夏休みのお出かけ先
こうしてフィオは無事、学校に通うこととなった。
懸念された生徒や保護者との衝突もなく、新しくできた友達との関係も良好。
毎日楽しそうに登校しては、どんなことを勉強して遊んだかを逐一報告してくれた。
宿題が出るのも新鮮だったらしく、家庭学習のときよりもさらに熱心に取り組んだ。
フィオは新しい世界に触れて、いろんなことを吸収していく。子供なのだから当然のことではあるものの、カインは改めてそれに気付かされた。
夏が深まったある日のこと、カインはフィオを連れて遠出することになった。
学校が夏期休暇に突入したため、まとまった余暇ができたからだ。
家から西に向けて馬車で数日。
そうしてやっとたどり着いた場所で、フィオは目を丸くして固まっていた。
「わあー……」
目の前にそびえるのは巨大な門扉。
その左右には高い塀が続いており、門の向こうにはよく手入れされた庭が広がる。その奥にたたずむのは真っ白な大豪邸だ。立派な尖塔が青空に向かっていくつも伸びており、複数の棟で構成されている。
カインの家もそれなりに大きいが、こちらに比べれば虎と仔猫の差だ。
フィオはしばし呆けたようにその豪邸を見つめていたが、ぎぎぎっと油の足りない機械人形めいた動きで首を回してカインを見上げてくる。
豪邸を指し示す人差し指はぷるぷると震えていた。
「パパ、なにあれ……お城?」
「何って、今日お招きされた領主様の家だぞ」
「おうちなの!? おっきいし、お庭もひろいし、お城かと思ったのに……!」
「城ならもっと大きいかなあ。リリア姫の住まう王城はこの百倍くらいあるんだぞ」
「ひええ……そんなの迷子になって、一生出らんないじゃん!」
フィオは真っ青になって叫んだが、そうかと思えば真剣な顔で首をひねる。
「でも、りょーしゅさまって、どこかで聞いたことがあるような……」
「よくぞいらっしゃいました」
そこでふたりに声がかかった。
門扉がゆっくりと開かれて、出てくるのは身なりのいいメイドたちと、彼女らを従えた壮年の男性。その男性のそばにはフィオの級友であるフレッドがいた。
「あっ、フレッドくんだ!」
「よく来たな、フィオ」
そんな彼をひと目見て、フィオは顔を綻ばせて駆け寄っていった。
「夏休みになってから初めて会うね。元気だった? お薬ちゃんとのんでる?」
「おまえは僕の保護者か……? 言われなくても、体調管理は万全だ」
フレッドはふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向く。
態度はツンツンしているものの、その耳がほんのり朱色に染まっていることをカインは見逃さなかった。先日の大立ち回り以来、少年はすっかりフィオにご執心らしい。
(マジで彼氏ができたとか言われたらどうすっかなあ……)
ずいぶん先の話だと思っていたが、この調子なら案外早いかもしれない。
娘の花嫁姿を想像してしまい、早くも鼻の奥がツーンとした。
そんなカインに、フレッドは居住まいを正してハキハキと言う。
「カインさんも遠路はるばるご足労ありがとうございます」
「いやいや、こっちこそ礼を言うさ」
カインは軽くかぶりを振ってから、フレッドの隣に立つ男性へと頭を下げた。
「カイン・レッドラムと申します。お目にかかれて光栄です、領主様」
「フレデリックの父、カナル地方領主のギルベルトだ」
男性は柔和な笑みを浮かべてうなずいた。
カナル地方はカインたちの住まう田舎に比べると、はるかに王都寄りで都会の地方だ。ワグテイルという大きな街を擁しており、領主の居宅もここの郊外に位置していた。
ギルベルトと名乗る男は右手を差し出して、いたずらっぽく笑う。
「堅苦しいのはなしだ。私ときみは、ただの保護者仲間。いわゆるパパ友だろう。ざっくばらんにいこうじゃないか」
「いやでも片や領主様で、片や都落ちした平民ですし……」
カインはごにょごにょと言葉を濁す。
世界を救った英雄なのだからもっと堂々としていればいいのかもしれないが、王都を追い出された負い目がある。世間からすればまだ後ろ指を指される身だ。
そんな男と親しくするなんて、ギルベルトにとって百害あって一利なしと思えた。
しかし彼はカインの手に両手を添えて、ぐっと力を込めてみせる。
「フレデリックや警備隊から話は聞いている。世間がどう言おうと、あなたは息子を救ってくれた恩人だ。だからどうか気兼ねしないでくれ」
「はあ……それじゃあお言葉に甘えまして」
そこまで言われてはうなずかないわけにはいかなかった。
カインはニカッと笑い、彼の手を握り返した。
「よろしく、ギルベルト」
「もちろんだとも、賢者カイン」
ギルベルトはホッとしたように相好を崩した。
そのまま足下のフィオに目をやって軽くウィンクしてみせる。
「娘さんもよく来てくれた。息子と仲良くしてくれてありがとう」
「はじめまして、フレッドくんのパパさん! フィオっていいます!」
「はっはっは、元気のいい子だな。フレデリックに聞いていた以上の美人さんだし、将来が楽しみだ」
「ちょっ、父上……!?」
口を滑らせた父親に、フレデリックは顔を赤くしてうろたえた。
肝心のフィオは「ほめられた!」と目を輝かせて喜ぶばかりだ。カインは複雑ながらも「よかったなー」と頭を撫でてやった。
そんな子供たちに目を細め、ギルベルトは広大な庭を指し示す。
「フレデリックや。せっかく来ていただいたんだから、フィオさんに屋敷を案内してあげなさい。私はカインさんと話があるからね」
「分かりました! 行くぞ、フィオ。母上にも紹介してやる。失礼のないようにな」
「フレッドくんのママさんに会えるの? フィオ、ごあいさつする!」
張り切るフレッドに連れられて、フィオはウキウキと庭に向かっていった。
メイドたちがそれに続き、あとにはカインとギルベルトだけが残される。ここから先は大人の話し合いだ。
カインは声をひそめてギルベルトに問う。
「それで、俺様に話っていうのは?」
「もちろん他でもない。先日の誘拐未遂事件についてのことだ」
ギルベルトは笑みを取り払い、強張った面持ちでうなずいた。覚悟と決意の溢れる表情は、父としての、人の上に立つ領主としての顔を合わせもつ。
深く頭を垂れて、固い声で懇願することには――。
「どうかきみの意見を聞かせてくれないか、賢者カイン。どうやら私は極めて厄介なことに巻き込まれているらしい」
続きは明日更新。
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