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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

神罰執行道雪さん

作者: ひよこメンタル

はじめましての方ははじめまして。


そうでない方はお久しぶりです。


現在連載している作品の息抜きに書いていた作品が思いの外私の中で盛り上がり、形にしてしまいました。


連載の続きを書かねばと思う反面、どうしても完成させたいがために連載作品の投稿を休んでしまっていた愚か者でございます。


拙作ですがご拝読いただけると大変うれしく思います。


いいねや感想など頂けましたらさらにうれしいです。


ただネガティブなコメントは名前の通りくそ雑魚メンタルの私には刺激が強いので控えていただけると助かります。

妖怪なんていない。


そう思っていた。


霊感もなく、幽霊やお化けの類も見間違いや科学で説明できると息巻いて、自分で言うのも変な話だが感情の起伏も然程激しくはないのでお化け屋敷でもびっくりしたことはない。


だからこんな深夜に誰もいない廃屋に一人で入ることができる。


六月の雨上がり。


生暖かい風と湿り気が先程までいた居酒屋の冷房で冷えきった体に薄く汗を滲ませる。


廃屋の中で聞こえるのは遠くの繁華街から僅かに届く喧騒と自分の息遣いのみ。


この廃屋には間違いなく僕だけがいる。


さて、それでは。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「あ、どもども。肝試しですか? ゆっくりしていって下さいね」


その生首はまるで胴体でもついているかのように顔だけでお辞儀し、僕の前を浮遊していた。


保護色になるような服を着ているというわけでもなさそうだ。


暗闇に慣れた目と月明かりが僅かに差すこの一室で、確かに本来胴体がある場所は奥の壁まで見通すことができる。


何故か頭頂部からは白い犬を彷彿とさせる山なりの耳が生えていた。


いや、犬だとは思うが猫の耳かもしれない。


あるいはイタチやハクビシンだろうか。


なんて冷静に考え込んでしまうくらい落ち着いているのは目の前に浮かぶ生首が愛嬌のある可愛らしい顔立ちだからかもしれない。


「いや……普通に怖いんだけど」


思わず口に出てしまう。


片須輝樹(かたすてるき)、人生で初めて見るお化けだった。


「まあまあ。そう怖がらなくても別に取って喰うんですから」


生首の発言に僕は違和感を覚える。


「今取って喰うって言ったよね?」


「はい。お腹減ってますし」


「いや、お腹ないじゃん」


二人。


いや、一人と一匹……一体? の間に沈黙が訪れる。


「いただきまーす!」


「ストォォォォォオオップ!!」


僕は全速力で走り出した。


嗚呼、こんなことなら先輩達の誘いを断っておけば……こんな廃屋になんて入らなければ良かった。


後悔先に立たず。


古びた日本家屋の中を僕は走り回る。


途中、何度か外に繋がる扉や引き戸を開けようとしたがびくともしない。


ホラゲーのお約束じゃないか! と毒付きながら僕はやがて二階に打ち捨てられたタンスの中へと隠れた。


「どこですか〜?」


生首の声が聞こえてくる。


生首の癖にアニメ声なのが無性に腹が立つところだがここは大人しくしているしかない。


大丈夫だ。


ホラーゲームならタンスやロッカーの中にさえ隠れれば見つからない。


「まあどこにいるかは分かってるんですけどね」


「ぎゃぁぁぁぁぁぁあ!!!」


ダメだった。


僕ごとタンスが浮き上がる。


まるで巨大な手に持ち上げられたかのように浮遊感を覚えた。


そしてそのタンスをあたかも缶詰の底に張り付いたコーンを取るように激しく揺さぶられて僕はたまらず床へと投げ出されてしまう。


そこには両目を妖しく光らせた生首が待ち構えていた。


「えっへん! 体はありませんが念力は使えます」


ドヤ顔で言われても恐怖でしかないのだが。


「ヒィッ!? 待って! 話し合えば分かる!」


僕は必死に彼女を説得しようとした。


だが生首は耳を貸す気はないらしい。


「ではあなたという食材に感謝して、いっただきまーす!」


終わった。


思えば短い人生だった。


新興宗教にハマった母は多額の借金の末に自殺、父方の寺に引き取られ親戚一同から冷たい目を向けられながら毎日修行という名の雑用という名の嫌がらせの日々。


それでも大学には行かせてもらったが美人の先輩がいると噂の軟式野球サークルに入った結果、そこが飲み会ばかりの飲みサーと知り、さらに美人の先輩は部長のオンナ。


そして新歓の終わりに断りきれず連れてこられたこの肝試し。


その頃にはすっかりいじられキャラとして認識されてしまった僕は真っ先に一人で入ることとなった。


そんな童貞非モテ非リアの、陽キャにも陰キャにも馴染めなかったボッチ野郎は哀れ生首の腹に収まるのだった……。


「邪魔です!」


いや、腹はないか……そう思っていた僕に向かってきたのは生首の牙ではなく、ローファーの靴底である。


埃まみれの床へ盛大に吹き飛ばされ激しく咳き込んだ。


雨漏りしているのか、全身を冷ややかな感触が襲う。


全身の、特に顔面の痛みに呻く中、ようやく自分が蹴り飛ばされたことに気付いた。


顔を上げるとそこには生首に刃を突き立てる少女がいる。


歳の頃は中学生くらいだろうか。


切り揃えられた前髪とは反対に後ろ髪は腰まで届くほどに長い。


暗闇に溶け込むような、吸い込まれそうな美しい黒髪だ。


イチョウの髪飾りが対照的に月の色を反射させる。


切れ長の瞳は鳶色の眼光で鋭く目前の生首を睨みつけていた。


少女の手に握られていたのは大きな日本刀。


少女の半分以上もある得物であるにも関わらず、まるで体の一部のように巧みに使いこなし、生首の口内を貫いた。


「あだだだだだだ!?」


生首は間の抜けた悲鳴を上げ、逃げようとするが突き刺さる刃を引き離せないのか上下左右に暴れている。


「神罰執行」


少女がつぶやいた刹那、室内を一面に照らす眩い閃光が刀身から弾けるように現れる。


弾けた光はジグザグ模様の軌道を描いて周囲へ飛び散っていた。


雷だ。


直感的にそう感じるほどの電撃が生首を覆い、激しい閃光と雷鳴のような生首の断末魔が響く。


数秒後、少女が刀を引くと生首は白煙をあげてすっかり黒焦げとなっていた。


「殺した……んですか?」


恐らくは年下であろうがつい敬語になってしまう。


「知りません。興味もないです」


少女が即答し、用は無くなったといわんばかりにその場を去ろうとする。


「ま、待ってください!」


僕は思わず彼女を引き留めてしまった。


「何ですか? 自ら鬼門に足を踏み入れたあなたを説教するほど私も暇ではないのですが」


少女は無表情だったが語気に少々苛立ちが見える。


恐らく廃屋に入った自分を疎ましく思っているのだろう。


或いは詮索されるのが嫌なのだろうか。


正直気になるところではある。


あの化け物、そして彼女の正体、何故雷を操ることができるのか。


けれども疑問を口にするのではなく、僕は彼女へ向けて大きく頭を下げた。


「ありがとうございます! その……せめてお名前だけでも教えてください!」


頭を下げていたため、その表情は推し量るしかない。


怒っているだろうか、笑っているのだろうか、呆れているのだろうか。


「……お断りします」


顔を上げるもやはりそこには人形のように無表情な少女がいる。


「あなたみたいな間抜けに教える名前なんてありませんよ。バーーーーーーーーカ。これに懲りたら二度とこんな所に来ないことですね」


抑揚のない声で罵詈雑言を吐いて少女は廃屋の暗闇へ消えていく。


まるで雷のように、一瞬で。


唖然とした僕はその場に立ち尽くす他なかった。


「……何だったんだろう、本当に」





翌朝。


あれから廃墟の入り口に戻ったが先輩達はいなかった。


置いてかれたのだと察した僕は一人帰路に着き、そのまま泥に沈むが如く眠ってしまった。


目が覚めて、昨夜のことは夢なのではないかと思った。


「あ、おはよう。ねぇねぇ、ドッグフードのふりかけってないかな? ご飯と合わせたら美味しいと思うんだけど」


……あるいは悪夢かもしれない。


昨夜黒焦げになったはずの犬耳生首が勝手に僕の炊飯器を開けていた。


「あー……」


一人暮らしを始めて早一ヶ月。


いつか女の子と二人きりに……なんて思っていたがこうも早く叶うとは。


生首だけだが。


「そんな顔しないでよ。別に取って喰うつもりなんてあるんだから」


「あるんだ……」


何故朝から悪夢を見なければならないのか。


僕は戸棚を漁って食塩を一掴みすると生首に向けて振りかぶり、放った。


「しょっぱ!?」


やはり食塩では効果がないらしい。


床は塩まみれになったが、生首はビックリしたように仰け反ったので良しとする。


僕はシャワーを浴びて着替えを済ませ、黒いスポーツバックを手に取ると部屋を出た。


そのまま大学へ登校するために駅に向かって歩を進める。


「……なんでついてくるのかね」


「言っておくけど我の姿、他の人には見えないから君客観的に見たら独り言垂れ流しのヤバい人だよ?」


そう言われて僕は口を噤むしかなくなってしまう。


同調圧力の強いこの国でヤバい人扱いされては周囲の目が痛い。


ただでさえ悪目立ちしたくないというのに。


僕はポケットからスマホを取り出すと、それを耳に当てる。


「とにかくさ、付き纏うのやめてくれない? というか食べないで?」


「えぇー。だって君のせいで神罰さんに狙われたんだよー? お陰で我の住処無いんだぜ? 住所不定異怪だぜ?」


こうしてあたかもスマホで通話するフリをする。


これなら周囲の目も何とかなるだろう。


歩きながら通話というのも、それはそれで目立ってしまうため、口元に手を当て小声で話す。


「自業自得乙。神罰さんって……昨日の?」


神罰さん。


如何にも中坊が好きそうな名前である。


本名ではないだろう。


「そうそう。異怪の間で噂のあの子。人間襲ったら『神罰執行!』って言いながら、殺しはしないけど死ぬほど痛い雷落としてくるんだよね。だからみーんな怖がっちゃって」


「だからって僕のせいというのは逆恨みにも程がある」


「そもそも何で怖がってたくせに廃墟入るのさ。危険な所に自分から行くとかそっちの方がおかしいよ。獣だって分かることだよ? 人間ってホント賢いのかバカなのか分かんないよね」


尤もな言い分だ。


現にその神罰さんからも似たようなことを言われた。


思わず反論できなくなりそうだが、こちらも負けじと言い返す。


「あれは仕方なかったんだよ。サークルの先輩に行けって……。君達と違って僕にも付き合いとかそういうのがあるんだ」


「それで置いてかれて異怪の餌になっちゃ救いようがないねー」


煽るように生首は鼻で笑ってくる。


正直かなりイラッとしたがここで癇癪を起こしては人間として人外に負けたようで嫌だ。


「人間一匹捕まえられなかったのを女の子のせいにする方が救いようないと思うけどね」


「残念でしたー! 実は入口にいた連中食べてるもんねー!」


「え、待って。さらっと怖いこと言わないで? え? マジ?」


どうりで入り口にいなかったわけだ。


コミカルな言動の目立つ彼女だがやはり人ならざるモノなのだ。


「そうそう。君はまあ、最後まで取っておいたというか」


「人を食後のデザートみたいに言うなぁ! どうるんだよこれじゃあ僕が警察に怪しまれる……」


もし本当に彼女に食われたとしたら厄介だ。


恐らく彼等と最期に接触していた人間は僕だけであり、僕自身アリバイがない。


一日も経てば彼等の友人達や家族が警察に通報するかもしれない。


いや、悪いことなんて何一つしてないのだから正直に話せば分かってもらえるのではなかろうか。


実は彼等は妖怪に食われていて、僕はそれを知らずに廃屋を探検していました!


うん、ダメだ。


何か良い言い訳がないものか考える僕はふと気付く。


……人が、それも顔見知りが食べられたというのにひどく冷静な自分がいた。


昨夜の出来事があまりに現実離れしていたからだろうか。


それとも自身が思う以上に僕という人間は薄情なのだろうか。


父方の寺で毎日のように行われた理不尽な嫌がらせが、僕の感情を押し殺してしまったのだろうか。


いや、今はそんなことを考えている場合ではない。


このままでは僕も食われてしまう。


「やっぱお前神罰さんに殺してもらうからな絶対それがいいうんそうしよう」


生首がイタズラっぽく笑い、僕に犬のような太く鋭い牙を見せてくる。


「上等だその前に頭噛みちぎって耳だけ芳一にしてやんよ」


「斬新だなぁ!?」


「朝から喧しいんですよッ!!」


思わず大声を出してしまった。


僕と生首に文字通り雷が落とされる。


「あばばば!?」


「っつァ!?」


全身を熱と激痛が襲い、自由の効かなくなった体は痙攣しながらその場に突っ伏す。


生首もまたピクピクと釣り上げられた魚のように体を震わせていた。


「揃いも揃って朝から元気で何よりですでもここは公共の場であり公衆の面前であり、有り体に言えば迷惑千万ッ! 歩きスマホの感覚で危険な異怪を街中に連れ出すとはどういう了見ですか!!」


捲し立てるように説教をされた僕は、見上げてようやくその人物が先日の少女であることに気づいた。


「くっ……この角度では見えないか」


「尚スパッツを履いてる模様」


紺色の長いスカートは黒いタイツに覆われた彼女の足を隠し、膝下がギリギリ覗ける程度。


更に生首の言ったことが本当なら希望はない。


「本当にあなたは懲りない人ですね。まだその生首……いいえ。犬神と一緒にいるんですか? いい加減取り殺されますよ?」


「犬神……」


僕は首を傾げて……いや、生首を斜めに傾ける彼女へと目線を移す。


確か四国や九州の辺りに伝わる妖怪だ。


狼や犬を殺し合せたり、埋めて飢えさせた後で首を切り落とす、そんなイカれた儀式で生まれる妖怪のはずだ。


しかし。


「なーに?」


「……なぜ犬耳美少女なのか」


僕は疑問符を浮かべて彼女を見る。


少女が犬神と言うのならどうして犬の生首ではないのだろうか。


「彼女はただの犬神ではありません。現代の都市伝説『人面犬』と習合した存在です」


「しゅうごう……?」


確かに犬というには些かおかしい。


知識や口調、何より言葉が通じるという点においても生首が人間の特徴を持つことが窺い知れる。


「そうらしいね。まあでも我のことは気軽に犬神様と読んでくれていいよ!」


「分かったよ、ポチ」


「呪い殺したろうか?」


「やめなさい。次は殺しますよ」


こちらに牙を剥くポチは雷電を仄かに纏う少女を前に萎縮し、僕の後ろに隠れてしまった。


「習合に神罰さんに……ダメだ。話についていけない。というかイカイって何? 怪異じゃないの……?」


僕は頭をかかえる。


「仕方ありません……ここまで知られたならいっそ全て話しておいた方がいいかもしれませんね。ついてきてください」


「え? ……それはありがたいけど、僕これから講義が」


「早く、来てください」


「……はい」


少女に気圧された僕は渋々ついていくのだった。


「でも全て話すって……もし僕が他の人に言ったらどうするんですか?」


道すがら、僕はそんなことを聞いてみた。


「どうもしませんよ。私が関わるのは人ならざるモノ達。あなた方生きた人間を裁く命は受けていません。それにこのご時世、あなたがそんな話をしても信じてくれる方は殆どいないでしょうしね」


それもそうか、と思った僕の目に古びた喫茶店が見える。


「うっわ、お化け屋敷じゃーん」


「お前のいたところだろ、それは」


茶化すポチにツッコミをいれる。


近代の西洋を思わせる木と煉瓦で造られたような喫茶店の看板には掠れた文字で『めだか』と書いている。


「お入りください」


少女に促され僕とポチは喫茶店の扉を開けて中へ入る。


ノブを捻り、扉を押すと小気味良いベルの音が店内に響いた。


「いらっしゃーい。あら、リカリカちゃんじゃない。今日はお連れさんも一緒なのね。彼氏かしらぁ?」


「断じて違います」


店主だろうか、カウンター越しに妙齢の女性が彼女に話しかけた。


綺麗な黒髪は両目のある位置まで前髪が下ろされており、どこかミステリアスな雰囲気を漂わせている。


メカクレだ。


初めて見た。


しかも意外と陽気な方らしい。


少女を、おそらくは渾名で呼ぶあたり、知り合いなのだろう。


店内は中央に大きめのルームライトが吊るされているだけで薄暗く、窓から差す太陽の光が眩しく感じる程だ。


濃い茶色をした木目模様の壁も相まって落ち着いた雰囲気を醸し出していて僕は好きだ。


加えてどこからか流れてくるジャズ調の音楽が店内を彩っている。


通学途中にこんな穴場があったなんて……。


大通りからはちょうど死角になる裏路地に店を構えて、果たして客など来るのだろうか。


呆けていた僕の肩を少女が軽く叩く。


「ここなら落ち着いて話が出来るでしょう。あちらにお座り下さい……ああ、それとあの方は私の()()()です。お気になさらず」


少女が指差したのはカウンター席。


様々なグラスやコップが並べられている棚をバックに店主らしき女性……()()()がコーヒーを淹れていた。


僕が腰掛けると右側の座席に少女が座り、僕を挟むようにポチが左側の座席を陣取った。


「まずは『習合』について説明しましょうか」


神罰さんが一息ついて説明に入る。


「習合って、集まる方のこと? それとも神仏習合とかの方?」


神仏習合。


有り体に言えば仏教文化の無かった日本で仏教を受け入れやすくするために日本の神様と仏教の神様を同一視した解釈のことだ。


伊達に大学に行っていない。


日本史は高校で必死に勉強していたのだ。


「後者が近しいですね。『習合』とは古来から日本に存在する妖怪や伝説が、近代や現代の都市伝説を取り込むこと、或いは取り込んだ姿です」


ほう、と相槌を打ってみるがさっぱり理解できない。


そんなどこぞの未来生物じゃあるいまいし、取り込むことなんて簡単に出来るのだろうか。


「その様子ではまるでわかっていないみたいですね。そこの犬神が良い例です」


「あ、うぃっす」


彼女にキッと蛇のような目で睨まれたポチは愛想笑いを浮かべながら僕の体を陰に隠れる。


余程昨夜の一撃がトラウマなのだろうか。


「彼女……彼女? は古来から伝承されてきた妖怪である『犬神』と昭和後期に流行った都市伝説である『人面犬』が習合した姿でしょう。人の顔をした生首、特徴的な犬の耳がその証拠です」


僕はまじまじとポチを見る。


確かに犬の耳、鼻、ヒゲを持つがやはりその顔は人そのものだ。


「そんなに見つめられると発情しちゃうワーン」


「わっかりやすく嘘つくなお前」


犬なのに猫撫で声を出すがその顔はイタズラっぽく笑っている。


からかうにしても適当過ぎないだろうか?


「そうした妖怪とも都市伝説とも似て非なるモノ達を私達は『異怪』と呼んでいます」


「異怪、ねぇ……」


確かにポチも自身のことをそう表現していた。


他とは異なる妖怪、ということか。


「それでその……あ、いや。何と呼んだらいいですかね。神罰さん?」


そういえばあの時は結局名前を教えてもらえなかった。


僕は彼女の方を見て聞いてみる。


彼女は、少し面倒くさそうに嘆息すると桃色の財布から一枚のカードを出してきた。


というか生徒証である。


そこには今着ているものと同じセーラー服を身にまとい、今と同じ無表情の彼女を撮った写真と近くの中学校の名前が書かれている。


そして、彼女の名前は……。


道雪立花(みちゆきりっか)です。名前でお察しになるかもしれませんが、まあ彼の関係者ということにしておきましょう」


「彼? 誰? 知らないんだけど」


僕はまるで聞き覚えも心当たりもない名前を出されたものだから首を傾げて聞き返す。


彼女はというと、何故か無表情でも分かるくらいには照れた様子を見せていたにも関わらず、僕の言葉に一瞬体を固める。


そして呆れたようにまたため息をついた。


「立花道雪。これでお分かりですよね? いえ、戸次鑑連と名乗った方が分かるかもしれませんね」


「知らないけど」


「……」


道雪は口を噤んでしまった。


対照的にポチは顔を緩め、今にも笑い転げそうな様子だ。


こういう時、手がないと口元を隠せないのは不便だと思う。


「ちょっ……ここ東京……知ってるわけないじゃん……ククッ、あっははははババババビバ!?」


堪え切れずに笑い出したポチは途中から道雪の雷撃で痺れていた。


懲りない奴である。


「申し訳ありません、私の認識不足でした。……あとでヘルメスぶっ殺す」


道雪が頭を下げる。


そして小声でつぶやいたようだが、あいにく隣の席だ。


ばっちり聞こえている。


確かギリシャ神話に登場する旅の神だっただろうか。


何故外国の神様が出てくるのだろう。


彼女の言動から察するに『立花道雪は超有名人』とでも吹き込まれていたのだろうか。


僕は試しにその名前をスマホで調べてみた。


「立花道雪……。へぇ、大分県にいた戦国武将なんだ」


大分県ってどこだろう……とまでは流石に口に出さない。


それにしても名前と苗字入れ替えただけなんだ……。


「そうですね。大分県……豊後国を統治していた大友家に仕えておりました」


「それがどうしてまたこんな所で現代美少女受肉してるんですか」


「現……? よくわかりませんが私は希臘(ぎりしゃ)の最高神ゼウス様のご加護の下、この地で人ならざるモノ達を監視しています」


ますます僕には疑問符が湧いてくる。


どうして彼女が、戦国時代の武将が女性になって、それもギリシャ神話で最も有名な神様から命令を受けているのだろうか。


「つまり、何故……?」


僕が聞くと彼女は表情を変えることなく淡々と答えてくれた。


「後世にも伝わっているようですが、私はかつて雷を斬ったことがあります」


「あ、本当だ」


調べてみると確かにそのような逸話が残っているようだ。


向かってくる雷を切り払い、半身不随になったと書かれている。


「私の死後、その話を聞きつけたゼウス様が私の魂をオリュンポス山まで呼びつけて自分の雷も切ることができるのかと聞いたので試しに切って見せたところ、その腕を認められてゼウス様の雷、その一端をお借りしました」


「そんな親戚の子どもにお小遣いあげる感覚で何てモン渡してるんですか最高神。というかよく斬れましたね!?」


ゼウスの雷といえばギリシャ神話でも最強火力の必殺技ではなかろうか。


地を焼き、宇宙を裂くともいわれるチート性能だったはずである。


ケラウノス。


ゲームだとかなり強い武器やキャラクターの名前に付けられがちだ。


あくまで僕個人の見解である。


「更に生前所持していた愛刀たる千鳥、もとい雷切丸をゼウス様のご子息であるヘパイストス様に打ち直していただけました」


「日本刀を打つギリシャ最高の鍛治神とかめちゃくちゃ見たいんだが」


ヘパイストスといえばギリシャ神話最強の盾であるアイギスやヘラクレスに並ぶ大英雄アキレウスの武具を造ったチート級の鍛治師だ。


僕は敬語を崩してしまうほどに驚いた。


「私はその恩に報いるため今世に甦り、人ならざるモノ達を監視しています。神罰さんとは恐らくそんな私の行いを見た妖怪達が広めた妖怪側の都市伝説でしょう」


「えぇ……」


「我は妙にギリシャ神話に詳しい君の方が謎に思えてきたよ」


ポチが何か言っている気がするが耳に入らない。


もはや言葉が出なかった。


彼女の言葉を全て信じるわけではないが、あれだけの強力な雷や呆気なく生首を刺し貫いた姿を思い返すとあながち嘘とは思えない。


「あなたは? こちらにだけ名乗らせるつもりですか?」


彼女がこちらを見る。


「片須輝樹。片付けの片に急須の須、輝く樹木で片須輝樹です」


「そうですか」


彼女は興味なさそうに視線を前に戻した。


「神罰さんはねぇ、人食べたり襲ったりするところを見ると何処らともなく現れて文字通り罰を当てるんだよ。まあ初犯の時は殺しはしないけどね」


「殺しますよ?」


「へ?」


「昨夜も殺す気で刺し貫いたのですが、何故まだ生きているんです?」


何故かいきなり元気になったポチは彼女の言葉に再び僕を盾に……というより僕の服の中へ隠れようとする。


「ちょっ!? やめろ変態!!」


「いやぁぁぁぁあ!! 殺さないでぇぇぇえ!!」


コイツが妙に余裕があるのはそういうことだったのか。


僕は捲り上げられようとしている服の裾を必死に掴み、下ろそうとする。


「場合によります。大勢の人間を襲う、または食ったモノや一度痛め付けて警告しても再び人を襲ったモノは容赦なく始末するだけです」


「でもそんな噂今まで一度も……」


「そうでしょうね。全員殺しましたから。その噂を流したのは運良く生き残ってしまった妖怪でしょう。後で噂の出所についてじっくり聞かせて頂きます」


「……わぉん」


二度と生きては帰れない、という話に似ている。


噂を広めるモノさえいなければ噂は誰にも届かないというわけだ。


こういうのを正常性バイアスというんだっけ。


ポチはすっかり萎縮した様子でカウンターの椅子にへたり込んでいた。


コイツ、先輩方食べたらしいからなぁ……。


恐らくバレているのだろうが今の所ポチに対しての殺意は見えない。


というか先輩方を食べたから殺されかけたのではなかろうか。


「さて。ここまで話したわけですが、あなた方がここに連れられた理由は分かりましたか?」


道雪は一息付くと僕たちを見てそう問いかける。


「まあ薄々は……。大方ポチが僕に危害を加えるんじゃないかと思ってて、ポチを追い払うつもりなんですよね?」


「ふぇ……マジか。ばれてーら……」


悪びれることなくポチは僕の後ろに張り付いた。


「半分正解です。確かにこのままあなたが犬神に憑き纏われている状況を見過ごすわけには参りません。加えて先程も申しましたが彼女は人を食らう異怪。始末しなければ被害者を増やすこととなります」


「まあ追い払ってくれるならそれに越したことはないんだけど」


堂々と僕のこと食うとか言ってるし。


「た、食べない! 食べないから! ……多分」


ポチは焦った様子で弁明するが目を泳がせていてまるで信用できない。


「犬神があなたから離れてくれたら解決なんですけどね。巻き込まないで済むので」


「離れない! 絶対離れないぞ!」


「解決の道から遠ざかったのですが」


嫌だよこのままポチごと黒焦げになって死ぬとか。


そんな僕達の前にコーヒーが置かれていった。


カウンター越しに微笑む女性は僕とポチにも同様にコーヒーを出してくれたのだ。


「そういうことならちょっと待っててね。()()()を呼んでくるわ」


そう言ってカウンターの奥、いわゆるバックヤードへと向かってしまった。


「何を勝手なことを……むう。行ってしまいましたか」


正面から、尚且つエプロン越しで気付かなかったが抹茶色の縦セーラーが浮き彫りにする体の線は細く、スレンダーな様子が窺える。


ああいうお姉さんタイプはどこがとはいわないが豊かであると非常に解釈一致なのだが、小さいのもそれはそれで悪くない。


道雪は彼女を引き留めようとしていたが諦めたように嘆息するとコーヒーに口を付けた。


「……それにしても綺麗な人ですね、店主さん」


気まずい沈黙を避けるため、僕は彼女へ話しかけてしまう。


「そうですね。とても妖怪とは思えません」


「まあ、そうだよね」


大体察していたがあの女性も化生の類らしい。


()は手の目です。文字通り手に目を持つ妖怪……今は()()()の式神ですがね」


「待って。ねぇ、待ってください?」


彼。


彼だと? 


僕は後半の気になる台詞を全て無視する勢いで彼女に迫る。


「確かに驚かれるのも無理はありませんね。そうです、()()()というのは……」


「そんなことはどうでもいいです! 彼って!? あの人……妖怪さん? 女性じゃないんですか!?」


「……そんなことでいちいち突っかからないで下さい」


彼女は呆れた様子で僕を見る。


しかしながら気になって仕方がない。


あの見た目で男ということなのか……。


「連れてきたわよー」


と、噂をすれば彼が来る。


確かに女性にしては低音というか、ハスキーボイス過ぎるし胸もぺちゃんこだ。


そんな彼に連れてこられたのはこれまた性別の分からない、白衣の、中性的な印象を持つ人物である。


年の頃は高校生に見えた。


線の細い顔立ちでどこかの高校らしき制服に身を包んでいる。


仄かに赤みを帯びた茶色い髪は肩にかからない程度に短く切られ、反対に前髪は左目を覆う程に長い。


メカクレミステリアス美人、といった感じだ。


「やあ、立花ちゃん。隣の子達は……ふむ。そういうことだね」


彼、あるいは彼女は声からも性別が特定しづらい。


僕とポチを一瞥して何かを察した様子である。


「彼女は土御門……現代でも数少ない陰陽師の末裔であり、先祖返りと呼ばれるほどにその実力は折り紙付きと云われています。ちなみに女性です」


「やめてくれよ、立花ちゃん。まるでオレがそういう漫画の主人公みたいじゃないか。それに性別なんて些細な問題だと思わないかね? この時代は女性同士でも婚姻が可能だ。君とオレが結ばれるというのも……」


「すみませんが正室も側室も間に合ってますので」


「連れないなぁ」


「相変わらず仲良しですねぇ」


会話の弾みに口説こうとする土御門とはっきり断る立花。


そんな二人を微笑ましく見守る妖怪店主。


何ともシュールな絵面だが、自身の入り込む余地がないと思えるほどに三人の関係性が把握できる。


少なくない月日を過ごす、友人のようなものなのだろう。


友達の一人も出来た事のない僕でも分かる。


「まあそういうことだから以後よろしくね。土御門燈裡(つちみかどあかり)だよ」


「あ、どうも……」


カウンター越しに手を差し出した彼女と僕は握手する。


一瞬、その顔が険しくなったが男性は苦手なのだろうか。


僕の顔とか態度とか手汗に不快感を覚えたわけではないとは思いたい。


「話を戻しましょう。燈裡、そこの犬神をどうにかしてください」


「え? 式神にするんじゃないの?」


「戻るどころか線路外にスローアウェイされたんだが」


何故いきなりそうなるのか。


道雪は「何を言ってるんだ」とでも言いたげに土御門を見て眉を顰める。


「つまり君が彼女の首輪に……式神の主になるんだよ」


「そういう漫画が始まっちゃいますか」


でもコレが式神は嫌だな……と隣でカップを浮かせてコーヒーを飲み、舌を火傷しかけたのか悶絶する生首を見る。


「見たところその子は君に執着しているみたいだしね。いつ襲われるか怯えるくらいならいっそ契約して使役した方が身のためじゃないかな?」


土御門が店主の入れたコーヒーを持って言う。


「まあそれはそう……なのか?」


契約、という言葉に不安感を覚える。


現実でもフィクションでも契約というのは恐ろしい代償があるものではなかろうか。


「待ってください。それは彼をこちら側に引き込むことではないですか。あなたが祓えば済む話でしょう」


道雪が会話に割って入る。


こちら側、というのは恐らく犬神や女装店主のような妖怪たちの世界に、という意味なのだろう。


「こっちの事情は粗方話したんだろう? なら今更じゃないかな。まあ確かに祓えなくはないよ。でもねぇ……」


土御門がポチを見る。


「我を祓おうとしたらコイツ道連れにするから」


「……ね?」


牙を剥いて威嚇するポチを前に土御門は肩を竦めた。


コイツとは僕のことなのだろう。


「あなたはそれでも陰陽師なんですか……」


「仕方ないだろう? 犬神というのは呪いの一種なんだ。儀式によって生み出され、人に、家系に憑く妖怪。忠実に主の望みを叶え、命という対価をもらう。だから、それを祓うとなれば当然憑かれている人間にも危害が及ぶ。人を呪わば穴二つ、だよ」


勝手に憑りついておいてそれはあまりに理不尽ではなかろうか。


なぜかドヤ顔でこちらを見るポチに苛立ちを覚える。


「なるほど。だから式神にすると?」


道雪は歯痒そうに眉間で八の字をつくる。


「そういうこと。まあ物は試しさ。契約の工程はオレが代わりにやるから、君は彼女と取引するといい」


「取引……取引ねぇ」


何年後に食うだとか死んだら魂もらうみたいなのは勘弁してほしいところだ。


そもそもポチ自身僕と契約するのだろうか。


「契約すれば合法的に君を食べてもいいのかな」


「ダメです」


「やめろマジで」


道雪と僕が食い気味に答える。


そもそも合法とは。


お化けに法律は関係ないだろう。


某有名漫画の歌詞が脳裏をよぎる。


「えー。じゃあ衣食住の提供で」


「衣……? まあそれなら別に。僕を襲ったり食べようとしたりしないなら構わないけど……それだけでいいの?」


こいつ服とか着るのだろうか……。


「これまで憑く相手もいない野良犬神だったからねー。我としてはこき使われた方が存在意義あるし」


「先ほど燈裡も言いましたが犬神は願いを叶えてくれる代わりに呪い同様、代償があります。そちらは式神の契約とは別口なのでお気をつけて」


「年会費無料のカード会社みたいだ……」


「ばれてーら」


ポチがイタズラがバレた子供のように悪びれない様子で笑う。


兎にも角にも襲われないならそれでいいか。


どうせ願うような事もない。


一人になりたい時はそっと部屋から出てほしいくらいか。


「決まったようだね。じゃあ契約に移ろうか」


そういうと土御門は一枚の紙を取り出す。


手のひらほどの大きさで上が丸く、下が尖った十字の紙……人形(かたしろ)だ。


それを僕とポチの間に置く。


「蜒輔→螂醍エ?@縺ヲ髯ー髯ス蟆大・ウ縺ォ縺ェ縺」縺ヲ繧……」


聞き慣れない、といより言語化できない呪文のような言葉を唱え始めた。


「失礼」


道雪がおもむろに僕の頭に手を近付ける。


そして乱雑に髪の毛を一本引っこ抜いた。


「いった!?」


思わず素っ頓狂な声を出してしまう。


「契約にはそれぞれの一部が必要になります。ご了承ください」


「いてっ」


道雪は同様にポチの髪を抜いて人形の上に置く。


刹那、人形は淡く青白い光を放ち消滅してしまった。


「これで契約は完了したよ。おめでとう、今日から君も陰陽師だ」


土御門が冗談混じりに言う。


僕はいまいち自覚はなく、ただただ唖然とするばかりだ。


狐につままれた、とはこのことではなかろうか。


「あなたと犬神は存在、魂に根差す繋がりを持ちました。とはいってもあなたに害が及ぶことは早々ありません」


「え、そうなの? 契約っていうからてっきり片割れが消えたらもう片割れも……とか思ってたけど」


最悪の代償を思い浮かべて僕は聞く。


「そんな重い契約、陰陽師がするわけないだろう? これは従える妖怪のみ契約を反故にすると仕置きされる契約だ。人間側にのみ害を及ぼすことはないから不平等条約みたいなものだと思ってくれ」


「じゃあ僕の方が契約内容を守らなくても何も起きないってことですか?」


何ともまあ人間に都合の良い契約である。


「そうだね。代償を覚悟してでも式神が反抗してくるかもしれないけど」


「つまり襲われる時は襲われると……」


確かに襲われるリスクは下がったがゼロではないのが少し怖い。


「うん。だから陰陽師は反抗されても自分の実力で自衛、返り討ちにできる妖怪を式神にするんだ。現に手の目もオレに逆らうだけの力は持ってないよ」


「尻に敷かれてるってワケねぇ。実際大きいですし」


「はははご主人様へのセクハラは死罪だぞー?」


「きゃぁ。こわーい」


土御門が無数の人形を手の目に向けるが悉く回避されていた。


その言葉、本当だろうな……?


「マジかぁ……そういうの契約する前に教えて下さいよ……」


「聞かれなかったからね」


土御門は悪びれる様子もなく口角を上げる。


とはいえ契約してしまったものは仕方がない。


「改めてよろしくね、ご主人」


ポチが屈託のない笑みで言う。


賑やかになりそうだ……悪い意味で。


「というか今何時だ?」


ふと僕はスマートフォンを起動する。


液晶画面に表示された時間は講義の始まる時間を十分ほど超えていた。


「ヤバい遅刻するッ! 本当にありがとうございました! また来ます!」


僕は慌てて鞄を背負い、財布から千円を取り出すと三人へ向けて頭を下げてから店を出た。


気配でポチも僕の後ろをついていくのがわかる。


これが契約した効果なのだろうか。


「ここから電車乗って十分……ギリギリ間に合うか?」


三十分以上遅れると欠席扱いだ。


今から急げば大学の最寄り駅へ向かう列車に間に合う。


「頑張れ、ご主人ー。えいえいわーん」


ポチの応援。


その間延びした、棒読みの声援は煽り以外のなにものでもなかった。





「それで?」


燈裡が片須の置いていった紙幣を揺らしながら、扉から私へと視線を移す。


「……そうやって(さとり)のように他人の思考を読むのはオススメしませんよ」


私は彼女を睨む。


まるで全てお見通しと言わんばかりに細めた目が苦手だ。


「君が言葉足らずだから察してあげてるんじゃないか。どうせ用事は彼だけじゃないんだろう、立花ちゃん?」


「……そうですね」


「あらぁ? また異怪の情報かしら?」


手の目がきいてくる。


どちらも社交的故に根掘り葉掘り聞いてくるのが面倒だ。


「実はこの二週間にかけて奇妙な行方不明者が続出しています」


私は三つの新聞記事とスマートフォンの画面を見せる。


それぞれ神奈川、青森、福岡の地方新聞だ。


いずれも小さな記事だが行方不明事件について記されている。


そしてスマートフォンの画面にはSNSで行方不明者を探す投稿内容が映されていた。


「なるほどね……いずれも共通点があるわけだ」


土御門が気づいたのか、顎に手を置き微笑みを浮かべる。


「そうです。見ての通り、彼等は一様に……列車内或いは駅構内で忽然と姿を消しています」


駅、電車。


いずれの文章にもそこで行方不明になったことが書かれていた。


「さしずめ神隠し鉄道、か……これは面白そうだね。けれど日本の行方不明者なんて年間何万人と出ているだろう? 偶然じゃないのかな?」


記事の一文を見た燈裡は妖しく目を輝かせて言った。


「そうだったら良かったのですがね」


私はスマートフォンを操作し、画面を変える。


それは匿名掲示板のとあるスレッドであり、『助けて』というタイトルだった。


「君……こういうの見る子だったんだ」


「役に立つ時もあるんですよ」


私はスレッドをスクロールして下げていく。


その内容は見覚えのない無人駅に来た投稿者が助けを求めるものだった。


「ネット上の情報なので真偽は不明ですが、気になったものですから」


そう言って私は無数のリプライの一つ、投稿者による最後の発言と思われる投稿内容を見せた。


「なるほど……そういうことか」


彼女の見つめる先には暗い夜道の奥から追いかけてくる『何か』を撮った写真。


そして確かにこう書かれていた。


『鬼に追われている』と。





「朝からハード過ぎんだろマジで……」


結局遅刻はしたものの何とか講義に出席できた。


朝から異怪に付き纏われ、謎の少女と再会して陰陽師の末裔とその式神に出会って……名古屋のモーニングを思わせる山盛りの急展開は一日の講義を全て終えた夕方に疲労という反動で襲ってくる。


「人間は大変だねぇ。あんなよく分からない人のよく分からない話を延々と聞くとかさー。ドM?」


「言い返す気力もないんだわ……」


大きくため息をついた僕とは対照的に講義の間ずっと寝ていたポチを恨めしく睨む。


帰りの列車に乗り込んだ僕は空いた席へと腰掛けてイヤホンを着けた。


ポチの煽りに耳を傾けたくないからである。


好きな音楽を聴き、疲労を癒す。


やがて意識が薄らいでいくと共に瞼が下ろされ、泥のように深い眠りへと落ちてしまった。


「……きろー。おーい……おきてー」


目が覚めると目の前に生首がいた。


「うわぁ!? ……あ、ポチか」


「だからポチ言うのやめて」


未だ生首には慣れない。


思わず間抜けな悲鳴をあげてしまう。


恥ずかしい、これでは周囲の笑い者だ。


はたから見れば夢の中で驚いて目を覚ましたように映るだろう。


けれども車内を見ても乗客は一人もいない。


「あれ……もしかして乗り過ごした……?」


どうやら寝ている間に最寄り駅を過ぎてしまったらしい。


すっかり日は暮れて窓の外は真っ暗だ。


一体今はどの駅へ向かっている最中なのだろうか。


「乗り過ごしただけだったら良かったんだけどねー」


不穏なことを言うポチを置いて僕は先頭車両へ向かう。


運転手に聞いた方が手っ取り早いだろう。


先頭車両に続く扉を開けると数人の乗客と目が合った。


「またあなたですか」


「おや。朝ぶりだね。こんばんは」


「奇遇ねぇ」


道雪と土御門だ。


手の目もいる。


こちらに手を振り、ようやく手のひらにある『目』と視線が交わった。


なるほど、確かに妖怪だ。


「なんで三人ともいるんですかね……」


「それは私のセリフです」


道雪は呆れたように僕を見ていた。


「あら、皆さんおそろいでどうしたの?」


僕と契約したことで道雪に襲われる心配の無くなったポチはひょこっと僕の肩から無防備に顔を出して聞く。


「ふふっ。ちょっと鬼退治に、ね」


イタズラっぽく土御門が微笑んで答えた。


「鬼退治……?」


首を傾げる僕はいきなり止まった列車の反動で倒れそうになる。


壁にもたれかかり、何事かと外を見るといつのまにか駅に着いていたようだ。


「……行きましょう。あなたも降りてください。その方が安全です」


「あ、はい」


ドアが開き、土御門と手の目が降りていく。


僕とポチも道雪に促され共に列車を降りた。


駅の周りは暗闇に包まれ、ホームの蛍光灯が唯一の光源だ。


駅名を示す看板には『鬼駅』と書かれている。


「おにえき?」


「これは、恐らくですがきさらぎ駅と読むのでしょうね」


「きさらぎ駅って……」


まさか。


生暖かい風と共に僕の体を鳥肌が走る。


「ええ。あなたの想像している通りここはあのきさらぎ駅……いえ、俗に言う異界駅ですね」


きさらぎ駅といえば現代の都市伝説としてそれなりに有名な話だ。


存在しない駅に迷い込み、元の世界へ脱出しようとする話である。


「でもここは君の知るきさらぎ駅ではないよ。かつて存在したとされる鬼、そして鬼の巣窟である鬼ヶ島……それらと習合した異界駅ならぬ異怪駅さ」


土御門が得意げに言う。


「あくまで推測です。旧暦において如月は節分を行う時期であり、そのため鬼という漢字は時に『きさらぎ』と読む場合があります」


「なるほど……」


つまりこの駅は。


「鬼がたくさんいる駅ってこと?」


ポチが核心をついてしまう。


「その可能性は高いです」


「そんなのアリかよ習合って……」


ポチと道雪が会話する横で僕は頭を抱える。


幸か不幸か列車内で寝落ちしていたおかげで頭は冴えていた。


そして脳内では「逃げろ!」という警告が延々と響き渡っている。


生憎僕も逃げたい反面、三人……二人と一匹の話に耳を傾ける限り道雪達に着いて行った方が安全だと思う。


「まあそんなわけだからさっさと鬼退治でもして帰ろっか……お供もいるみたいだからね」


「お供。犬と猿は決まってるとして……雉?」


僕は犬神と自身を指さした。


一瞬で自身が猿認定と判断するくらいには自己肯定感は高くない。


「まだ根に持っているんですか。相変わらず妖怪のこととなるとあなたはしつこいですね」


道雪が煩わしそうに目を伏せ嘆息する。


「けんもほろろに殺す殺すと一つ覚えに(のたま)う君よりは平和的だと思うんだけどね?」


話が見えない。


何か対立していることは分かるのだが。


「アカリンとリカリカ、鬼への対処法でケンカしちゃってるのよねぇ」


先に行く二人を手の目が見つめる。


あ、いや。


手のひらは僕の方を向いているからこの場合僕の方を見ているのか。


「ケンカ?」


「珍しくないわよ。アカリンは式神にしたくてリカリカは仕置く……有り体に言えば殺しておきたいのよ」


意外だった。


てっきり三人とも仲良しだと思っていたがその実彼の言動から察するにこのような対立は一度や二度ではないらしい。


「鬼は病や災いの化身という側面を持ちます。そうでなくとも場所に由来する異怪……それも全国各地に出現するとなればその被害予測は未知数です。現に彼等と思しき行方不明事件が発生していますし、水面下ではより多くの被害者が出ているかもしれません……ならば誅するに越したことはないでしょう」


「本来鬼とは祖霊やまつろわぬ神といった意味を持つんだよ? 安易に善悪の二元論で語るのは神罰の象徴を賜った者として恥ずかしいとは思わないのかなぁ。それよりも式神として使役し、共存を図ったほうがいい。例えばもし人間に甚大な脅威をもたらす存在が現れたとして、鬼の力を持つ異怪がいれば対処しやすくなるとオレは思うワケ」


僕とポチ、手の目はすっかり蚊帳の外だ。


ホームから伸びる階段を登りながら、二人の口論を眺める。


「それで鬼の力を抑えきれなければどうするんですか? 式神は自身で返り討ちに出来る程度にするのが陰陽師なのでしょう? もし彼等があなたの命令を聞かなくなったらどうなりますか? 寝返るにしろ第三勢力になるにしろ私達では対処できない事態へ発展するんです。あなたはただ強力な式神を増やしたいだけでしょう? 今時天下統一など流行りませんよ」


「おお、戦国武将が言うと説得力が違うわ」


思わず茶々を入れてしまい、道雪に睨まれる。


「だから契約するんじゃないか。歯向かう気なら契約不履行で処分してしまえばいい。彼等だってそれを理解しているさ。君の尺度で語るなら忠誠心? 御恩と奉公? そんな関係性だよ」


階段を登り、さびれた改札を通る。


「そんな話が通じれば私は苦労していません。人が必ずしも理性で動くわけではないのなら、人が生んだ異怪達もまた合理に反した行いをします」


開けた山道と闇が占める駅の外。


二人はあたかも家路を辿るように迷いなく山道を進んでいた。


僕達も置いていかれないように着いていく。


「なら彼等が裏切る気も起きない対価を与えればいい。まあその為に人の社会で地位を得ることが求められるから確かに人手……ううん、妖手が欲しいのは認めるかな」


どこからともなく祭囃子を思わせる太鼓や笛の音が聞こえてくる。


「ではどうぞ交渉してみてください」


道雪の言葉を掻き消すように二体の鬼が土御門めがけて襲いかかった。


額から伸びる数十センチほどの黒い角、暗闇でも妖しく光る吊り上がった目、大きな口から覗く牙はまるで猪のようである。


数メートルの巨体はそれぞれ金棒と木槌を携え、血のように真っ赤な肌とボロボロの衣も相まって恐ろしく不気味だ。


「手の目ッ!」


「はぁい!」


手の目は間延びした返事と共に鬼へ向けて両手を突き出した。


各々の得物を振りかざした鬼達は突き出した両手に一瞬視線を奪われると、そのまま動きを止める。


まるで時間が止まったようにピクリとも動かなくなった。


「おお……手の目ってあんな念力も出せるんだ」


驚いて目を見張る僕にポチが首を傾げる。


「アレ、別に念力使ってるわけじゃないっぽいよ?」


「えっ。そうなの?」


「うん。何だろ、どうやってるんだろ?」


ポチもまるで手品を見たかのようにまじまじと手の目を見つめる。


「彼女の使役する手の目は犬神と同じ異怪です」


いつの間にか僕の隣に道雪が佇んでいた。


「異怪。マジですか」


「手の目は目に特徴を持つ妖怪。それは遠く希臘の怪物と通じ、習合しました」


「メドゥーサか……!」


やはりここまで来ると何でもアリだと思わざるを得ない。


「そうです。視線を交わした対象を石化させる怪物……とはいっても彼は動きを止めるのが精一杯のようですが」


改めて彼を見れば、その女性を思わせる顔立ちや髪型、服装はメドゥーサの影響というわけだ。


メドゥーサは本来、女の怪物なのだから。


「なるほど……」


「ちなみに彼の女装癖は元からだそうです」


「関係ないのかよ」


得心した自分が恥ずかしいじゃないか。


「いえ、その女装癖も習合するキッカケの一つではないのでしょうか。知りませんけど」


「それ九州の人も言うんだ……」


関西圏だけだと思ってた。


それとも最近だと全国各地で使われているのだろうか。


「さて、これで落ち着いて話が出来るようだ」


土御門は襲われたにも関わらず鬼の前に立ち、交渉しようとしている。


「懲りない人……まあ見届けましょう」


道雪はまるで結末が分かっているかのようにそう言って彼等を見据える。


「まず君達の望みや欲しいものを教えてくれないかな。可能な限り用意しよう」


『オマエ』


鬼が答える。


ひどくしゃがれていて言語としてギリギリ聞こえる程度には濁っていた。


「流石にそれは無理かな。いいかい、オレと君達は対等だ。だから互いにとっての益が釣り合う必要がある。オレは君達の力を借りたい、君たちはそれに見合う対価を得る。簡単な話だよ」


『オマエ』


「君達は何を望む? ああ、無論人間も構わないよ。どうせこの世には要らない人間が掃いて捨てるほどいるんだから」


『オマエ』


「チッ。よし分かった。話をする気がないなら実力行使だ。驕馴妛縺。繧?s縺ョ螢√?荳也阜荳?」


土御門は舌打ちすると素早く呪文を唱える。


陰陽術だろうか、彼女の体を青白い光が包む。


「燃えろ……一片の灰も残すことなくね」


土御門がそう言って指を鳴らす。


けれど。


「は……?」


青白い光は弾けて消えた。


何かが起こることは無かった。


土御門の疑問符と驚きが短く漏れる。


「嗚呼、やはり」


道雪はそう呟いて呆れたように目を伏せる。


「……ッ!」


土御門は叫んでいた。


「ごめんなさい、もう限界よぉ」


しかしその声は金棒と木槌が叩き付けられた衝撃によって掻き消される。


手の目の効果が切れて鬼達が土御門に襲いかかってきたのだ。


「土御門さん……ッ!」


「あははっ。ザッコ」


彼女の安否を心配する僕とは裏腹にポチはクスクスと笑っていた。


「陰陽術は土地や自然の力を利用する術式です。しかしそれは常世の理に当てはめて練られた技術。『異怪』であろうとここは『異界』……常世の法則が必ずしも機能するとは限らないんですよ」


「ああ、異世界人が地球で魔法使えないみたいな……」


と思わず冷静に例えを考えている場合ではない。


二つの得物が叩き落とされて生まれた土煙が晴れた頃、そこには二体の鬼に囲まれうずくまる土御門の姿があった。


「どうやらまだ息はあるようですね」


確かに土埃に塗れてボロ雑巾のようになっているが僅かに肩が動いている。


『チソウ』


『オヤカタサマニ』


『チソウ、オヤカタサマニ』


木槌を持った鬼がもう片方の手で乱雑に土御門の両足を握り、潰す。


「ぁぁぁぁぁ……ッ!」


顔を歪め、苦悶の表情を浮かべる土御門。


助けなければ、そう思ってはいるが足が動かない。


あれが鬼。


人を人とも思わない。


それは、本能を醜悪で塗り固めたようである。


「許さ……に逆らっ……ぼえ……ッ!」


「助けを乞うことなく未だ自分の方が上だと思っているようですね。見上げた根性ですよ」


他人事のように道雪は静観していた。


「助けないと……あのままじゃ……!」


最悪の想像をしてしまった。


具体的には言わないが二つの意味で食い物にされる土御門の姿が脳裏をよぎる。


しかし、僕を制するように道雪が僕の方へ腕を突き出した。


「あなたが、そこの犬神が出ても勝てる相手ではありませんよ」


「だったら道雪さんが止めてくださいよ! 仲間なんでしょう!?」


そう言った僕の胸ぐらを道雪は伸ばした腕でそのまま掴み、無理やり視線を合わせられる。


「私は妖の裁定者であって便利な用心棒ではありません。あなたは勘違いしているようですが彼女と私は利害が一致しているだけで仲間ではないんですよ」


普段の少女らしい高く可憐な声とは打って変わってドスの効いた低い声だ。


至近距離で睨み付け、怒気の籠もったその顔は手の目でなくとも動けなくなりそうなほどに恐ろしい。


「見なさい。アレが私達を襲わないのは彼女の方が価値のある贄だと認識しているからです。おめおめと向かえば腹の中……一寸法師にでもなりますか?」


鬼達は一度だけこちらへ目線を向ける。


目は口ほどに物を言うという諺があるが鬼の目からは何も感じなかった。


泥のように濁った瞳はそれだけで言い知れぬ恐怖を植え付けてくる。


彼等は土御門をひきずりながら山道を登っていった。


「いっちゃったねぇ……」


やがて大きな鬼の背中が小さくなってきた頃、ポチが小さく呟いた。


何も、何もできなかった。


道雪に制止されたのもあるが僕自身一歩も動けなかったのだ。


助けたい気持ちとは裏腹に僕は情けないくらい自分が可愛いらしい。


道雪さんは何故助けようとしなかったのだろうか。


あの時、喫茶店で話す二人は本当に友だちのようだったのに。


僕が道雪を見上げる。


彼女と視線が交差すると僕は咄嗟にバツが悪そうに目を逸らしてしまった。


「……では追いかけますよ」


道雪は鬼達へついていくように山道を登っていこうとした。


「えっ。助けてあげるんですか?」


驚いた。


先程と矛盾した彼女の行動に思わず聞いてしまう。


「いつ私が助けると言いましたか? 私の目的はあくまでこの異怪を打ち倒すことです。ならば彼等に案内してもらうのが手っ取り早い」


「その(こころ)は?」


ポチが聞く。


「本来場所に由来する伝説、伝承は脱出することは出来ても消し去ることは困難です。場所そのものを破壊しないといけませんからね」


「確かに場所系の都市伝説って災害とか工事で無くなった、みたいな後日談多いけど……」


だとしたらかなり厄介ではなかろうか。


この異界がどこまで続いているかもわからないのに。


そもそもどうやって破壊するのか。


ダイナマイト? それとも彼女の雷なら或いは?


「ですが異怪ともなれば話は別です。ここが鬼ヶ島というのなら、鬼を倒してしまえばいい。つまるところ、異界駅と核を共有する鬼が存在するはずなので、それが消えればこの異怪駅も消滅するでしょう」


祭囃子は無くなり、土を踏みしめる音と道雪さんの声のみが暗闇に響く。


皮肉にも異界は強くなる代わりに大きな弱点を得たわけだ。


「その鬼を区別する方法は分かるんですか?」


「そうですね……この異界に存在する鬼全てを倒すという手もありますが効率に欠けます。ならば目星を付けるまで。先程あの鬼達は『オヤカタサマ』と口にしていました。鬼ヶ島……桃太郎の鬼退治が吉備真備の温羅討伐をモデルに発生した御伽話ならそのオヤカタサマとやらを倒せばどうにかなるかもしれません」


暗闇の中であるにも関わらず鬼の姿は遠くからでもぼんやりと見える。


闇に目が慣れたというわけではない。


まるで引き込まれるように鬼が視界から消えないのだ。


「あ! 何かいい匂い」


しばらく歩いてポチが鼻をピクピクと鳴らす。


確かに上品な酒の香りが漂ってきた。


焚き火だろうか、仄かに明るい。


「どうやら着いたようですね」


道雪は木陰に身を寄せて様子を伺う。


僕達もそれに倣って茂みからそっと明かりの灯る場所を見た。


「……ぁ」


僕は小さく吐息を漏らす。


確かに光源は焚き火だった。


その上に大釜が据えられている。


煮えたぎる熱湯は薄く白い湯気を立たせ、大釜の周囲は陽炎で歪んでいるように見えた。


そして大釜の上に吊り下げられていたのは、絶望に顔を歪ませる土御門の姿。


「……ッ!!」


付近の大木から伸びる枝、そこから伸びる縄を足首に巻かれた、宙吊りの土御門は今にも大釜へ落ちてしまいそうだ。


周囲の鬼達は燃える炎を瞳に反射させ、酒盛りに興じている。


「あらぁ……これは」


手の目も言葉が出ない様子である。


「道雪さん、早く助けないと……」


小声で途中まで喋った僕は口を噤む。


そうだ、彼女は助けない。


彼女の目的は鬼達を片付けることであって人助けではないのだから。


どうすれば彼女を動かすことができるのか、緊迫した状況とちょっとした登山で疲弊した僕には思い浮かばない。


「あ……」


そして、土御門と目が合った。


合ってしまった。


目を見張り、涙と汗でグチャグチャの顔はとてもじゃないがあの麗人とは思えない。


「……けて」


彼女のか細い声が聞こえる。


「助けて!! お願い! 早く助けて! いやだ! 死にたくない! こんな奴らに食われたくないの! お願い! 助けて! 助けて! 助けて! 助けて! 助けて! 助けて! 助けて! 助けて! 助けて! 助けて! 助けて! 助けて! 助けて! 助けて!助けてぇ!!! ……おねがい」


悲痛な絶叫と命乞い。


身を捩り、逃げようともがく彼女を前に何もできない無力感だけが募る。


「僕は……僕は……」


助けなきゃ。


怖い。


でもこのままじゃ彼女が。


何の思い入れがあるという。


借りはある。


でも命をかけるほどなのか。


こんな時、理屈っぽい臆病な自分が嫌になる。


「ご主人……」


ポチは同情とも呆れとも取れる力のない呟きを漏らす。


依然として土御門は助けを乞う。


しかし、彼女を取り囲んでいた鬼の一体がおもむろに立ち上がると丸太のような太い手で彼女を引っぱたいた。


「あがッ!? ぎゃッ!? ヤメッ! ごめんなさいッ! ごめんばざいッ!」


鈍い音と悲痛な叫びが森に響く。


このままでは、彼女が死んでしまう。


「ッ! 今助けに」


放っておけないッ!


覚悟を決めて茂みから飛び出そうとした僕の頭を強い衝撃が襲う。


硬く重い一撃にうずくまる僕はすぐに顔を上げて叩いた張本人、道雪を見た。


「……痛いんだけど」


「おや、これで昏倒しないとはしぶといですね」


けれども彼女は悪びれる様子もなく僕を見下ろしていた。


「道雪さん、いくらあの人が嫌いでもここで助けなきゃ人でなしですよ……」


「えぇ。そうです。私は人でなし……とうに人の心など捨てた御使いに過ぎません」


道雪は表情を変えることもなく、そう言って大釜の方へ視線を戻した。


「そんな……」


「そもそも……何故彼女を助ける必要があるのですか? あれは()()()()()()()()()()()()()()


「……は?」


彼女の言葉に呼応したのか、鬼達が僕達の方を向く。


「……クフッ。何故わかった、小娘?」


そして大釜の上に吊るされていたはずの土御門が大釜の前に立ち、僕達へ向けて言葉をかけていた。


「下手な芝居なんですよ。彼女を連れ去った鬼達と尾行していた私達がこの場所に着くまでの時間差はそう長くありません。にも関わらずもう彼女が吊るされていた……異怪に不可解も常識も通じませんがさすがに手際が良すぎるんですよ」


確かにそうだ。


あの鬼達が焚き火について一分もかからないうちに僕達も焚き火の見える位置まで移動した。


その間に枝から縄を垂らし、固定し、土御門を吊り上げるなんて鬼であろうと可能とは思えない。


「それに何より彼女は死んでも助けを呼んだり、ましてや命乞いなどしません。何でも一人でやろうとして、一人で何でも出来ると疑うこともありません」


「でも手の目に頼りきりじゃない?」


ポチが首を傾げて聞く。


「彼女にとって式神は所有物であり、自分の一部なんですよ」


「なんか言い訳っぽいー」


道雪はポチの言葉を無視すると腰に提げた鞘からその背丈の半分ほどもある太刀を出し、構える。


「それだけで俺の変化を見破るとは、神罰少女とは伊達ではないらしいな」


「いや、我も分かるくらいには杜撰だったよ」


茶々を入れるポチをよそに、土御門の姿が陽炎のように歪む。


身の丈は周りの鬼達よりも幾らか小柄だがそれでも百八十センチを優に越していた。


細い身体ながらその腕には身の丈ほどの酒樽を抱え、漆のように黒い髪は女性のように長い。


額には黒光りする角を生やし、美女と見紛う整った顔立ちだが口角を歪ませ笑うその口内には鋭く尖った牙が生えていた。


「酒を待った鬼の頭領って……まさか酒呑童子!?」


それは僕でも知っている鬼。


かつて数多の鬼を従え京を荒らした鬼の頭領だ。


「いいえ。彼は遥か昔に討伐されています。変化に長け、今尚生き延びた可能性を持つ鬼……あなたは茨木童子ですね」


道雪は彼を睨み、言った。


「クフフ。半分正解、だ」


茨木の姿が消えた。


刹那、道雪が中空へ切り掛かる。


風切り音と金属同士が擦れ合うような歪な音が響き渡り、次いで落雷を思わせる轟音と共に焼け焦げ、右腕を失った茨木が道雪の前に現れた。


「おお……!」


一瞬のうちに何があったのか定かではないがどうやら道雪が返り討ちにしたことは分かる。


その攻防に流石の僕も感嘆の声が漏れた。


「たとえ千年を生きた鬼であろうとも神の雷霆に敵うわけがないでしょうに」


道雪の太刀が茨木へ向けられる。


けれども彼はまるで転んだ傷を見るように落ち着きを払った様子で左腕に持つ酒樽へ口を付けた。


「半分正解、と言ったろう? 俺の半身は既に鬼に非ず」


茨木童子の身体が再生していた。


まるで時を戻すかのように切り落とされた腕は再生し、全身の火傷も消え失せる。


「その酒樽……猿酒ですか」


猿酒。


聞いたことがある。


本来は猿が木の穴などに保存していた果実が発酵して出来る天然のお酒を指すが、都市伝説上の猿酒は少々異なるのだ。


地方によって様々な伝承はあるが総じて猿を漬けた酒を差す。


それはあらゆる病を治す霊薬とされる反面、下手な者の手に渡ると呪われるのだ。


「二つの都市伝説と習合した異怪……厄介ですね」


道雪は苦虫を噛み潰したように眉を顰めた。


「それもただの猿ではないぞ? 衣を纏う賢い猿だ」


茨木童子は愉快そうに笑う。


悲しいかな、起きたてで冴えた頭はその意味を察してしまう。


「なるほど……ただ喰らっただけではないようですね」


道雪も悟ったようで侮蔑の籠った目で茨木を見る。


あの酒樽には人間……この異界に関連した行方不明事件が続出しているというのなら一人ではない、数多くの人々を酒樽に漬けたのだろう。


猿で病が治るなら、人間ならもっと効果が高まると言うのか。


「あのー……それはそうとアタシのご主人様どこにいるのかしらぁ?」


手の目が空気を読むことなく聞いてくる。


「死んだ」


茨木は挑発しているように口を開け、舌を見せる。


「嘘ですね。ならば手の目は消滅しているはずです」


どうやら式神の主が死ぬと式神も消滅するらしい。


本当に契約とは妖怪、怪異の側からすると不平等である。


「クフッ。そういうことだ。理解できたなら話は早い。その力、俺に使わせろ」


どうやら茨木童子は土御門を人質に彼女の力を欲しがっているらしい。


「お断りします。煮るなり焼くなり好きにすればいいでしょう」


「道雪さん……ッ!」


けれども道雪は変わらず彼女の生死に無関心である。


「お前には言ってないんだよ。()()


茨木童子の言葉に道雪の眉がピクリと上がる。


咄嗟に体を捻った彼女だが。


「というわけでごめんなさいねぇ」


突如視界が真っ暗になる。


いや、これは手だ。


手の目が後ろから目隠しをしたのだ。


妖しく光る目と視線が至近距離で交わされる。


再び視界が明るくなった時には、僕も道雪も全く体を動かせなくなっていた。


「不覚……鬼のくせに利口なマネをッ!」


道雪が歯噛みして茨木童子を睨む。


なるほど、土御門を人質に取って式神である手の目を利用したようだ。


主が死ねば式神も死ぬ。


式神に直接命令できるのはその主だけのようだが、主の生命を引き合いに出せば言うことを聞かせることができるわけだ。


陰陽師だけに、生命。


一本取られたな……。


「変なこと考えてる気ィがするがまあいい。手の目よ、その娘から刀を取り上げろ」


「はぁい。本当にごめんねぇ、道雪ちゃん」


手の目は動けない道雪から太刀を取ると茨木童子に渡してしまった。


「だから……強力な式神など持つべきではないんですよ……ッ!」


先程彼女の言っていた通りだ。


利用していた式神が寝返り、すっかり手に負えなくなっている。


茨木童子は刀を構え、試し斬りでもするかのように付近の鬼に向けた。


すると刀から迸る紫電はその鬼へ向かい、鬼を焼き切る。


あの鬼は先程土御門に化けていた彼を嬲っていた個体だ。


加えてどうやら雷の力は道雪ではなく、刀の方に宿っているらしい。


「クフフ……フハハハハ! これはいいッ! どんな傷をも癒す猿……否! 是なるは人酒とッ! 神々の恩恵賜りし神器……これだけあれば申し分ないッ! 我らの時代の到来だッ!」


茨木童子は酒樽を地面に向ける。


人の血肉の浸かった酒にも関わらず、透き通るように無色の液体が地面を濡らした。


続いて太刀から放たれる雷光が濡れた大地へと伝わり、青白い閃光を放つ。


「まさかここは……きさらぎ駅でも、鬼ヶ島でもない……()()()だというんですかッ!」


道雪が目を見開いて叫ぶ。


確かに違和感はあった。


鬼ヶ島なのに山道を登っていたのだから。


僕の知識は御伽話のものだが鬼ヶ島といえば岩石ばかりの殺風景な島というイメージが強い。


とてもじゃないが鬱蒼とした山林に覆われた場所ではないだろう。


茨木童子がいる山、なるほど確かにそれは大江山に違いない。


「その通り。だが気付くのが遅かったなぁ!!」


茨木童子は嗤う。


周囲の鬼達は地面を伝う雷光に身を焼かれ倒れ伏すが彼だけはどんなにその身を焦がそうとも再生していた。


「なるほど……あなたの狙いは仲間の復活……古の悪鬼羅刹を蘇らせるわけですか」


道雪はどうにか拘束を解こうとしているが石のように動かない体はいくら抗おうとも梨の礫。


「どういう……ことですか?」


僕は何とか横目を彼女に向ける。


「あの酒……そして神威を纏う雷撃が組み合わされば大江山に眠る古来の鬼達に再び魂を、肉体を与えることくらいは可能でしょう……想定し得る限り最悪の状況です」


道雪は呼吸を荒くし、額からはとめどなく汗が流れていた。


「それで蘇ったらどうなるの?」


ポチが聞く。


彼女だけは動けるようだが目の前の鬼に手のうちようがないのか僕達の間を浮遊していた。


「恐らく私の役目を引き継いだ者により征伐されます。ですがそれまでこの国が未曾有の混乱に陥ることは変わりありません。最悪神々はこの列島ごと彼等を消し去るでしょう……。私はまた、何も守れないのか……ッ!」


道雪は歯痒さにただただ茨木童子を睨むしかなかった。


「甦れ同胞達よ……さぁ……さぁ!!!」


閃光の中、地面から腕が飛び出した。


一つ、二つ、三つ……それらはやがて人の、鬼の形を成していく。


「ぁぁぁぁぁぁあっ!!」


「あっは! あははははは!」


「茨木殿ォォォォオ!!」


「生きてる……儂ァ生きてるんだなァ!?」


まず現れたのは白髪の鬼だ。


ざんぎり頭の勇ましい大男である。


逆に次に現れた青い髪の鬼は少年のような風貌だった。


一番小柄だが、高笑いしながら現れたその手には巨大な鉞が握られている。


血に濡れたような赤い髪をした男は鎧を纏い、武者のような出立ちをしていた。


今度はスキンヘッドの鬼だ。


嗄れた声で見た目も壮年だが四人の中では一番巨大な体躯をしていた。


いずれも等しく黒い角を生やしている。


そして。


「ご苦労だったなァ……茨木ィ?」


最後に現れたのは茨木と同じくらいの体格をした男。


精悍な顔付き、掘りの深いその顔は恐ろしく、不気味なほどに美しい。


鬼の頭領、酒呑童子だと一瞬で理解できる。


「金、虎、熊、星……そして()()()。千年振りだな。どうする? 宴でも開くか? 馳走なら用意しているぞ。喜べ上質な生娘が二人だ」


茨木は声を弾ませて彼等を歓迎した。


二人の生娘とは道雪と土御門のことなのだろう


恥ずかしい話だが女の子二人を犠牲に見逃してはもらえないだろうかと一抹の希望が脳裏を過る。


「ちょうどいい! 儂ァもう腹が空いてたまらんからなァ!」


「ははっ! 星熊まるで餓鬼みたーい!」


「鬼だけになァ……虎熊、誰がうまいこと言えと」


スキンヘッドと少年、二人の鬼のやり取りに赤い髪の鬼がツッコミを入れる。


「金坊、そこの木の虚に一匹いるから持ってこい。そいつは陰陽師だ」


「かしこまりました、茨木様! 千年かァ……陰陽師の味も落ちてるでしょうねェ」


「バカ言え金坊。そいつァ酒呑様への馳走だ。お前らは男の肉で我慢しろ」


すっかり宴会ムードの鬼達はまるで僕等を恐れない。


そして僕の希望は霧散し、末路だけが用意されてしまった。


まあ文字通り手も足も出ないのだから仕方ないね!


「しかし首は突っ込めるのだよ、ご主人」


いつしかポチが僕の近くに来る。


人の考えることを読むなと言いたいところだがこの状況では文句を言う事もできない。


「ポチ……何か秘策でもあるのか?」


ポチは得意げに笑い、犬歯を覗かせる。


「まあねぇ。ご主人が体貸してくれるなら頑張っちゃうよ」


「犬神風情が……。そのような戯言に耳を貸す必要はありません……この拘束さえとけばッ!」


「君も強情だねぇ……」


力無く睨む道雪をポチは呆れた様子で見る。


僕は見た。


気を失った土御門が鬼に引きずられているのを。


「千年物の陰陽師よりかァ……こっちの神気臭い娘の方がええなァ?」


おもむろに外道丸と呼ばれた鬼が道雪に近づき、品定めするように目をギラギラと光らせるのを。


「戯言を……」


忌まわしく彼を睨む道雪の瞳に映る、かすかな諦めの色を。


無力な自分はもう嫌だ。


助けたい。


守りたい。


それが叶わなくとも、せめて最後まで足掻きたい。


何もできずに終わるのなんて、まっぴらごめんだ。


「犬神……僕はどうなってもいい……だから」


「うん」


「あの刀を奪って……鬼を、殺してくれ……」


瞬間、ポチの目に妖しい光が宿る。


赤黒く揺らめく瞳はまるで鬼火だ。


「その願い、承ったよ」


ポチが……否、犬神が大きく口を開けた。


有り得ない程に裂けた口内は闇。


そしてその口は僕の顔を丸呑みして、僕の意識は視界一面の闇に消える。


「へェ? そうだねェ……宴の前には余興がつきものだもんねェ?」


酒呑童子が楽しげに嗤う。





「バカな……怪異に体を差し出せばその末路はッ!」


私は犬神に喰われた彼を見た。


通常、怪異に食われたり魅入られた人間は死ぬより酷い目に合う。


確かに犬神は式神だがそれでもどうなるか分かったものではない。


犬神は咀嚼するように口を動かしているが、やがてその動きを止めると共に彼の周囲を白い霧が覆った。


「あれあれー? 無様に足掻くなんて人間って本当に面倒だなぁ」


「食前の運動ってやつだ。虎熊、好きに壊せ」


茨木童子はさして興味もなさそうに言う。


「はーい!」


虎熊と呼ばれていた鬼が霧に近付いた。


手にした巨大な鉞を片手で易々と使いこなす。


虎熊は彼のいるであろう霧に向けて振り下ろした。


私はつい目を瞑ってしまう。


けれども肉が潰れる不快な音も、鉞が地に落とされる轟音も聞こえない。


静寂だ。


「あれ?」


霧が晴れると、鉞を受け止める手が一つ。


白い毛並みが腕を、手を覆い、ボロボロに破れた服からもその毛並みが覗く。


先程まで彼だったソレは今では二足歩行のオオカミであった。


全身を白い毛並みが覆い、長い鼻と獰猛な牙が上げられ、笑っているように見える。


『やはり人間一人ではこれが限界か……まあ良い。事足りる』


人狼。


彼の姿はそう形容する他なかった。


その声色は犬神と似たものとなっている。


「やるねぇ、ワンちゃん。遊んであげるよッ!」


「よせ、虎熊ッ!」


茨木童子の制止を聞くことなく、虎熊が鉞を振り回そうとする。


しかし人狼は手を離さない。


鉞を持ったまま、余裕のある表情で掴み続ける。


鉞は全く動かない。


「は……?」


虎熊は理解できなかった。


鬼の自分が力負けしていることに驚きを隠せない様子だ。


『いただきまーふ』


人狼がそう言って口を大きく開ける。


虎は鉞を手放し、逃げようとするがもう遅い。


「あ……? え……?」


彼の首が転がり落ちる。


胴体は閉じた人狼の口へ収まり、歪な咀嚼音が響く。


『酒と土の味だぁ……まずい』


人狼は苦い顔でそういうとごくりと喉を鳴らして呑み込んだ。


「ボクのッ……ボクの体……返して……返してよォォォォオッ!!!」


虎は両目から赤い涙を流し、人狼を睨む。


しかし人狼は興味無さげに虎熊の生首を踏み潰した。


まるで視界の端を飛び回る蚊でも潰すかのように。


金切り声のような断末魔をあげた虎熊をよそ目に、その目線は近くにいた赤い髪の鬼へ向けられた。


「奴を止めろッ!」


茨木に指図された三体が人狼へ向かう。


向かってくる彼等を見た人狼は、刹那身体を仰反ると振り子のように身体を起こして口から何かを吐き出した。


「ギャッ」


呆気ない断末魔と共に一番近くにいた鬼が倒れる。


真っ赤な髪を持つその鬼は熊と呼ばれていたはずだ。


胴体が穴だらけになっている。


まるで散弾銃にでも撃たれたかのように、甲冑を貫くほどの強烈な弾幕が彼を襲ったのだ。


よく見ると地面に幾つもの白い刃が刺さっている。


どうやら先ほど食べた虎熊という鬼の骨を吐き出したらしい。


「よくも二人をッ!!」


向かってくる星熊の手には金棒と、虎熊の持っていた鉞が握られていた。


両手に巨大な得物を持ち、在らん限りの力で振り下ろされたであろう乾坤一擲の攻撃を、人狼は敢えて彼に肉薄することで回避した。


『デカい武器ってのも使いようだよねー』


間合いの内側へ入った人狼は両手の爪で星熊の両腕を切り落とすとそのまま彼の首を切断する。


「しゅて……いばらきさま……逃」


星熊が言い終わらぬ間に人狼は彼の首を蹴り飛ばし、近くの木にぶつけて四散させる。


「何だ……何なんだよテメェはァ!!」


『神だよ』


金と呼ばれていた白髪の鬼は咄嗟に手に持っていた燈裡を人狼の前に出す。


恐らく彼の油断を狙ったのだろう。


しかし背後に回った人狼に四肢をもがれた。


私でさえ反射できないであろう。


その動きはまさに神速。


「この速さ……人面犬の力?」


人面犬には高速道路で出没した話が幾つか存在する。


その内容に多少の差異はあれど、いずれも等しく人面犬が高速道路上を走る車と同じかそれ以上の速度で移動しているのだ。


しかし、それだけでは説明できない機動力である。


神だよ、というその言葉。


それが関係しているのだろうか。


ダルマのようになった鬼はそのまま煮えたぎる大釜へと投げ入れられた。


「随分やんちゃな犬っころだねェ?」


酒呑童子が前に出る。


「外道丸、これを使え。貴様の方が使いこなすだろ」


茨木童子が酒樽を渡した。


「いいね、これ」


短く言って酒呑童子は人狼へ向かう。


『犬っころだぁ? 我こそは犬神に非ず! 人面犬に非ず! これなるは悪喰なる人の守護しゃぎぁふん!?』


話し途中だった人狼へ酒呑童子が蹴りを入れた。


「面白いねェ、君」


『ちょっと! 人がカッコよく口上言ってる時に蹴るとか反則だよ! 変身シーン中に攻撃するようなもんだからね!』


何をやっているのやら。


呆れて嘆息する私は、そこでようやく拘束の解かれたことに気づく。


見るといつしか手の目がこちらへと戻っていた。


「ヤッホー。無事で良かったわぁ」


「いけしゃあしゃあと……もうあなたを殺しておいた方がいいかもしれませんね」


手の目は気を失った燈裡を連れている。


私が油断していたことは否定できないが、元はと言えば彼女の式神である手の目が発端だ。


処分したほうがいいかもしれないと考えてもおかしくはあるまい。


「今のリカリカにそれができるのかしら?」


「あなたを縊り殺すくらいはわけないですよ」


例え愛刀が無くとも私とて武士の端くれ。


手の目など目隠しでも殺せるだろう。


拳を構え、彼を見る。


「別に私は構わないけどぉ……間違ってアカリンに当たらないといいわねぇ?」


手の目の発言に私は言葉を詰まらせた。


少し考えた私は嘆息と共に拳を下ろす。


今こんな事をしていても無駄だろう。


「それにしてもあの子すごいわねぇ。あんなに強かっただなんてぇ」


確かに彼女……彼? 彼等? の力は異常だ。


犬神は人に憑き、さまざまな願いを叶えるとは言うがここまで強力な怪異ではないはずである。


「あれは……犬神なんかじゃあないよ」


疑問符を浮かべる私に掠れ声の燈裡が話しかけてきた。


「……どういうことですか?」


「言ってただろう……? 彼女は、神だ。犬神じゃない……犬のような神なのさ」


「まさかッ!?」


私は人狼の方を見る。


木々を薙ぎ倒し、風切り音を立て地を抉りながら酒呑童子と正面から互角に渡り合うあの能力。


確かに犬神では有り得ない。


であるならばアレは……。


『ご名答。我は神。厄を払い、悪を喰らう……神狼、大口真神改め悪喰大神(あくじきのおおみかみ)なのだっきゅんぼん!?』


「君話が長いんよォ?」


またしても酒呑童子が人狼、否、神狼の話を遮るように蹴りを入れる。


『何度も同じ手は喰らうか!!』


しかし、蹴られた神狼はその足を掴むと体を大きくひねり、酒呑童子を地面へと叩き落とした。


「ガッ!」


酒呑童子は息を漏らし、僅かに呻くもすぐさま起き上がる。


その瞳は妖しく紅い光を帯びていた。


「滾るなァ……えぇ? 犬っころと甘く見えていたがこれはとんだ役不足みたいだねェ。楽しいなぁ……愉快だなぁ! その顔その胸その身体……全部食わせろ(ちょうだい)


酒呑童子は嗤う。


美しい顔は傷に塗れ、口角を吊り上げ充血した目で笑うその姿は鬼以外の何者でもない。


『ノーッ! サンッ! キュッ!!』


神狼が再び骨を吐く。


酒呑童子は想定していたと言わんばかりに身を捩り回避した。


「ガッ!?」


しかし、骨はその軌道を変えて茨木童子へ向かっていた。


犬神の時にも使用していた念力だ。


まるで酒呑童子が避けることが狙いだったというかのように茨木童子の身体に刺さり、貫通し、蜂の巣のように穴を開けていく。


神狼は酒呑童子の前から消えるとたじろぐ茨木童子の、刀を持つ左腕へと噛みついた。


「不覚ッ!」


茨木童子は腕を引きちぎられながらも呻くこともせず後退した。


『神罰さーん! お届け物でーす!』


神狼はこちらに向かってくると口から太刀を吐き出した。


私の方へ。


「然と……受け取りましたよ」


私は太刀の柄を握り、神狼の背後に迫る酒呑童子へと雷撃を向けた。


「ははっ……痺れるねェ」


雷は直撃したようだが酒呑童子は依然も余裕を見せるように微笑む。


「終わりです。いくら古の悪鬼羅刹といえど甦ったばかりではその力も十全に発揮できないようですね」


現にたとえ彼女が神であろうと本来なら一体の異怪が大江山の四天王とも呼ばれる鬼全員を呆気なく倒すなどあり得ないはずだ。


茨木童子も片腕を失い、酒呑童子も実力を出し切れてはいないようである。


「せーかい。はあ、いかんなァ。千年も寝てたもんだからすっかり鈍ってる」


酒呑童子は酒樽を煽り、喉に流していく。


「すまん、外道丸……俺にもくれ」


腕を抑えた茨木童子が酒呑童子に近付いた。


「なんで?」


酒呑童子は首を傾げて聞く。


「何故って……ああ、そうか。そうだな。外道丸、君はそういう鬼だったな……」


すげなくあしらわれた茨木童子は、けれどもどこか懐かしそうに微笑む。


「なぁ、茨木。どうにも腹が減って仕方ないんだ……腹が減ったら戦は出来んのよ。後は分かるやろ?」


「無論だ。どれだけお前と共にいたと思っている? ここは任せてそこの陰陽師でも食らうといい……。もう逃げはしない。俺とお前、二人そろえば何だってで……ェ……ア?」


酒呑童子の手が茨木童子の首をもぎ取った。


まるで葡萄の房から実を取るように。


「話が長いんよ」


捻られあっけなく血飛沫を迸らせた茨木は何が起きたか理解できない様子で瞳孔が開いていた。


体は何度か踊るようにフラフラと舞えば酒樽の中へと消えていく。


「見ましたか、燈裡。あれが鬼なんですよ。道理も人情もない……利己的で打算もない、快楽と本能に突き動かされるだけの悪逆非道。それが鬼です」


「獣としての合理性も持ち合わせない……なるほど、あれと交渉だなんて犬と会話するより難しそうだ」


『ハァン? あんなのと比べないでほしいのだが』


手の目に肩を貸してもらいながら、燈裡は茨木童子だった頭蓋骨にむしゃぶりつき、噛み砕く酒呑童子を見る。


「今夜は宴、たっぷり愉しませてもらうからねェ?」


酒呑童子が酒樽を持つ。


彼は酒樽を逆さまにして盛大に飲み始めた。


「鬼の漬かった酒ですか……全く、手がかかりますね。燈裡、まだ力は残ってますか?」


「多少は……ね。少なくとも君のやりそうなことに対処するくらいわけない、よ……」


『え、なになに。怖いんだけど? ねぇ?』


燈裡は何かを察してか薄く微笑むと人形を取り出した。


「嗚呼……みナギル……力……タくサン……はハ、ハハはハはハハハ!!!」


酒呑童子の姿は変容していた。


美青年のかけらもない醜悪な、骨と皮だけとなった顔、窪んだ目は黒く染まり、真っ赤な瞳がこちらを見つめて離さない。


歪に隆起した肉と骨は無秩序に手や足を生やしていく。


『キモい! SAN値ヤバいって!』


「ヘカトンケイルみたいですね。いえ、アレと同列に語るのは母たるガイア様に不敬でしょうか」


道雪は太刀を構え、酒呑童子を見据える。


「殺ス殺ス食ベルベルべコロスコロスコスコスロヒャハヒアハッ」


もはや言葉も思考も崩壊する鬼。


甦ったばかりの酒呑童子ではあの酒も茨木童子も飲み干すことは敵わなかったのだろう。


鬼の漬かった酒は不死身に近い生命力と身体能力を与えたようだが鬼としての誇りも形も奪ってしまったらしい。


「神罰執行……」


私の言葉と共に燈裡が何かを唱えるのが聞こえる。


「髢九¢繧エ繝……頼むよ、インフェルノちゃん!」


人形から現れたのは奇妙な木組みの玩具を持つ和服姿の少女だ。


『ここに来て新キャラ……って吸い込まれるぅ!?』


立体パズルのような形をした玩具が開くと燈裡、手の目、神狼はまるで吸い込まれるように消えた。


最後には少女も玩具も消え、それを確認した私は眩いばかりの雷光を刃に纏わせる。


「ッッッッッッ!!!!!!!」


奇声、あるいは絶叫。


言語化できない言葉をあげて酒呑童子が向かってくる。


「見せましょう……かつて天上天下を焼き払った神雷(ケラウノス)の一端を……異界を焼き、不死をも殺す一刃の光を……雷切(ティタノマキア)ッ!!!」


私は雷切丸を、否、もはや雷そのものと呼ぶべき光り輝く刃を振るう。


金色の雷霆を酒呑童子は両手で受け止めた。


しかしながら、肉は溶け落ち、不死の再生を凌駕する勢いで彼の体を焼き払っていった。


「アアアァァァァァアッ!!!!!」


咆哮、或いは断末魔。


溶けて灰となる肉体で、それでも尚牙を剥いて私を喰らおうとする。


理性も本能も失われ、喰らうことに囚われた、文字通りの餓鬼だ。


「成敗ッ!!」


遂に酒呑の体は二つに分たれる。


反動で彼の体は飛び散り、吹き飛ばされた。


刀身から迸る無数の雷霆が酒呑童子の肉片をひとつ残らず焼き切り、周囲の木々を、異界を焼き尽くす。


私は振り抜いた雷切を鞘に収めた。


異界の山林は蒸発し、焦土と化す。


鬼駅は雷撃の衝撃によって吹き上げられ、砕け、灰燼に帰す。


それだけの威力だ、こうなってはいくら不死の力を得た彼であろうと助かることはないだろう。


異怪は、異界は消えた。


闇が晴れ、周囲の風景が露わとなる。


木々の立ち並ぶ山の中、白み行く空。


常世は朝を迎えるようだ。


『アァ……』


塵すら残らなかった酒呑童子の体。


しかし、そこには一つの頭蓋骨が残された。


角の無い、ありふれた()()()髑髏である。


「茨木……やはりあなたは……」


彼は、人間だ。


鬼にもなれず、人にもなれなかったのだ。


変化の妖術のみを酒呑童子から学んだ人間。


鬼と偽り、鬼を騙り、それでも鬼には成れなかったのだろう。


一千年を生きたのはあの酒故か。


『俺ハ鬼ダ……皆ト同ジ……鬼ダッタンダ』


「……人が鬼になれるわけがありません。鬼とは定めであり、呪いです」


頭蓋骨はコトリと小さな音を立てて地に転がる。


やがては灰となり、消えてしまった。


陽光の微かに差す空を見上げ、誰にともなく歌を詠む。


「……大江山外れ道行き茨木のゆめふみも見ず天の橋立」


辞世の句以来だ、拙作で誰にも聞かせられない。


直後、背後に気配を感じた私が振り返ると先程の玩具から三人が現れた。


「終わりました。彼等もじきに消え……」


「ナイスだ、立花ちゃん! おお、まだ生きてるみたいだね! 鬼の生命力とはかくも強力なものなのかな!」


すっかり元気になった燈裡が私のもとへ向かってくる。


折れていた足は術か、はたまた式神で治癒したのだろう。


私の横を通り過ぎ、背後に転がる焦げた何かへ近づいた。


まさか。


私は振りかえる。


「ハ……はは……何もみえんなァ……」


それは黒こげになった酒呑童子の首だった。


神威の雷霆を直に喰らって尚生き延びたというのか。


燈裡は瀕死の酒呑童子に近づくと交渉を始める。


「は? あなた私の話聞いてました? 彼等に交渉は通じないと……」


しかし燈裡は目を輝かせてこちらを向く。


「いやいや! 立花ちゃんとそこのワンちゃんのおかげで死にかけの彼なら少しは利口になるだろう? 彼とて死にたくないだろうからね! 大丈夫さ、彼が自由に動けないよう普段は封じ込めておけばいいからね!」


本当に懲りない女だ。


私はため息をつき、神狼へと目線を向ける。


「斬られたくなければ彼女を止めなさい。私は疲れました」


『あ、はーい』


彼女が燈裡を引き摺って鬼から距離を取ろうとする。


「酒呑童子、契約完了っと。……あれ? 茨木童子は? まさか彼も屠ったの、立花ちゃん!?」


『ごめん、遅かったわ』


「この僅かな時間に契約を完了させたというのですか……!?」


そうだった。


燈裡は有能な馬鹿だった。


一瞬の隙も許さない手際の良さに私は天を仰ぐしかない。


「あれ? オレまた何かやっちゃったかな?」


イタズラっぽく笑う燈裡の頭に思いきり拳骨を落とす。


「けふゃん!?」


奇声と共に燈裡は気絶する。


「ところでリカリカ、これってあなたがやったの?」


手の目に言われて振り返る。


雷撃の威力は異界にとどめられなかったらしい。


すっかり火の手は山林に広がっていた。


木々は燃え、倒れ、黒煙を噴き出す。


「……さて、それでは立ち去りますよ。このままでは怪しまれてしまいますから」


消火活動に来た人間達と出くわしては何を聞かれるか分かったものではない。


「はぁい」


『りょーかい!』


「それと犬神、彼の服を麓で調達するのでその姿はどうにかしてください」


『へーい』


両者の間延びした返事を聞くと私は気を失った燈裡を担いだまま山を全速力で降りて行った。


正直置いて行こうかとも考えたがその方が危険な気がする。


全く、彼女には困ったものだ。


私は彼女の重要性が増したことに深くため息をつくのだった。




「……ん。あ、あれ?」


僕は、寝ていたのか?


目を開き覚醒すると知らないガラス張りの天井が見える。


起き上がり、見回すと大勢の人間が周囲を往来していた。


「ようやく起きたようですね」


「いやいや。我が憑依して数時間で起きる人間なんてそうそういないよ? まあ生きてた人間もいないけど」


呆れたような声色で僕に声をかけたのは道雪だった。


続いて小うるさいアニメ声が耳に入る。


「あの、道雪さん。鬼達はどうなったんですか?」


朧げな記憶を辿り、幾多もの鬼達が現れたこと、自身が犬神に喰われたことを思い出す。


「……聞かないでください」


バツの悪そうな彼女の顔と、横目に見えるテレビ画面の『大江山で火災』というテロップで察する。


恐らく余程凄惨な戦いだったのだろう。


彼女の疲れ切った顔がその過酷さを物語る。


というかここ京都なのか。


なるほど、ガラス張りの天井といえば確かに京都駅のイメージがある。


「そーだね。プププ……」


何故か犬神は笑いを堪えている様子だったが道雪が仄かに雷を纏うと途端に僕の背後へ隠れた。


「それにしても異怪駅を出たら山に出されるなんて、災難ですね。京都から東京まで結構かかるからなぁ」


時間も、お金も。


嘆息する僕の前に黒いカードが翳された。


「心配ご無用だよ、()()()()()。これさえあればどうとでもなるからね」


「ブラックカードて……土御門さんお金持ちだったんだ」


なるほどあの喫茶店が妙に客足も無くて立地も悪いのに営業していたのは金持ちの道楽みたいなものだったからなのか。


「まあね。式神の対価もただじゃない。オレ達土御門の家系は代々資金繰りに邁進しているんだ」


金持ちになったのは先祖代々の努力故か、はたまた式神達を駆使したのか。


あるいは両方?


「それよりも早く帰りますよ。もし山中で私達の姿が目撃されていたら厄介です」


「いいじゃないか。せっかくの女子旅だ、楽しもうよ?」


「アタシは男だけどねぇ」


手の目がミネラルウォーターを持ってきた。


僕はお礼を言って水を口に含む。


それにしても女子旅って……僕と手の目はカウントされてないのか。


複雑な想いになる中、ふと体に違和感を覚える。


肩から降りる白い髪を掬った。


僕の髪、こんなに長かっただろうか?


いや、そもそもなぜ白髪?


それに動く度に胸元が痒くなる。


局所的な感覚、そして何より無意識から湧き上がる喪失感。


僕の中で大江山とは違った警鐘が脳を揺さぶっていた。


「あの、誰か鏡とかって持ってますか……?」


心なしか声も高くなっている気がする。


待て待て待て。


そんなまさか。


「あるわよぉー」


手の目から手鏡を借りた。


どうやって使ってるのだろうかと気になるところであるが赤い鼈甲塗りの柄を持ち、鏡を覗いた。


美少女がいた。


透き通るような乳白色の長い髪を下ろし、黒曜石を彷彿とさせる黒い双眸が光を反射させていた。


長いまつ毛と丸く大きな目、髪に負けず劣らず色素の薄い肌で整った顔立ちは中性的などとは程遠い、女の子らしい可愛らしさを持っていた。


「これが……僕?」


どうやら人生勝ち組コース確定らしい。


などと呑気なことを言ってる場合ではない。


僕は説明を求めるために道雪の方をみた。


「私に訊かれても詳しいことは分かりませんよ」


「フッフッフ……ここはこの犬神が説明してあげましょうー!」


「おーまーえーのしーわーざーかっ!」


僕は犬神の両頬をつねって伸ばす。


「ひょっとへふへいへきはい!」


犬神は大げさにリアクションを取るがその実大して痛みを感じていないのか笑いながら僕の拘束から抜け出して中空に漂う。


「で、どういうことなんだ?」


僕が聞くと何故か犬神は得意げに説明し始めた。


「色々説明すると面倒だから端折るけど我は神です」


「まあ犬神だよね」


とはいっても犬神は世間一般的な上位存在という意味合いの神ではないだろうが。


「大神です。狼の化身です。えっへん」


「大神」


何か凄い話になってきたぞ。


「まあそんなわけで我が憑依は強力な分、代償に憑依した人間を取り殺すんだよね」


「おっとこれは道雪さん案件?」


「だから私は便利な用心棒ではないと」


道雪が煩わしそうに僕を睨む。


「でもご主人を殺しちゃうと我も消えてしまう。そこで考えた。ご主人を生かし、尚且つ憑依する方法を!」


「それでどうして女体化するんだよ……」


呆れたように僕はため息をつく。


「取り殺すとはつまるところ人という器が我を受け入れるに足りないからなんだよ。なら我とご主人を近い存在に変えることでその負担を減らすことができるのだ!」


「つまり今の輝樹ちゃんは半人半妖……いや、寧ろ妖怪としての側面が大きいわけだ」


何とまあ……。


いや、神らしいといえば神らしい発想ではあるが。


「諦めなさい。死ぬよりは幾分マシだったでしょう?」


道雪は珍しく同情するように僕を見る。


そうか、彼女もある意味神に女体化させられた被害者だ……。


「マジかぁ……」


嘆く僕の前に道雪が立つ。


座っていた僕と目線を合わせていた。


その顔は少しばかり普段よりも固くて、まるで緊張しているようだ。


「結果的に私はあなた達に助けられました。鬼を穿ち、雷切丸を取り返してくれた……これでも感謝しているんですよ」


素っ気ない言葉は照れ隠しだろうか。


なんだかいつもの道雪よりも可愛く見える。


「いや待って落ち着け。あの道雪さんがこんなラブコメあるある並みにチョロ落ちするわけがないきっとこの体も含めて幻覚か異界か夢なんだきっとそうだ……」


「落ちてませんが」


現実逃避する僕に道雪が冷静にツッコミを入れた。


「いやいやいやいや。そんなギャップ萌え丸出しのツンデレ発言しといて今更何を」


「夢だと思うなら今すぐそのふざけた脳味噌ごと焼き切ってやりましょうか? 痛ければ現実だと認識できますよね?」


道雪が徐ろに鞘を持つ。


「認識する前に死んじゃうから!!」


「というか君達ここが公衆の面前って忘れてない?」


土御門の言葉にハッとして周りを見る。


相変わらず人の往来で賑わっているが何人かの人達は僕達の野次馬となり、行き交う人々は奇異の目線をこちらへ向けていた。


「ふむ。そろそろ新幹線が着く頃です。行きますよ、片須さん」


珍しく道雪が顔を赤らめ、早口で捲し立てると立ち上がる。


「……はい」


僕は俯きそそくさと彼女達についていった。


以前、公衆の面前で迷惑なことはするなみたいなことを道雪から言われていたことを思い出すが、口に出すと本当に雷を落とされそうだ。


「人の振り見てわが振り直せってことわざあるよね。他意はないんだよ、神罰さん? 他意はないからねあんででべるべべべ!?」


案の定からかったポチに雷撃を食らわせていた。


あそこまで行くと自分から雷に当たろうとしているようにしか見えない。


フリではなかろうか。


振りだけに。





翌朝。


というよりはすっかり夕方だった。


新幹線の中で寝落ちして、帰ってからも寝てしまった。


半日以上は寝ていたらしい。


それだけ体力を消耗していたのだろう。


いや、もしかしたら夢なのかもしれない。


これまでの事全てが夢の中の出来事で、物語としては余程の玄人でも扱いに困る……いわゆる夢オチという結末かもしれない。


そう考えた僕の眼下には着替えた白いシャツ越しに控えめな二つの丘が胸元に据えられているのが見える。


やはり夢ではないようだ。


「おはようー。やっぱりドッグフードとご飯は相性抜群だったね。君も食べる?」


山盛りの白米の上に茶色い粉末をかけ食べる生首が目に入った。


悪夢……いや、現実だ。


戸籍は、学校は、どうなるのか。


家族には何と言えばいいのか。


そもそも僕はまだ人なのか。


というか先輩たちの事警察に聞かれたらどうしよう。


考えることが多すぎて僕はすっかり頭を抱えてしまう。


仕方ない……彼等を頼る他無さそうだ。


僕は身なりを整えて周囲の目線や気配を警戒しながら喫茶店へ向かう。


先日道雪に連れられた、土御門のいる店に。





「おはようございます」


「おや、立花ちゃん。昨日ぶりだね」


レトロな雰囲気の喫茶店に今日も私は足を運ぶ。


いつも通り、燈裡と手の目がカウンターに立っていた。


喉元過ぎれば熱さ忘れるとはよく言うが、裏切った手の目を封じることなくいつも通り店を手伝わせている……ここまで来るとバカかアホのどちらかだろう。


流石に酒呑童子は封印しているようだ。


私はコーヒーを頼み、カウンター席に腰を下ろす。


「話は彼女が来てからです」


私は手の目へと視線を向けた。


彼はこちらの目線に気付くと軽く手を振る。


式神は飼い主に似るのだろうか。


どちらも厚顔無恥という言葉がよく似合うように思える。


「それにしても惜しいことをしたなあ。せっかく茨木童子を式神に出来たかもしれないのに」


「よく言いますよ。あんな置き土産を残した()()、次会ったら二度と蘇る気なんて起きないほど殺します。というかまだ彼等を手篭めに出来ていると勘違いしているんですか?」


燈裡はすり鉢状に据えられた紙の上から砕いたコーヒー豆を入れる。


「勿論……とは言わないよ。まさかあそこまで話の通じない連中だとは思わなかった。だからオレも油断はしない。現に酒呑は封じたままだしね。というか置き土産って?」


彼女は全く悪びれる様子を見せることなく紙の上から熱湯を注いでいた。


紙の底、四方から流れた水はコーヒー豆の層をくぐり、真下のカップへと落ちていく。


「その話は後程。……もしあなたが暴走、裏切り、誘引されたなら真っ先に殺します」


「それは困るな。そうならないよう、これまで以上にオレのことを守ってくれると信じてるよ」


言葉が出ない。


なんて自分勝手なのだろうかこの陰陽師は。


けれども彼女の言うことは尤もだ。


少なくとも、彼女を護ることが今の私には最も合理的な選択なのである。


私は土御門燈裡を()()()()のだから。


そんな中、扉を開ける音が聞こえた。


振り返れば彼、いや彼女がいる。


「お疲れ様です……」


恐る恐ると言った様子で彼女が扉を開け、ついてくるように犬神も店内へ入った。


灰色のパーカーはサイズオーバーなのか袖を捲っている。


無理もない、女性となったことで身長も体格も縮んでしまったのだから。




「ちょうどよかったですね。早くこちらへ」


道雪が隣の椅子を軽く叩く。


僕は彼女の言う通りに隣へ座ると、犬神はやはり僕を挟んで道雪と反対側の椅子へ座った。


「それで? 置き土産って何だい?」


土御門が聞く。


置き土産? 何のことだろう。


「まずは皆さん、茨木童子及び彼と結びついた(きさらぎ)駅の討伐ご苦労様でした。皆様のおかげで窮地を脱することができたのは否定できません」


「まあそれほどでもないよ。賛辞はありがたく受け止めるね」


「ええ、どうぞ。デコ御門デコイさん。あなたほどの釣り餌(デコイ)はそうそう見たことがありません。その額に恥じることない見事な無様さは爆笑必至でした」


「誰の額がデカいってェ? 上等だ今すぐ表出ろや」


土御門が低い声で道雪を見下ろす。


確かに土御門の髪型は七三分けのように整えられ、額が露出しているが。


どうやら彼女はおでこをからかわれるのが嫌らしい。


「まあまあ。えっと、置き土産だっけ?」


僕は仲裁に入りつつ、話題を逸らそうとする。


「……ええ。寧ろここからが本題です。私の不覚により一時的とはいえ私の雷切丸は、ゼウス様から賜りし雷霆は茨木童子の手に落ちました」


「うん。それで鬼達が蘇ったね……」


道雪が僕を見る。


恨みがましく睨まれたかと思ったが彼女は首肯して話を続けた。


「それです。神威の雷撃と不死をもたらす猿……いえ、あれはもはや神酒(ネクタル)でしょう。それらは地を伝い、全国各地に影響を及ぼしてしまいました」


その時点で土御門は何かに気付いたのか含みのある微笑みを見せる。


対照的に道雪は申し訳なさそうに目を伏せた。


「つまり全国であんな事が起きるってことなの……?」


思い起こすのは茨木の高笑いと蘇る鬼達。


犬神が、正確には僕に憑依した大神が殆ど一掃したとは聞いたがそれでも彼等への恐怖はこの身に刻まれている。


「そうですね。全国各地で討伐、封印されたはずの妖怪達が復活している可能性は否定できません」


重々しく道雪が言う。


その目は悔しさか、煩わしさで普段よりも鋭くなっていた。


「……素晴らしい」


ただならぬ雰囲気の中、土御門だけは拍手と共に笑顔を浮かべていた。


「古来の妖怪、それも茨木や酒呑に匹敵する猛者達が蘇るなんてまたとまない好機だ! 全員式神にしてオレの野望の礎としよう! うん、それがいい」


このお調子者、また変なこと言い出した。


「させませんよ。これ以上あなたに百鬼夜行が如く魑魅魍魎が集えばどうなるか分かったものではないですからね」


道雪はすっかり慣れた様子で淡々と告げる。


まさかとは思うが、土御門の交渉が失敗して命からがら助かって、また交渉しようとする……この流れも一度や二度ではないのだろうか。


「道雪さんは……やっばり彼等を倒すんですか?」


僕が聞くと道雪は首を傾げる。


何を当たり前のことを、と言いたげだ。


「無論です。固より彼等は悪逆非道の限りを尽くして滅された者達。見逃す余地はありません」


「でも、彼等は茨木童子や酒呑童子並みに強いんじゃ……」


僕は彼等の姿を思い出す。


実力だけでなく、勝つためなら、殺すためなら手段を厭わない。


そんな妖怪達を相手に彼女が無傷で、生きていられるとは思えなかった。


「はい。中には彼等よりも強力な妖怪もいるでしょう。ですがこれは私が蒔いた種。ならばこの命に代えても贖う必要があります」


「でも……ッ!」


反論しようとするも言葉が出てこない。


確かに彼等の悪辣な行い故とはいえ彼女の雷が原因の一つだ。


責任を取る、その覚悟が出来ているのは見てとれた。


「……私も似たような存在なんですよ。生前、一軍の将として数多の人々を手にかけた。にも関わらず地獄へ降る事なく常世で新たな生命を賜ったのは神々の恩恵に他なりません。彼等を道連れに在るべき処へ還るだけです」


道雪は薄く笑みを浮かべ、淡々と言った。


一度は死んだからか、彼女に死を恐れる様子は見えなかった。


主命のためならその身を賭す……これが武士だというのか。


それが彼女の誇りなのか。


「それでも……」


放っておくことは出来ない。


「片須さん?」


「……道雪さん、僕も行きます。行かせてください」


「いいですよ」


「そこを何とか! ……っていいんですか」


僕は拍子抜けする。


意外だった。


彼女のことだから絶対に一度は断られると考えていたからだ。


「どの道私一人で勝てる相手などそう多くはないでしょう。戦力は多くて損はありません。それにあなたは犬神と契約し、更にその半身を明け渡してしまいました。寧ろ都合良く人の世界に戻ろうなどと考えていたら……」


道雪は雷切丸の柄に手をかけると鞘から引き抜こうとする。


「考えてません! 一緒に戦わせてください!」


僕は必死に頭を下げて彼女に向かって手を合わせる。


「よろしい。ですが万が一の時、自分の身は自分で守ってくださいね。この馬鹿とあなたの両方を守れるほどの自信はありません」


僕は犬神の頭を掴み自身の前に持ってくる。


「ちょっとー?」


犬神は間延びした声で抗議を示す。


「大丈夫ですよ。こいつがいてくれますから」


何ともまた突飛な話だ。


つい数日前まで掃いて捨てるほどいる男子大学生の一人だったのに。


犬神に憑き纏われ、陰陽師と神の使いに知り合いが出来て、鬼と出会って戦って……。


だからこそ断言できる。


もう僕は傍観者ではいられない。


「フフッ。アハハハハ! 立花ちゃん、君やっぱりチョロ過ぎだろう!」


この人は本当にシリアスな雰囲気をぶち壊すなぁ……。


恨みがましく僕が睨むのも構うことなく土御門が笑い続ける。


「私がちょろいと? 理解できませんね。ついに頭がおかしくなりましたかいや元からでしたね」


道雪の容赦ない言葉にも彼女は動じることなく、笑うのを止めると彼女は僕達を見て言った。


「君はチョロいよ。だって君、輝樹ちゃんも守るつもりなんだろう?」


僕は疑問符を浮かべて彼女を見る。


確かに、以前までの彼女なら自己防衛で終わらせるはずだ。


土御門は先日のように式神を操られないために守らざるを得ないが何の利害関係もない僕を守る自信がないなどと言うはずがないのだ。


『私は便利な用心棒などではありません』


かつての彼女が言った台詞を思い出す。


あくまで神々からの使命に殉ずる彼女が僕を守る道理はない。


ならどうして?


「言葉の綾です。そ、そんな言葉遊びで言いくるめようとしたって無駄ですよ」


道雪はポーカーフェイスを貫きたい様子だが言葉に詰まったところを見るに図星だったらしい。


「何と言うかさぁ? 立花ちゃん女の子になっても中身はやっぱり男って感じだよねぇ。そりゃ自分を助けてくれた可愛い女の子に心配されて一緒に行きたいなんて言われたら大抵の男は断れないケド」


「誰が可愛い女の子だ」


こちらを意味深に見つめる土御門に僕は唇を尖らせる。


未だ自分が女性になったと実感できないため、どこか気恥ずかしいのだ。


「そんなことはどうでもいい話です。燈裡、彼女の同行に関して異論はありませんか?」


道雪が誤魔化すような話を遮って土御門へ聞く。


「いいんじゃない? どの道片須君は元の姿に戻りたがっている。蘇った妖怪の中にはその術を持つ者がいるかもしれないし、全国津々浦々を回るわけだからその過程で見つけるかもしれない。犬神に身体を預けたのは紛うことなく()自身だ。君風に言わせてもらうならこれは()()の蒔いた種なのだから、責任は彼女が取る必要がある。ね?」


土御門に視線を送られ、僕は首肯する。


その顔には利用できる駒が増えたと書いてるような含みのある笑みが浮かんでいた。


ここまで思惑が分かりやすいものか。


子悪党じみた彼女に半ば呆れてしまう。


「というかポチは良かったの? 式神とはいえ、君の意見を蔑ろにしているわけだけど」


一度も会話に入ってこなかった彼女に疑問符を覚え、聞いた。


何か意図があってのことなのだろうか。


「構わないよー。寧ろ我にとっては力を付けることができるし好都合!」


「好都合?」


予想だにしない言葉に面食らう。


仕方なさげに肩をすくめるものだと思っていただけに、彼女に益があるのだろうかと考え込む。


「……ああ、やはりでしたか」


道雪は苦虫を噛み潰したように眉を顰めポチを見る。


「やはりとは?」


「……片須さん、以前も言いましたがあなたの身体は半分が犬神、大口真神またの名を悪喰大神の要素で再構成されています。即ち性別以外にも外見に特徴が現れるはずなんです」


つまり、今の僕の半身はポチだから、犬の耳や尻尾があってもおかしくないというわけなのだろうか。


確かに僕の体に犬と類似した特徴が表出しているようには思えない。


どういうことかとポチを見ると何故か彼女は得意げな様子で鼻を鳴らす。


「我は喰らう神。厄を喰らい、薬とする。畢竟我は喰らった者の力を行使できるのだ!」


ああ、なるほど。


チートだ。


これチートだわ。


「恐らくあなたが犬や狼に類似した特徴を持たないのは茨木童子の腕を喰らい、変化の術を得た犬神によるもの。間違いありませんか?」


道雪がポチに聞く。


「そだよー。ちなみにあの鬼達も食べてるから身体能力もかなり向上してるんじゃないかなー」


つまり今の僕は獣人……。


変化の術は視覚以外をも騙すのか、腕や頭を触っても毛皮に覆われていたり、犬耳の生えている感触はない。


「復活した妖怪達を滅するよりまずあなたを滅する必要があるかもしれませんね」


「ピェ……」


冗談か本気か、道雪はため息をついてポチを見る。


先程まで意気揚々と喋っていたポチは一転して僕の後ろに隠れた。


「まあ、何であれ話はついたようだね。では片須君の道連れ記念にモーニングでもいかがかな?」


「言い方ァ……」


イタズラっぽく笑う土御門に僕は力なくツッコむのだった。


「それにしても全国を回るなんて大変ですよね。交通費はやっぱり土御門さんが出してくれるんですか?」


モーニングとして提供されたサンドイッチを食べながら僕は二人に聞いた。


「それもいいけど、もっと便利な方法があるよ」


そう言って土御門は何かを唱えると人形を取り出す。


青白い光に包まれたそれが消えると共に中空から着物姿の少女が現れた。


ウェーブのかかった金髪と青い瞳、黒を基調とした魚や鷹のような金色の刺繍が施された着物。


日本人形とフランス人形を合体させたようなアンバランスな容姿である。


「この子はインフェルノちゃん。彼女の持つ組み木細工は地獄と繋がっているんだ」


確かに少女は両手で抱えるように木で出来た玩具のようなものを持っていた。


立体パズルというのだろうか、十二面体でルービックキューブのように変形させることができるようだ。


「確かに彼女なら移動に関しては適任ですね」


道雪は彼女を知っているのか得心して頷く。


未だ話の見えない僕に土御門は説明した。


「彼女は地獄の扉を開いたり閉じたりできるんだ。だからこれを利用して逃げることも出来るし、遠くまで一瞬で移動することもできる」


「地獄と現世は空間の構造そのものが違います。地獄を少し歩くだけで現世では何里も先に進んでいることになるんです」


そんなどこぞのゲームじゃないんだから……とツッコミを入れたい気持ちを抑えて聞く。


「でも地獄って危ないんじゃないですかね……?」


二人は顔を見合わせて当然とでも言うように頷いた。


「そもそもインフェルノちゃんの力はそうして開いた扉から人を呪い殺したり地獄に引き込むことだからね」


「だから封印させているんですよ。彼女は地獄の扉たる組み木細工の怪異が付喪神と化した、いわば異怪。召喚すればすぐに扉を開いてしまいます」


めちゃくちゃヤバいじゃん。僕は思わず少女から仰け反った。


「まあ大丈夫だよ。神の威光を纏う道雪ちゃんと陰陽師のオレがいれば呪いも引き込もうとする亡者もどうにかなるから」


「半妖、加えて神の側面を持つ式神を使役するあなたもさして問題はないでしょう」


土御門が何かを唱えると少女は煙のようにその場から姿を消した。


どうやら再び封じられたらしい。


「まあそういうわけさ。移動に関しては問題ないよ。君も安心してキャンパスライフを謳歌するといい」


「そうですね、じゃないんだわ。僕女の子になってるんだけど? 男子大学生が女子大生にランクアップしてきたら驚かれること間違いなしだよ? というか家族とか行政とかその他諸々どうするんだよぉ……」


土御門の言葉に納得しかけるも僕は己が体を指差し嘆く。


性別が変わった今、片須輝樹として僕は変わらず生活できるのか?


「逆に聞くけど君の性別が変わって困るような友人はいるのかい? 家族とは言うけど君、一人暮らしだろう? 家族と会う時だけポチに元の姿へ変化させて貰えばいいじゃないか」


うぐっ……。


確かにそこまで仲の良い友人はいないが酷いいわれようである。


けれども彼女の言葉に反論できないのも事実。


確かにそれで事足りてしまうと思う自身の、あまりに対人関係が乏しい生活に我ながら嘆く他ない。


「では用事も済みましたので私はこれで失礼します。ああ、そういえば……片須さん、スマホを貸してください」


道雪は立ち上がるとそう言った。


僕がスマホを渡すと彼女は画面に何かを打ち込んでいる。


「あの、道雪さん……?」


戸惑う僕に彼女はスマホを返す。


画面には『道雪』と簡素に書かれた連絡先が追加されていた。


電話番号とメールアドレスが載せられている。


「私の連絡先です。何かありましたらお声がけ下さい。こちらからも連絡する場合がありますがご了承を」


「は、はい……」


僕は唖然として画面を覗き込んでいた。


初めてもらった女の子の連絡先。


彼女にその気がないことは分かっているが、それでも胸の鼓動は治らない。


「じゃあオレも『Leen』のアカウント教えるよ。強そうな、珍しい妖怪とかいたら教えてね。あと道雪ちゃんのもア・ゲ・ル!」


「勝手に教えないでください」


土御門は半ば強引に僕のスマホを手に取ると自身のスマホからアカウント情報を送る。


「マジですか。ありがとうございます……ッ!」


この短時間に女子二人の連絡先を入手してしまった。


ちなみに『Leen』とは最大手のSNSアプリだ。


僕はつい二人に頭を下げて感謝の気持ちを示してしまった。


「君もなかなか拗らせてるね……」


「言っておきますが私的な会話でしたら無視しますよ。興味ありませんから」


土御門は引き気味に苦笑いをして道雪は素っ気なく言う。


奇妙な巡り合わせの三人の、奇妙な事ばかりの異怪退治は始まった。


賑やかになりそうだ……とても良い意味で。






おしまい。

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