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 神とは一体なんだろうか、宗教的、神話、特定の神などではなく、神そのものに対して疑問があった。調べてみても人知を超えた存在、人間を超越した存在と出てくる。しかし、私はこう考える、神というのは蓋を開けてみれば空っぽであり、それ故に先ほど述べた力を持っているのだと。きっと、本当に存在してはいけないのだと思う。もし世界に神がいたなら、それはどれだけ美しかったのだろうか。そんな疑問だらけで、生きている。


 キィィ、と激しいドリフト音がして、ピーーという甲高い車のクラクションが容赦なく降りかかる。その音は何かまずいことが起きているのだと本能が呼び起こされ、視界が歪んでいく。気づいた時には遅かった。ドッ、衝突音がした瞬間、体が浮いた感覚と共に、意識が消えた。


「ん…」


 うつ伏せで倒れていた私は、先程まで寝ていたような感覚に陥っていた。その状態のまま、ベットの物置があったであろう場所に手を伸ばす。右に左、地面に手を振っているようにも見える。


「あれ」


 まだ呑気に手を振っているその時、私はことの深刻さに気づく。そこは、不気味な鳥の鳴き声がする、日が暮れる頃の森の中であったからだ。

 ここはどこ? さっきまで私……、あれ、どこにいたんだっけ。

 思い出せなくなった記憶により、絶望感は加速していく。

 すると、正面から小さくカサカサと草叢をかき分ける音が段々と近づいてくる。吃驚した私は反射で立ち上がり、辺りを見渡し隠れる場所を探す。結果、すぐ近くの木の裏に凭れ掛かることにする。

 音がほんの間近にまで接近すると、変な緊張感により動悸が激しくなる。内臓が刺されているかのように痛い。呼吸は荒くなり、まるで何かの症状のようだ。


「タカラ、ほんとにこっちで人が浮いてたの?」


 声が聞こえた瞬間、時間が止まったかのように息を殺した。しかし、声の特徴が随分と幼い。言葉の強弱が定まっていない感じだ。


「うん、浮いてて、そのままヒューって落ちていった、確かここを抜けたら道があるから、そこで倒れてるかもしれない」


 どうやら二人いて、私のことを探しているようだ。


「でも、浮いていたってことは飛行魔法を習得している大魔法使いってことじゃない? それなのにまだ倒れてるってことある?」


 私はピクリと体が反応する。

 魔法、今、魔法って言った? 聞き間違いじゃない二回も魔法って言った。魔法? いや、子供の遊び事かもしれないか……

 その時いつかの記憶の断片が白黒映画のように頭に思い返される。


 ――


「それはなに?」


 5㎜方眼ノートを顔の前まで持ち上げる。中にはぎっしりと文字が敷き詰められていた。


「私の世界!」

「ふーん、ちょっと見せてみてよ」


 興味のなさそうな誰かは、心の内はどこか喜んでいるのだろうか、先に手を差し伸べてから言った。


「うん!」


 ――


 なぜか魔法と言う言葉を聞くと、何かが思い返された。どこかで待ちわびていたような感覚に陥る。両手を広げて待っていた、そんなことが頭に浮かぶ。なぜだろう、一歩も進んでいないのに、何かを掴め、抱きしめることができたような。けれど、その時の自分は待っていた自分とは違い、どこか幼い。複雑な思いを巡らせていると、自然に涙が実のように成った。重大な何かを成し遂げた気がする。今すぐに伝えたいけど、今ここにはその誰かはいない。瞬きを一度すると涙は頬を伝う。


「ねぇタカラ、もしかして探してた人って、この人? なんか泣いてるよ」


 二人はもうすでにかくれんぼのように私のことを見つけていた。


「あ゛ゴホッゴホ」


 見つかってしまい呟く。しかし、口の中が砂利を呑んだ後のようだ。乾燥して気管がチクチクする。その影響でせき込んでしまう。


「あの、これ」


 金髪の少年から動物の皮でできた艶のある水筒を手渡される。パッと見て何か分からなかったが丁寧に蓋の位置を教えてくれ、水筒だと気づいた。意を決して一口飲むと、澄んだ水が全身に染みた。


「ありがとうございます」


 水筒を返そうと少年に目を合わせる。その時ちらりと見えた少年の姿が頭の中で印象に残る。そこで冷静に考えた、金髪? 地毛なのかもしれないが、次に頭に浮かぶのは、日本語で会話が成立しているということだ。そうしてもう一度二人の方を向く。

 絹のような艶のある金髪、片目が隠れるほど長い前髪で左目が隠れている少年と、空と見違えるほど鮮やかな空色の髪、その色と同じ色の瞳を持つ少女。コスプレと疑ってしまいそうな質感。

 その二人の姿を見た時、キヨネの表情は口いっぱいに甘いものを含んだように嬉しそうで、緊張感の欠片も感じさせなかった。さっきの会話とこの光景が見間違え、聞き違いではなかったら、仮説は合ってることになる。

 急に目を合わせたらへにゃっと変に笑われ恐怖を抱く子供二人。


「その、大丈夫ですか?」


 少年は手を差し伸べてくれ、その手を取り立ち上がる。


「うん、もうへっちゃら」


 両手を腰に当てて胸を張ると、にこやかに少年は笑ってくれた。横にいる少女には腰あたりを指で突かれ、目を合わせると、目を星のようにキラキラと輝かせていた。


「お姉さんは、大魔法使いですか?」


 少女はとても気になっていたようで、期待を膨らませながらも丁寧に聞いた。


「多分、違うかな?」


 コテっと首を傾げて否定したその答えに、大きくした風船を針で一刺ししたようだった。残念そうに視線を落とす少女に私も心が痛くなる。


「ユッカ、大丈夫だよ……、きっといつか出会える」


 慰めるように意味深なことを口にする少年。きっとこの少女は誰か探しているのだろう。その言葉に少女は笑顔を取り戻す。

 なんだかこの二人はどこかお似合いで見てて和むものがある。身体的に小学生か中学生くらいの年齢、もしかしたら付き合っているのかもしれない。


「お姉さん、帰る場所あるんですか?」

「それが、ここがどこか分かんなくて……」


 両手の人差し指同士をツンツンとする仕草とともに言う私に対し、少女は不思議そうに首を傾げる。


「ここって、リモトルボ村のこと?」

「りもとるぼ? 地球の日本、だよね?」


 自分がいたところの詳しい情報は思いつかず、惑星と国の名前だけ頭に浮かんだ。


「ちきゅう? にほん? タカラ、ちきゅうって知ってる?」

「いや、知らない」


 やっぱり。

 否定されたことで何かが結びついた。いや、もしかすると地球外生命体に乗っ取られた地球かもしれないし、氷漬けにされて数万年眠っていたのかもしれない。それでもいい。どっちにしろ元の世界じゃなくなった世界。そう、ここは、異世界だ。ブワッと全身に風が吹いたわけではないが鳥肌が浮き出てきてそのような感覚に陥る。全身が洗い流されたようだ。


「とりあえず早く帰ろう、もう日が暮れる」

「そうだね、お姉さん、歩ける?」


 もう少女に気を使われないように勢いよく頷く。


「タカラ、この道で帰る?」


 私は倒れていた場所は道の真ん中だったようで、後ろを振り向いてもずっと固められた土が続いている。灯りはなく、先は真っ暗だ。


「この道はどっちに行っても遠回り、よし、来た道で帰ろう」

「ラジャ」

「え、え?」


 戸惑う私を置いていくように二人は草叢を抜けていこうとする。ついてきて、そう少女に言われるが、左右を見渡すと安全そうな道がある。深く考え込んだ後、ため息交じりに草叢に入る。

 身長に木々をすり抜けるとき、自分の服装を疑問に思う。この白いボタン付きの服と紺色のひらひらした服、艶を失った革でできた靴はなんなのだろうか。

 しばらく二人についていくと、なんだか冒険している感じで少し楽しい。途中、お互い自己紹介をした。少女はユッカ・サミと言い、少年はタカラ・ラーシャ。二人とも12歳。タカラは黙々と道を進んでいて、二人分の情報をユッカが丁寧に教えてくれた。


「お姉さんはなんていうの?」

「私は、」


 少し抵抗があった。それは、今頭にある名前が本当に自分の名前なのか分からないからだ。


「馨音」


 口にしてみると、随分としっくりくる。どうやら合っているみたいでホッとする。


「きよね?」

「うん、キヨネ」


 この名前だ、頭の中で自分の名前という検索をすると馨音。き、よ、ねと頭の中で読まれる。少し複雑な漢字だが、読むことができた。キヨネ、これはきっと私の名前。


「キヨネさんは今何歳なの?」

「えっと、17歳くらい?」

「くらい?」


 もし異世界だとすると今頭の中にある自分の情報が少し違うかもしれない。もしかするとずっと眠っていてもうしわくちゃのおばさんくらいの見た目になっているかもしれない。もしそうなら、あからさまにサバを読んでいることがバレてしまう。


「いろいろ事情があるんじゃない?」

「そうだね」


 今まで一切口を出してこなかったタカラがここにきて口を開く。

 ユッカも納得した様子でまた別の話題で話が進んだ。この納得はどういう意味なのだろうか……。キヨネは苦笑するしかなかった。

 それから、魔法の話になるとユッカは情熱的で、魔力の増減について、現代魔術師について、とても早口でほとんど右から左へと流れていった。ただ、少し寂しそうに自分の父が大魔法使いということも教えてくれた。


「よかった。まだ日は暮れてないよ」


 独り言のようにタカラは口にした。そして、その光に迎えられるように森を抜けた。その瞬間、向かい風が三人を襲い、目が開けなくなる。細かい瞬きを繰り返し、目を開いた次の瞬間。


 そこに広がっていたのは、日が暮れる前の一面赤く照らされた景色。奥に目をやると、とても高い山が連なっている。山が高すぎて空が曲がっているようだ。そんな山が夕焼けの綺麗な赤色に染まっている。視線を下に向けると、畑と村が一望できる、洋瓦の家が並び、望楼が村の端々に設置されている。畑は黄金色で、風により金属の艶のように靡いている。目を凝らすと、村の真ん中には広場のような場所も見え、随分と栄えていそうだ。なだらかな丘に作られているのだろうか、少しの高低差が目立つ。近くには細い川も流れ、この景色だけで生きるには困らなさそうな場所であった。ここでもまた泣きそうになる。


「すごい、美しいね、何だろう、この景色だけで生きていけるっていうか…」


 風光明媚に心打たれ、思わず口から溢れる。ハッといま恥ずかしいことを言ってしまったのではないかと顔を赤くし、二人の様子を横目で見る。二人は目をつぶって最大限風を浴び、気持ちよさそうにしている。よかった、聞かれていな…。


「お姉さん、情緒不安定なの?」


 ギク、機械のように段階的に首をタカラの方に向ける。


「こらタカラ、そういうデリカシーのない発言はモテないぞ。キヨネさん、私もそう思う、嫌なことがあっても全部忘れちゃいそう」


 またもや二人の仲の良さを見せつけられるが、素敵なことを言う少女に感心する。嫌なことがあっても全部忘れちゃいそう、か。何も思い出せない今にとっては毒かもしれない。


「魔法ができないことは忘れちゃダメだよ」

「うっさいな、ま、タカラよりかは早く走れるからいいんですう」


 二人の子供らしい掛け合いにキヨネは微笑んでいた。ユッカから目を離そうとするタカラはキヨネのことを一瞬見た瞬間、もう一度見た。綺麗な二度見の後、目を見開くと、少年は口を開いた。


「お姉さん、これを頭に被せて」


 差し出されたのはタカラが羽織っていたコートだった。真剣な眼差しに断れず、その小さいコートをフードのようにする。


「もっと、こう、髪の毛が隠れるように」

「ちょっとタカラ、キヨネさんに変なことしようとしてるでしょ?」


 どうやらタカラにどういう意図があるのか分からないのはユッカも同じらしい。キヨネははみ出ている髪の毛を見えないようにしまい込んだ。


「いや、そんなことないよ、とりあえずユッカ、もう遅いんだから、ここで解散しようか」

「え〜、まいっか、ここの方が家も近いし、もうすぐ晩御飯だもんね」


 急な展開に文句の一つもせず、子供特有の素直さでユッカは帰っていく。まだ村の入り口の気配もしない場所での解散に不安がよぎるが迷いなく駆けていく姿に安心する。


「僕たちも早く帰りましょう」


 どういうことか、タカラは非常に焦っていた。何が何だか分からないキヨネは、表情をあまり変えないタカラがこんなにも不安に駆られている様子を見て、自分も心配になってくる。喪失感に満ち溢れた表情に心が痛む。少し駆け足で丘を下る。

 村に近づくと、柵に両脇を抑えられた道が見えてくる。とても長い道で、入口と逆を見るとはるか遠くまで続いている。きっとほかの場所につながっているのだろう。開閉式の柵がいくつか見え、それを押して道に入る。先ほどまで草が生い茂っていた道が、土で固められた道になり、とても歩きやすい。そうして道を進んでいくと、柵は途切れ、横に長い建物がぽつぽつと見える。横を通ろうとすると、家畜の異臭が鼻の奥を侵食してくる。勢いよく鼻をつまむ。タカラは慣れているのか鼻をつまむどころか表情一つ変わっていない。

 進んでいくと住居がいくつも見え始める。床も石畳となり、いよいよ村に入った実感が湧く。白いペンキで壁を塗っている石造りの家はその窓とむき出しになっている支柱の木の板が相まって、ケーキの断面のように見える。そんな中、何かに見つからないように二人は慎重に進む。そして、タカラはある一つの家の前で足を止めた。


「ここが、僕の家」


 並んである石造りの家の中の一つの家の前で止まる。村の入り口のすぐ近くだったので人も少なかった。タカラはドアノブに手を近づける、しかし、途中で静電気が走ったかのように一度手を少し遠ざける。その様子に首を傾げたキヨネはタカラの手を見ると少し震えていた。何かがおかしいタカラにキヨネは心配になったが、震えていたのも束の間だった。キヨネを一目見て。大丈夫、そう呟いた。今のキヨネにその意味を理解する余地はなかった。今度はしっかりとドアを開き、玄関へと踏み込む。


「た、ただいま」


 灯りのついていない家から返事はない。この家には誰もいないのだとすぐに分かるが、時間を考えると家に親がいてもおかしくない時間だ。タカラは指でくるっと円を描くと指の先と蝋燭が導火線で繋がっているかのようにパチパチと火花が移動し、家中にある全ての蝋燭に火が付いた。きっとこれが魔法なのだろう。その光景に少しの間釘づけにされる。本当になにも種も仕掛けもなく、ちゃんと火は暖かい。


「これってどうやってやったの?!」

「火魔法のこと? ちょっと手を借りるね」


 そう言うと、タカラはキヨネの手を掴んで教えようとする。しかし、手を握った瞬間、青ざめた表情で手を振り払った。その時、つめたっ、と反射的に言っていた。別にタカラの手はとても暖かいわけではなく、冷え性だったという記憶はない。


「これは……、いや、まぁ、とりあえず入って」


 結局キヨネは何も掴めず、タカラは変わらず深刻そうな表情をしていた。ドア付近のスイッチを押し、灯りを付ける、そこにあった光景にキヨネはゾッとした。四人掛けテーブルの四つの椅子のうち二つには案山子かかしのような、木でできた人型の何かが座っていたからだ。白く塗られているものと、黒く塗られているもの。タカラは平然としていて、さらにはそれに話しかけ始めた。


「母さん、今日はお客さんが来てるよ。」


 独り言、いや、少年は黒い案山子に母という設定で話しかけた。それも寂しそうに、きっともう一つは父。キヨネはさっきタカラが心配そうに言った大丈夫の意味が今理解した。


「は、初めまして、キヨネと申します!」


 張りきった様子で言うとタカラは少し変に笑った。出会ってから初めてタカラの子供らしい表情を見た。


「ごめんね、こんな変なことに付き合わせちゃって」

「変なことだと思わないよ、きっとタカラくんが強くいられる理由だと思うから」


 子供らしい表情を前になんだかそれっぽいことを口走る。その後、少しの沈黙が二人の間をするりと抜けた。何か変なことを言ってしまったかと思い返す。


「僕が、強くいられる?」


 そんなはずないと俯く。そして勢いよく顔を上げると眉間に皺を寄せてじっとキヨネを見つめる。この緩急はまるで鹿威しのようだ。


「キヨネさん、少し話があるんだけど」

「はい!」


 急により低い声で、まるで怪談を始める雰囲気で話すタカラに対し、反射的に返事をした。しかし、真剣な眼差しは幼さを感じさせない冷徹さを醸し出している。すぐにキヨネ自身も冷静さを取り戻した。


「お姉さんは、魔族?」

「ま、まぞく?」


 突拍子もないことを聞かれて思わず聞き返してしまう。魔族と聞いてレンガの表面のように荒れた紫色の肌を持ち、二本の角に四つの羽をもつ姿が頭に浮かぶ。とても人間に聞くような言葉ではない。しかし、答えを待つタカラに否定することはできない。ただ、キヨネはまず頭を触り、その後背中を痒い所を探しているように探った。別に角も羽もあるわけではない。ひとまず頷き、答えをまとめる。


「私は人間だよ」

「そうだと思ってた、後一つ、こっちの方が大切、その黒い髪、黒い瞳は生まれた時から?」


 自信のない答えだったがタカラは人間だと認めてくれた。黒い髪、黒い瞳。自分の姿すら頭に浮かばない状況でそう聞かれても分からない、目にかかっている前髪は黒いので髪は黒いのだろう、それよりも…


「そうだけど、大切って、どう言う意味?」


 少し怖かった、もしかしたら魔族の特徴として述べたものがあるとなると、どう弁明しても無理だ。いっそ異世界転生のことを口にすることも考えたが、信じてくれないだろう。


「黒い髪と黒い瞳は魔族の象徴とされているんだ」

「……え?」


 魔族の象徴、そう聞いていい気はしない。揶揄っているわけではなく、本気で言っているタカラを前にどんな顔をしていいのか分からなかった。


「僕はうまく説明できないんだけど、僕の母さんは黒い髪だという理由で、拉致されて、まだ帰ってきていない、そして」


 前髪を上げ、片方隠れていた目に手を当てて、何かを摘んだ、花びらのようなものだ。そして摘んだものを取り出すと、黒い瞳が姿を表す。掴んだものはカラーコンタクトレンズだった。


「僕は呪われた子として母が拉致された後に強制的に思考を操られた。母のことも別れ際以外微塵も思い出せない。自分でそんなこと言いたくないけど、紛れもない事実なんだ」


 ユッカと同じ年だと仮定すると12歳、その年とは思えないほど哀愁漂う雰囲気と、その悔しそうな表情に心臓が握りしめられているように心が痛くなった。けど、私にはどうしてやることもできない、というか、今何をすれば、何を思えばいいのかすら分からない。ただ、来たばかりのこの異世界生活、早速危機が訪れそうになっているのは確かだ。


「とりあえずお姉さん、その姿じゃこの辺は危険、どこからきたのか分からないけど、とりあえず村長のところへ行った方がいいかも」

「村長?」

「うん、きっと村長ならどうにかしてくれる、この不思議な瞳の色を変えるものも村長からくれたんだ」


 コンタクトレンズを? もしかすると同じ転生者なのかもしれない。タカラは席を離れ、村長の家までの地図と、黒いローブを渡してくれた。逆に目立たないか心配したが、直接黒い髪だとバレるよりかは変な人だと思われた方がマシだという。肝が据わっている考えに本当に子供なのか疑うほどのメンタルだ。白い服の上にローブを羽織る。

 そして家から出ようとする時。


「いって、らっしゃい…」


 そうタカラに変な笑顔で言われた、それに応えるようにキヨネも満面の笑みで、いってくるね。そう返した。タカラは嬉しそうにしていた。きっとその時見せた顔はお母さんに見せたかった顔なのだろう。

 まだまだ子供らしいところがあるじゃん。そして、家から出る。何だかこの世界でやりたいことが決まりそうになっていた。


「僕の家なら、帰ってきていいから!」


 キヨネは短く頷き、駆け出した。暗い外、街灯の下で地図を確認しながら目的地に向かう。そして村の中央部となる大広場に出ると、香ばしい匂いがキヨネを迎える、思わず足を止めて見渡してしまう。ネズミが街に出て少し立ち止まるように、その輝かしい景色に圧倒されていた。大通りにはたくさんの屋台、飲食店、売店が見える。暖かい照明が照らす大広場はまるで祭りのようだ。ガヤガヤとしている居酒屋のようなところもあった。通る人の中には獣の耳と尻尾を持つ獣族もいた。

 このような光景を見て異世界に来た実感が湧いてくる。不安と期待が交差し、どこかポツンと置いて行かれてしまったような感じだ。せっかくなら知らないものを食べてみたり、買ってみたりしてみたかった。ただ、タカラの表情がまだ脳裏に残っている。きっとここでローブを取れば私は通報されて拉致されてしまうかもしれない。事実無根かもしれないが、この大通りに黒髪黒眼(こくはつこくがん)の人なんて一人もいない。そんなことを考えるとタカラのことも相まって無気力になってしまう。あの案山子を見た、あの表情を見た、あれは嘘ではない。そして、一つ見届けたいものができた。そのためにこの世界は上手く生きないといけない。そう思うと同時に足が動いた。大通りをかなりの距離進み、右に曲がる。すると、とんがり帽子の屋根の家が見えてくる、特徴的な家という情報から、きっとここが村長の家なのだろう。駆け足でドア前に向かい、呼吸を整える。ノックをしようと手を握るがノックするあと少しの力が入らない。すると、中から向かってくる足音がし、ドアが開いた。覚悟が決まっていなかったキヨネは顔を合わせることができず、俯いたまま硬直してしまう。


「うわ! びっくりした!」


 村長であろう人物は驚いたのか、かなり過剰な反応をしているようにも聞こえる。硬直したままで反応しないでいると、コホンと咳払いで場を一旦落ち着かせた。


「ごめんね、今少し大変な用事があって、用件だけ聞こうか?」


 キヨネは何を話すか一切考えていなかったので頭の中は真っ白で、二人の間に沈黙が訪れる。


「どうしたの? 大丈夫?」


 村長であろう人物はかがんでキヨネと目を合わせようとした。慌てたキヨネは勢いでフードを外してしまった。もうどうにでもなれ、その一心だった。


「………」


 目が合った。村長であろう人物はキヨネと同じくらいの年齢で、爽やかな好青年という印象を抱く。ただ、そんな爽やかそうな人が私の姿を見ると、ぎょっとした顔をしている。眉は痙攣し、声が出ないのか、口は半開き。目の前に地獄があったら好青年でもここまで顔を崩すのだろう。

 なんでそんな顔をするの? 違う、私は何も知らない、ただ、この世界に放り込まれただけ。

 キヨネは心の中で訴える。タカラの言ったことは本当であったのだろう。これから何をされるのだろうか。もしかしたら前世に、とっても悪いことをしたのかもしれない。これはその罰なのかもしれない。

 そんな風に考えているとキヨネの顔色も暗くなっていく、だんだんと俯き自信が失われていく。すると、目の前の村長は面白いことでもあったのだろうか、プッと吹き出したあと、ふにゃっと笑う。


「ごめんごめん、とりあえず中に入ろう」


 随分と感情豊かな村長を前にキヨネの心臓は爆破寸前だった。笑ったのは、面白い拷問でも思いついたんじゃないだろうか。村長の家の中に入ると、真ん中にある丸い机を囲う椅子に座らされた。


「あー! びっくりしたな、まさか本当に黒髪黒眼の人が存在しているなんて、ね」


 思っていたよりもカジュアルに驚く青年に目を見開く。なんだかわざとらしい反応にも見えるが、別に軽蔑の眼差しも、嘲笑の一部も感じられない。


「初めまして、リモトルボ村の村長、プロテアだ、君の名前は?」

「キヨネです……、って、え?」


 このまま牢獄にでも放り込まれると思っていたので目を見開く。いや油断禁物だ、本当のサイコパスは油断させてはどん底に落としてくるからだ。


「私、これからどうなるんですか?」


 質問を無視し、質問で返す。


「どうにもなんないよ、まあ最初は黒髪黒眼であるキヨネを見たから驚いただけ、安心して、この家の中は安全だから」


 初対面からいきなりの呼び捨てに随分と馴れ馴れしいなと感じる。それに、この家の中は安全だと言われると、より黒髪黒眼の人が明らかに普通の人じゃない対応をされるのが垣間見える。


「どうして、この世界では黒い髪に黒い瞳を持つ人は差別されてしまうんですか?」


 もう一度質問を繰り返す。ただただ疑問だった、タカラから聞いたときはまだ完全に危機感を持っていなかったが、この家を訪ねた時の村長の顔は絶望を形にした顔をしていた。


「差別、は別に人それぞれだね、魔族に親を殺された人はもちろん黒髪黒眼を恨むだろうし。別に何とも思わない人だっている。僕もそうだ」


 いや出会った時まるで死人を見たかのように驚いていましたよね。そう突っ込みそうになるが、いったんは引っ込め、次に質問を繰り返す。


「魔族の象徴とは聞きました、それってどういうことなんですか?」


 そもそもこの世界は何なのだろうか。石造りの家、色鮮やかな髪色に瞳、獣族、魔法。ここまでは従来の異世界の認識として頷ける。しかし、黒髪黒眼が恨まれる世界。元の世界がどんなだったのかも朦朧としていてはっきりしないが、そんなことはなかったはずだ。やはりここは完全なる異世界だ。

 もう一つ、私は異世界転生というものを果たした。異世界転生というのは元の世界で事故にあったりし、死を迎えることで起こることだ。自分が元の世界でどんな人だったのか覚えていない。ただ、自分がその世界で死を迎えた事実に少し落胆する。きっとまだやり残したことがあったのだろう。きっとまだ見れた景色があったのだろう。そう考えると無気力になる。多分よく分からない感情というのは自分に対しての追悼であろう。それに、きっと前世の私は……。


「魔族の生みの親が黒髪黒眼、じゃ納得いかないよね?」


 少し間の空いた答えに物思いに耽っていてしまっていた。プロテアも渋い表情を見せている所から、本人も納得がいっていないのだろう。ただ、魔族がどんな存在なのかは理解しがたいが、きっと邪悪な存在に違ない。そんな生みの親の特徴と一致しているとなると、必然的に恨まれる……。

 自分で考えるのはいいが、考えていて心が痛くなる。ため息をつき、これからのことについて考える気も失せる。せっかくの、異世界なのに。


「そんな落ち込まないで、対処法はある。」

「え……? ふっ、んんっ?!」


 プロテアは立ち上がり、キヨネの顎をつまみ上げた、これはいわゆる顎クイというものなのだろう。村長の淡い紫色の瞳がまっすぐキヨネの顔に降り注ぐ、ただそんなことを考えている間もなく村長は話を続ける。


「まず、キヨネにはウィッグとコンタクトレンズを渡そう、話はそれからだね、何色がいい?」


 顎を上げられたままなので答えることができない、それに気づいたプロテアはパッと手を離した。キヨネはゆっくりと深呼吸をする。タカラがつけていたからコンタクトレンズは分かっていたが、まさかウィッグまでこの世界にはあるなんて。異世界でウィッグなんて逆に非現実的な要素だと思っていた。思いを巡らせていると、ある一つ色を思いつく。思いつくというよりも、その色が頭の中で一滴垂れ、頭に広がった。


「赤、それもとっても明るい赤色でお願いします」

「赤か、いいね! 早速準備を始めようか」


 どこか別の部屋に入ると中から真っ赤なウィッグを持ってきた、そのまま背後に回るプロテア、期待を込めて目を瞑るキヨネ。プロテアは肩まで整えられたキヨネの髪の毛をネットでまとめ上げる。慣れた手付きでウィッグを取り付けた。その間約1分。終わったよと言われてもほぼ何も感じなかったのでまだ目を開かない。そして肩をツンツンされてようやく気付く。まさかこんなにも早く終わるものなのかとゆっくりと片目ずつ開く、机の上には手鏡が置かれていた。


「どうぞ、新しい人生には新しい色を、だね」


 そして覚悟を決めて手鏡を力強く握り、自分に向ける。そこには鮮やかな宝石のような赤色の髪をした自分がいた。髪の毛は艶があり、思わず手を通してみたくなる。


「すごいです、こんな素敵な髪、ありがとうござい……」

「こら、ちゃんと顔も見なさい」


 髪の感想を言おうとしたらムッとした村長は手鏡をもっと顔の近くに動かされる。そこには自分の顔しか映っていない。


「顔……?」


 そう呟く。髪に関しては、長さは少し長めで胸辺りまでの長さ、おしゃれな女の子という感じが自分の中の何かが満たされた。ただ、顔を見なさいと言われ、口角を下げてみたり、ほっぺたをつねってみたりした。自分だ、この鏡に映っている人は自分だった。しかし、自分の姿を知れても思い出せることは何一つない。それに、何も思わない。手鏡を置くとプロテアはまたもやムッとした。


「キヨネは見ててすごく不安になる」


 機嫌のよくないプロテアに返す言葉が見つからない。


「自分の顔を見てどう思った?」

「いや、なんとも……」

「まったく、今伝えたいのは二つ」


 片手を腰に手を当て、もう片方は指を二本立てた。


「自分のことは自分はどう思ってもいいこと、かっこいいとか、かわいいだとか。何を思っても自由、けど、自分が思うことと周りが思うことは全く違うからね、周りがかっこいいとかかわいいとかっていうのは勝手に言わせればいい。けど、自分で思うことは自信に直結できるからね。それにプラスとかマイナスとかとは違った、生きることに直結するんだ、これがまず一つ」


 そうして指を一本畳んだ。


「一つ目は長くなったから、こっちは完結に」


 そう言うと目を合わせてくるプロテアに目を逸らしてしまう。


「好きになるのは自分から」


 その言葉を聞いて目を見開き、逸らした目は元に戻った。目が合うと、プロテアは満面の笑みでピースを向けてくる。急にピースをしてきて面白くて笑ってしまう。なぜだろう、今まで自信が微塵もなかったけど、今動かされた、0が1になったような、そんな気がした。そのまま二人は心地よく笑い合った。


「もし悩んだらまたノックしてきて、先客がいたら別の日って形になっちゃうけど、極力相談に乗るから」

「ありがとうございます!」


 今度ははっきりとお礼が言えた。


「そしてこれ、コンタクトレンズ」

「あっ、ありがとうございます」


 丁寧に両手で受け取る。そして付け方を習い、実際につける。真っ赤に美しい瞳の完成だ。そしてまた鏡を見るとまるで別人のような姿に生まれ変わったようでなんだか感無量になる。


「嬉しそうでなにより」


 誇らしげにプロテアは言った。


「でも、なんで異世界なのにコンタクトレンズとウィッグがあるんだろう……」


 この時何も考えないで呟いたが相手がプロテア村長じゃなかったら大変なことになっていたかもしれない。


「異世界?」

「あ、いや、その……」


 完全に聞かれてしまい誤魔化しようがなくなった。異世界転生してきたことは伝えてもいいのだろうか。


「やっぱり、君は異世界転生してきたんだね」

「もしかして、プロテア村長も?」


 ずっと疑問だった、タカラもプロテアのことは特別視しているようだったし、可能性としては考えられた。しかし、プロテアは渋い顔でどう話そうか悩んでいる。まるでないはずのパズルのピースを探しているようだった。


「いや、そういうわけじゃないんだ、風の噂で聞いたことがあるんだよね。それに、僕のことは気軽にプロテアでいいよ」

「分かりました」


 満足げに頷くプロテア。それと対に少し残念そうにするキヨネ。もしかしたら元の世界のことについて知れるチャンスだったが、そうではなかった。しかし、異世界にも異世界転生という概念が存在していることは驚いた。異世界にもそういう設定があるのだろうか。


「異世界転生ってやつはここまでで、まず、キヨネさんは住む場所はあるの?」


 異世界転生について聞きたいことがあったがプロテアはそこで遮断してしまう。さらに、現実に戻されたような質問にショックを受ける。確かに、タカラには帰ってきていいって言われたけど、住むってなったら受け入れてくれるかな。いやいや、幼いとは言っても小学生くらいの年齢だろう。他人の判別はつく。


「タカラ君と出会ったんです、帰ってきてと言われたんですけど、さすがにまずいですかね。いや、タカラ君も他人の判別はついていると思うし、こんな私なんかが家に居候なんて、迷惑ですよね?」


 そう言うとプロテアは顎に手を当てて少し考えた。


「タカラの家には入った?」

「入りました」

「そこで、何を思いましたか?」


 何やら面接のようなことをやらされていることに気づく。一気に緊張感がのしかかり、答えるときに一度考える必要があった。

 何を思ったか。タカラのあの案山子を見て、いや、タカラを見て、私は……


「この世界で生きていこうと思いました」


 そう真剣に答える、すると村長は一笑した、それも冷笑などではなく、ただ一本取られたと言わんばかりの笑みだ。


「いいね、そういうの嫌いじゃない」


 プロテアは少し考えた後、深く頷いた。


「うん、一緒にタカラの所へ行こうか」

「ほんとですか、ありがとうございます」


 不安がよぎるが、きっと大丈夫だ、生まれ変わった自分なら、と自分を鼓舞する。そしてその後生まれ変わった自分が初めて家から出た。

 プロテアの家から出たキヨネは、ルンルンとスキップをして大広場に出た。


「どう? 外の風は」

「いろんな匂いがします。幸せな匂いが」


 もうフードをしなくてもよく、行きよりも建物の高さが高く感じる。屋台に対して目を輝かせることもでき、ショーケースに飾られている豪華なドレスに張り付くこともできる。時々自分の胸部を見て髪色を確認したりする。生まれ変わったキヨネは興奮を抑えられないまま、プロテアを置いていく勢いでタカラの家へと向かう。

 途中、暗くなった空を仰いだ。またたく星影に、少し欠けた月、見ている夜空は元の世界とよく似ている。雲を張る空の色は、想像よりもミルクをこぼしたくらい薄い、そんな少し期待外れな色をしている。けど、真っ暗ではなく、どこか安心させてくる。

 ただ、いつも見ている時よりも心が躍っていた。異世界に来た事実が常に頭の中にある。やってみたいこと、食べたいもの、着てみたいもの、入ってみたい場所が無限に湧いてくる。なんだかそれが美しく思えてしまう。前の世界では思えなかったのだろうか、世界を美しいと思うためには、生きるしかない、そうこの世界は優しく言ってくれているようだ。

 タカラの家から暖かく、柔らかい蝋燭の灯りが零れていたのでタカラはまだ家の中だろう。慎重に扉を開いたからだろうか、タカラの気配がしない。中に入ろうと少し汚れた革の靴を脱いだ時、タカラがひょこッとリビングから顔を覗かせた。


「よっ、久しぶり」

「プロテアさん、お久しぶりです。それに、おかえりなさい、お姉さん」


 そういうタカラにプロテアとキヨネは嬉しそうに目を合わせる。大丈夫そうだね、そう耳打ちをされ、プロテアは用事があるからここまで、とどこかへ行ってしまった。キヨネはまっすぐタカラを見て、ゆっくり口を開いた。


「ただいま」


 まるでもう住んでいるかのような安心感があった。これは聞く必要もないかもしれない。だが、いきなり寝泊まりするのは寝場所の準備など大変かもしれない、まだリビングしかこの部屋の造りを知らないから寝室がどうなっているのか想像もつかない。


「寝る場所、準備しといたよ」


 キヨネが口を開く前にタカラはそう言った。まさか心でも読まれているのだろうか。


「ありがとう、誰かから聞いたの? 私がこの家で寝泊まりするって」

「いや、帰ってくるかなって、信じてたから……」


 少し赤面して話すタカラ、なんとも子供らしく愛おしい。そのまま寝場所を確認すると、二階に案内された。階段を上り左側の一番近い部屋だ、中には二つのシングルベッドが両端に置かれていた。


「左がお姉さんでいい?」

「うん、ありがとうばっちり」


 別に何も気になる様子がないので親指を立てる。


「お姉さん、お腹空いてない?」


 部屋の案内が終わった後、タカラがそう聞いてきた。そういえばこの世界に来てから何も食べてない。ただ、あまりお腹は減っていない。普段なら確実にお腹は減っているはずなのに、異世界転生酔いというものなのだろうか、大広場に出た時は香ばしい香りにお腹を鳴らせたが今はそんなことはない。食欲が行ったり来たりしている。少し不思議な感じだった、ただ、タカラがそう聞いてくるということは、タカラがお腹が減っているということだ、この家に台所はあるが使われている痕跡はない。大広場にあった何かの串焼きとタレの香ばしい香り想像すると、よだれが垂れそうになる。


「お腹減ってきた」


 異世界での初めてのご飯に目をキラキラと輝かせた。


「とりあえず、外に出てみる?」


 そうして二人で外に出た。キヨネの提案で大広場に出ることにした。タカラの身長はキヨネの肩くらいで、隣で歩くと弟のようだ。大広場に着くと、タカラはきょろきょろとし始める。

 何を食べようか探しているのだろうか。いや、眉を顰めていてどこか不安そうだ。まるで誰かに見つからないようにしている。


「やっぱり、僕がいつも行ってるお店じゃだめかな?」

「いいよ、体調悪いの? 大丈夫?」


 広場に出てからタカラの様子が少しおかしい、何かに怯えている。人酔いなのか、顔が青ざめている。


「うん、大丈夫」


 ゆっくりと歩きだすタカラにキヨネは自然に手を取った。きょとんとした表情で顔を上げるタカラ。

 つい手を取ってしまった。なぜだろう、まるで自分を見ているようで、ここまで痛心に堪えないのは。そのまま会話もなく進んでいった。いつの間にかキヨネよりも前にタカラが歩いていた。それでもタカラは手を離そうとしなかった。手を握ることの代償かのように手汗が湧き出る。それでもなお、タカラは手を離そうとしなかった。

 階段をいくつか上がったり下がったりかなり複雑な道を進み、着いたのは村の端にある小さなレストランだった。看板には豚みたいなたれ目の丸い動物がイラスト風に描かれていた。ドアを開き、中に入る。


「いらっしゃい! お、タカラ君!」


 店にはウサギのような女性の獣族の店主がいた、店主は珍しいものを見る表情で隣にいたキヨネに気付く。顎に手を当て誰か当てようとした。


「姉、いや、親戚?」

「あっ、私は…」

「お姉さんはお姉さんだよ」

「そういうことね」


 曖昧な答えに店主は納得した、それでよかったんだとキヨネは安堵した。すぐにタカラの隣に座る。店の中は小さなバーのようになっていてカウンター席しか用意されておらず他に客はいない、もっと夜遅くならお酒を飲みに来る客が来そうな雰囲気、あの的は、ダーツ? あれはアーケードゲームだろうか? なんだか元の世界にもあった娯楽によく似た設備がある。


「いつものでいいか?」

「うん、ブブブのステーキで」

「タカラは好きだなぁブブブのステーキ、お姉さんも同じでいい?」

「あっ、はい、お願いします」


 勢いで同じものにしてしまった、メニューであろう冊子を手にしようとしていたところなので少し残念な気持ちになる。店主の反応からタカラはいつもブブブのステーキというメニューを注文していることが伺える。

 それでも気になったキヨネはメニューを手にし、この店に何があるのか調べておくことにした。異世界でのご飯は充溢したものにしたいという心の表れである。この世界での通貨は、よくわからないマークで、ブブブのステーキは200と書かれている。これが高いのか安いのかは別のメニューを見て判断することに。


「これ、食べたことある?」


 キヨネはタカラにサギサのソテーというメニューを指さした。値段は150、どうやらブブブのステーキはかなり安い方だ、高いものだと1500が最大だろうか。ムーマのステーキ、これは記念の時に食べるものなのだろう。


「サギサ? 僕、鳥肉はあまり食べたことないけど、ここに始めてきてからずっとブブブのステーキだけ食べてきたから」


 サギサは鳥なのか。


「おいしそうだね」


 頷くタカラ、顔色が良くなっていて安心する。


「はいこれ水ね」

「あっ、ありがとうございます」


 またまた語頭にあっ、と付いてしまう。こうなるたびに自分の頭をポカンと叩いてしまいたくなる。そんなこと誰も気にせずに、店主がカウンターに水を二つ置く。元の世界でも似たようなことがあったのだろうか、なぜか親近感が湧き、両手で丁寧に持ち上げた。冷たく冷やされた水は体全身を冷やし、体の色が変わった感覚になる。水だけでこんなに満足できるなら。ステーキにも期待してしまう。

 すると、店主がテキパキと動き始めた、カウンターなので少し顔を上げれば料理過程を見ることが出来た。若い店主は料理になると雰囲気がガラッと変わった。一つ一つ丁寧に器具を準備し、食材としっかり向き合っている。

 肉を切る工程、肉のブロックは何ら変哲のない普通の肉の形、小さな山のようなものだ、色も現実とは変わらず少し霞んだ赤色、脂肪の部分は白いピンク色のようで食欲をそそる。

 肉は5㎝の幅で切られ、その分厚さにキヨネは吃驚する、その肉の一枚を縦に半分にして、肉のブロックは冷蔵庫に戻された、半分にされてもなお大きいので食べきれるか心配になる、ふとキヨネはタカラの方を向くと、タカラは思い切り背を伸ばしてキヨネと同じようして料理過程を垣間見ていた。

 フライパンに火をつけ、塩と胡椒を肉にかけ、少し経った後、肉をフライパンにのせた。肉が焼ける音、まるで無数の小さな何かが弾け飛んでいるような音に思わず吸い込まれそうになる。クンクンと嗅いでみると肉の香ばしい香りが店中に広がっている。


「お腹すいてくるね」

「そうだね」


 両面数分焼き上げ、側面も転がすように焼き上げた。そのまま焼けた肉をアルミホイルに包み、どこか別の場所に置かれた。

 その間、店主はに店の裏側へ丸いパンを二つと葉っぱを二枚持ってきた。パンを横に半分に切切った断面からほくほくと湯気が上がっているのを見ると、出来立てのように感じる。

 大きな平たいお皿を二つ準備し冷蔵庫から手のひら位の葉っぱを洗い、水気を切るとまずそれから乗せ、肉をアルミから出すと、肉汁が溢れでている、それをそのまま葉っぱの上に、パンを肉に凭れ掛けた。そろそろ終わるかという頃、冷蔵庫から緑色の個体を乗せた。

 二人は席にしっかり座ると、二つの大きなお皿が置かれた。


「完成だ! ブブブのステーキだ!」


 真ん中には存在感を誇る大きなステーキ、それを支えているのは下に引かれている葉っぱ、パン、そして、謎の緑色の個体。


「あと、サービスで、オニンのスープだよ」

「ありがとうございます!」


 茶色く透き通るスープは、香ばしく満たされる香りに包まれていた。


「いただきます」

「い、いただきます」


 タカラは変わらないテンションで手を合わせた。その後すぐにナイフとフォークを使い肉から豪快にかぶりつく。キヨネはまずはスープを味わう。一口飲むと、少し風変りな香りのパンチに水とは変わった色で体が覆い包まれる。初めは鼻にスーと抜ける葉っぱのような香りから、だんだんとコクが深くなっていく。元の世界で言うオニオンスープに近いだろうか。

 次にステーキに目を向ける。わっと広がるその圧巻のビジュアルに、五感で楽しむにはあと味わうだけだ。フォークを肉に刺し、ナイフで肉を切る。切れたものをフォークで刺し、口にする。

 んっ! まるで急にパンチされた衝撃、ソースのようなものは何もかかっていない故の素材の味、普通の肉だ。そのはずなのに、ものすごく柔らかく、香ばしい。


「おいしい」


 思わず口からこぼれる。その後すぐに我に返り、恥ずかしそうに口をふさぐように口元を拭いた。


「それはよかった、その緑色のバターを使って、その草で巻いて食べたら味変なるよ」


 店主はおいしそうに食べるキヨネに一つ食べ方を教えた。


「これ、バターなんですね、それに、この葉っぱは?」

「バターの方はバジバターっていうんだ、バジっていう薬草を練りこんでるから、鼻に抜ける風味も一段と上がる、下に引いたその葉っぱは今裏から取ってきた新鮮な葉っぱさ包んで食べるのもよしだぜ」


 店主は意気揚々と親指を立てて言った。

 ということは、雑草? そんなことは置いといて、バジバター……

 キヨネはナイフの先端にバターを乗せ、そのバターににらめっこのように顔を合わせる。それに新鮮な葉っぱを切った肉と共に包む。


「いただきます」


 真剣な表情でもう一回言い、意を決して口に入れた。これもまた衝撃だった。肉の豪快な食感がしゃきしゃきの野菜で包み込まれていることでまた新しい食感が生まれている。それにバターの風味で料理の格が一段と上がった。複雑な味だけど、こっちの方がおいしい。葉っぱもとても新鮮で苦みもえぐみも感じない。


「おいしいの?」

「うん、バター多めがいいかも、ほんとにおいしい」

「そういうなら」


 タカラはバターと肉を草で包み、目を閉じて勢いよく口の中に入れた。風味に驚いたのか目を見開き、キヨネに向かっておいしいと言わんばかりに頷いた。


「よかったな、タカラ」


 店主も嬉しそうにしていた。その様子にキヨネも喜んだ。それからパンもバターと肉と合わせて食べると草とは違う食感に驚きながら食べた、どんな食べ方をしても美味しかった。


「ごちそうさまでした」


 手を合わせ、二人は合わせて言った。


「僕、今まで野菜を残してばかりでごめんなさい……」


 タカラは俯きそう言った、きっと今までバターと草を食わず嫌いしていたのだろう。ただ店主は優しい笑みを浮かべた。


「いいよ、普段あんなにもおいしそうに食べてくれるのはタカラくらいだったから、生きがいみたいなものだったんだ」


 そう優しく言ってくれた、その言葉にタカラは嬉しそうに笑って見せた。


「ありがとうございました」


 そのまま店を出た。キヨネは異世界での初めての食事らしい食事で嬉しかった。

 そして家に帰る。行きは会話がなかったが帰りはキヨネが口を開いた。


「空、きれいだよね」

「この空は、創造主が作ったって言われてるらしいよ」

「へぇ、神様みたいなものなのかな?」

「かみさま?」


 このまま他愛のない話が続くと思っていたが、神様でつまずいてしまった。二人は立ち止まり、顔を見合わせた。


「神のこと、私は様付けしちゃうけど」

「髪? 紙?」


 イントネーションの違いからタカラは別の用語を口にする。

 そうだ、ここは異世界だ、変なことを口走ってはこのようなことになる。ただ、この世界には神様がいないということ? 別に問題があるわけではないが、少し疑問に思った。神ってなんだろう?


「神って何だと思う?」

「だから、白くて、何か書いたりする紙なのか、毛の方の髪なのかどっちのこと?」

「どっちも違う、想像してみて、神は一体何なのか」


 子供相手に難しい質問だ、いや、全人類に対して難しい質問だ。きっと、元の世界で辞書を引いても超越した存在としか出てこないだろう。ただ、本当にそうなのだろうか、その意味で務まっているのだろうか。


「分かんないよ、お姉さんは何だと思うの?」

「私? 私もよく分からないや、でも、神っていうのは人々を超越した存在で、人々が支持して、願って、祈って、信じられて、でも、存在していないんだ」

「かみは存在していないの?」

「そう、存在してはいけない、もし神がいたら何もかも裏切られたと思ってしまうから」

「裏切られる? なんだか王様みたいだね、常に人々からの支持を得て、称賛されて、でも結局、私利私欲のために動いている、それがあからさまだったら皆、口をそろえて裏切ったと言う」

「私もそう思う、人間の裏側っていうかね、なんというか」

「なんだろうね、そういうのって信じたくなるもんだよ、だって願いなんてそんなもんでしょ? 何もないところにぶつけているようでどこか何かを信じているんだ、それは環境であったり、自分であったり、多分それがお姉さんの言うかみなんじゃないかな。僕、お姉さんの言う神は信じてもいい気がしてきた」


 素直なタカラにフフと笑う。タカラの言ったことは正しいと思う。願いなんてそんなもんだ。


「なんだか、タカラの言うこと分かる気がするな」

「いや、そんなことない。それならさ、僕たち二人の言葉は同じ力を持とうよ、僕、答えのないこういう話をボーっと考えるくらい好きだし、僕たち二人だけは、ずっと、同じラインで進んで、生きていきたい、な」


 そう思いついたタカラは顔を近づけるように少し背伸びをしていた。その時吹いた風により、片目が隠れるほど長い前髪が揺れ、コンタクトレンズはしておらず、黒い瞳と琥珀色の瞳の両目が合う。タカラの家で見た時よりも、輝いていて、まるで水中から見える月明かりのように儚い美しさをしていた。


「そうだね」


 なんだか嬉しくなったキヨネはこの気持ちを表す表情を持ち合わせていなかった。ただ、自然と口角が上がり、共感することしかできなかった。

 そしてそのまま会話もなく帰り道を進んだ。こんなにいい気分なのにふと空を見上げると、まだやっぱり空は想像よりも薄い色をしていて、どこか期待外れだ。

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