体験入学開始!
決戦の日は、あいにくの曇り空となってしまった。
頭上にはどんよりと重い鉛色の雲が広がっていて、今にもぽつぽつと泣き出しそうだ。
太陽はすっかり隠れてしまっているのだが熱気だけが地表にわだかまっている。じめじめ、むしむしとした空気がまとわりつく。
それでも、フィオは早朝からやる気満々だった。
一張羅のワンピースをまとい、髪も自分でセットした。家を出るギリギリまで鏡とにらめっこしていたし、学校までの道中ずっと自己紹介の練習をしていた。
そんな努力の甲斐あって、フィオの体験入学がスタートした。
教室には三十人あまりの子供が席に着いていて、彼らの真正面に立ってフィオは元気よく挨拶する。
「ふぃ、フィオ・レッドラムといいます! よ……よろしくおねがいしま、しゅっ!」
『よろしくおねがいしまーす!』
勢いよく頭を下げたフィオに、教室中から拍手が起こった。
担任だという若い女教師も目を細めて見守っているし、実に微笑ましい光景だ。
それをカインは別の場所――校長室で見守っていた。
「頑張れよ、フィオ……!」
先日と同じソファーに腰を下ろし、教室の様子が映し出された大きな姿見にかじり付いている。遠くの風景を覗く魔法の道具だ。
手に汗握るとはこのことで、カインはフィオの一挙手一投足を祈るような気持ちで見つめていた。そんな彼に、隣で見ていた校長がニコニコと言う。
「いい調子ですね。これならすぐにみんなと打ち解けることでしょう」
「そ、そうか……! ありがとう、校長さん!」
おもわず校長の手を取ってしまう程度には感極まっていた。
そうする間に、鏡の中では女教師が音頭を取ってフィオの紹介を進めていく。
「それではフィオさんに質問があるひと。誰かいませんかー?」
「はい! この初等クラスはみんな年齢がまちまちだけど……フィオちゃんは今何才ですか?」
「え、えーっと……十才です!」
「だったら私と一緒だね、よろしくね」
「はいはーい! いろんな魔法が使えるってほんとですか?」
「うん! 危なくない魔法なら、あとで見せてあげるよ!」
最初は緊張していたフィオだったが、そんな質問をいくつも受けるにつれて笑顔がどんどん自然になっていった。
ひとりで大勢の前に出るなんて、たぶん人生初だろう。
それなのにもうすっかり堂々としている。小さくて可愛い娘の姿が、カインの目には一回りも二回りも大きくなったように見えた。
(子供ってのは知らない間に大きくなっていくんだなあ……)
成長の喜びはひとしおだが、小さな寂しさがカインの胸にチクリと刺さった。
すこし鼻を啜ってしまうと、校長がまた笑みを深めてみせる。
「いかがですか、お子さんの成長を間近で見るのは」
「ああ……魔王を倒したとき以上に感動してるぜ」
「きょ、極端な例を持ち出しますね……」
校長は笑みを引きつらせた。
ちょっとした英雄ジョークだったのだが、本気だと取られてしまったらしい。
ともかく校長はごほんと咳払いして続ける。
「午前中はこうして別室で見学いただいて、午後からはお子さんと一緒にレクリエーションに参加いただきます。よろしいですか?」
「もちろん。でも、レクリエーションってのは何なんだ? こないだもらったしおりには詳細が書かれていなかったんだが」
「はは、季節に応じて変えているんです。今日はみんなで――」
校長との会話は実に和やかなものだった。
そんな折、女教師が教室後方の空席を示してフィオに言う。
「それじゃフィオちゃんはあそこの席に座ってくださいね」
「はーい! マリアちゃんの隣だ!」
「たくさん勉強しましょうね、フィオちゃん」
マリアがニコニコと手を振って歓迎する。
他の子たちも「マリアちゃんいいなー」とか「次は私の隣に来てね!」なんて好意的な声をいくつもかけてくれた。
そんな彼らに見守られ、フィオはまっすぐその席に向かっていく。
しかし、その途中で――。
「きゃっ!?」
「っ!?」
突然フィオが悲鳴を上げて、前のめりに倒れたのだ。
カインは校長との会話を中断しておもわず腰を浮かしてしまう。
しかしフィオの体は床すれすれで浮いていた。どうやら咄嗟に風の魔法を使ったらしい。そのままふわふわ浮かんで体勢を立て直すも、相当驚いたらしく目を瞬かせていた。
「び、びっくりしたあ……」
「ちっ」
そんなフィオに、すぐそばの席に座る少年が舌打ちした。
まわりの生徒と同じ制服を着ているものの、身なりのきちっとした子供だ。さらさらの金髪と切れ長の目があいまって王子様めいた印象を与える。しかしまとう雰囲気はどこまでも刺々しかった。
少年は目をすがめてフィオを見やる。
「魔法が使えるっていうのは本当なんだな。嘘を吐いているのかと思ったのに」
「ま、まさか……」
少年の顔をまじまじと見つめて、フィオはゴクリと喉を鳴らした。
「今、わざとフィオに足を引っかけたの……?」
「はあ? 何か証拠でもあるのかよ」
少年は片眉を上げてせせら笑う。
取り巻きらしき少年らも同調し、目配せして似たような笑みを浮かべてみせた。
「そうだそうだ! フレッドくんがそんなことするわけないだろ!」
「勝手に転んだのに人のせいにするなよなー」
「見るからに鈍くさそうだしなあ」
「なんだとー!?」
「おっ、やる気か?」
声を荒らげ拳を振り上げるフィオに、少年は挑発的な目を向ける。
「おまえ、今日は体験入学なんだろ。早々に揉め事を起こしたら学校に通えなくなるぞ。それでもいいのか?」
「うぐっ……ぐぐぐぐ……!」
フィオは真っ赤な顔で固まって、そのままゆっくりと拳を下ろした。
そこで女教師がハッとして手を叩く。
「こら、ガスパーくんたち! フィオちゃんに謝りなさい!」
「はーい。ごめんなさい、先生」
「ごめんなさーい」
少年たちはぺろっと舌を出して謝罪の言葉を口にする。
誠意がないのが丸分かりだった。険悪な雰囲気に、他の生徒らも顔を見合わせるばかり。
カインも気付けば席を立ってしまっていた。
握った拳はフィオ以上に怒りで震えている。
「なんだあのガ……クソ生意気なお子様は!?」
「フレデリック・ガスパーくん……フレッドくんですね。あのクラスのリーダー的生徒です」
校長も苦虫を噛み潰したような顔だった。
ため息交じりに、やれやれと肩をすくめてみせる。
「なかなか優秀な子なんですが……高圧的なところがあって、お友達とのトラブルが絶えないんですよ」
「なるほど、ガキ大将ってやつか……」
こういう小集団にはありがちな存在だ。
理由は不明だが、ともかくフィオは彼から気に入らない相手として認定されてしまったのだろう。体験入学はまだ始まったばかりだというのに、前途多難だ。
立ったままじっと教室の様子を見つめるカインに、校長はおずおずと尋ねる。
「いかがしますか、カインさん。教室まで殴り込むおつもりで?」
「……いいや」
カインはかぶりを振って、ソファーにどかっと腰を下ろした。
あのお子様にひと言言ってやりたいのは山々だったが、ここはぐっと耐えるときだ。
「よっぽどのことでなきゃ、子供のケンカに口を出すのはダメだよな。あとはフィオに任せるさ」
「はは、そう言っていただけると助かります」
校長はホッと息をついてから、ぼそっと言う。
「何十年も親御さんたちとやり合って参りましたが……さすがの私も、魔王を倒した英雄様を説得するのは骨が折れますので」
「す、すまねえ……ひょっとしなくても、かなり心労をかけちまってるよな?」
絶対にトラブルを起こさないようにしようと、カインは改めて心に誓った。
しかし当然のことながらフィオの体験入学はハプニングの連続となる。
続きは明日更新します。発売まであと少し……!それまで毎日更新します。
そして書影が公開されました。帯にもあるようにコミカライズが決定しております。詳しくはまたおいおい!





