賢者の娘
カインが魔狼の群れを倒し、町へと戻ろうとしていた頃。
フィオは自分のこれまでの人生について振り返っていた。
物心ついたとき、フィオは大きな館にいた。
とはいえ、そこは決して自分の家と言えるような場所ではなかった。
フィオに与えられていたのは物置として使われていた小部屋で……毎日朝も夜もなく掃除などの簡単な仕事を与えられ、小間使いのような暮らしをしていた。
ずっとそんな生活だったので、フィオはそれが普通のことだと思っていた。
だが、町で自分と同じくらいの年の子供を見て、衝撃を受けることとなる。
子供はフィオよりずっと綺麗な服を着て、優しそうな男の人と女の人と一緒にいた。
それが『父親』や『母親』と呼ばれるものであり……自分にはその両方がいないこととに気付いてしまった。
屋敷では多くの女性が暮らしていた。
彼女らはフィオが捨て子で、両親はどこの誰かもわからないと教えてくれた。
『いつかきっと……パパとママが、フィオのことを迎えに来てくれるよね……?』
いつしかフィオはそんな夢を抱くようになっていた。
しかし実際にフィオを迎えに来たのは物々しい兵士達だった。
彼らはフィオを館から連れ出して、どこかもわからない建物の檻の中へと閉じ込めた。
そこでは誰もフィオのことを名前で呼ばなかった。
ただ『魔王の娘』とだけ呼ばれ、暗いところに閉じ込められ、殴られたり蹴られたり、ひどいことをたくさんされた。
毎日痛くて辛くて泣いてばかりいると……ある日、魔法が使えるようになって、フィオを蹴り飛ばしていた兵士のひとりを黒焦げにしてしまった。
それからはもっと酷いことばかりが降りかかった。
いつしかフィオは『両親が迎えに来てくれること』を諦めていた。
かわりに夢見たのは『この日々が終わること』、ただそれだけだった。
だからその地獄の日々が終わりを迎えて、『パパ』と呼べる人ができて。
フィオは本当にうれしかった。
そのふたつの夢を叶えてくれたカインのことが、大好きになった。
彼みたいに、強くて優しい人になりたいと、心の底から願うことができた。
そしてそれこそが……フィオが今、そこに立つ理由だった。
よく晴れ渡った空のもと。
街道へ続く門には、大勢の大人たちが集まっていた。
魔狼によって怪我をした者、それを介抱していた者……そんな者達がみな一様に血相を変えて、町の外に向かって口々に叫んでいる。中にはあのトーカの姿もあった。
「ダメよフィオちゃん! 戻ってきなさい!」
「誰かなんとかできないのかよ……!」
「む、無理だ……! 相手は魔狼だぞ!?」
彼らが見つめるのは街道脇の草むらだ。
そこには大きなカバンを背負った女の子と、それを狙う魔狼がいて――その間に、フィオは立ちはだかっていた。
「だめ……! に、にげて……!」
「やだ! 絶対逃げない!」
女の子は腰を落としたまま叫ぶ。
それを振り返ることもなく、フィオは首を横へ振った。
こうなったのは簡単な話だ。
ただならぬ事態にいても立ってもいられずに、こっそりと店を抜け出してトーカ達の後を追いかけた。そうしてたどり着いた門の先で、魔狼に襲われそうになっている女の子を見つけて、迷うことなく飛び出した……それだけだ。
ほんの十秒ほど前のことが、フィオにはずっと昔のことのように感じられた。
魔狼は目を細め、食糧が増えたとばかりに舌なめずりをする。
その体はとても大きい。ぬらぬらと光る牙は鋭く、フィオを食い殺すことくらい朝飯前だろう。
ひざが震える。目尻に涙が浮かぶ。それでも、フィオは逃げるわけにはいかなかった。
(怖くなんかない……! だってフィオは……フィオは、パパの子だもん!)
カインならこんなとき、絶対に女の子を見捨てない。
だから彼の娘であるフィオも同じ事をする。
それに彼は言っていた。フィオならきっと魔法を使いこなすことができる、と。
それがきっと今このときだ。
(フィオは魔王の娘なんかじゃない……! だから、絶対にこの子を助けるんだ!)
カインの言葉を思い出せば、体から力が湧き上がるのを感じた。
恐怖はやがて薄らいで、確かな決意だけが心に満ちる。
やがて魔狼が地を蹴った。
躍りかかる巨体を前にして、フィオはうろたえることもなく――人差し指を突き付け、叫ぶ!
「狼さんなんか……まっ黒焦げになっちゃえ!」
「ギャ――――ウッ!?」
その瞬間、空を割るような巨大な稲光が走り、魔狼の体を轟音とともに打ち据えた。
本章ラストなので明日は三回更新予定です。
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