いざ学校へ!
祝・第九回ネット小説大賞金賞受賞!
カインは父親として、大失態を犯してしまった。
そのことに気付いたのは、太陽が照りつける早朝のことだった。
高い空には綿を小さくちぎったような雲がぽつぽつと泳ぎ、その下では木々が枝葉を広げてのどかに揺れている。
そんな平和な朝に、カインは庭の草花に水をやっていた。
「おーおー、立派に育ってきたなあ」
整えた花壇には新緑が芽吹き、ジョウロの水を浴びて気持ちよさそうにしている。
数日前に植えた種は、順調に育ちつつあった。
別の花壇に水をやっていたフィオが、ぱたぱたと駆け寄ってくる。カインに向けるのは、今日も今日とて、太陽すらかすむほどにまぶしい笑顔だ。
「パパ、お水やり終わったよ! ほめてほめて!」
「おう。ありがとな、フィオ」
「むふふー」
カインがわしゃわしゃと撫で回せば、フィオは目を細めてとろんとする。
頭に獣の耳が生えていたら、へにゃっと下がっていただろう。
フィオは花壇に目を留めて、芽吹いたばかりの緑を指し示す。
「この葉っぱが、お薬の材料になるんだよね? パパが作るの?」
「おう。一通りの知識はあるからな。前にマリアの母ちゃんを治したろ? あのときの腕を見込んで、トーカが買い取ってくれるんだとよ」
曲がりなりにも賢者と呼ばれるだけあって、薬学や錬金術の知識も有している。
力を得るためがむしゃらに学んだものではあるが……平和になった今では立派に生活の支えになりそうだ。
フィオは尊敬の眼差しをカインへ向ける。
「パパはお料理だけじゃなくて、なんでも作れるんだね。それじゃ、フィオもお薬作るの手伝うよ。お手伝いのできるいい子だもん!」
「あはは、ありがとよ。でも、フィオにはちょっとまだ難しいかもなあ」
「むうー」
フィオは口を尖らせ、ぷくーっと頬を膨らませる。
しかしすぐに気を取り直してか、キラキラした上目遣いでカインを見上げた。
そうして口にするのは、可愛くもささやかなお願いごとで――。
「じゃあ、おっきくなったらお手伝いするね。それならいいでしょ?」
「……ああ」
カインは一瞬だけ言い淀んでしまうものの、なんとか小さく頷いた。
そのことにフィオが気付かなかったのだけが幸いだった。
「えへへ、早くおっきくなりたいなあ。フィオもお水かけてもらったら、おっきくなるかな?」
フィオは花壇の新緑をつんつんとつつき、ご機嫌だ。
その後ろ姿を、カインはじっと見つめていた。
(大きくなったら……か)
思い起こされるのは、先日見た夢のこと。
荒廃した世界の中で、カインは倒したはずの『魔王』と言葉を交わした。
『私は紛うことなき、いつか魔王になる娘』
彼女は別世界のフィオを名乗り、カインにそう告げた。
その言葉が真実だとは限らない。そもそもあれはただの夢だ。だが、しかし――。
(フィオはすさまじい素質を秘めている。一歩間違ったら……世界中を敵に回しちまうような力だ。それこそ魔王にだってなれるだろう)
フィオの力は強大だ。
きっとそう遠くない未来に、カインすら追い抜くことだろう。
そうなったときに、もしも力の使い方を誤れば、悪い奴らに利用されたら――取り返しの付かない事態を招くのは間違いない。
(道を間違えることのないように、俺様がしっかり教えてやらないとな……)
そんな決意を新たにした、そのときだ。
ぱたぱたと軽い足音が聞こえてくる。
「カインさん! おはようございます」
「おう、マリアか。おはようさん」
現れたのは町の少女、マリアだった。
大きなリュックを下ろして、新聞と何通かの手紙を渡してくれる。
「今日の新聞です。それと、お母さんがまた食堂に来てくださいって言ってましたよ」
「おう、それなら今日あたり寄らせてもらうかな」
「本当ですか? えへへ、お母さんもよろこびます」
カインがにっこり笑って応えると、マリアはぱあっと顔を輝かせた。
最初のころは目が合っただけで逃げられたものの、顔馴染みになった今では屈託のない笑顔を見せてくれるようになっていた。
花壇を見ていたフィオも、彼女に元気よく挨拶する。
「マリアちゃん、おはよ! 今日はなんだかいつもと違うお洋服だねえ」
「えへへ、分かっちゃった?」
「そう言われてみれば……初めて見る服だな」
マリアは白を基調にしたワンピースを身にまとっていた。簡素ながらにどことなくお堅いデザインで、冠婚葬祭にも十分使えそうな逸品だ。
マリアはカインを見上げて、嬉しそうに告げる。
「実は私……今日から学校に行くんです」
「へ」
ばさっ!
学校。
その単語を聞いて、カインは受け取ったばかりの新聞を取り落とした。
硬直したカインに気付くこともなく、マリアは無邪気に続ける。
「お仕事があったから、ずっとお休みしてたんだけど……お母さんの具合もずいぶん良くなったし、行ってもいいよって言ってくれたの」
「そうなんだ! よかったね、マリアちゃん」
フィオはにこにこと笑う。
友達が楽しそうで自分も嬉しくなったらしい。
しかし、すぐにこてんと小首をかしげてみせるのだ。
「ところでマリアちゃん。『がっこー』ってなあに?」
「フィオちゃん、学校のこと知らないの?」
「うん。聞いたことはあるかもだけど……うーん、なんだっけ?」
フィオはうんうん唸ってみせる。
いくら悩んでも答えが出なかったらしく、後ろのカインを振り返るのだが――。
「ねーねー、パパ。パパは『がっこー』って知って……パパ?」
「忘れてたあぁああああああ!!」
「うわっ」
「カインさん!?」
その瞬間、カインは膝から崩れ落ちて絶叫した。
(そうだよ! 普通、このくらいの子供なら学校に通うもんだろ!? すっかり失念してた……!!)
とんでもない魔力を秘め、いっぱしの軍人程度なら笑顔でしばき倒せるフィオとはいえ、まだ十歳の子供。当然、学校に通わせるべきだった。
この国には教育制度が行き届いており、どんなにど田舎の子供だろうと近隣の学校に無償で通うことができる。
事情があって満足に教育を受けられなかった者たちには、夜間学校という道も開かれている。
予算は莫大だが、身分という枠組みを超えて優秀な人材を育てるための仕組みだ。
『魔王によって甚大な被害を受けた今、この世界に必要なのは未来を担う人材じゃ。そのためなら投資は惜しまぬぞ! わははは!』
以前そんなふうに、リリア姫が熱く語っていた。
まあ、それはともかくとして。
カインはよろよろと起き上がり、フィオを抱きしめておいおいと泣いた。
「ごめんな、フィオ……! 学校に通わせてやらなかったなんて、俺様は父親失格だぁ……!」
「よ、よく分かんないけど。元気出して、パパ」
「大丈夫ですか、カインさん」
そんなカインを、フィオがよしよしと宥める。
マリアもカインの乱心におろおろするばかりだ。
幼女ふたりに気遣わしげな目を向けられながら、カインは歯を食いしばる。
(フィオに必要なのは、力の使い方を覚えることだけじゃない……! もっとたくさんの人と接して、世界を見ることだって大事に決まってる!)
字の勉強や魔法の練習ももちろん大事だ。
だがそれ以上に見聞を広めるのは大切なことだった。
カインはフィオからそっと体を離し、真剣な顔で切り出す。
「いいか、フィオ。学校っていうのは……同じ年ごろの子供と一緒に勉強するところなんだ」
「みんなで一緒にお勉強!? なにそれ、楽しそう!」
フィオが目をキラキラと輝かせる。
それにマリアがにこにこと補足した。
「それだけじゃなくって、給食を食べたり、一緒に遊んだりするよ。このまえは遠足で、街の博物館に行ったしね」
「きゅ、きゅーしょく……! えんそく……!? はくぶつかん!?」
マリアの言葉を繰り返すごとに、フィオの目は輝きを増していった。
言葉の意味は分からないなりに、何かとてつもなく素晴らしいものだというのを直感したらしい。
フィオはぐっと拳を握りしめ、カインに宣言する。
「フィオも! フィオもがっこーに行ってみたい!」
「ふっ……そう言うと思ったぜ」
その言葉を、カインは強く噛みしめた。
そうと決まれば話は早い。今日の予定が決まった瞬間だった。
「よし! これから学校へ殴り込みだ! フィオの入学を頼みに行くぞ!」
「わーい! がっこーだー!」
「それなら私が案内しますね。ふふ、フィオちゃんと一緒に通えたら楽しいだろうなあ」
こうして三人で準備を整え、意気揚々と町へと向かうことになった。
しかしそれから一時間後。
学校の校長室にて、カインらは無情な宣言を突きつけられるのだった。
「申し訳ありませんが……フィオさんの入学を認めるわけにはまいりません」
「なっ……!?」
「えええっ!?」
この度、本作が第九回ネット小説大賞様にて金賞をいただくことになりました!これも皆様の応援のおかげです!
宝島社さんで出版予定となっております。また続報があり次第お知らせいたします。
それを記念して更新再開いたします。
また不定期になりますが、ぼちぼち書いていこうかと。
カインとフィオの親子を今後もよろしくお願いします!





