クズ賢者、ぶん殴る
山に轟く爆音は、もちろん旅館の方にも届いていた。
「なんの騒ぎだ……?」
中庭で談笑していたカインだが、断続的に響く音に気付いて顔を上げる。
軽く探索魔法で探ってみるが、結界の中にいるせいかうまく発動しなかった。
「あれまあ、珍しい。山に侵入者がいるようや」
その一方で、主のヨシノには賊の居場所が分かったらしい。
腰を上げて山をじっと見つめる。
侵入者とは物騒極まりないものの、彼女の口元には薄らとした笑みが浮かんでいた。まるで、ちょっとしたワガママを言う子供を前にした母のような表情である。
「なんや敵意は感じんし、遊んどるみたいやわ。どれ、ちょっと様子を見てこよかね」
「それなら俺様も一緒に行ってやろうか?」
「ええよ、お客さんはゆっくりして……あら? こっちに近付いてきとるわ」
「へ?」
カインが首をかしげた、そのときだ。
「えへへっ、フィオの勝ちー!」
そばの茂みががさっと揺れて、フィオが飛び出してきた。
浴衣姿のままだが、その辺を元気に走り回ってきたのか髪が少し乱れている。カインに気付くと、きょとんと目を丸くした。
「あれ、パパ?」
「フィオ!? いったい何を――っ!?」
「ひっ、ひい……! 助けてくれえ……!」
そのフィオに続き、現れるのはズタボロになった男だった。
浴衣はぼろ切れ同然で、あちこちにかすり傷を負っている。顔には色濃い死相が浮かんでいるし、綺麗に整えられていたであろうヒゲもすっかり焦げてしまっていた。
悄然とした男は、すっかり変わり果てていた。
しかしカインはその顔を見間違えるはずもなかった。
「ヒューゲル!?」
「き、貴様は……!」
男、ヒューゲルがこちらに気付いて息を呑む。
そんなカインとヒューゲルを見て、フィオが目を瞬かせて――カインはぷつんとキレた。
「てめえ! 俺様の娘に何してやがるんだ!」
「ごぶっふぉ!?」
思いっきり殴り飛ばすと、ヒューゲルは面白いほどに転がっていった。
死なないように手加減したが、この男をぶっ飛ばすのはこれで二度目である。
カインはフィオの両肩をがしっと掴み、その顔を覗き込む。
「大丈夫だったか、フィオ!? あのクソ野郎に何かされなかったか!?」
「おじちゃん? 一緒に遊んでただけだよ? なんで?」
フィオは不思議そうに小首をかしげるだけだった。
それどころか目をキラキラさせて、身振り手振りで興奮を伝えてくる。
「あのね、山でおじちゃんと鬼ごっこしてたの! フィオが鬼だったんだよ、楽しかったー!」
「お、鬼ごっこ? なんでそんなことになったんだ……?」
カインはわけが分からず、目を白黒させるばかりだった。
宿敵がこの場にいることも、それがフィオと鬼ごっこを繰り広げた理由も、何もかもちんぷんかんぷんだ。
(つーかフィオ、あいつの顔を知らなかったんだな……)
自分を研究施設に閉じ込め、カインのもとへと送った張本人――いわばフィオにとっての宿敵だ。
それをどうやら、知らず知らずのうちに引っ張り回してズタボロにしたらしい。
(意趣返し……になるのかなあ)
カインはどう言っていいものか迷い、軽く天を仰いだ。
そこにヨシノが意外そうに口を挟んでくる。
「あれま、ヒューゲルはん。このお客さんとお知り合いなん?」
「よ、ヨシノどの……! 助けてくだされ!」
ヒューゲルは這うようにしてヨシノへ縋り付く。
腫れた顔をさらに赤くして、声の限りに叫んだ。カインへ人差し指を向けながら――。
「あの男こそが、貴殿に天誅を下していただきたいクズ賢者なのございます!」
「……なんて?」
「ですから、この男こそがカイン・デュランダル! 魔王の娘を手懐けて世界征服を目論んでいる超絶危険分子なのです!」
「なんでだ!?」
ヨシノが眉をひそめ、カインはカインでツッコミを叫んだ。フィオを背中で庇いつつヒューゲルに向かって怒声を上げる。
「そういやてめえ、王都でもそんなことを言い触らしていたらしいが……俺様がいつそんな物騒なこと言った!?」
「この期に及んで言い訳か! 貴様の企みなどすべてお見通しだ!」
「だから何も企んでないっつーの! いい加減に……っ!?」
ヒューゲルに怒鳴りつけたカインだが、ふと口をつぐんでしまう。場に、ひりつくような殺気が満ちたからだ。首元に刃を突きつけられたような、鋭利な気配。
「……なるほどねえ」
口を開くのはヨシノだ。
その顔に浮かんでいたのは、ぞっとするほどに美しい微笑。
まるで鬼神のごとき威圧感を纏った彼女に身構え、カインはフィオを抱き寄せる。
しかし、彼女はこちらになど目もくれず――キッと目を吊り上げてヒューゲルを睨んだ。
「よーく分かったわ。あんたの言うてることが……全部大ウソやってことがねえ!」
「は、はい!? どういうことっ、げぼろばぎょぼぉ!?」
ヨシノが右手を振るうと、そこに大きな棍棒が現れる。
それを思いっきり振り回してヒューゲルをぶっ飛ばした。
カインが殴り飛ばしたときの数倍は転がっていき、そこにヨシノが追撃をかけた。
「こんなに立派なお人が悪人なわけないやろが! あんたが何か企んどるんやろ! 冗談は顔だけにしときや、ほんまに!」
「ちょっ、まっ……!?」
「お、おい、ヨシノ! それ以上はマジで――」
死ぬからやめろ、とカインは制止しかけたものの。
ヨシノは素早く呪文を唱えて印を切る。その瞬間、ヒューゲルの足下に漆黒の水面が生じた。水面は音もなく揺れており、獲物を待ち構えてじっと身を潜めるヘビのようだった。
どろりと濁ったその中に、ヨシノはヒューゲルを蹴り飛ばす。
「その中でみっちり反省しぃ! この腐れ外道が!」
「うぎゃあああああああ!?」
ヒューゲルは断末魔の悲鳴を残し、漆黒の中へと沈んでいった。
「えっ、おじちゃん? なんで?」
「……さあ?」
フィオが首をかしげる横で、カインも展開について行けずに目を瞬かせることしかできなかった。
続きは明日更新します。
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