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呼吸の感覚を掴み、木刀へと魔力を通すよう努力を始めたリルア。
それからの日々は最初の五日よりも遙かに早く目まぐるしく。そして時間すら忘れるほど濃密なもの。
剣を振り、息を工夫し、考えながらも駆け抜ける。
試行を繰り返し体を動かし。それでも立ち塞がる敗北を真摯に受け止め、それでもなお諦めずに挑み続けた。
そして今日。開始から経過した日数は十を越え──ついに最終日へと突入していた。
「ぜやァ!!」
力強い咆哮と共に振られる木刀は、黒の軌跡を立て続けに描き続ける。
より速く、より鋭く、そしてより滑らかに。
攻撃や体運び。リルアの所作一つ一つが洗練され、初日とは別物にすら思えるほどに昇華されていた。
以前よりも息は乱れず。それ以上に体が軽く、魔力は思考との誤差がなくなった。
まるでかつての自分には、見えない枷でも付いていたとすら思えてしまう動き。
今の自分が動くこと自体が快感だと。溢れる充実感のままに剣を振るう様は、さながらやれることの増えて喜ぶ幼子のようだった。
「ちっ、やるねぇ!」
短い賞賛だけを口から零しつつ、手に持つ木刀で絶え間ない剣撃を捌くライ。
初日とは違い、今の彼には会話を挟む余裕などない。
その成長を讃える笑みを浮かべながら、それでも変わらず全てを紙一重で対応し続けている。
「ほらどうしたァ!? それで終わりなら届かねえぞォ!!」
リルアから放たれた数個の風の大玉。
視覚を遮る囮の群れを渾身の横薙ぎで吹き飛ばし、死角から迫るリルアを身を翻して蹴り飛ばす。
腹を襲う痛みと衝撃。リルアは勢いのまま、地面を転がりながらもどうにか踏ん張り地面へ立つ。
加減されてるのは分かる。現にライはただの一度も魔力を使わず、素の力のみでリルアをあしらっているのだから。
だが反面、こちらは満身創痍。膝は笑い、魔力は底を突き始めている。
反撃こそされるようになったが、それでも目の前の男は依然余裕そうに構えるのみ。
無駄のない呼吸を覚え、黒い木刀に魔力を通せるまでの制御を身につけた。その結果山を登る前とは見違えるほどに能力が向上した。
けれどそれでも、憎たらしいほど楽しそうに私を阻む男に一撃すら与えられない。それどころか、その余裕そうな面を歪ませることすら叶わない。
──やはり遠い。目の前にいるはずなのに、たった一撃があまりに遠すぎる。
「どうした、手詰まりか? そんな様じゃあこのまま下山だぜ?」
「……そう、だね。確かにこのままじゃ、私は何も得ずに、何も果たせずに終わっちゃう」
辛そうに構える少女から零れた弱音に、ライは怪訝な瞳を向ける。
その目はまるで諦めてしまうのか問いかけるよう。これで終わりかと、暗に告げてきているかのよう。
そう、終わりだ。これで終わり。
情けないことに、私の限界はまもなく訪れる。それは、それだけは、抗いようのない不変の事実。
……だけど。それでも。
「まだ終わりじゃない。まだ残ってる、振り絞れるッ」
「ふーん。小指で突けば倒れそうな、そんな様で?」
「うん。……だから、次で最後。これで無理なら、私は勇者に、あの人に会う資格なんてないんだ」
残った魔力を限界以上の速度で循環させ、身体能力を一気に引き上げるリルア。
短時間しか保たない過剰な強化。それは初日に見せたとっておきと同じもの。
けれどもう、あのときとは違う。
あの日よりも精密になった魔力制御。嵐のように溢れる魔力を一分の無駄すらなく己の糧とし、私のための力へ変えれるようになった。
──けれどまだ足りない。
どんなに効率が上がり、より速度と威力が増そうと、こんな程度じゃ彼には到底届かない。
だから必死に考えた。今の自分が一矢報いるには、一体どうすれば良いだろうと。
空を助走に使うだけで足りない。闇雲に速度を上げるのでは意味がない。
……だから答えはこうだ。
魔力を循環させるだけで足りない。ならば極限まで凝縮し、より短い一瞬に全てを費やせばいい。それだけのことだった。
「全身全霊。避けるなんて無粋か。……来い! その覚悟、余すことなく受け止めてやるよ」
それ以上の言葉は不要だと。
ライも口を閉じ、剣を構えて少女の決意に応じるのみ。
ささやかな風が吹く。
聖樹の葉が散り、一際大きい一枚が、彼らの中間をひらひらと舞い落ちる。
──リルアが動いたのは、その一枚が地面へと落ちた直後だった。
「うわァァ──!!!」
ありったけの咆哮を上げ、がむしゃらに、愚直なまでに直進する。
真っ直ぐに、全力で、避けられることなど考えず。
どうせ倒れるならば前のめりにと、決意のままに突き進み、ただの一刀に全てを込めて振り下ろす。
木刀同士がぶつかり、重く鈍い音が周囲一帯に轟きわたる。
受け止められるのは分かりきっていた。どれだけ速度を上げようと、きっとこの人は対応出来ると、そんな確信があった。
だからこそ、大事なのはそこで止まらず進み続けること。
例え手足がもげようと、意識が飛ぼうと、命を失おうと。一切の躊躇を投げ捨て挑むのみ。
拮抗は一瞬。ぶつかった次の瞬間、ライの体は後ろへと押されていく。
顔を顰めて両手で木刀を握り、地面を抉りながらも踏ん張りながら、勢いを殺そうと力を注ぐ。
だがそれでも、リルアの突撃は止まることはない。
ついにライの手から木刀を弾き落とし、そのまま彼の体を打ちつけんと進み──。
「──がっ!?」
目前。ライの体はぶれ、次の瞬間にはリルアの体は空へと舞い上がる。
何が起きたのか。今自分がどうなっているのか。
自らの状態を受け止める間すらない。気付けばリルアは地面へと叩き付けられ、勝負はたったの一瞬で決着となってしまった。
「しくったなぁ。まさか使っちまうとは思わなかったぜ」
ライが何かを言っているが、失意に浸るリルアの耳には届かない。
負けた。負けてしまった。勝たなきゃいけない一戦に、私は敗れてしまった。
痛みと共に襲いかかる敗北の重圧。それは体よりも心を、生きるための柱をへし折ろうと雪崩掛かってくる。
勇者に会えない。冒険者になって三年、ようやく見つけた唯一の手がかりを失ってしまった。よりにもよって自分自身の手で。
「くそっ、くそ……」
どれだけ堪えようと溢れて止まない涙。それは痛みからではなく悔しさから。
確かに醜くライの足にしがみついて足掻くことは出来る。勇者に会いたいのならばそうすべき。それが私にとっての最良、そのはずだった。
けれど今、そんな諦めの悪い気持ちは微塵も湧いてこない。
ただただ届かなかったと。
自分にはあの人に会う資格がなかったのだと。
胸が引き裂かれそうな悔しさと納得だけが、痛みとしてリルアを巡り満たしていた。
「なんだ、泣いてんのか。俺としては喜んで欲しいところなんだが」
「……ほんっと性格悪い。私、今夢への道を閉ざされたんだけど」
「ま、そうだな。確かにお前は負けた。ただし、魔力を使った俺にだ」
せめて泣いてる姿を見せまいと、視界を掌で覆い隠すリルア。
そんな彼女に近づいたライは、首に手を当てながら少し拗ねるようにそう言った。
「本来なら魔力を使うつもりなんてなかった。いくら才に溢れてようと、十日程度で呼吸や魔力操作を習得するとは思ってなかったからな」
「…………」
「けれどお前はその両方を我が物にした。……それだけじゃない。魔力なしとはいえ、俺を凌駕し一矢報いた。俺の想像を超えやがったんだ」
悔しさを滲ませた声色。それはリルアがこの山に来て、初めて耳にしたライの声。
無様に倒れているのは自分だろう。勝負に勝ち、余裕そうに話しているのはあっちのはず。
なのにまるで自分が勝利者であるように。小憎たらしい男はそう賞賛してくるのだ。
「お前の勝ちだ、リルア。お前は自らの手で、夢の続きを勝ち取ったんだ」
勝利を告げるその声は、小さな棘すらないほど優しさで。
泣いているリルアの心の蟠りを取り払うように、暖かなそよ風のように彼女へ撫でたのだ。
「勝った……、わた、しが……?」
「ああ」
「私が、ライに……?」
「ああ」
「ほんとに、勇者に会えるの……?」
「ああ。聞きたいこと、教えてやるよ」
「そっか、やったぁ……」
ライの言葉を受け止めるには、まともな返事をするにも時間が掛かった。
自分的には勝てたつもりはない。たった一回剣を弾いただけのお情けの勝利。……嗚呼、それでも湧いてくるのは不思議なくらい達成感のある喜びだ。
勝った。勝利した。──私はまだ、あの人を諦めなくていいんだ。
「やった。やったよぉ……」
起き上がる気力は残っていない。今の自分に出来るのは、勝利の実感に浸るのみ。
結局数分、心が落ち着きを取り戻すまではライの声も届かず。
目の前に広がる雲一つない、勝利を称えるような青空だけが彼女の景色であった。