出航までの灯火
ルチアと二人で街へ出かけ、服や食べ物、雑貨など、どんな物が売られていて、どれくらいの値段なのかを教えてもらった。このあたりは比較的物価が安いけれど、内陸の流通が乏しい地域では、同じ物でも高値になったり、人を見て吹っかけてくる商人もいるから気をつけるようにと、街での過ごし方も学ぶ。
「その服、エルシア風だから、もう少し違う雰囲気のものもあった方がいいかもね。ただ、いざというときに翼が使えるように、少し直す必要があるわ」
「とりあえず私が直してあげる。船の中では時間もたっぷりあるし、直し方も教えてあげる」
そんなふうに話しながら、夕食の買い物をして帰る。昨日と同じように、みんなで食卓を囲んで賑やかに夕食を楽しんだ。
日中は、ガロが主に商品や荷物を船へ運び入れながら、近所の人々に笑顔で声をかけて回っていた。
出航は、いよいよ二日後に迫っていた。
ここにきて二日目に訪れた灯台の修理も終わったらしい。
「しばらく来られなくなるし…」
ユリアは一人で灯台を訪れることにした。
以前と違い、港の道や建物の配置も覚え、周囲に気を配れるようになっている。酔っ払いがいれば近づかないようにし、あらかじめ簡単な隠匿の魔法をかけ、きょろきょろせず、すっと人波を抜ける。
少し小高い場所にある灯台に近づくと、今日は人の気配がなかった。
灯台の壁には、前よりも苔や汚れが取り除かれていて、少しきれいになっている。ふと見ると、壁面には、遥か昔に刻まれたと思われる文字や記号のようなものが彫られていた。だが風化が進み、内容までは読み取れなかった。
――それでも、なぜか懐かしさを覚える。
思わず翼を広げたくなる衝動に駆られるが、ここではそれも叶わない。
「…誰かと、昔ここに来たことがあった気がする」
そんな思いに浸っていると――
「こんなところで何をしているんだ?」
不意に背後から声をかけられた。
振り向くと、陽光を反射する髪と瞳――灰色の髪はプラチナブロンド見え、不思議な光を宿した瞳に、思わず「サピエル様」と呼びかけそうになってしまう。
違う、ファルカスだ。
「ファルカスさんこそ、どうしてここに?」
「明日ここを出航する。最後に、灯台から見える景色をもう一度見ておきたくてな」
「そうなんだ。エリンとネイヴにも教えておかなきゃ」
「ああ、二人とも、うちの船に興味を持っていたようだ。出航のときに見に来るといい」
「ファルカスさんたちは、帝都に帰るの?」
「ああ、そうだ。君たちも出航するんだろう?」
「え、なんで知ってるの?」
「港の動きは部下から報告を受けているからな」
「へぇそうなんだ。私たちは、二日後に出航の予定だよ」
「そうか。どこへ?」
「え、私?」
「ほかに誰がいる?」
「まぁ、そうだけど。私は、薬草を採ったり、薬を作ったりしてるの。だから、いろんな場所に行って、薬草の勉強をしたいなと思ってて」
――族長と似ているせいか、不思議と素直に話せてしまう。
「かもめの店の人たちと一緒に行くんじゃないのか?」
「途中まではね。ずっと一緒じゃないよ。帝国にも一度は行ってみたいな。いろんなものが集まってるって聞いたし」
「帝国に行くのか?」
「そうねぇ、いつになるかはわからないけど。小さな島には、そこにしかない薬草もあるって聞くし、もっと東に行けば、また違う景色も見られるかもしれないしね」
「帝国に来るなら、ここ以上に気をつけないといけないな。悪いやつも多い。人が集まるところでは、取り締まってもすぐに別のやつが現れる」
「物騒なんだね、帝国って」
「ああ。帝都なら兵士も多いから、ある程度は安全だが、ここよりは確実に騒がしいと思う」
「じゃあ、帝国ではもっと気をつけるようにするね」
「ユリア。そう呼んでも?」
名前を呼ばれ、なぜか胸が高鳴る。
「ええ、どうぞ」
「ユリア、帝都に来たら食事くらい奢ろう。私は基本帝都にいる」
ユリアは笑いながら、
「帝都に言ったからって偶然でもなきゃ、会えないでしょ?」
「まぁ、そう言わず。うん、と言っておいてくれ」
「なにそれ」と笑って、「わかった。ご馳走してもらうわ」と返す。
空には赤みが差し始めていた。
「日も傾いてきたな。そろそろ戻ろうか」
「そうね」
そう言って、二人並んで歩き出した。
家に戻ると、ユリアは灯台で聞いた話をみんなに伝えた。
ネイヴは「明日、あの船が動くんだ!」と、目を輝かせている。
エリンは少し寂しそうに、「えー、もう一回会いたかったな……」とつぶやいた。
「……帝国の軍と関わるつもりはなかったんだけど、すっかり顔を覚えられちゃったね」
ユリアがそう言うと、
「気にしないで。カローナ港に着く前に変装も変えるし、大丈夫よ」
とルチアが軽く笑って言った。
「予定通り、遠回りして進みましょう」
「そうだな。途中で船も乗り換える予定だし、問題ないだろう」
と、ガロも落ち着いた様子で答える。
「じゃあ、帝国軍の船を見送ったら、翌日に出発ね」
「積み荷もほとんど終わったし、明日は港で帝国の船が出るところ、見てきていいわよ」
エリンとネイヴは嬉しそうに顔を見合わせ、小さく歓声を上げた。
そんな会話のあと、夜は静かに更けていった。
ユリアは布団に入ると、自然とまぶたが落ち、すぐに夢の中へ沈んでいった。
――ぼんやりとした光の中に、灯台が浮かび上がる。
誰かと並んで立ち、何かを話している。けれど、その人の顔は見えない。
海に出るのは、あのときが初めてだった。
胸が高鳴り、何もかもが新しくて、あたたかくて。
まさかこの先、自分に何が起こるかなんて、あの時は想像もしなかった。
目を覚ましても、夢の輪郭はまだ霞の中にあった。
記憶の断片だけが、静かに胸の奥に残っている。
そして朝。
ユリアたちは、港を離れていく帝国の船を見届け、出発前の最後の準備に取りかかった。




