白鯨の試練
フィオは船へと飛んでいくカインのことを、大きく手を振って見送った。
隣のマリアもそれを見てほうっと吐息をこぼしてみせる。
「カインさんはカッコいいですよね。さすがは大賢者様です」
「ふふーん、フィオのパパなんだから当然でしょ」
フィオは得意になって胸を張る。
日頃から世界一カッコいいパパだと自負しているが、他の人から褒められるのはまた格別の思いだった。
しかし、その揺るぎようのない事実に異議を唱える者がいた。
「はっ、本当にくだらないな」
「はあ……?」
嫌味な声に嫌々振り返れば、そこにはフレッドが立っている。
取り巻きたちを従えて、彼は皮肉げな笑みを浮かべて揶揄するように続けた。
「おまえのパパって噂のクズ賢者なんだろ。濡れ衣だって大人は言うけど……都から追い出されたっていうなら、ろくな人間じゃないのは確かじゃないか」
「そんなことないし! フィオのパパはいい人だもん!」
「どうだか。魔王を倒したっていうのも嘘に決まってる。ペテン師だろ」
「何をー!?」
堪忍袋の緒も限界だった。頭の奥で何かがブチッと千切れる音がした。
トラブルを起こせば学校に通えなくなるかもしれない。だからこれまでフレッドの嫌味にも耐えてきた。しかし――カインを馬鹿にされるのだけはどうしても許せなかったのだ。
フレッドにびしっと人差し指を突きつけて、フィオは宣戦布告する。
「フィオのパパをバカにするな! そっちがその気なら……フィオにも考えがあるんだからね!」
「なんだよ、ケンカでもするっていうのか?」
「ふふん、違うよ」
そこでフィオは鼻を鳴らして笑う。
嫌みったらしい笑みは今日一日でしっかり学んでいた。いいお手本がいてよかった。
「ケンカなんてしたら、フィオの勝ちに決まってるじゃない。そんなのつまんないよ」
「なにぃ……?」
その瞬間、フレッドの顔から笑みが消えた。
ふたりはバチバチと火花を散らして睨み合う。
熱せられた空気の中で、フィオは高らかに告げた。
「どっちが珍しい生き物を見つけられるか勝負だよ! ごほーびをもらった方が勝ちなんだから!」
「いいだろう! 望むところだ!」
フレッドはふたつ返事で勝負を了承し、かくして戦の火蓋が切られることとなった。
「あわわ……ケンカはダメですよ、フィオちゃん」
「まあまあ、マリアさん。このくらいなら可愛いもので……うん?」
慌てるマリアに、校長は微笑ましそうに苦笑する。
その目がハッと見開かれたその瞬間。
ざっぱああああああん!
突然、空を覆うほどに巨大な水柱が海より上った。その向こうには謎の影が身を躍らせ、まっすぐこちらへ落ちてくる。校長が血相を変えてそばの子供たちを抱え込んだ。
「みなさん! 私から離れないで!」
「きゃあああっ!?」
「うわああああっ!?」
いくつもの悲鳴が上がって、あたりは一面海に飲まれた。
◇
「うーん……もうたべらんないよぉ、パパぁ……うん?」
むにゃむにゃと目を擦り、フィオはぱちっと目を覚ました。
体を起こしてあたりを見回し、それからぽかんとする。
「えっ、何これ」
そこは、四方をピンク色の壁に囲まれた空間だった。
壁は一定のリズムで鼓動を刻んでいて、つついてみるとぷよぷよしていた。感触はなかなか面白かったが、なんだかぬめぬめしていたので服でごしごしと手を拭いた。
足下にはいくつもの水たまりができており、なんだか嫌な臭いがする。そちらにはへたに近付かない方がいいだろうと直感した。
ともかく全体的に謎の場所だ。
フィオはうーんと首をひねる。
「さっきまで海にいたはずだよね……マリアちゃんと校長先生はどこにいるんだろ」
改めてあたりを探してみる。
するとボコッと突き出した凹凸の陰で、ようやく知った顔を発見した。
「ぐっ……う……」
「あっ、フレッドくんだ」
フレッドは目を固く閉じ、青白い顔でうなされていた。
嫌いな相手ではあるものの、そんな姿を見ると放置してもいられない。フィオは彼の顔をぺちぺちと叩いてみる。
「おーい、フレッドくん。起きて起きて」
「う、うう……って、うわぁっ!? 何だここ……!」
飛び起きたフレッドはあたりを見て絶句する。ただでさえ悪かった顔色が土気色に変わり、今にもぶっ倒れそうなほどだった。嫌味キャラの片鱗はカケラもない。
「フレッドくんにも分かんないのかー……うーん、どうしよっかなあ」
フィオはますます困り果てる。
とりあえず出口でも探そうかと立ち上がった、そのときだった。
『フィオ! 聞こえるか!?』
「パパ!?」
突然、カインの声があたりに響いた。
慌ててあたりを見回しても、その姿はどこにもない。それでも声を頼りに発生源を探した。フレッドはしばし迷っていたものの、こっそりその後ろをついてくる。
すると、床に点在する水たまりのひとつにカインの顔が写っていた。
「いた! パパだ!」
『フィオ!』
水たまりをのぞき込めば、カインは目を丸くする。
しかしすぐにホッと胸をなで下ろしてみせた。
『よかった……無事なんだな』
「う、うん。へーき。ねえ、パパ。これって魔法なの?」
『ああ。おまえの気配を辿って、映像を飛ばしてるんだ』
「へー。便利な魔法もあるんだねえ」
フィオはしみじみとうなずく。
カインが軽く言ってのけるので『そういうものか』と納得したが、実のところは並の魔法使いなら理論を聞いて卒倒するほどの高等技術が用いられたものだった。
あらかじめ通信魔法をかけた鏡を持ち歩くのが基本の使い方。
話したい相手を探して像を送受信するなんて前例がない。
カインがこのとき急ごしらえで編みだしたものだった。
のちに手慰みに論文にして発表したところ、通信魔法技術に革命が起きたほどである。
カインはごほんと咳払いする。
『便利は便利だが、安定させるのは難しいんだ。だから手短に伝えるぞ』
そうしてやけに硬い面持ちで告げるのは――。
『おまえたちが今いるのは……でっけー鯨の、腹の中だ』
「ほえ?」
「なあっ!?」
フィオは目を白黒させて、フレッドが大きく息を呑んだ。
しばし三人の間に沈黙が落ちる。その間にフィオは父の言葉を噛み砕き、こてんと首をかしげて尋ねてみる。
「フィオたちは食べられちゃったの? マリアちゃんたちも?」
『いんや、マリアや校長先生、他の子供たちはみんな無事だ。フィオとそこの坊主だけが連れ去られたんだ』
聞けば、どこかの悪党たちがよからぬことを企んでいたらしい。
その悪人たちはカインが制圧したものの――。
『そいつらがどうも化け鯨を使役していたらしい』
「し、しえきって?」
『テイム、つってな。世の中には魔物を操る魔法があるんだよ』
その魔法で命令された鯨が、フレッドとその近くにいたフィオを飲みこんだ……つまりはそういうことらしい。
『それで今、俺様は鯨を追ってるところなんだが……予想以上に手こずっててな。ま、ともかくすぐに助け出す。そこで大人しく待っててくれや』
「うん、わかった!」
フィオが元気よく返事をすると、水たまりの中からカインの姿がかき消える。
父の声が聞こえなくなっても、不安は一切なかった。
むしろ晴れやかな気分で背後を振り返る。
「そういうわけだからフレッドくん、勝負はパパが来てから再開するってことで……あ、あれ?」
「ぜぇっ、はぁっ……」
しかし、そこでフィオはハッとすることになる。
フレッドが胸を押さえ、苦しそうにしていたからだ。
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