海に捧げた祈り 1
今から二百年ほど昔
海の神を鎮める大いなる祭祀を目前に控え、沿岸の航路には次々と船が現れ、白い帆が夏の陽を受けてきらめいていた。神に捧げる祈りのため、各地から巫女たちが集まり、エル=ルカ島へと向かう。そこは、古より海の民と人のあいだに語り継がれる、神と交わる島だった。
この島でも一人の巫女見習いが祭祀に向かう準備をしていた。
ティルの小島。海に浮かぶその小さな島だが、船の材料となる樹木がよく育ち、小さめの船作ったり、航海途中の船の修理を営んでいるものが多くそれなりに豊かな島だった。
その小さな島にひとりの巫女見習いが住んでいた。名をセリュナという。
両親は旅の途中でこの島に寄り、そのまま産気づいてセリュナを出産したが、出産で体調を崩してしまった妻を大きな島の医者につれていくために、悪天候の中船を出し、行く方が分からなくなってしまった。
その時子供を死産していた島の女性が引き取ったもののやはり出産で体調を崩しておりま亡くなってしまう。彼女を育てたのは、島の祠を守る年老いた巫女だった。老巫女はセリュナに言っていた——「巫女にならなくてもいい。ここを見守っていてくれるだけで、それでいい」と。
けれど、セリュナは祈ることが好きだった。潮風に吹かれながら、洞窟の中の祠の前に座り、貝殻で作った風鈴の音を聞きながら、海の安寧を祈る。そうすると、海がほんのりと光ることがあった。まるで、祈りに神が応えたかのように感じるのだ。
修理の手伝いや材木の管理、修理に来た船へ必要な食料や雑貨を売ることもある、小さな島だが働くところは幾らででもあり生活には困らなかった、巫女様もそうして暮らしながら祈りを捧げていたので、何も気にならずに気がつけばセリュナも良い年頃になっていた。
そんな日々の中で、巫女はひとつだけセリュナを諭すように告げていた。
「海に、魅入られてはいけないよ、海神様に連れて行かれてしまう」
それは警告のようでもあり、祈りに夢中になるセリュナを心配しての言葉でもあったのだろう。
その年は小さな地震が続いており、足腰の弱った巫女様が行くのは危ないだろうと、セリュナが毎日祠に通って祈りを捧げていた。
ある日、いつものように祠へ向かったセリュナは、そこで一人の男と出会った。若く精悍で、柔らかな雰囲気をまとったその男は、この島の者ではなかった。だが、瞳はやさしかった。
「航海の安全を祈りに来たんだ」と彼は言った。
セリュナは快く祠へ案内した。彼が祈りを捧げると、海はふだんよりも力強く輝いた。その光に目を見張っていると、男は微笑みながらこう打ち明けた。
「僕は……海の民なんだ。誰にも言っていないけれど、君には話しておきたいと思ってね」
その告白は風のように静かで、どこか胸をざわめかせるものだった。
「また来るよ。君もまた会えるかな?」
「ええ、もちろん。私は毎日ここで祈りをささげているの」
「俺の名前はイアスと言うんだ、君の名前を、教えてくれる?」
「私はセリュナ、巫女見習いのセリュナよ。是非また来てね」
それから男は何度か島を訪れ、祠に祈りを捧げた。決まって、海は輝いた。
そして、セリュナは——その光に、そして男に、恋をした。
セリュナが楽しそうに祠に行くことが増え、巫女様は誰かと会っているのかい?と聞かれたこともあった。たまに来る船乗りと会っているのと、恥ずかしそうに答え、彼と約束した通り、海の民だということは黙っていた。
その間にも巫女様はいつものように「海に魅入られてはいけないよ」と伝えていた。とても心配そうにしていた。
季節が巡り、エル=ルカ島での祭祀の知らせが届いた。数百年ぶりに行われる祭りだという。巫女見習いや巫女たちを一同に集め、海神を鎮める儀式を行うという。神殿に入れる機会は稀。セリュナは胸の内に決意を抱き、巫女様に願い出た。
「行ってきなさい」と、老巫女は静かに背を押してくれた。
数日離れることをイアスに告げたかったが、タイミングが悪く、イアスは来なかった。
船出の日、セリュナが島の港で乗船の準備をしていると、一艘の小さめの船が港に入ってきた。だが、船は島の少し手前で座礁しており、修理を余儀なくされている様子だった。乗っていたのは、美しいプラチナブロンドの男女。見るからに気品にあふれた2人は、どこかの高位の神官なのかもしれない。これからエル=ルカ島の祭祀に向かうところだという。船大工たちと話すその表情には困惑がにじんでいた。
「今は祭祀の準備で、船大工たちもエル=ルカに行ってるんです。残っている人数だと修理に3日はかかるかもしれない」
それを聞いた女性は、
「風を……ちょっと使いすぎたかもしれないわ」と、女性がぼそりとこぼす。
「仕方がない、船は修理に出して、ほかにエル=ルカ島に行く船がないか探してみよう、早く進んだから遅れることはないだろう」側で状況を見守っていたセリュナは二人の事情を聞き、ふと思いついた。
「私たちもこれからエル=ルカ島に向かうところです。数日後には戻ってきます。そのあいだに修理をしておいて、帰りはその船に乗ればいいのでは?いかがでしょうか」
その提案に、二人はぱっと顔を明るくした。
「助かったわ!ぜひ乗せていって。私はセレイア、こっちはサピエルよ」
「セリュナです。この島で巫女見習いをしています」
海のきらめきのように輝く二人との出会いだった。




