第144話 闇夜に紛れて
窓から差し込む月が廊下を照らしている。
踏み出す足の音は床に敷かれた絨毯が吸収してしまい、羊毛の中に消えていく。
そのせいで自分の心臓の音がうるさく聞こえるほどに辺りを静寂が包む。
目的地である教皇が寝ている部屋までやけに遠く感じるが、急いで物音を立てるわけにはいかなかった。
このままバレずに教皇を暗殺する必要があった。
教皇暗殺は強引な手で、自分の犯行がバレてしまう可能性があった。
出来ればこのような強硬策に出たくはなかったが、それもこれもあの王女様と、サルバトーレという貴族のせいだった。
最初は教会を新しく建てるという話から、大聖堂建築計画まで話が膨らんだ。
この国にはまだ大聖堂といえるほど大きな教会はなく、信者の聖地と呼べない場所であった。
国として大きいこの場所で教会の勢力を伸ばしたかったので、今回の話は喉から手が出るほど求めていたことだった。
大聖堂という話になってから国も関与することになり、この計画に第二王女が参加することになった。
そこまでは順調であったのだが、王女の行動が予想外だったのだ。
大聖堂計画に国が関わるのはわかる。だが、その際に教皇に関与してくるのは誤算だった。
不意打ち気味に王女様から教皇の治療をお願いされると断るのは立場上困難だった。
長い時をかけ教皇の座を手に入れるための準備をしてきた。
遅効性の毒を教皇に摂らせ、内部の味方を増やし敵を排除してきた。
危険を冒してまで行ってきた努力が今水の泡と化そうとしているのだ。
「許せないわ!」
つい感情が昂ぶり声が漏れてしまう。無音の廊下では怖いくらいに響いてしまう。
誰かに聞かれたのではないかとしばらく様子を見てみるが、暗闇からは何も現れなかった。
明かりもつけず、月明かりだけを頼りに部屋の前にたどり着く。
慎重にドアノブに手をかけ、ゆっくりと開く。国随一の職人が作った扉は音をほとんど立てずに開閉をしてくれる。
後ろ手に扉をしめながら部屋の中を見る。
窓にはカーテンがかけられ、この部屋を照らすであろう月の光量が大幅に減衰していた。
わずかな隙間から漏れ出る明かりを頼りにベッドへ近づく。
目の前にたどり着いてやっと人が眠っているのを確認できる。
声を上げられては困るので、顔の部分を押さえながら殺すことにする。
懐から取り出した刃物がわずかな光を反射してギラリと光る。
凶刃が教皇の眠っているベッドを襲った。
◇◆◇◆◇◆
「ユーリ! 急ぎすぎだって!」
「チッ! 相手は素人だ、ばれねえよ!」
「なに言ってんだ! サリア様がついてこれないだろ!」
「チッ! なんで連れてきてんだよ」
お昼に教皇様の治療が終わり、夜は護衛のために再びカトリーナ宅へと侵入を試みていた。
ちなみに回復術師として治療を行っていたのは聖女であるサリア様だったのだ。
普通の術師であればお手上げだろうが、聖女の回復魔法は普通ではないらしく体の中の病気まで治してしまうのだとか。
その能力が有用なのは明らか故に詳細な情報は隠されており、聖女の祈りが神に届いたときに奇跡は起こるとしか言われていないらしい。
「サリア様大丈夫ですか?」
カトリーナは今夜教皇様に手をかけることが予想されるので、ここまで早いペースで進んできた。
その暗殺を防ぐべく一度帰ってから再び屋敷を訪れるという面倒をとったのだ。
そのまま屋敷に残る口実も作れなかったのもあるが、一番はカトリーナの協力者であるシスター達を大聖堂建設の手伝いとして連れ出すためだった。
これによりカトリーナは自分の手で教皇暗殺を行わなければならず、もし今夜失敗すれば次の日に教皇様は王城へ移動し、優秀な回復術師の治療を受けることになる。
そうなってしまえば教皇様の体調が良くなる可能性は高く、意識を取り戻してしまえばカトリーナの教皇への道は閉ざされてしまうだろう。
「大丈夫です。このまま行きましょう」
「へっ! 聖女様は大丈夫だそうだぞ? お前過保護過ぎるんじゃないか?」
「うるさい! 到着して息切れしてたら潜入しづらいだろ」
確かにサリア様は息が少し乱れて、頬が紅潮している程度で余裕はありそうだ。
「すみません! 迷惑をかけてしまいますが……」
「あ! そういう意味じゃないんですよ! これはチームワークの問題で、それを考慮できないユーリが悪いんです! こいつ単独行動は慣れているんですけどこういったのはからっきしで」
「へいへい」
サリア様をフォローする意味合いもあったが、実際仲間と動く時に単独行動になってしまっては意味がない。
とりあえずユーリも言いたいことを理解してくれ、ペースを緩めてくれた。
「潜入するときに疲れていたら元も子もないからな。サリア様と俺が現場を押さえることが何より重要なんだから」
――――――現行犯逮捕
これがこの世界で一番確実な証拠になるのだ。





