海辺のひととき
このライラックの町は港を擁しており、多くの船が寄港する。
荷運びの仕事を手伝うため、港には何度かフィオを連れて出かけたことがあった。とはいえ遊べるような浜辺はごくごく小さなものなので、そこまでちゃんと堪能したことはない。
その一方、学校の裏手に広がっていたのは大きな海岸だった。
見渡す限りに白い砂浜が続き、押し寄せる波がキラキラと輝く。
他に誰もいない、いわば貸し切り状態だ。
「わーいわーい、海だー!」
「あはは、あんまりはしゃぐと転ぶぞ」
大きな海岸に、フィオは大興奮だった。
波打ち際で靴を脱ぎ、ぱしゃぱしゃと飛び跳ねる。
他の子供たちも似たようなもので、あちこちから歓声が上がった。
そんな一同を見回して、校長と女教師はにこやかに言う。
「今日は海辺の生き物を調査しましょう。みんな、スケッチブックは持ちましたね?」
「変わった生き物を見つけたひとにはご褒美がありますよー」
「ごほーび……! フィオ、がんばる!」
フィオは目を輝かせて意気込んだ。
かくして子供たちは浜辺に散らばって、カニやら打ち上げられたクラゲやらをスケッチしていく。相変わらずの曇り空だが、みんなまぶしい笑顔を浮かべていた。
岩場をウロチョロしていたフナムシをむんずと掴み、フィオは満面の笑みで言う。
「見てパパ! なんか変な虫!」
「お、おお……度胸あるな、おまえ」
うごうご蠢くフナムシにもフィオはまったく臆さなかった。
マリアはちょっぴり及び腰だったが、結局はふたりして仲良くフナムシを囲んでスケッチブックを広げることとなる。
「うーん、足がいっぱいあって難しいですね」
「何本あるんだろー。しっかり数えて描かなきゃだね!」
ふたりとも興味津々で、真剣に課題に取り組んでいた。
そんなふたりを見守っていると、見回りの校長が話しかけてくる。
「いかがですか、カインさん。我が校ではこうした課外学習を行うこともあるんです」
「ああ、最高だよ」
カインはニカッと笑って断言した。
とにかく勉強させてやりたいという思いひとつで体験入学を申し込んだが……思った以上の収穫があったようだ。
「俺様ひとりだけじゃ、娘にここまでいい体験はさせてやれなかったと思う。本当にありがとうな、先生」
「いえいえ。それが私たちの仕事ですから」
校長は軽くかぶりを振って笑う。
「せっかく魔王がいなくなって、世界に平和が戻ったんです。フィオさんがのびのびと勉強できるよう全力を尽くしますよ」
「……ああ、よろしく頼む」
カインはすこしだけ口ごもってから、校長に深々と頭を下げた。
一ヶ月ほど前に見た、不思議な夢を思い出したのだ。
なんとはなしに視線をずらして海を見やる。水平線には何隻もの船が浮かんでいて、その上には海鳥たちが群れを成して飛行する。どこまでも穏やかな光景だった。
(うん……?)
しかし、そこでふと気になるものが見つかった。
しばしじっと凝視してから、隣の校長に話しかける。
「なあ、校長さん。あの船なんだが、どう思う?」
「船ですか? はて……漁船ではないようですが、動きがありませんね」
校長は目をすがめて、件の船をじっと見つめる。
荷物の運搬に使うような小型船だ。乗組員は十人にも満たないだろう。
それが水平線の手前に浮かんだまま、ぴたりと停まっている。他の船は忙しなく行き来をしているというのに、網を引いているような様子もないし、違和感の塊だった。
校長はあごに手を当てて渋い顔をする。
「ひょっとすると、海の魔物が船底にくっ付いてしまったのかもしれません。この辺りではたまにあるんですよ」
「おいおい、そりゃ一大事じゃないのかよ」
「ええ……最悪の場合は沈没の危険もありますね」
船は変わらず海に浮かんでいる。
今すぐ沈むような兆候は見られないが、放置していていいとは思えなかった。
そうなるとカインのやるべきことは決まった。肩を軽く回して言う。
「それじゃ、ひとっ飛びして様子を見てくるかね。校長さんは子供たちと一緒にいてくれ」
「分かりました。どうかお気を付けて」
「パパどこかに行くの? 行ってらっしゃい!」
「おう。いい子で待ってるんだぞ」
フィオに手を振り返し、カインは飛行魔法を使った。
体がふわりと高く浮かび上がり、海上を駆けて件の船へと向かう。近付くにつれて、甲板で動く人影が肉眼でも確認できるようになった。
まずは彼らに話しかけようかと思ったのだが――。
(うん? なんか様子が変だな……)
小さな違和感を覚えて、カインは上空で停止する。
こういう勘はよく当たる方だ。すこし悩んだ末に、飛行魔法にアレンジを加える。この魔法は風を体に纏わせるもので、出力を増すと海中でも耐えられるバリアとなるのだ。
とぷんと海に潜り、そのまま海底を進んでこっそり船へと近付いていく。
海面から顔を出して周囲を警戒。
誰もいないことを確認してから、船腹に吊り下げられた錨を足がかりにして登った。
そうして魔法を解除すれば、甲板から話し声が聞こえてくる。
「手はずは――」
「すぐにでも――できて――」
ところどころ潮の音にかき消されてしまうが、そのうち耳が慣れて明瞭に聞き取れるようになった。
甲板にいるのは五名ほど。船が停まって困っている、という様子でもなかった。
彼らはせわしなく動き回っており、何かの準備を進めているようだった。大物狙いの漁でもする気なのか、と思いきや……。
「まさか領主殿のご子息がこんな辺鄙な場所にいるとはな」
「まったくだ。知っているのはごくわずからしいぞ」
そんな下卑た笑い声が聞こえてきて、カインは眉をひそめるしかない。
(こいつらまさか、あの坊主を狙ってやがるのか……?)
領主というのは国から地方の統治を託された貴族を指す。
当然ながら敵も多い。中には護身用の騎士団を抱え込んでいるものもいるほどだ。
(つまり領主殿に近しい誰かが、よからぬことを企んでるっつーわけか。ありがちな話だな)
古今東西、こういった謀略はよくあることだ。
だが、そうと分かればカインが取るべき行動はシンプルだった。
相当な報酬が出るらしく、男たちは金の使い道についてあれやこれやと盛り上がる。
その背後に、カインはさくっと現れた。
「さーてと、掃除の時間といきますかね」
「なっ、貴様どこから――がぶっふ!?」
「っ……!?」
驚く男の顔面にグーパンチを叩き込むと、他の面々が動きはじめた。
めいめい腰から剣を抜き放ち、カインをしかと見据えて向かってくる。身の運びからして、どいつもこいつもそれなりの場数を踏んだ者だと分かった。
だがしかし、カインの足下にはとうてい及ばない。ぱちんとひとつ指を鳴らす。
「《グリーン・ギフト》」
「へっ……うぎゃあああっ!?」
その瞬間、男たちの背後から巨大な触手が生え伸びて、彼らを容赦なく打ち据えた。
植物を操る魔法である。すこしアレンジを加えて、海底の海藻を大きく成長させて鞭のように使ってみた。
正面切って乗り込んでいったのも、最初からこの背後からの奇襲を仕掛けるつもりだったからだ。目論見は見事に成功し、男たちはあっという間に海藻で四肢を拘束されて甲板に転がる羽目になる。
その内、顔に傷を持つ中年男がリーダー格だと当たりを付けた。
カインはその男のそばにしゃがみこみ、軽い調子で言う。
「安心しろよ、殺しはしねえさ。しかるべきところに突き出して、親玉を炙り出さなきゃいけねえからな」
「くっ……貴様、いったい何も……の……っ!?」
男は血走った目でカインを睨みつけていたものの、みるみるうちにその顔から血の気が失せていく。やがてその口から悲鳴のような声が迸った。
「貴様はまさか、クズ賢者カイン!? なぜおまえがこんなところにいるんだ!」
「へえ、俺様の顔を知ってるのか」
他の男たちもその単語を耳にするや否や、驚愕の声を上げた。
このあたりはド田舎ゆえ、都を追われたクズ賢者の顔を知る者はほとんどいない。
ゆえに、こいつらは多少なりとも都に近い場所から来たのだろう。
(やっぱ領主様がいるっつー、ワグテイルからか? ま、そいつを調べるのは俺様の仕事じゃねえけどさ)
ともかくこちらの正体を知っているのなら話は早い。
カインは男に向けてニタリと笑う。どんな悪人でも、この笑顔を向ければたいてい大人しくなるものだ。
「なあに、俺様はただの通りすがりさ。大人しくしてりゃ悪いようにはしねえよ」
「……こうなっては仕方ないな」
男は長い吐息をこぼして項垂れた。
他の者たちも静まり返る。これで一件落着だ。カインは陸へと向かうため、男に背を向け風の魔法を使おうとする。そのときだ。
「俺たちにかまうな! やってしまえ、ジョセフィーヌ!」
「何!?」
潮騒と海鳥の鳴き声だけが響く甲板に、男の怒声が轟いた。
カインはハッとして振り返る。
(しまった、まだ仲間が……って!?)
しかしそこで目の当たりにしたのは、予想をはるかに上回る光景だった。
「何だありゃあ!?」
巨大な鯨が、突如として海中から身を躍らせたのだ。
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