海の見える場所へ 2
前の町を追い出されてから、すでに二日が経っていた。
そのあいだ、ユリアはアルにほとんど口を利かず、どんな問いかけにも素っ気ない返事しかしなかった。
それでもアルは黙って歩き続けていた。
ときおり気まずそうに距離を取ったかと思えば、何気なくそっと近づいてきたりもする。
反省はしているのだろうが、話をする気にはなれない。
街道は次第ににぎやかさを増し、沿道に現れる町も少しずつ大きくなっていく。
海が近い証拠だ。
アルもようやく静かになっていた。
──ユリアの怒りが収まったわけではないが、ここまで一緒に旅をしていると、憎めないというか、情がわくというか、なんだか放っておくわけにもいかない。
なぜだか、無視をして置いていこうとも思わなかった。
「……なあ、ルフは俺のこと、嫌ってないよな?」
アルのつぶやきに、ルフはちらりと彼を見やると、すぐにぷいと視線をそらした。
「嫌ってはないかもしれないけど、好きでもないかもね」
「……厳しいなあ」
道は緩やかな上り坂になっていた。
左右の木々がせり出し、風の抜ける道には花の香りがただよう。
蒸し暑さのない、季節の境目の空気。
その風のなかに、どこかで混ざった潮の匂いがした。
やがて、木々の隙間から視界が開ける。
「あ……」
思わず、ユリアは足を止めた。
眼下に広がっていたのは──蒼い海だった。
太陽の光を受けて、銀の波がきらきらと揺れている。
丘の向こうに、港町ヴァリーノだろうか町らしきものが見える、沖合には船がゆるやかに漂っているのだろうか。
「……すごい。あれが海?」
「お、ようやく見えてきたか。海見るのは初めてか?」
アルが隣に並び、同じ風景を見つめる。
潮風が吹き抜け、ふたりの衣をはためかせた。
「……うん。思ってたより、ずっと広い!」
ユリアは目を輝かせながら小さくつぶやいた。
海を見るのは初めてだ。
どこかで──夢の中で見たような、そんな光景だった。
「なあ、港に着いたら、何が食べたい?」
「……まだ許してないから」
「……ですよね」
ルフが風に乗って飛び立った。
白い羽が、海と空の間をまっすぐに進んでいく。
夕方には、港町までの道のりが見えてきていたが、今夜はもう一度野宿することに決めた。
街の手前に広がる草原には、小さな林があり、その木陰にふたりは腰を下ろした。
風に湿気が混じって潮の匂いがただよう。遠くに港の明かりが、まだかすかに瞬いていた。
ユリアは焚き火を見つめながら、言葉を探していた。
問いただすべきか、流すべきか──少し迷ったが、つい口をついて出た。
「……ねえ。あの寺院で、アルは、何してたの?」
アルは持っていた水筒を軽く振ってから、火の方に視線を向けた。
少し間を置いて、ぽつりと答える。
「まあ、商売のクセみたいなもんだよ。古い寺院とか、そういう場所には──時々、昔の魔法具や文様が隠されてることがある」
「……商売?」
「そう。商人なんでね。表でも裏でも、モノが動く場所は見ておきたくなる。特に港町の近くだと、闇取引のルートとか、面倒な連中が関わってたりするから、地形と合わせて確認しておきたかったんだ」
「じゃあ……変な人たちに会ったのは、計画通り?」
「いや、それは偶然。あそこに連中が隠れてるとは思ってなかった。むしろ俺が身を隠す側だったんだ。で、そしたら……あんたが来た」
焚き火のはぜる音が、沈黙の合間を埋める。
アルはちらりとユリアの横顔をうかがってから、少し眉をひそめた。
「……で、聞きたいんだけどさ。リア、あんたはなんで、あんなとこに来たんだ?」
ユリアは少し目を細め、夜風に髪をなびかせながら答える。
「……何?」
「いや。ちょっと、似てるなって思っただけ。俺も、どうしても確認しておきたくて行ったんだ。理由は違うけど、足が向く感じ……わかるよ」
「…同じじゃない気がする」
アルは笑いながらそりゃそうか、とつぶやき静かになった。
ルフが彼女の肩に降りて、小さく羽をすぼめる。
どちらからともなく、もうそれ以上は何も言わなかった。
夜の静けさに包まれながら、ふたりはその場にとどまり、明日の港町への到着を静かに待た。
翌朝、空は晴れていた。
潮風は少し強くなっていたが、陽射しは穏やかで、出発にはちょうどいい日だった。
海を左手に見ながらしばらく歩くと、やがてヴァリーノの町が姿を現した。
赤い屋根の家々が段々に連なり、港の帆船が静かに揺れている。
遠目にもにぎわっているのがわかった。
だが、町の入り口に近づくにつれ、何やらただならぬ気配が漂ってくる。
門のあたりがざわつき、何人もの衛兵が立っていた。
通ろうとする人々が足止めされ、順に名前や荷物を確認されているようだった。
「……なんだろう、検問?」
ユリアがそうつぶやいたとき、隣にいたアルが不意に立ち止まった。
「あ。じゃ、ここでお別れだな。無事着いたし」
「はぁ? 町に入ってないよ?」
アルは少し肩をすくめて笑った。
「前に寄ったときさ、ちょっとしたトラブルがあってね。女の子に声かけたら、その子の兄貴が怒鳴りこんできて、追い出されちまった。だから別の入り口から入るよ」
「…どこでもそんななのね。」
「さあね。でも、こっちはこっちで慣れてるんで。じゃ、元気でな」
「ちょっと…!」
それきり、アルはふっと軽い足取りで脇道へと逸れていった。
振り返りざまに、笑いながら手をひらひらと振る。
「また町で会ったらよろしく」
その姿が雑木林の陰に消えるまで、ユリアはその場に立ち尽くしていた。
ここまで、そこそこ長い旅をしてきたはずだった。
雨も風も、夜の不安も、いろいろあったのに。
別れは思ったよりも、ずっとあっけなかった。
突拍子のなさに、怒りを通り越してあきれる。なんだか一人で笑い出してしまった。
「ほんと、変な人」
ぼそりとつぶやいて、ユリアは再び前を向いた。
ルフが肩の上で、小さく羽を揺らす。
気を取り直して、列の後ろにつく。
さて、ここからが新しい町。ヴァリーノだ。




