港のざわめき3
カモメの店にたどり着くと、ルチアがカウンターから顔を出して、
「あら、おかえり……」
と言いかけ、後ろから入ってきたファルカスを目にして驚いたように目を見開いた。
ガロはすぐに事情を説明する。
「港で酔っ払いに絡まれてな。ユリアたちを、この人が助けてくれたんだよ」
ユリアはまだどこかつんとした表情だったが、ふとガロが先ほどファルカスの顔を見て驚いていたのを思い出す。だからこそ、今のルチアの様子にも注意を向けていた。
ファルカスはというと、店の中を物珍しそうに見渡し、並べられた商品を一つ一つ眺めていた。
「評判は良いと聞いていたが……」
そんな心の声が聞こえてきそうな顔だ。無理もない。薬草や香料、瓶に詰められた怪しげな液体など、素人目には何が何だかわからないものばかりが棚に並んでいる。
それをじっと見ていたエリンが、我慢できなくなったように声をかける。
「ねぇねぇ、おじさん、帝国から来たの?」
「ちょっと、エリン!」とユリアが慌てて止めようとするが、ファルカスは構わず穏やかに答えた。
「ああ、そうだよ。私たちは帝国から来ている」
「何しに来てるの?」
「たまにね、同盟国の兵士たちと一緒に、この海域が安全かどうか見て回るんだ。海賊とか、違法な取引とか、そういうのがいないかとかね」
「人がいっぱい来てるから、何かあったのかと思った!」
「はは、確かにここは帝国から遠いから、滅多に来ない。だからこそ今回は少し人が多いんだろうね」
実際には、ほかにも目的があるのだろうが、ファルカスはあくまで表向きの話を続ける。
それに便乗するように、ネイヴも目を輝かせて口を開いた。
「あの船、早いの?」
「そうだな。このあたりじゃ、あの大きさでは一番早いんじゃないか? 天候さえ良ければ、ここから帝国まで三〜四週間で着くぞ」
「すごい!」
ネイヴの目はさらに輝き、エリンも興味津々で頷いている。どうやら二人は、すっかりファルカスになついてしまったようだ。
そんな様子を微笑ましそうに見ていたファルカスが、ふと店内を見渡して尋ねた。
「ところで、ここの一番人気の薬って、どれだ?」
ガロが代わりに答える。
「怪我を治す薬なんかは、まぁどこも似たようなもんだがな。船旅で体調を崩した連中には、体力を回復させる薬が一番人気だ。あとは酔い止めもよく出るよ」
ファルカスは頷きながら、それらの品をじっと見つめていた。
「それじゃ……それと、これを。五つずつ、いただこうか」
そう言ってファルカスは、体力回復の薬と酔い止めを指差した。少しだけの買い物だが、どうやら手ぶらでは帰らないようだ。
ルチアが手早く包みを用意しながら、「ありがとうございます」と微笑む。
受け取った包みを軽く持ち上げ、ファルカスはユリアたちに目を向けて言った。
「それじゃあ……邪魔したな」
気取らない口調でそう言うと、軽く頭を下げ、静かに店をあとにする。
エリンはまたねと手を振っていた。
ファルカスが店を後にすると、ルチアが素早く口を開いた。
「ガロ、“準備中”の札、出してきて。それと、みんな、ちょっと2階へ上がって」
その声には、ふだんの穏やかさとは違う緊張感がにじんでいた。
階上の部屋に移るなり、ルチアは扉を閉めると、やや早口でまくしたてた。
「ちょっと……何なの、あの人? 帝国の軍人? っていうか、あの顔! 似すぎでしょ。どういうこと?」
ガロが肩をすくめる。
「俺もさっき見て、内心びっくりしてた。他人の空似……なのか?」
そばで話を聞いていたエリンとネイヴが、首をかしげる。
「誰に似てるの?」
「誰のこと?」
「族長よ」とルチアが答えた。「私たちの故郷、エルシア村にいる飛翔族の族長」
ユリアも頷く。
「やっぱり似てるよね。私、昨日会ったとき本当に驚いたもん」
「昨日?」とルチアが振り返る。「どこで?」
ユリアは町での出来事を思い出しながら話した。
「ここに来る途中で、街角でぶつかりそうになった人がいたの。あまりに族長に似てたから、“もしかして、かもめの夫婦ってこの人のこと?”って思って……声をかけようか迷ってる間に、いなくなっちゃったんだよね」
ルチアは呆れたように目を細める。
「もう、なんで昨日のうちに言わないのよ」
「ここに着いたら安心しちゃって、すっかり忘れてた……」
「まぁまぁ、落ち着けって。まずは腹ごしらえだな」とガロが間に入る。
「そうね、そうしましょう」とルチアもようやく少し落ち着いた声で言った。
昼食をとりながらも、話題は尽きなかった。
「酔っ払いに絡まれてたらね、あの人が助けてくれたの!」とエリンが明るく言えば、
「ユリアがちょっと、すねちゃってね…」とネイヴが続け、ふたりでくすくす笑い合う。
「……あれはあっちが悪いのよ。だって私のこと、幼いなんて言うのよ?」
ユリアがぷいと顔をそむけると、ガロが苦笑して、
「あー、それは……まぁ、その、な? ルチア?」
「見た目だけなら、十六か十七くらいに見えるんじゃないかしら」
「えっ⁉」とユリアが目を見開く。
「そうなのか……」と、がっくり肩を落とした。
ルチアは笑って首を振る。
「気にする必要なんてないわよ。それより……あの人、何者なのかしら」
「“副団長”って呼ばれてたよ」とネイヴが口を挟む。
「たしかにそうだったな」とガロ。「ここのところ、引っ越しの準備で帝国の話なんてまるで聞いてなかった」
「私もそうね。向こうに行ってから情報集めればいいと思ってたし」
「副団長ってことは、やっぱりどこかの貴族なんじゃない?」
「そうねぇ……」
ガロがふと思い出したように言う。
「あっ、公爵家か? 昔聞いたことがある。帝国ができたころ、翼を持つ神――アルドゥス神が帝国を勝利に導いて、その神から子を授かったっていう家があったような……たしか、“セリグナート公爵家”とかなんとか」
「それ、飛翔族とも関係ありそうよね。たしか王族の親戚筋じゃなかった?」
「そうだったかもな……なんか、やっかいな話だな」
「でもまあ、この先旅を続けながら、仲間たちに聞いてみるしかないわね。ここでいくら考えても答えは出ないし」
*
やがて昼食を終えると、ユリアが立ち上がって言った。
「それじゃあ、これから町へ行ってみましょうか」
「今回はエリンとネイヴはお留守番ね。ガロ、お願い」
「任された」とガロが頼もしく頷く。
ユリアとルチアは並んで扉を出て、穏やかになり始めた港町の通りへと歩き出した。




