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夢見た烏は、旅に出る 〜旅立ち〜  作者: やまゆり
第3章 海を越えて
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航海の始まり

船酔いに襲われたユリアは、カモメ号の甲板の隅で小さくうずくまっていた。

風は心地よく、空は高く晴れているというのに、彼女の顔色はすっかり青ざめていた。

「だ、大丈夫……薬、飲んだから……」

そう呟く声も力なく、息の合間に吐息がまじる。

エリンが心配そうに彼女の背をさすり、ネイヴが濡らした布でユリアの額をそっと拭う。

「無理しなくていいよ。もう少し寝てて」

「お水、飲めそう?」

ユリアは弱々しく頷くが、波の揺れに合わせて眉をひそめる。

体がふわりと浮いたかと思えば、次の瞬間には重く引き戻される。そんな感覚の連続に、地に足のつかない心細さが募っていた。

湖の旅の延長のように思っていたが、海は、違った。すべてが違う。



港を出たのは数時間前。

最初は風も穏やかで、進みも滑らかだった。海鳥の鳴き声が空に響き、帆のはためきがリズムのように耳に残っていた。

カモメ号は、小型の帆船である。

とはいえ、無理をすれば十数名は乗れそうな広さがあり、荷もぎゅうぎゅうに積まれているわけではない。

甲板も船室も、どこか居心地がよく、ひとつの家のような親密さを感じさせた。


だが、湾を越えた瞬間――

突如、船はぐらりと大きく揺れ、ユリアはその場に立っていられなくなった。

「え、こんなに天気がいいのに、なんで……?」

戸惑いを隠せない彼女に、舵を握っていたガロが軽く笑って返す。

「ここから先は湾の外だからな。海の揺れってのは、こんなもんだよ。むしろ、今日は静かな方だ」

「湖とは、ぜんっぜん違うからね」

ルチアも楽しげに肩をすくめる。

「天気が悪い日なんて、こんな揺れじゃ済まないよ。ほら、あたしたちも最初はひどかったの。ガロなんて三日くらいまともに歩けなかったもんね」

「それを言うか……」とガロが苦笑し、ユリアはようやく小さく笑った。

だが、その笑みもすぐに消える。

「……慣れるまで、船室で横になってるね」

そう言って彼女は立ち上がろうとするが、その途中でもう一度大きく揺れ、船べりに手をついてうずくまった。


「外に出て、景色を見たほうが少しマシかもしれないわよ」

ルチアが声をかけたが、ユリアの目に映るのは、どこまでも果てのない水面。

空も海も青く、どこからどこまでが境なのかもわからない。

「今回は一日くらいで小さな島に寄るから、もう少しの辛抱だぞ」

ガロが言う声は優しかったが、それでも波のリズムにのまれる感覚は、なかなか去ってくれなかった。


朝早くからの出航だったこともあり、薬の効き目が出はじめる頃には、ユリアはそのまま眠りに落ちていた。



「ユリア、起きて。少し楽になった?」

ルチアの声に目を開けると、甲板は茜色に染まり、夕陽が穏やかな光を投げかけていた。

船は、先ほどまでのような揺れを感じない。寄港したようだった。

「……どこか、着いたの?」

「小さな無人島よ。今日はここで一晩過ごすことにしたの」

ルチアの手に引かれて船室へ戻ると、ガロ、エリン、ネイヴが輪になって、簡単な食事をとっていた。

干した魚、少しのパンと、温かいスープの香りが胃を刺激する。

ユリアは、自分が朝から何も口にしていなかったことに気づき、そっとパンを手に取った。

するとガロがふと口を開いた。

「そろそろ、本来の姿を見せておこうか」

言うなり、彼は軽く手を振り、変装の魔法を解いた。

くすんだ白髪交じりの髪は、若々しい茶色に変わり、顔つきも飛翔族らしく20代くらいの青年だ。

「おっと、ついでに」

隣のルチアも魔法を解くと、艶のある赤みがかった髪の、凛とした若い女性の姿になる。

それに続いて、ネイヴとエリンも首にかけていたペンダントを外した。

ネイヴの髪は深い夜のような紺色に変わり、瞳は静かな水のように澄んだ水色。

エリンは太陽の光を受けたような明るい金髪になり、瞳はやわらかな黄緑――まるで新芽のようだった。

ユリアはその変化に目を丸くしていたが、ふとエリンが振り向いて言う。

「ユリアは、ユリアも変装してるんでしょ?」

「あ、うん……」

そう言いながら、自分も変装していたことを思い出し、そっと魔法を解く。

茶色に染めていた髪は、真っ黒な羽のように深く、瞳も黒曜石のような色に戻る。

「翼も、出した方がいいかな……?」

「ここで広げたらぶつかっちゃうわよ」

ルチアがくすくすと笑う。

「次の街に着いたら、人気のないところで思いっきり広げるといいわ」

「そうだな」とガロが頷きながら言った。

「次の港からは、俺の名前も“ロシェ”に戻す。ルチアは“ナディア”だ。間違えるなよ」

「なんで名前まで?」

ユリアの問いに、ガロは表情を引き締める。

「港町では、小さな雑貨屋を営む兄妹ってことになってる。表向きはな。けど実際は、帝国とつながる情報の中継地だ。港には小さな倉庫があるし、住まいは街の中心部。これから出入りも多くなる予定だ」

「エリンとネイヴは、もうしばらくは変装してた方がいいな」

「ユリアも、そのままのほうがいいわ」

ルチアが静かに言う。

「東の大陸では珍しくないけど、西では黒髪黒目は目立つの。特に、あなたみたいにきれいな黒は」

夕暮れの中、彼らの会話は次第に落ち着いた静けさに包まれていく。

次の目的地のこと、明日の風の話、小さな笑い――


波の音にゆっくりと溶けていくように、夜は更けていった。

ユリアは穏やかな眠気を感じながら、目を閉じた。


未知の空の下――航海は、まだ始まったばかりだ。

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