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明治維新

 幕末、日本は度重ねて海外からの圧力を受けていた。吉田松陰はそんな時代に長州藩に現れた天才カリスマ講師であった。松陰は師事していた佐久間象山からの影響を受け、海外諸国から日本を守るには弱腰な態度の幕府を倒すしかないと考えるようになった。そして地元の松下村塾で高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文といった弟子たちに自らの尊王攘夷思想を説いていく。彼はかなりアグレッシブな人物で、黒船に密航して海外の技術を得ようと考えたり、反乱分子を弾圧する幕府の老中を暗殺しようと目論んだりした。やがて、その暗殺計画は幕府方に知られることとなり、松陰は死罪となる。だが、同じように幕府の弾圧に苦しめられた水戸浪士らによって幕府の大老・井伊直弼は暗殺される。この事件を受け、幕府もまた弾圧をやり過ぎたと認めたのか、松陰の刑死の3年後に大赦令を出し、吉田松陰を赦免した。高杉晋作らは松陰を改葬し死者の名誉を回復する。それから間もなく、高杉晋作は海外や幕府との武力衝突によって志なかばに倒れた尊王攘夷の志士たちを慰霊する招魂場が必要であると構想するようになった。そして長州の奇兵隊の墓の側に桜山招魂場を設立する。


 倒幕への動きが激しくなる中、徳川慶喜は大政奉還を行って内戦を避けようとする。しかし朝廷には政務を行う体制が整っておらず、代行するという形で徳川幕府は維持されようとしていた。そこで倒幕派は明治天皇に王政復古の大号令で幕府の廃止を発してもらう。さらに新政府から徳川家を排除するために度重なる嫌がらせを行い、ついに旧幕府もキレて武力による衝突が始まった。これが戊辰戦争である。戦いは1年半ほど続いた。新政府軍と旧幕府軍の犠牲者は同じくらいであったが、最終的に新政府軍が勝利し、海外に新政府と認められるようになった。

 そして新政府の大村益次郎の発案により、桜山招魂場に倣って明治2年、戊辰戦争の戦死者を祀る招魂社を東京に創建することとする。そこで祀られたのは勝者である新政府軍の戦死者であった。また、明治10年、新政府の中で意見が対立し離反した西郷隆盛らが九州で兵を挙げることになる。これが西南戦争である。ここでの戦死者もまた東京招魂社に祀られたがそれも新政府軍の戦死者のみであった。

 明治12年に東京招魂社が靖国神社と改名すると、それと同時に戊辰戦争以前の維新志士の関係者である吉田松陰や坂本龍馬らも合祀した。このように靖国神社は当初は新政府の身内のための神社だったのだ。

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