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夢見た烏は、旅に出る 〜旅立ち〜  作者: やまゆり
第一章 空中の箱庭
3/8

村の日常

翌朝、ユリアは鳥のさえずりと共に目を覚ました。

薄い羽布団の中から顔を出すと、窓の外には朝の柔らかな光が差し込んでいる。山の冷たい空気と、羽の間にふわりと入り込む暖かい気流。その心地よいコントラストに、ユリアは思わず小さく伸びをした。


(……よく寝た)


 羽を軽く震わせながらベッドから身を起こし、窓辺の水差しで顔を洗う。冷たい水が肌を引き締め、意識がゆっくりと覚醒していく。

外では、もう誰かが屋根から飛び立つ羽音が聞こえはじめていた。朝が、村の空に広がっていく。


「さてと……仕事に行くか」


 羽を少しだけ広げ、背中をほぐすようにゆっくりと動かす。棚から昨日の残りのパンを取り出し、干した果実を添えてかじる。

簡素な朝食でも、この澄んだ山の空気の中では不思議と美味しく感じられる。ユリアは小さく満足げに息を吐いた。


 食事を終えると、彼女は村の中央へと向かって歩き出す。

村は山の傾斜に沿って造られており、石と木を組み合わせた家々が並んでいる。それぞれの家には滑り止めの枝や縄が取りつけられ、どこからでも飛び立てるよう工夫されていた。崖に穿たれた洞窟を住まいとする者もいれば、大木の中に部屋を作ったり、枝の上に家を建てたりする者もいる。多種多様な住まいが、空と地を繋ぐように存在していた。


 谷の向こう側には段々畑が広がり、朝日を受けて穏やかに光っている。

村の中心部には、狩りで得た獲物を捌いて保管する施設、織物の作業場、薬草の保管庫、そして香ばしい匂いを放つパン焼き小屋が並んでいた。


 空には、翼を持つ者たちがゆったりと舞っている。

子どもたちは木々の間を跳ねるように飛び回り、大人たちは縁側で茶を飲みながら話に花を咲かせている。遠くからは木を削る音や、鍛冶場から響く歌うような金属の音も聞こえてくる。


(……変わらない、いつもの朝)


 ユリアは広場の中心に立ち、深く息を吸い込んだ。澄んだ空気が胸いっぱいに満ちていく。


「ユリア、おはよう!」


 背後から元気な声が響き、振り返るとメイナが手を振りながら駆け寄ってきた。

彼女の腕には、小さなかご。昨日、一緒に採ったポンポンの実が入っている。


「おはよう、メイナ」


「昨日はありがとう! お隣さんにも分けたらね、『今年はいい出来だね』って言われたの!」


「そっか、よかった」


 二人は並んで村の小道を歩いていく。途中、畑で作業をする若者たちに手を振り、巣箱から卵を取り出す人たちに挨拶を交わす。


「それじゃあ、畑を耕しに行ってくる!じゃあね」

メイナは土の精霊の血を引いている。

畑を耕したり、岩場や洞窟で鉱物を探したりするのが得意だ。


一見すると普通の少女のようだが、その瞳は草花のように淡く透き通る緑色をしており、光に透かすとまるで葉の中を流れる命のように輝く。


体は小さく、行動もどこか子どもっぽいが、それでも彼女はすでに百年近くを生きている。精霊の血を引く者の時間の流れは、人とは違っていた。


「うん、私も仕事に行くよ、またね。」


ユリアの主な仕事は、薬草摘みだ。

メイナと別れたあと、ユリアは薬草の倉庫へ向かい、在庫を確認した。数が減っているものを見極め、薬草を入れる布袋を肩にかけて歩き出す。

 

高い崖の上や、人の足では届きにくい山の斜面でも、翼があればひとっ飛びで行くことができる。風を読むのは飛翔族にとって、生きる術そのものだった。


(……そういえば、今日は南から風が強いかも)


 ユリアは空を見上げる。

高く流れる薄い雲が、尾を引くように滑らかに動いていた。湿った風の匂いが、山の空気に紛れて漂ってくる。


 今日も、村の変わらない一日がはじまっていた。

けれど、ユリアの胸の奥には、昨日の“あの声”が、まだわずかに残っていた。

夢だったのか、それとも……?


 そう思いながらも、彼女はいつもの日常へと身を投じていく。


 向かったのは村の端、見晴らしのよい岩場だった。

そこには、小さな石の祠がある。土の精霊を祀る、古くからある場所だ。

風が絶えず吹き抜けるその場所には、老いたドワーフのグランがひざをつき、花を供えていた。


「おはよう、グランさん」


「おう、ユリアか。風はどうだい、今日もお前に優しいか?」


「今日は南風ね。でも、気まぐれみたい。すぐ変わるかも」


「ほう……なら、薪を運ぶのは明日のほうがよさそうだな」


 グランはひげを揺らしながら笑った。

ドワーフたちは、この村では飛翔族とは対照的に、大地に根を張る存在だ。

彼らは土を掘り、木を削り、金属を打つ。建物の補強から道の整備、道具の製作まで、多くの場面でその力が活かされていた。


 そこへ再び、軽やかな足音が近づいてくる。


「ユリア!」


 さっき別れたばかりのメイナが、小さな花束を抱えて走ってきた。


「ほらこれ、畑に行く途中に見つけちゃって摘んだ花。祠に供えようと思って」


「うん、きっと喜ぶよ」


 二人で祠の前に花を供え、そっと手を合わせる。

メイナの掌からは、ほんのわずかに土の匂いが立ち上った。芽吹いたばかりの命が、土を押しのけて顔を出すような、優しくあたたかな匂いだった。


***


 昼を過ぎて村へ戻ると、広場のあちこちで誰かが楽器を奏ではじめていた。

軽やかな笛の音、透き通るような弦の響き――それらが風に乗って、空に溶けていく。


 音のする方を見ると、エルネスが一本の木の下で、弓の弦を調整していた。

彼は人間とエルフの混血で、すらりとした体に鋭い目、そしてわずかに尖った耳先が特徴だった。


「練習? それとも演奏?」


「どっちでもあるかな。……飛ぶには風、歩くにはリズムだろ?」


 そう言って、エルネスは軽く弓を弾き、木の枝に止まっていた鳥を驚かせて笑った。


 この村には、エルフや森の民たちも暮らしている。

人間の世界では異端とされる存在でも、この山奥の村では、互いに干渉しすぎず、けれど必要なときには自然に手を取り合う。

飛翔族たちは、そんな者たちを代々、空の旅の中で迎え入れてきた。


“居場所を追われた者たちが、空を巡る飛翔族に拾われ、山奥のこの村にたどり着いた”――それが、この村の始まりだった。


 語られすぎることのない、静かな悲しみと過去。

けれどその上にこそ、今の穏やかな日々が築かれていることを、ユリアもまた幼いころから知っていた。


 風が、空から村を撫でていく。

高く飛べるということは、誇りであると同時に、孤独でもある。

それでもこの村では、翼を広げても、見上げてくれる目があった。


 ユリアは空を見上げる。


(……きっと、私はここが好きなんだ)


 けれど――

その空の向こうを見てみたいという想いも、どこかで確かに芽生えていた。



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