水透虫 -すいとうちゅうー
地球温暖化や熱帯雨林の乱開発などにより、未知の生物やウイルスによる思わぬ被害が広がったりしています。エボラ出血熱や新型コロナウイルスなどの、人類の存続を脅かすような事態も現実に起きています。様々な研究などによる人類の叡智は、このような事態を乗り越えていけるのでしょうか?
松島先生のご紹介でいらっしゃったんですか。
いえいえ、私は医者ではないんで診察とかはできないんですけれど。
はい、私は生物学の研究をしていましてね、特に原生生物と言われているものが専門でして、まあ、簡単に言うと微生物や細菌とかですね。
松島先生とは大学時代の同じサークルでの友人で、彼が医学部の感染症学の研究室にいて、私が細菌とかウイルスも扱っていたので話が合いまして、それ以来、時々会って旧交を深めるような間柄なんですよ。
あっ、名刺ですか。ご丁寧にありがとうございます。
雑誌の記者さんなんですね。松島先生からのご紹介と伺った時から多分あのことではないかと思ってはいたんですが。
下水道局の職員の方の件ですかね。
あれはお気の毒でしたな。あんな亡くなり方をされてしまって。
ニュースでもかなりセンセーショナルな取り上げ方をされていたから世間を震撼させてしまいましたね。
もうしばらく経つから取り上げる所もだいぶ減ってきましたが、あの直後はワイドショーなんかのマスコミからの問い合わせが私のところにも結構ありましてね、テレビに出てコメントしてくれないか、なんて話もあったりしましたが、大学の講義をしているので人前で話すのは慣れているんですが、どうもテレビの生放送っていうのは苦手でして、前に出たときには緊張して訳の分からないことを言ってしまって同僚にも笑われてしまったので、それ以来お断りしているんですよね。
アイスコーヒーでよろしいですか?いやいや、研究や論文執筆で夜遅くまで残っていることが多いんで、眠気覚ましにいつもコーヒーは常備していましてね。おいやでなければ、どうぞ。
ここのところ海外のジャーナル、論文雑誌ですが、これに発表するための論文執筆で立て込んでいまして。
お忙しいところを?いや、お気遣いなく。私たちのような、研究費確保も儘ならないようなマイナーな研究分野の研究者は、こうして取り上げていただいて社会の認知度が上がることは非常に喜ばしいことでしてね。そうでなくても自分の研究分野がいかに素晴らしいかを他人に話したくて話したくて仕方がない、研究者っていうのはそういう人が多いものです。
かなり脱線してしまいましたな。で、聞きたいことはあれのことでよろしかったですかね。
まずは原生生物についてざっとお話ししたいと思います。
高校とか大学で生物を専攻されたことはおありですか?ああ、それならばご理解は早いかと思います。
真核生物という、細胞の中に核、小胞体、ゴルジ体といったような細胞小器官と呼ばれるものを一つ持った生物をそう呼ぶんですが、これはご存じのように、私たち人間も含めたほとんどの生物の特徴でもありましてね、その中で単細胞のものを原生生物と括っています。
今回のあれも原生生物に類するもので、皆さんが比較的ご存じなものでは、アメーバに似た特徴を持っています。
私の学生時代の指導教官であった田崎教授によって約20年前に発見されたのが最初なんですが、高温多湿を好むことから、熱帯雨林のジャングルで密かに生息していたものが地球温暖化や乱開発などによって世に出てきたのではないか、と考えられております。発見以来、田崎教授にご指導をいただきながら共に研究を行ってきていたのですが、田崎教授の定年退官に伴って私が引き続き研究を続けている、といったところです。
まず、あれの一番の特徴は全く色素を持たず、無色透明であることです。まあ、もともと顕微鏡を使わないと観察は出来ない位の大きさなんですが、色素を持たないことから観察するためには着色をする必要があります。例えるなら動く水ゼリーといった感じでしょうかね。この特徴から、田崎教授によって水透虫と名付けられました。原生生物なので虫と呼ぶのも何なんですが、まあ、”ミドリムシ”のような感じですね。
ああ、失礼。このところ首が痒くて仕方がないのですが、まあ、中々皮膚科に行く間が無くて、気が付くとこうしてボリボリと掻いてしまっていまして。お見苦しいところをお見せして申し訳ありません。
えっ、顔が赤いですか?このところの睡眠不足が祟って、少しのぼせ気味なのかもしれません。いや、大丈夫です。お気遣いなく。
で、水透虫ですが、その名が示す通り水との親和性が非常に高く、逆に水のないところでは自分の周りを堅い膜、外殻といいますがこれで覆って、休眠状態に入ります。生存の危機的環境に陥った時も休眠状態に入ることが観察されています。安全な状態になったところで再度、水を得ると途端に活発に活動を再開します。まさに”水を得た魚”といったところですね。
この休眠状態、実は非常に強力な性質を持っていて、休眠状態中であれば、沸騰した水の中に入れても外殻を作って生息していられますし、水道水とかを消毒している塩素系の薬剤にも非常に強い耐性を持っています。無色透明でありますので、無色の水の中に紛れてしまえば発見することも非常に困難です。
単性生殖で、分裂することによって増えていくのですが、原生生物はコロニーと言って集団で寄り添って存在することが多く見られます。
あ、コロニーというのは最近よく言われているバイオフィルムとか呼ばれているものですね。お風呂場の端に溜まっているような。これもコロニーの一形態です。
水透虫は同族のみでコロニーを形成し、集団で移動をします。アメーバ状の生物はアメーバ運動といって細胞質を流動させることで移動をするのですが、これは我々の体内の白血球などでも同じような動きをしています。
ただこの水透虫のコロニーは、まるで全体で一つの意思を持っているかの様に移動をしますので、これは不思議な現象とされていましたが、最近の研究で、個体同士が、ちょうど脳細胞のニューロンの様に、お互いに樹状の突起物を伸ばして結合し合っていることが分かっています。これを我々はニューロン様樹状突起とよんでいます。大きなコロニーになると、まるで動く透明な脳と言った様子ですね。
それで問題となるのが水透虫の増殖についてですが、水分が豊富にあり、温度が38度から40度くらいで、栄養となるものが豊富にあるという環境が揃うと、爆発的に増殖することが確認されています。この条件、何か気が付きませんか?
そう、発熱した人間の体内がまさに絶好の条件を満たしているんです。
水透虫が人間の体内に取り込まれた場合、通常の増殖状態であれば、まあ、症状としては腹痛や下痢が数日続く程度で、やがては体内の抗体機能によって無効化され、排出されてしまうのですが、条件が揃った場合は通常の数百倍から数千倍の増殖をして、血管に入り込んで体内のあらゆるところに寄生してしまいます。
そして悪いことに、水透虫の好物といいますか、栄養となるものが人間の体内にあるヒアルロン酸なんです。最近、化粧品などによく使われていますが、肌の肌理を整えたり、保水効果があったりするものですね。この効果で細胞の接着剤なんて呼ばれ方もされていますが、これを食い荒らしていくんです。
しかも、これはまだ研究の途上なんですが、人間の脳に大きなコロニーを形成し、脳内にニューロン様樹状突起を伸ばして寄生することが確認されています。
なぜこの様な寄生をするのかは今のところ謎なんですが、その態様から
”脳に接続して、人間を支配しようとしているんじゃないか”
とか
”脳の思考を盗聴しているんじゃないか”
なんてオカルトじみた事を言い出す研究者もいますが、まああまりにも荒唐無稽なので、ほとんど相手にはされていませんが。
下水道局の方は、あの数日前から体調を崩されていたように聞いておりますので、多分、下水の飛沫から体内に水透虫が侵入し、条件が揃ってしまって、あのような状態になってしまったのでは無いか、と推測されます。
寄生されないための対処法ですか。先ほど申し上げましたとおり、水を煮沸してもダメですし、薬物にも大きな耐性を持っていますので、通常のいわゆる消毒では効果がありません。
実は今書いている論文がその対処法の研究でして、画期的な対処法を発見しましたのでこれを広く世界に広めることで、水透虫被害を抑えることが出来るのではないかと期待しております。
発表前の論文ですので、あまり詳しくは申し上げられないのですが、水透虫の忌避物質を発見しまして、それはグ………
そこまで話すと、教授は目の前で崩れ落ちてしまった。まるで海の波に洗われた砂山のように、ぐしゃっと音がするみたいに崩れて、細胞が床一面に広がった。
こうして、世間を騒がせている下水道局職員の細胞崩壊死事件は私の目の前で第二の犠牲者を出すこととなった。
目の前で起こったあまりの出来事にショックを受け、しばらく仕事を休職してしまっている私だが、このところ激しい首のかゆみに悩まされている。
霊やお化け以外にもこういったものも怖いんでは無いかと思い、書いてみました。
ここで、「あなたの首の痒み、大丈夫ですか?」なんて書いたらちょっと意地悪でしょうか?
水透虫はもちろんフィクションであり、実在はしませんのでご安心を。
生物についてはあまり詳しくないので色々と調べながら書きましたが、詳しい方で、大きな間違いを見つけられましたら、加筆訂正をしたいと思いますので、ご指摘ください。
お読みいただきましてありがとうございました。感想をお寄せくださいましたら反省と今後の励みになりますので、よろしくお願いします。