悪人たちに衝撃走る
その日、ヒューゲル・ガエリウス将軍は自身の執務室にて、喜色満面の笑みを浮かべていた。
「そうかそうか、ようやく報告が上がってきたか」
「はい」
執務机の前でヒューゲルに頷くのは、彼の忠実なる副官である。
メガネをかけた細身の男だ。
文官上がりのひ弱そうな見た目だが、ヒューゲル将軍の忠実な部下として日夜様々な仕事に励んでいる。そしてそれは……裏の商売についても及んでいた。
彼は恭しく頭を下げる。
「お待たせしてしまい申し訳ございませんでした。ですが、何しろ相手はあの賢者カイン。こちらの動向を気取られる恐れがありましたので、調査は慎重に行う必要がございまして……」
「かまわん。相手があれでは、時間がかかるのは仕方あるまい」
ヒューゲルは渋面を浮かべて、机の上に広げられた新聞に目を落とす。
そこには大捕物の末、王都に潜伏していた奴隷商人が摘発されたという大事件が載っていた。
ヒューゲルはその紙面をぐしゃりと握りつぶし、机を叩く。
「まったくもって忌々しい……あのクズ賢者め。奴のせいで私の事業が台無しではないか!」
「あの騒動で、ベルンシュタイン卿の興味を引いたのが不味かったようですね……」
副官もため息をこぼすばかりだ。
法で禁じられているとはいえ、奴隷を必要とする者は数多い。
しかもそれは特権階級になればなるほど多くなり……ヒューゲルはそんな彼らに奴隷を斡旋して、多くの隠し財産を築いていた。
商売が軌道に乗ったのは魔王の存在が大きかった。
魔王の被害によって家族を亡くし、天涯孤独となる者が世界各地で非常に多かったのだ。
ヒューゲルは表向きの顔を使ってそうした者たちを保護し、それを金持ちに売り渡すということをここ数年ずっと続けていた。
しかしその栄華も昔の話だ。
魔王が倒されて世界が明るさを取り戻すにつれて事業はやりづらくなり……先日、とうとう冒険者ギルドを率いたクーデリア・ベルンシュタインによって裏組織は摘発されて、商品はすべて奪われてしまった。
ヒューゲルは手下たちに身分を明かすことなく、顔を隠して裏の仕事をしていた。
ゆえに捕らえられた彼らからヒューゲルに繋がる証言が出るとは思えないが……しかしそれも気休めでしかなかった。
まだ、非常に大きな懸念材料が残っているからだ。
新聞を払いのければ、書類の束が顔を出す。
そこに書かれているのはカイン・デュランダル――魔王を倒して世界を救った英雄の詳細なプロフィールだ。
「賢者カインは、どうやらこれまで各地の孤児院に相当な額の寄付をしているようです」
副官は眼鏡のブリッジを上げて、淡々と告げる。
「このことから察せられるに……おそらくあの男もヒューゲル様と同じ。孤児院に取り入り、子供たちを奴隷として売買していたに違いありません」
「ちっ……やつが奴隷商を探しているというから、商売を持ちかけたというのに……まさか商売敵だったとは。ライバルを潰せて、今頃さぞや愉快な思いをしていることだろう」
「ええ。しかも中々のやり手です。どれだけ調べても、寄付していた孤児院に怪しいところが何もない。子供が消えた記録すらありません」
「入念な裏工作……さすがはクズ賢者だな」
ふたりは神妙な面持ちで目配せし、うなずきあう。
まさかカインが本当にただの善意で寄付をして、子供たちも幸せにのびのび暮らしているなどという可能性には、一切思い至らない様子であった。
「ちなみに、奴隷商を探していたのは正義感ゆえ取り締まるためだ……という話も一部では信じられているようですが」
「あれがそんな人間に見えるか……?」
「いえ、まったく思いません。おそらく自ら流した情報でしょう」
「まったく用意のいいことだ」
ヒューゲルは顔を曇らせて嘆息する。
しかしすぐにその口元に揶揄するような笑みを浮かべてみせた。
「だが、さすがのクズ賢者も……魔王の娘とやりあってはただでは済むまい」
「ええ。何しろ我が軍部が手を焼く逸材でしたからね、あれは」
副官は辟易したとばかりに肩をすくめる。
魔王の娘――フィリオノーラは、この国の中でも限られた者しか知らないトップシークレットだった。
当初は魔王と同等の力を持った子供ということで、他国を牽制するための兵器として育て上げる計画だった。
だがフィリオノーラは軍に非協力的で、さらに洗脳魔法の類も効かず、その計画は早々に頓挫する。
それゆえ処分することも検討されたが、力が強すぎるため並の術者では太刀打ちできず、完全に持て余した状態だった。
人権意識の強い第一王位後継者リリア姫などに魔王の娘の存在がバレては、軍部全体の責任問題となりかねない。
軍部を率いる第二王位後継者――クラウス王子も大いに焦っており、早急に手を必要があって……そこでヒューゲルは妙案を思いついたのだ。
魔王の娘とクズ賢者をぶつけ合わせ、共倒れを狙うという妙案が。
「あの男ならば魔王の娘を殺せるだろう……だが、けっして無事で済むはずがない。あの娘はうちの名だたる魔法使いどもが束になっても敵わなかった化け物だからな」
「ええ。首輪のトラップもあることですし、腕の一本や二本持って行かれても不思議ではないかと」
「その程度、やつなら自分の魔法で治せるだろうが……まあ、多少は溜飲が下がるというものだな」
ヒューゲルは頬を撫で、舌打ちする。先日のパーティーでカインに殴られた際の傷はもう完全に癒えているが、腹の虫は収まらないままだ。
しかしカインが魔王の娘とぶつかって重傷でも負っていれば……その鬱憤もすこしは晴れるというものだった。
ヒューゲルは目を細めて副官を見やる。
「それでどの程度の被害が出た。魔王の娘の遺体は一部でも回収できたか? 研究院の奴らに回せば、多少の恩を売ることができるだろう」
「そうですね。先ほど上ってきたばかりの報告なので私もまだ目を通しておりませんが……どれどれ」
副官の男は懐から紙の束を取り出す。そのまま紙を一枚めくって――。
「……は?」
「む?」
副官は目を丸くして固まった。おかげでヒューゲルは首を捻るしかない。
副官は冷静沈着がモットーで、どんな汚れ仕事を任せても眉一つ動かすことがない。
そんな男の顔から、次第に血の気が引いていく。紙をめくる指先は震え、ますます尋常ならざる事態が起きていることが察せられた。
これにはさすがのヒューゲルも肝を潰した。口元の笑みは一瞬で消し飛んで、思わず机を叩いてしまう。
「い、いったい何があったんだ! 賢者カインはどうなった!?」
「ご、ご報告申し上げます。カイン・デュランダルは……」
副官はそこで言葉を切って大きく息を吸い込んだ。気力を振り絞るようにして、読み上げることには――。
「クズ賢者カインは、魔王の娘を手懐けて……近隣の町でも評判の善人親子として、のんびり平和に暮らしているようです……!」
「…………は?」
続きは明日更新します。
ここから親子は平和に暮らしているのに、なぜか裏で悪人たちが勘違いして自滅したりするターンです。お楽しみいただければ幸いです。
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