クズ賢者、当分まだ王都に戻れそうにない
「それにほら、五年前に懸賞金をかけられたおかげで、俺様はクーデリアとリリアに会えただろ。このクズ賢者っつー汚名も、将来的にはいい経験ってことになると思うんだ」
そう言って、膝の上のフィオをぽんぽん撫でる。
「今回も追放されたおかげで、こんな可愛い娘もできたしな。いつか笑い話にできるはずさ」
「パパ……」
じーんとカインの顔を見上げるフィオだった。
クズ賢者の異名はたしかに不本意だが、今の言葉はまぎれもなくカインの本音だった。
明けない夜はない。きっといつかは、この汚名を完全払拭できる日も近いはずである。
そう思っての発言だったのだが――クーデリアとリリアの反応はまったく予想外のものだった。気まずそうに目を逸らし、じーっと押し黙る。
おかげでカインは不安になった。
「えっ……なんでお前ら、そんな反応なんだよ。ここは『その通り!』とかなんとか言うところだろ」
「いや、その……なんと申し上げますか……」
「クーデリア、わらわから話そう……」
「申し訳ありません、姫さま……」
しゅんっと項垂れるクーデリアの肩を叩き、リリアが渋面でかぶりを振る。
どう見ても深刻そうな空気に、カインとフィオはそっと顔を見合わせることしかできなかった。
そんな中、リリアは真剣な声色で切り出す。
「単刀直入に言う。おぬしが追放されるきっかけを作ったヒューゲル将軍に動きがあった」
「なに?」
「というか、つい十日ほど前に行方をくらませてしまったのじゃ」
「なっ……そ、そりゃまずいんじゃねえのかよ!」
裏で奴隷売買に手を染めていた将軍、ヒューゲル。
そんな悪人が行方をくらませたともなれば、何をしでかすかもわからない。
「捜査の手から逃げるためか……? ちっ、やっぱり卑劣な輩だぜ」
「いや、その、それなんだがのう……」
リリアは少し言い淀み……やがてため息混じりにこう告げた。
「将軍はおぬしに……クズ賢者カインに消されたそうなのじゃ」
「…………は?」
「いやあの、噂です。そういう噂になっておりますの」
ぴしっと固まるカインに、クーデリアは補足する。
頰に手を当てて悩ましげにぼやくのは、最近のヒューゲルの動向だった。
彼は表向きそれなりに真面目な軍人で通っていたものの、近頃は公務を怠りがちになっていたという。
日中であろうと執務室で酒をあおり、この世の終わりのような顔をしていた。
そうして目についた使用人や部下を捕まえて、こんな泣き言をこぼしたという。
いわく――。
『クズ賢者の野望を知ってしまった。私はもう終わりだ……!』
――と。
そう説明して、クーデリアは気の毒そうに目をそらす。
「その挙げ句の失踪でございましょ? そりゃまあ当然そういう噂にもなりますって」
「カイン、一応聞いておくが……あやつに何かしたか? どこの山に埋めたとか正直に教えてもらえれば、わらわも内緒で手を貸すのだが……」
「何もしてねえよ!?」
カインは絶叫するしかない。
たしかにヒューゲルには、いつかきっちりと落とし前をつけようとは思っていた。
これまでの悪事や、フィオに対する非人道的行いの数々……そうした諸々は決して許すわけにはいかなかったからだ。
しかし将軍の悪事が明るみにならない今、制裁を加えても罰されるのはカインの方で。
だからリリアやクーデリアが将軍の尻尾をつかむまで、お礼参りは待つつもりだった。
そうだというのにこの事態。
まさに寝耳に水の衝撃だった。
「あいつとはそもそも三ヶ月前のパーティ以来会ってねえし……つーかそもそも『クズ賢者の野望』ってなんのことだよ!?」
「さあ……誰もその詳細までは聞いていないんですよねえ」
「今のところさっぱり分からん。なんぞ複雑な勘違いでもしおったのかのう」
「何をどう勘違いしたら、三ヶ月前に会ったきりの俺様の野望を今さら知るんだ!?」
わなわな震えていると……じーっとした視線を感じて目を落とす。
膝に座ったままのフィオが、カインを見上げて、こてんと小首をかしげてみせた。
「ねーねー、パパ。さっきから言ってる『ヒューゲル』って人、それって悪い人なの?」
「ま、まあ……そんなとこかな」
カインはごにょごにょと言葉を濁す。
ヒューゲルの悪事を説明すると、フィオに嫌な記憶を思い出させることになるからだ。
あいまいな返答に、フィオはにっこりと笑う。
「よくわかんないけど、悪い人がパパを怖がってるってことだよね? やっぱりそうだよね、だってパパは正義の味方だもん!」
「あはは……そういうことにしとくか……うん」
無邪気な愛娘の笑顔が、せめてもの救いだった。
フィオの頭を撫でていると、リリアが話を続ける。
「ヒューゲルの副官の方も、辞表を置いて姿を消してしまってのう。どちらも目下捜索中じゃ」
「ただ、今回の噂が思った以上に広まっておりましてねえ。王都中、もうあちこちでカイン様の野望は何なのかと、市民はみーんなその噂でもちきりで、前以上に恐れる始末でして」
「つまり……?」
「うむ。今回呼び出したのは、おぬしに忠告するためじゃ」
リリアは薄く微笑んで――そっと目をそらして告げる。
「おぬし、当分まだ帰ってくるでないぞ。王都に顔を出しでもしたら……おそらくパニックになるからのう」
「マジかー……」
カインはもう、気力なく呻くことしかできなかった。
てっきり、お礼参りのゴーサインがもらえるものだと思っていたのに。
それでヒューゲルをぶちのめし、汚名も払拭して万々歳……という青写真はあっけなく破れてしまった。
別に王都に帰れなくても問題は無い。
ライラックの町は住みやすいし、フィオもお気に入りだ。いっそ永住してもいいとさえ思っている。しかし……王都の噂は間違いなく全国に広がる。カインの新しい疑惑もまた、あちこちに伝搬することだろう。
(真の平和は遠かった、ってわけか……)
先日、トーカの店でのんきにサイダーを飲んでいた、あの瞬間が懐かしい。
遠い目をするカインを前にして、リリアとクーデリアは慌て始める。
「なあに、やつらを見つけ出しさえすれば解決する話じゃ! とりあえず今日はおぬしの慰労をしようと思ってな! 食べて飲んで、温泉に入って嫌なことを忘れるといい! な!」
「おんせん? おんせんってなあに?」
「おっきなお風呂ですよー、フィオちゃん。温まった後には、名物の桜アイスも食べさせてあげますからねー」
「お風呂とアイス!? パパ、行こ!」
「はは、わかったわかった……」
立ち上がってはしゃぐフィオに、カインは相好を崩す。
たしかにくよくよしても仕方ない。今はふたりの慰労の気持ちをありがたく受け取ることにしよう。
そう思いつつも……やっぱり気になるのは将軍のことだった。
(あの野郎、いったいどこに消えたんだ……? 国外に逃げられるとまずいよなあ……)
魔王を倒し、世界には平和が戻った。
それゆえ、国同士のいざこざもまた昔のように増えつつあった。
カイン達が暮らすこの国――グランシャール王国と、折り合いの悪い国というのも存在する。そこに逃げられでもすると、事態はかなりややこしいこととなるだろう。
(俺の《サーチ》の魔法で調べられるのはせいぜい数キロってところだし。どうしたもんかねえ……)
カインは胸中でぼやきつつも、フィオにせがまれるまま離れに備え付けられた温泉へと向かった。
まさかその同時刻――魔法で探せる範囲内にそのヒューゲル将軍がいたなんて、このときは思いもしなかった。
続きは5月21日(木)更新します。
明後日分で前半終了。後半は来月くらいになるかと思います。





