第二話:吸血鬼の回帰
アルス達に背中を押してもらって、俺は真っ暗な穴に飛び込んだ。
体を穴の側面に対して並行に、つまり頭を下にして降下していく。
最後に見た時、【女帝】は仰向けの形で落下していた。
つまり、空気抵抗と体重を加味すれば、追いつくことができる。
そして、降下を続けること三十秒と少し。
俺はついに【女帝】を発見した。
彼女は仰向けの姿勢で、胸の前で手を組んでいる。
そして目を閉じて、己の運命に身を委ねていた。
俺は彼女に接近する。
そして追い抜きざまに手を伸ばして、その体を抱き寄せた。
しばらくして【女帝】がゆっくりと目を開き、その紅が俺を捉える。
「…プルソン!? どうしてこんな所に!?」
「『助けに来た』とい言いたいところだが、『頼りに来た』と言ったほうが正しいだろうな」
俺の賭けは、俺自身の力をあてにしたものではない。
俺は先ほどの全力戦闘で魔力完全に使い切り、もはや余力は残っていない。動けるのが奇跡と呼べるほどだ。
俺があてにしたのは、【女帝】の力だ。
だから「頼りに来た」という表現がぴったりなのである。
だが、当然それを理解できない【女帝】は、焦りを前面に押し出して口を開いた。
「何を訳の分からないことを。私と一緒に死にたいの!?」
「そんな訳ないだろ。ここでアンタに死なれると、色々面倒なんだよ」
戦後処理、今後の俺の立場、立ち回り…。
彼女が死んでしまうとそれらの問題がより複雑化して俺に襲い掛かってくる。他の帝王との関りもあるし、【女帝】を助けようと動かなかった未来で【竜帝】とうまく交渉できる自信はない。
未来の破滅を回避するための行動。
アルス達もそれが分かっているから、俺を送り出してくれたのだ。
誰も見返り無しに人を助けたいとは思わない。
それができるのは、まさに親愛を抱く相手だけだ。
厳しいことを言う様だが、俺のとって【女帝】はその段階にはいない。
俺の素直な言葉に、【女帝】は落ち着きを取り戻した様子だった。
しかし、それと同時に彼女の弱い部分が顔を覗かせる。
「…それは分かったわ。でも、こんな状況じゃどうしようも無いじゃない……」
【女帝】が迷子のような、寄る辺を失った幼子のような弱気な声を漏らす。
それは【女帝】が初めてみせた、まるで子供のような態度だった。
しかし見た目が十代半ばというだけあって、それは年相応のようにも感じられる。俺の中にあった【女帝】に対する見方が、ほんの少しだけ変化した。
意外な反応に、俺は小さく笑う。
それを訝し気に見上げた【女帝】に、俺は気を取り直して訊ねた。
「アンタは吸血鬼だろ? 空を飛べるんじゃないかと思ってな」
俺はノルンの図書館にあった、種族特性に関する本の内容を正確に記憶している。
その中には、吸血鬼に関するものもあった。
本によると、吸血鬼は本来、飛行能力を持たない種族なのだそうだ。
ただ、生物の血を吸うことで封じられている力を解放することができると書いてあった。それには飛行能力など、吸血鬼としての限界を超越した力も含まれるらしい。
俺はその力に賭けたのだが、生憎とそう上手くは行かないらしい。
【女帝】がきっぱりと言い切る。
「それは無理ね。貴方も知っていると思うけれど、吸血鬼は羽があるけど空を飛べない種族。血を貰えば力を解放できるけど、帝王である私の能力を開花させるためには、それ相応の力の持ち主から血を吸わなければならないわ。そんな存在はそうそういない」
「それなら、配下から血を貰えば良かったんじゃないか?」
本来吸血は危険を伴うものであり、そう易々とは行えない。【女帝】ほどの強者になれば、その危険度は言わずもがなといったところだろう。
しかし、彼女は【帝王】だ。
配下などに協力してもらえば、血を吸う事は容易いはず。
そう思っての発言だったが、【女帝】はゆっくりと首を横に振った。
「配下の子達から血を貰えば、その代償としてあの子達は消えてしまうわ。それは私の帝王としてのプライドが許さない」
そういうこともあるだろうとは思っていたが、彼女は本当に自分の信念に真っ直ぐな【帝王】だ。
「それに能力を解放する為には、一気に吸血して力を解放する必要がある。だから日頃から少しずつ血を蓄えていく訳にもいかないのよ。そして何より、私は自分が認めた相手からしか、血を吸わないと決めてたの。だからこれまで血を吸ったことがないわ」
強情な、それでいて誇り高い笑みを浮かべた【女帝】に、俺は苦笑する。
「相変わらず、プライドが高いことで」
「悪いかしら?」
「いや、全く。俺達は帝王だ。覇者としての自覚と責任感が無ければ生き残っていけないだろう」
彼女の事情は大体理解できた。
そして、それと同時に。
彼女が飛行能力を持ったない理由と、現状を打開する策も用意できた。
博打の勝率が一気に高まった。
俺は淡く笑って続ける。
「だから提案する。【女帝】ルシアーノ。俺の血を吸え」
「え?」
目の前の少女が、赤い目をぱちくりとさせる。
「アンタは俺に負けた。なら俺の力を認めても良いんじゃないのか?」
俺の言葉に、【女帝】はゆっくりと目を見開く。
そして頬を赤く染めながら狼狽した。
「……それはそうだけど。やっぱり危険すぎるわ」
分かりやすく目が右往左往して、それから急き込むように続ける。
「あなたの力は確かに凄いけど、まだ私の能力を開花させられるほど強いものじゃない可能性もある。もしそうだとしたら、あなたを殺してしまうことになるわ」
それは警告であり、脅しのようでもあった。
【女帝】の本気の脅しは、生まれて間もない俺にとっては少々過剰過ぎる。
魂が冷え、体が震える。腹の底を、何か冷たいものが満たしていく。
しかし、俺自身の理想のため、目標のためにも、ここを譲ることはできない。
【女帝】も助けて、この戦争を完全勝利で終わらせる。今はそれ以外のことは小事だ。
俺はゆっくりと息を吸って、拳を握りしめて笑みを浮かべた。
「逆に聞くが、俺がその覚悟をせずにこの大穴に飛び込んでくると思うか?」
じっと瞳を覗き返す。
きっと【女帝】も、俺の強がりに気が付いていただろう。
【女帝】は自らを抱き寄せる俺の両腕にチラリと視線を送ると、それからやれやれと息を吐いた。
「…やっぱりあなたって強情ね」
「そうか? それより早く決めてくれ。やらないなら俺の仲間達に頼んで、一か八かこのロープで引き上げてもらう。生存は保証できないから、どうせなら吸血した方が良いと思うけどな」
アルス達のあらん限りの力で引っ張ってもらうのだ。
縄がその衝撃に耐えられるか微妙だし、その挙動を制御できるとも思えない。どちらに転んでも分の悪い賭けだ。
そして、ようやっと【女帝】が覚悟を決めた。
「…分かったわ。あなたの作戦に従いましょう。……早速始めてもいいかしら?」
首を縦に振った【女帝】の犬歯が、より鋭く伸びていく。
しかしそこに恐ろしさは感じられない。それどころか、彼女が本来の姿に戻る様にしっくりきた。
「ああ。はやくやってくれ」
もはや時間はない。
そう促すと、【女帝】が俺の首筋に顔を埋めた。
「それじゃあ…”貴方”の血、頂戴するわ」
耳元で囁き。
そして、首筋にチクリと痛みが走った。
ドクン、と心臓が跳ねる。
凄まじい速さで血が抜かれていくのが、感覚的に分かった。
血を吸われると同時に、凄まじい喪失感が全身を支配する。
そして過剰に血を抜き取られることによる激痛が全身を駆け巡った。
想像していた以上に、凄まじい痛みだった。
俺は思わず【女帝】を強く抱きしめる。
そうでもしないと、意識を保てる気がしない。
驚いたように首から口を離した【女帝】が呟く。
「…プルソン大丈夫? やっぱりこのくらいで止めておいたほうが……」
「……!」
情けない話だが、もはや言葉を発する余裕はない。
続けてくれ、という意志を込めた視線を送ると、【女帝】は苦笑した。そして再び俺の首筋に犬歯を突き立てる。
再び、激痛。
それから、どのくらい経っただろうか。
数時間にも感じるほど長く、そして短い刹那の時間を経て、ついに吸血が終わった。
【女帝】が俺の首から顔を遠ざけると同時に、俺の両腕に籠っていた力が抜ける。
彼女と分かたれそうになったその瞬間、今度は【女帝】が俺を抱き寄せてくれた。
「…プルソン、ありがとう」
爛々と赤く輝く瞳を歪めて、【女帝】が笑みを浮かべる。
歪む視界の中で、【女帝】の背中にある黒い羽が、より巨大なものへと変貌しているのが見える。そして次の瞬間には、俺達は小さくなり始めた光へ向かって穴の中を飛翔していた。
「…そうか。うまくいった、か……」
バサバサと髪を揺らす風と、【女帝】の体温に包まれながら、意識が暗転した。




