天海 黒月と「死神」ー1ー
天海 黒月は、ポタンポタンとどこからか聞こえた水滴の音を感知して、目を覚ました。
「 ん...。っ....んぅ...。」
声は寝起きだというのに思いのほか高く出ていた。口元はパサついていて、喉が乾いている。
随分と長く眠っていたのだろうか? 視界を開けると少し気だるく身体が重かった。
しかし、このまま動かず重たい身体に身を預ける気にはならないので、重い身体をどうにか起こし、辺りを見渡す。
「 ...どこだ? ここ....?」
ーーそこは、黒月が知る由もない場所だった。
辺り一面、真っ赤に染まった壁、先の見えない薄暗い通路、その通路の端々に並ぶ黒い衣服を纏った西洋の人形達...。
到底、生き物が存在するとは思えない場所に妙に生活感を思わせる人形の存在がなんとも言えない奇妙さを孕ませているように黒月には思えた。
まずは起き上がり、目についたのは人形。少しの躊躇いはあったが、ここに来た要因が分かるかもしれないので、念の為確認してみる。
「 ーー爆弾? とかではないよな...?ただの人形だ...。」
「 何の仕掛けもないし、問題もなさそうだ...。」
しかし、こんな奇妙な場所に置いてある人形にしてはやけに綺麗で手入れが行き届いていた。
そこで一つの疑問点が黒月の中に過ぎる。
"この人形を手入れしているのは「誰」か?" そこが黒月には引っかかった。
先程も思ったが、この場所に生き物が存在するなんて思えない。ましてや、住み着く事などありえないに等しい。
空気は少し肌寒く、通路一帯どこも同じ景色なので、来たばかりだというのに、もう目がこの景色に慣れてしまった。
殺風景なのに、窓も扉もない。そのせいで外が明るいのか暗いのかも分からない。
ある光源は一定間隔で上にぶら下がっている小さなランプの光だけだ。
「 暗いなぁ。...しかも、どこか薄気味悪い。」
時計のない四畳半の密室に居る方が少しは気が紛らわせると思えるくらい黒月にとって、ここは居心地が最悪だった。
「 ......なんだが、凄く嫌な気分だ。...とにかく、早くここを出よう。ここには何だか "居続けてはいけない" 気がする。」
「 それに、ここにもしも... "人" が居たとしても...まともに話せるのかも分からないだろうし...。えっと、出口は...前、後ろ...どっちだ? .....いや...この際どちらでも構わない。早く出よう。」
ーーコツ、コツ、コツ...。
「 ...っ!....な、何だ...?」
途端、通路の奥の方から何か "音" が響いた。もちろん黒月が鳴らした音ではない。
コツ、コツ、コツ、コツ...。
"音" の正体は靴音だと分かった。その靴音は、どんどんと大きくこちらに響いて聞こえる。
おそらく、黒月の方へと誰かが向かって来ているのかもしれない。
ーーしかしよりによって今、この状況で人の気配を感じることになるとは...。
コツ、コツ、コツ、コツ、コツ...。
黒月は通路の先から目を離すことができなかった。
今すぐにでも離れたいはずのこの通路から一歩も動けなかったのは、靴音の正体をどうしても確かめたかったからだ。
けして、怖いもの見たさといったものではない。ただ、確認をして安心したいのだ。
この通路の雰囲気も、心から湧き出るこの不安も、全ては気のせい...。本当は大した出来事ではないんだとそう思いたいのだ。
さっきからうるさい心臓の鼓動も、額から垂れる冷たい汗も、だんだん耳元に深く刺さる自分の浅い呼吸も、先から響く靴音の正体に、ほんの少しばかり嫌な思いをするのも全て気のせいだったと安心する為に正体を確認しなければならないのだ。
コツ、コツ、コツ、コツ、コツ、コツ.....。
ーー靴音は変わらず響いている。
通路の奥から仄かな明かりが見えてくる。明かりの正体は火のついた持ち運び用のランプ。
そのランプを持った人影はゆっくりとゆっくりとその輪郭を、近付いてくる靴音とともに現すが、まだ薄暗くてよく分からなかった。
見えるのはランプを持つ手元だけ。しかし、その形状から見て "人間" だという事がまず分かる。
だがしかし、黒月にとってその情報はまだ安心を保証する為の証拠してはなり得なかった。
人だと分かったところで、その人がマトモであると信頼できて安心できる判断材料など、一つとしてないからだ。
コツ、コツ、コツ、コツ...。
心臓の鼓動がうるさい。
とめどなく冷や汗が流れ続ける。しかし、緊張を緩めることなく、冷静に思考を回す。
そうやって無理にでも平静を装わなければ、不安や恐れが内側から漏れ出して、どうにかなってしまいそうだった。
コツ、コツ、コツ...。
靴音がすぐ近くまで響く。
ーー明かりは黒月を照らし、ついに持ち主の姿も照らす。
強く心臓が高鳴るのが分かる。これでもかと言うくらいの緊張をどうにか抑えて手前で光るランプ、その奥の持ち主を黒月は視認する。
「 ーーーーーーーーーーーー。」
「 ーーおや、"ココに居ましたか?" ...。」
「 ーーーーーー。」
「 ? ...どうかしましたか?」
その人物は黒月に話しかける。しかし、黒月は動くことも返事を返す事もできなかった。
ただただ、呆然と口を開けてその人物を見つめていた。
ーーその人物は、ただの少女であった。
巨漢で筋肉質な男でも、酷くやせ細った死人のような老人ですらなく、黒月よりも背丈の小さい、14〜15歳ぐらいの少女であった。
少女は黒い外套に身を包んでおり、長い黒髪とルビーのような赤い瞳が特徴的であった。
少女の赤い瞳にも黒月は驚きを覚えるが、それよりも深い衝撃を与えられたのはその他にあった。
それは、 「顔」 。少女の顔つきだった。
けして、こちらが顔を歪めてしまうような醜悪な顔立ちなどではなく、寧ろそれとは真逆でーー長いまつ毛に大きな瞳、整った鼻に、小動物のような愛らしさを覚える小さな口。
端的に表現すれば、少女は出来の良い人形と見間違える程、綺麗な顔立ちをしていた。
きっと、黒月ではない別の誰かが彼女を見れば、彼女の顔に対し、何かしら好意を抱くのだろう。
しかし、黒月だけはその例外にいた。
なぜなら黒月はその顔をよく知っていた。そしてその顔が黒月は苦手だった。
「 ......な、な....なんで...?」
「 はい? "なんで" とは? 何ですか?」
「 か.....かお......その、顔...。」
「 顔? ...顔がどうかいたしましたか?」
黒月の言葉には芯がなく、所々が震えている。
無理もない。黒月はとても動揺しているのだから。
本来であれば、ありえない事例ではないのだろうが、この場、この瞬間で彼女の顔に黒月が出会う瞬間はこの通路から目覚めた時以上の衝撃と驚きだった。
その顔はいつも黒月の "そば" にいた。
晴れの日も雨の日も、夏でも、冬でも、朝起きた時も、夜、眠りにつく時も、その顔はいつも傍にいた。というよりも "あった" 。
「 ......その顔は...何で.....? ...嘘だろ...? 」
「 さっきからどうしたのですか? 私の顔を見てそんなに驚いて...? 何かついていますか?」
「 ーーーー。 あの、一つだけ聞いていいかな?」
黒月は彼女の前で一本、指を立てて彼女に質問の許可をとる。
「 はい。構いません。」
彼女は顔色一つも変えず、間も置かず、即座に承諾した。それから黒月は一回深呼吸をする。
「 君はーーー。」
真っ直ぐと彼女を見つめ、落ち着いた心で黒月は彼女に問う。
「 君は、"天海 黒月" ではないよね?」
ーー黒月は彼女の「顔」を "よく"知っている。
彼女のその「顔」は、黒月の顔立ちと瓜二つで、全くの同じであったのだった。
続きは近々かきます。