表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢見た烏は、旅に出る 〜旅立ち〜  作者: やまゆり
第一章 天空の箱庭
7/37

ふたごの月 〜満ちる夜の成人の儀〜

 羊の月から牛の月へと季節がゆっくりと移り変わり、あれから一か月以上が過ぎた。疲れが体にしみわたるほどだったけれど、麓の村との行き来を欠かさず続けている。時にはあえて夜遅くに出発して、暗闇の中で村へ辿り着くこともあった。夕暮れ時に出発して、山のふもとで静かに野営をすることもあった。


 明るい世界からだんだんと暗闇へと包まれていく、その境目を肌で感じながら歩くこと。実際に野営をしてみて、食べ物があれば安心というわけではないこと。お金の使い方や、その場その場に合わせた言葉遣いも――少しずつ慣れてきて、なんとかやっていけそうだと思えるようになった。エルネスとメイアには、本当に頭が上がらない。二人は魔法を使えばもっと楽にできるはずなのに、あえて何も頼らずに山道を歩き続けている。何をしても無駄がなく手際が良くて、「すごいね」と感心すれば、「これが普通なんだよ」とさらりと言われてしまった。


 それでも、まずは成人の儀を無事に終えなければ、すべては始まらないのだ。


 そして、ふたごの月に入り、いよいよ明日の夜は満月が空に浮かぶ。族長から成人の儀に着る衣装を受け取りながら、明日への期待と少しの不安を胸に、ゆっくりと眠りについた。


 ――その夜。


 ユリアはふたたび夢の世界に迷い込んだ。


 深い森の奥。霧に包まれた木々の間。月明かりが静かに照らす湖のほとり。高くそびえる崖の上に建つ神殿。場面は次々に移り変わっていく。どこかに誰かがいる気配はするのに、その姿ははっきりとは見えない。


「だれなの?」


 夢の中で、ユリアはそっと声をかけてみる。


 けれど、相変わらず姿は見えず、ただ冷たい夜の空気だけが漂っていた。


 もう一度呼ぼうとしたそのとき、ふいに目が覚めた。


(うそ……一瞬だけ、見えた気がした。白い翼が……?白い翼といえば族長しかいないはずなのに、声は女性のものだった)


 全身から汗が吹き出し、心臓は激しく鼓動を打っている。


 窓の外には、優しく空を染める朝焼けが広がっていた。


あのあと再び眠りに落ちたユリアが目を覚ましたときには、すでに朝日が高く昇りかけていた。窓辺に差し込む光が、部屋の隅で淡く揺れている。

 (しまった、寝坊……)


 跳ね起きて身支度を始めると、外からは村人たちのにぎやかな声が聞こえてきた。今日は特別な日――ふたごの月、初夏の満月の夜に執り行われる、成人の儀の日だ。

 誰もがその意味を知っているからこそ、ユリアの寝坊を咎める者はいなかったが、本人としては内心落ち着かない。


 食堂へ向かうと、エルネスとメイアはすでに出かける準備を終えていた。テーブルには朝食が並べられていて、焼きたてのパンの香ばしい匂いが、緊張で張りつめた心を少し和らげてくれる。


「緊張して眠れなかったんじゃない?」

 メイアがくすっと笑いながら言うと、ユリアは苦笑して、「ううん、夢を見てた」とだけ答えた。


 朝のあわただしさが過ぎていくと、村の空気は次第に穏やかさを取り戻していった。今日は仕事も休みとなり、村全体が儀式の準備に向けて静かに整えられていく。


 昼が近づくにつれ、村の外れや近隣からも人々が集まりはじめ、広場のあちこちに小さな飾りや祝いの品が並べられていく。炊きたての料理の香り、子どもたちの笑い声、木々の葉擦れの音――すべてが、どこか晴れやかで、そしてどこかさみしい。


 ユリアは村の広場をゆっくりと歩いた。いつもと変わらない風景が、今日だけはほんの少し違って見える。すべてが、これから自分が新しい一歩を踏み出すのだと、そっと背中を押してくるようだった。


 そして、日が西に傾きかけた頃。いよいよ、儀式の衣装に袖を通す時間がやってきた。


 族長サピエルから渡された衣は、祝福の色――深紅を基調に、金と銀の糸で星々が細やかに刺繍されている。布地はしっとりと冷たく、手に取るだけで自然と背筋が伸びる。これを着て、夜空の下に立つのだ。


 身を清め、衣装を整えたユリアは、神殿のある高台へと向かう。石畳の道を一歩一歩踏みしめるたびに、胸の鼓動が静かに、だが確かに高まっていった。


 神殿の前では、族長サピエルと長老たちがすでに待っていた。


「よくここまで来たな、ユリア」

 サピエルの声は、優しさと誇りをたたえていた。


 ユリアは深く頭を下げ、「はい」と静かに答える。


 ――そして、太陽が西の空に沈み、ふたごの月の満月が夜空に姿を現すとき。

 いよいよ、儀式が始まる。


夜の帳が静かに降りる中、ユリアは族長とともに、高く翼を広げて夜空へと舞い上がった。長老たちもそれぞれの羽を広げ、空を渡る風に乗って進んでいく。目指すは、山の奥にひっそりと眠る、神聖な湖――精霊たちの住まうとされる場所。


 しんと静まり返った湖に到着すると、長老たちは湖を囲むように、それぞれ所定の位置へと降り立った。湖は満月の光を静かに反射し、鏡のように滑らかだった。


 やがて、月が空のてっぺんに達し、湖面を真上から照らし出す。


 そのとき、族長サピエルが一歩前に出る。まるで水の上を歩くように、湖の中ほどまで伸びる砂の道を進んでいった。光も音も吸い込まれるような静寂の中で、サピエルは翼を大きくはためかせる。


 すると、湖面からふわりと光が立ち上った。点々と漂いながら、青、緑、金、桃――さまざまな色に揺らめいている。まるで生きているように、呼吸するように瞬く光たち。


「この光は、精霊になる前の存在たちだ。まだかたちを持たぬ意志だけのもの……」

 サピエルが低く、だがはっきりとした声で告げた。


 そして、ユリアに目を向ける。


「ユリア、こちらへ」


 ユリアは息を呑みながら、砂の道を慎重に歩み出す。族長の元に近づいたところで、再び声がかかる。


「光たちが喜ぶように舞いなさい。光が応えてくれれば、儀式は終わる」


「……舞う?」


 そんなこと、誰からも聞いていなかった。けれど、不思議なことに――どうすればよいのか、わかる気がした。


 ユリアはゆっくりと一歩を踏み出し、腕を上げる。音も音楽もないのに、体が自然と動き出す。頭で考えるよりも早く、手が、足が、風と光に導かれるように動いていた。


 その動きに呼応するように、湖の光たちがぴたりと反応した。舞に合わせて揺れ、集まり、跳ねる。もっと舞って、とでも言うように、ユリアのまわりを囲む。


どれくらい舞っていたのだろうか


 やがて、湖面が青く輝きはじめ、光たちはユリアの周囲で舞い、そして――ユリア自身が輝きはじめた。金色の光がひときわ強く瞬き、ふわりと宙に浮かんだかと思うと、すべての光がその身体に吸い込まれるように消えていった。

月には虹がかかっていた。


 静寂の中に、族長の声だけが響く。


「……これで、儀式は終わりだ」


 ユリアは、まだ胸の中で光が揺れているような感覚に包まれたまま、息を整えながら問う。


「今のは……」


「何が起こったのか、聞きたいか?」

 サピエルは微笑んだ。


「私にも、正確なことはわからない。人によって、光の色も反応も違う。ただ、ずっと昔から続いてきた儀式だ。旅の無事と幸運を願い、精霊たちから祝福を受けるためのもの……それだけだ」


「そう……ですか」


「旅に出る準備は整ったか?」


「はい。先日お聞きになったときには、まだわかりませんでした。でも、今は……準備万端です!」


 サピエルは頷き、少しだけ表情を引き締めた。


「では、ひとつ、お願いがある」


「何か必要な薬草でもありますか?」


「いや。人を、探してほしい」


「人……ですか?」


「ああ。百年前に行方が分からなくなった、白鳥の姫君を――だ」





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ