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物語の力について

作者: シューハ

 私は書店で働いているが、今年になってナツヨム文庫フェアというものを知った。ナツヨムとは全国の書店員五十人による年に一度の文庫フェアのことだ。このフェアはどこかの出版社が企画するものではなく、選書から帯の作成まで全てが全国の書店員によるものであるらしい。このように出版社の提案によらない全国規模の企画は珍しいはずだ。そしてナツヨムには毎年テーマがあるらしいのだが、今年のテーマは「物語の力」だ。私も近頃、物語の存在意義について色々と考えていた。実は今月末に今の書店を辞めるのだが、書店員人生の最後である記念として、ナツヨムのテーマでもある「物語の力」について私の考えを述べていきたいと思う。

 まず私は物語を娯楽として読まない。物語を取り上げる以上は、それに向き合う人間の態度について考える必要があるであろうが、私は物語を娯楽として読まないので、読書を娯楽とする人に対しては何かを述べることはできない。それを承知の上でこの文章を読んで貰いたい。

 私にとって物語とは常に学問の一種である。ではその学問とはいったい何か。このような複雑なことを一言で表すのは到底無理なことだが、それをどうにか言葉にするならば、恐らく他者を鏡として己の人生を学ぶことであると言えるだろう。要するに自分は人生というものを少しでも知るために、物語の力に頼っているわけだ。私は物語を読むことで他者の思想を発見する。その発見に自らが感動をしたとき、私はきっと、その思想に自分自身の姿を見つけるに違いない。他者の思想に心を動かすとは自らを知るということである。私は私のことを本当に知ることはできない。何故なら心には目の働きと類似したところがあって、自らの姿を正しく心に映すのは普通できない技である。これには大いなる才能と努力がいる。だが他者を鏡として自らを知ることは、自分を直視することに比べては容易であろう。更に文は人なりということを昔の偉い人が言っている。書き手そのものである文を読むことで己を知ることにこそ、間違いなく読書の力がある。私は読書で人生を学んでいるのだ。人生を学ぶために思想は欠かせないものであろう。

 

 私は読書の魅力について述べたが、では物語の魅力とは何であろうか。私は趣味で随筆をやっているが、随筆よりも小説を読む人の方が多いことは確かであろう。ではどうして人は物語を求めるのだろうか。これは分かりきったことで、物語にしかできない思想の表し方があるからである。又、物語でしか表現することのできない思想も存在する。読者は物語を読むことでしか味わうことができない思想の表現方法を求めるが、作者は物語でしか表現することができない思想のために物語を必要とする。この後者はとても重要なことで、この世には物語でしか表すことのできない複雑な思想が存在する。言わば物語でなくとも表現できるような思想を無理やり物語にするのは滑稽なことだろう。私はそのような複雑な思想を今までは持ち合わせてこなかったし、特に自分の個性は物語よりも随筆によって表現する方が自然である。このように自らの個性を把握することも、執筆を嗜む者として重要な能力の一つであろう。


 私はいつも次のようなことを理想としているのであるが、自分は物語を読む際、常に物語の向こう側にいる作者を見つめていたい。その作者の心が透けて見えるような具合に物語と向き合えたら本望であると思っている。だからこそ私は思想のない物語を必要とはしないのだ。そもそも思想のない物語とは娯楽としての空想であろうが、私は他人の空想に長い時間を費やせるほど退屈はしていない。読書をするためには多くの時間が必要である。他人の空想で時間を潰すのならば、わざわざ読書でなくとも構わない。私は人生という学問をするために、多くの時間を使って一冊の本と向き合っているのだ。

 

 物語の力とは何であるのか。これらは複雑なことであるので、言葉にすることは容易でない。ただ一つ言えることは、物語の力とはその筆者の思想によって生じる何らかの力である。その思想は筆者の経験、言わばその筆者の歴史に基づいている。要するに作者の思想とは作者の人生の一部である。だから読者が作者の人生を感じて自らの心を動かすことは当然であろう。そして読書が各々に物語の力をどのように感じようと、その物語の力というものは、作者が自らの思想のために物語を必要としたときに、初めて読者の心に認識される可能性を持つのだ。言わば読者が感じる物語の力とは、作者が物語に欲する力によって生じる現れである。その両方は見た目は違えど元は同じものである。

 私は物語の力を信じている。そしてもう物語を全く書かなくなった私であるが、実はつい最近から物語を一つ制作中であるのだ。私は近頃、夢中になって随筆ばかり書いていたが、やっと自らの思想が物語を必要としたらしい。私はやはりこのとき、物語の力を充分と感じた。物語を求めるのは読者だけではない。筆者が物語を求めることに対して、私達読者は物語の本当の力を認識することが可能になるはずなのだ。

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