にしか分からないことであろう。

 そのことが頭でいっぱいになると、込み上げてくるものがあった。誤魔化すために、おでこで何かをすり潰しているように机に押し付け、込み上げる涙をなかったものにしようとする。


「お姉さん、どうしたの?」


 そうしているうちに、タカラが起床していた。机を舐めているかのようなキヨネに対し、タカラは困惑していた。吃驚しながらもキヨネは最後に鼻を啜り、頭をタカラの方へ向けた。真っ赤なおでこと鼻先を見たタカラは泣いていたことを悟る。何を言うまでもなく冷蔵庫から瓶のミルクを手に取り、二つの頑丈なコップに注いだ。そのままキヨネの向かいに座り、一つのコップを手に取り、もう片方の手はコップの下に手のひらが向かうように配置。なにかマジックでもするのかとキヨネは凝視していた。そのまま下に配置した手からは火が出てきた。本当に手のひらから、手のひらに穴がいているわけでもなければ、マッチやライターを隠し持っているわけでもなさそうだ。


「これも、魔法?」

「うん、火魔法の初級、出現」


 仕組み、原理を知りたがる人もいるだろうが、キヨネはその光景をただただ美しいと思っていた。

 魔法が目の前にあることも、タカラがホットミルクを作ろうとしていることも、外が雨なことも、この世界では、美しいと思おう。別に、いつ生きるかなんて決めれない人生だ。だから、生きてる間は美しいと思おう。うん、そうだ。そう思うと、なんだかさっきまで考えていた元の自分がどうでもよくなった。きっと、夢で語られた忘れていいという言葉にも少し影響をされている。

 すぐにミルクはポコポコと泡を立て始める。そしてコップが差し出される。持ち手をしっかりと握り、口につけ、傾かせる。ちょうど良い暖かさのホットミルクに体の芯まで染みる。


「ありがと、楽になった」


 そう笑顔で言うと、タカラは照れた様子で窓の方を向いた。キヨネも一緒に窓の外を見ると、雨が止んでいた。朝起きてから約二時間で、カラったした日差しが窓から差し込んできて、さっきまで豪雨だったのが信じられない。自然と心も晴れてきた気になる。晴れた空にタカラはパっと花が咲いたように笑みを浮かべた。


「タカラ君は毎日何してるの?」


 晴れたことにより、会話も聞き取りやすくなる。


「僕? 基本は外で遊んでる、魔法の練習とかもするよ」

「昨日も遊んでたんだ」

「うん」

「そっか」


 それから沈黙が続くが、別にお互い気まずいようなこともなく、もしジッとしてられなかったらホットミルクを口にした。さっきのタカラの話を聞いたキヨネは少し悩んでいた。

 異世界に来たはいいものの、何か目標とかはないのだろうか。元の世界では異世界転生といったら魔王討伐など、なんか目標があったような気がする。まぁそんな目標、目的はシナリオを面白くするためのもののようなものだろう。別に私の人生にそんなものがあっても……。

 いや、人生にもそういう困難は自分から立ち向かう方が面白いのかな?

 自分の中で思い詰める。


「昨日村長と話をしたんだけどさ」


 同級生に話しかけるくらいの軽い気持ちでタカラには話しかける。そうするとタカラは顔を合わせてくれて、しっかりと聞いてくれる。


「うん」

「その、さ、そう、黒髪黒眼が差別される理由なんだけど」


 もしかすると聞きたくない話かもしれないと、一旦間をおく、タカラは表情一つ変えずに頷いてくれる。


「魔族がこの世界に現れた原因が、黒髪黒眼が特徴の人だったからって、知ってた?」

「そうなんだ」


 どこか見透かしたような表情のまま、抑揚なく返された。

 なんだろう、やっぱりタカラとプロテアには何か、特別で、初めて見る何かを持っている。ただ、それが何かは分からない。

 そうして話は終わり、ミルクも飲み終わる。なんだか話したかった内容と違い小さくため息をつく。

 すると、ドアをノックする音が聞こえてきた。その時、激しい動悸に襲われる、心臓に酸を注がれているかのように苦しく鼓動している。なぜだろう、昨日の森の中で二人が近づいて来た時と似ている何か、症状のようなものだ。ノックの音、何かが近づいてくる音からは嫌な予感がする。


「あーそーぼ!」


 ドアの向こうから聞こえてきたのはユッカの声だった。その声を聞くと自然と動悸は収まってくる、分かりやすい幼く高い声は、ドア越しに少し響いて聞こえる。タカラは立ち上がり、準備へと向かう。キヨネはその様子を飛び回る虫のように目で追いかけていた。パジャマから私服へ着替え、少し大きめのバッグを肩に下げ、玄関で靴を履く。いつの間にか準備は終わり、いってきますと投げ放つように言い、ドアから出て行った。一瞬の準備に覚えているのは、ドアの隙間見えたワンピース姿のユッカだけだった。教のユッカは昨日の動きやすそうな服装とは違い、随分とオシャレをしているように感じた。

 一人でタカラの家に取り残されたキヨネは何をしようかと悩む、お金は持っていないし、朝ご飯もホットミルクだけでは少し物足りない。

 何はともあれ出かけようと着替える準備を始める、タカラの服は少しだけ小さいが着れる範囲だ。許可は昨日の夜に取ってある。ゆっくりと着替えを済ませ、家から出ようとする。ドアノブに手を伸ばそうとすると、身体中に電撃が走ったかのように体がそれを拒む。

――全部、忘れていいから。

 頭に今日の夢で言われたことが浮かぶ。そうだ、ここは異世界で、元の世界なんて関係ない。そう自分に言い聞かせ、勢い良くドアを開いた。

 眩しい空がキヨネを迎える。少し長い瞬きの後、辺りを見渡す。雨上がりのどこか色濃く艶のある村、石畳はまるでお風呂上がりのようで、気持ちよさそうにそこに敷き詰められていた。

 まるでまた別の世界に来た気分になる。気持ちの良い朝に体を伸ばす。どこに行こうかと右左を確認、そのまま自然と大広場に向かっていた。

 大広場までの途中、いろんな人が家から出てくる。少し汚れた作業着を着た人、剣を背中に背負った人、何人かは村の出口へと向かう。農林系の仕事や、狩りに行くのだろうか。それとも旅に出るのだろうか。旅……。せっかくの異世界なら、旅くらいしてみたいものだ。

 昨日覚えた道から大広場に向かう。いろいろな道から合流し、段々と人が増えてくる。布でできた袋を肩から下げ買い物に向かう人、武器屋の前でお互いのチョイスを褒め合う獣族と人間のカップル。どこか異世界らしく、それが日常という事実に心が躍る。

 大広場に着き、昨日見れなかったものを一通り見る。どんな野菜や果物が売っているのか。どんな動物がいるのか。ただ、食材に関しては想像を超えるものはなく、安心するといえば安心だ。そして、一番見てみたかったもの、魔法についても探ってみる。魔法の杖らしきものはなく、皆普通に使っている。屋台では火を起こしたり、噴水の周りでやっている芸では水でお手玉をしていたり。全く不思議だ、種も仕掛けもなく、水が重力を無視して自由に動き回っている。芸ではしゃいでいる子供たちの後ろでキヨネは真剣な眼差しでいた。

 結局何も掴めなかった、この世界での子供たちは勝手に魔法が出来るようになるのだろうか、なにか魔法入門本みたいなものがあればいいのに。歩き回ると欲しいものばかり増えていく。

 お金もないのでやることが無くなってしまった。やっぱり仕事を探した方がいいのだろうか、かといって仕事をしたいわけでもなく、どちらかというと面倒くさい。とりあえず相談をしてみることにする。

 昨日と同じ場所で、今日はノックをしていた。ノックをしても返事がない。外出中だろうか。もう一回ノックしようとすると、ドアはゆっくりと開いた。


「はい、どちら様でしょうか……」


 中から眠そうに眼をこするプロテアが出てきた。


「プロテア村長?」


 昨日あれだけはきはきとしたプロテアだったが今はしぼんだ様子。やべっと呟くと、すぐに準備をすると言ってまた中へ戻っていった。そしてもう一度ドアが開いたとき、中からは昨日と同じプロテアが出てきた。自信に溢れているプロテアだ、さっきとはまるで違い、自分に魔法でも掛けたんじゃないかってくらい違う。


「ささ、座って座って」


 昨日と全く同じ席に座る。


「お茶でいいよね?」

「はい、ありがとうございます」


 出てきたお茶は昨日と同じで果物の甘い香りがする。


「それで、話っていうのは?」

「その、私お金がなくて、というか、今何をすればいいのか分からなくて」


 今のところただ異世界に旅行に来た人だ、ここで生きていく覚悟はまだできていない。お金もなければ知識もない。物語のように目標もない。


「キヨネさんにとって生きがいってある?」

「生きがい? いや、特に」

「じゃあ、きっかけを作ろう、明日また僕の家に来て、準備しとくから」

「準備?」


 その日はそのまま家を出された、1000と書かれた紙をもらって、これで好きなものでも買いなと言われた。一文無しのキヨネにとってこの1000はとても大きい。ドアの前で紙を太陽に見せつけるように掲げた。

 昨日のブブブのステーキが100と書かれていたから、ステーキ10枚分。そういえば、タカラはあれを毎日食べているのかな? だとすると収入が気になる。ま、後で聞けばいいか。

 ポケットの中にお札はしまい込み、また大広場の中心に戻っていた。

 何かの串焼きと本とペンを買った。串焼きは50で、本とペンで100、余ったお金は貯金することにした。何かの串焼きは特性タレがよくしみ込んでいて噛めば噛むほどというのはこういうことかと気付かされた。牛肉の筋のような肉は中まで火が通っていて、強くかんでもはじかれるほどの弾力がある。鼻に抜けるスパイスのような風味とタレの甘味が異国のハーモニーを醸し出している。


「おいしいです」


 屋台のカウンター席で思わず零れる。あっ、と口を手で押さえるが、隠しきれない満面の表情に矍鑠とした老店主が高笑いした。


「いい表情をするね嬢ちゃん、これ、サービスに」


 そうして今度は煮込みのようなものを渡された、さっきのすじ肉がとても柔らかく調理されている。繊維一本一本が舌の上を通り、おいしいタレベースの汁と一緒に飲み込まれる。これもおいしい。


「ありがとうございます! その、この煮込みって持ち帰ることってできますか? お金は払うので」

「そこまで気に入ってもらってうれしいよ、毎度」


 そうして袋に入れられた肉の煮込みを受け取り、さっきのお釣りから料金を払おうとすると。


「料金はいいよ、おいしそうに食べてもらえて嬉しかった」


 老店主は常に笑っていた。キヨネはなんだか誰かから突き飛ばされたような感じがした、悪い意味ではなく、良い意味で。ずっと巣の中で閉じこもっていた自分を誰かが広大な青空に突き飛ばしてくれた。店主としてはなんともないことかもしれない。袋を受け取ったキヨネは屋台から離れた後、今朝の水滴だろうか、一滴の水が頬をなぞった。

 こみ上げてくる喜びと幸せ。この欣幸の至りに堪えない思いは、生きていく自信が実った。

 その日の夜、タカラに煮込みを見せると、まさかと驚いたように手にぶら下げた袋を見せた、ユッカから鳥の串焼きをもらってきたそうだ。今日の夜はご飯を炊き、追加で市場に向かい野菜を買い足した。お腹いっぱい食べた後、お風呂に入って歯を磨いてすぐに寝てしまった。

 また同じ状況の夢を見た。黒髪黒眼の自分がいて、自分は口を縫い付けられたように喋れない。


「うんうん、随分と幸せそうな顔だね。私も元気が出るな」


 なんだか今日の自分はとても嬉しそうだ。嬉しそうな自分を前にキヨネは頷くことしかできない。目の前の自分は一呼吸置いて口を開いた。


「あと一つ、これだけは言っておくね。私は自殺なんてしていない」


……え?

 異世界での生活は日々不安が募る。夢の中での自分は頼もしく、どこかで自分を導いてくれると思っていた。目の前の自分はより満足げな表情を見せ、手を振った。今日はこれだけ伝えに来たのだろう、その別れ際、私はある言葉を言いたくて言いたくて仕方なかった。


「――ありがとう」


 吃驚して自分の口元に手をやる。突然口が開いた、喋れるようになったのだ。


「あの! 元の世界の私はどうなってしまったのですか?」


 死因を聞きたいわけではない、間違えた質問に言い直そうとすると、目の前の自分はニヤリと笑い、言った。


「大丈夫、私は生きているから!」


 口を開いた姿は初めて見た。生きている、そう答えると目の前の自分は段々と灰になっていく。まだ聞きたいことがたくさんある。なんだか、昨日の終わり方とは違い、もう会えないような気がした。


「ほら、起きな、自分の世界に、次はそっちで会おうよ!」


 目の前の自分は最後、お手本のような笑顔で言ってくれた。そっちで会おう、出来るのか定かではないが、目の前の自分の顔を見ると本当にできるような気がする。


「正解なんて、ないよ」


 自分にもあんな顔ができる日が来るのだろうか。目の前の自分は地を掃う。夢の不思議な空間に一人取り残されたキヨネは胸が潰れるような悲しみに嗚咽をこぼした。


「生きてるんだ……」


 いつまでも浸っていたいこの悲喜交々、それを残酷に切り捨てるように朝は来る。

読んでいただき誠にありがとうございます。

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