勘違いの果ての死亡フラグ
蝋燭の明かりだけがちらつく執務室にて。
「ちっ……ドランクのやつめ、遅すぎる……!」
ヒューゲルは苛立ちを隠そうともせず、机の天板を殴りつけた。
それを諫めたり、宥めたりするような者は部屋にはいない。
彼の忠実なる副官は、潜入調査に向かったまま未だに戻っていなかった。
クズ賢者カインの調査だ。
いったい奴が何を考え、魔王の娘を手懐けたのか……その真相を明らかにすべく、たったひとりで西の辺境へ向かった。
予定では今日の朝には帰りつくはずだったのだが、もう夜もとっぷり暮れて、日付が変わる間近である。
「いったい何があったんだ……あいつが手こずるなんて、よほどのことだぞ……」
ドランクは戦闘能力こそ低いものの、政治的な手腕はひどく優秀だった。
口先三寸で相手を丸め込むのは朝飯前で、立ち回りも得意な方だ。
これまでにも何度もヒューゲルの敵について調べ上げ、的確な手を打ってきた。それがこんなに約束の時間に遅れるなんて……彼を手元に置いて、初めてのことだった。
苛立ちと不安が募り、ヒューゲルは執務室を意味もなく歩き回る。
しかし、そこに来てようやく廊下で物音が響いた。
ゆっくりと扉が開く音もして、ヒューゲルはほっと胸を撫で下ろしつつ扉の方を振り返る。
「ドランク! ようやく戻って――ドランク!?」
「ひゅ、ヒューゲル様……」
ドランクは部屋に足を踏み入れるなり、操り人形の糸が切れたように床へと倒れる。その姿は見るも無残に変わり果てていた。
潜入調査用に用意した旅人装束はズタボロで、全身傷だらけ。目のあたりも腫れ上がり、本来涼やかな顔立ちが台無しだ。暴漢によってたかって暴行を受け、命からがら逃げ延びた――ようにしか見えなかった。
ヒューゲルは部下のもとに慌てて駆け寄る。
「い、いったい何があったんだ!」
「た……大変です、ヒューゲル様……!」
ドランクは手を伸ばし、ヒューゲルの胸元を握る。
そのまま彼はかすれた声で、こう告げた。
「クズ賢者、カインは魔王の娘を手懐けて……この国どころか、世界を手中に収めるつもりです!!」
「なんだとぉ!?」
この場にカインがいたら『なんでだ!?』と声の限りにツッコミを叫んだだろうが、残念ながら彼はこの場にいなかったので、部屋にはヒューゲルの悲鳴だけが轟いた。
それからドランクが語ったのは身の毛もよだつ事実の数々だった。
カインは自ら魔王の娘と腕を比べ(※娘に萌え転がっていただけ)――。
人気のない山で訓練を行い、目撃した木こりたちを口封じして(※盗賊団を成敗しただけだが、ドランクは遠くから監視していたので囚われた行商人たちが見えなかった)――。
極め付けには町中で堂々と『俺たちで世界を取る』なんて宣言して(※散歩中の犬がうるさくて、『世界中の、困ってる人たちを助ける』というセリフがちゃんと聞き取れなかった)――。
聞くにつれ、ヒューゲルの顔から血の気が引いていく。
優秀な副官であるドランクが見聞きしたことが間違いであるはずがないからだ。
「ま、まさかおまえ、その怪我は賢者カインにやられたのか!?」
「いえ……違います。やつが金で雇ったゴロツキどもにやられました……」
町でカインと親しげに話していた男たちは、どこからどう見てもカタギには見えなかった。
話を伺えば、カインから金銭を受け取ったらしいと分かり……ドランクは彼らの宿を調べて会いに行ったのだ。そうして買収を持ちかけた。
『カインの出した倍額金を出すので、こちらについて欲しい。やつの動向を詳しく教えてくれ』
その結果がこれだ。
ゴロツキたち(※ただの普通の行商人たち)はやれ『てめえ、あの人に何をするつもりだ!?』だの『金で俺らがあの人を裏切るわけねえだろ!』だの『ふてえ野郎だ、やっちまえ!』だのと叫んで襲いかかってきた。
おまけに騒動を聞きつけて他の住民たちが集まった。
仲裁してくれるかと思いきや、彼らも事情を聞いて豹変し、全員もれなく鬼のような形相でドランクに襲撃を加えた。
美人のウェイトレス三人組は包丁を振り回し、ヨボヨボの老人は重い木箱をぶん投げ、その辺りにいた子供たちはパチンコで石を飛ばし――町中大騒ぎになったものの、カインが出てこなかったことだけが救いだった。
まさかカインがその時間帯、マリアの家で大掃除などに精を出していたせいで騒動に気付かなかったなんて、ドランクが知る由もない。
「おそらくカインは、あの町全員を洗脳しています……世界征服の第一歩というところでしょう」
「な、なんということだ……! 今すぐ軍を動かして……いや、それはマズいか……!」
そもそもカインに魔王の娘を差し向けたのはヒューゲルだ。
カインの企みを軍部に報告すると、この事態を招いた責任を取ることとなる。
そうなると痛くもない腹を探られて、過去の悪行が明るみになる可能性もあり……下手に目立つことは絶対に避けねばならなかった。
しかしこのまま黙って見ていれば、いずれ自分の身にも累が及ぶのは明らかで――ヒューゲルは血走った目でぐっと拳を握る。
「こうなったら……どんな手を使ってでも、私自らやつらを始末するしかない……!」
これにて本章終了です。お付き合いいただきましてありがとうございました!
続きは五月の初旬か中頃……次の章をある程度書き溜めてから戻ってまいります。
こんな情勢ですし、すこしでもお暇潰しになりましたら幸いです。のんびりお待ちください!





