子鈴おろし
いよいよ新年の儀式が始まりました。
古い小さな鈴が置かれている御神体の真正面に、シガル長老が跪いています。
長老が立ち上がる時に手を貸す役目を、麻子は申し付けられました。
六人のナサイア一族の家長が、長老の後ろに跪いているので、今、麻子がいるのは神殿の壁際です。
新年の挨拶に始まって、それぞれの家長が今年の目標を述べていくあたりまでは、普通の年始の儀式のようでした。しかしシガル長老が跪いてお経のようなものを唱え始めると、神殿の中の空気がピキピキと震え始めたのです。
ナサイア一族の家長たちが唱和し始めると、ますます空気は濃くなり波のようにうねりさざめいていきます。
麻子は自分の中の魔力が捻りつぶされ、壁に押し付けられるような気がして、黙って立っているのがやっとでした。
この場に、ナサイアの人たちを中心とした魔力の渦ができているのかもしれません。
ナサイアの魔力というのは、桁外れのものがあるようです。
長い祈りが終わり、やっとその空気が落ち着いて来た時に、長老は神器である子鈴に向かって話し始めました。
「こたびの儀式では、ナサイアの跡目が変わります。子鈴さまのご神託あれば、申しわたらせよぉ~、よー、よぉおっ」
シガル長老がお腹の底から出すような掛け声を唱えるうちに、鈴の上空に煌めきが現れて、それがドンドン濃密になってきました。光が縒り合されたかと思ったら、リーンという音と共に紙が一枚落ちてきました。
「「おおっ!!」」
「神託だ!」
「神託が下されたぞ!」
どよめく家長たちを、長老は一睨みで黙らせると、神託が書かれている紙を拾って、ありがたそうに捧げあげました。
その場に興奮を含んだ緊張が走ります。
長老は紙に目をはしらせて、しわがれた声で静かに神託を読み上げます。
「ここには、こう書かれておる。『古よりの掟を守り、争いなく世を治めるべし』 ふむ、このご神託に添うとするかの。次代のナサイアの長は、ナサイア・ド・マクシミリアン・バンダルじゃ」
「異議あり! バンダルはここにはいない」
「そうだな。彼は使徒の禊をしていたうちの山から戻っていない。近隣の村に問い合わせても行方が掴めないし、この重要な儀式に出ないとなると、もしかしたら亡くなったのかもしれない」
目つきの悪いドンペル家の中年の家長が最初に異議をとなえると、すぐにでっぷりと太ったウランジュール家のクラナガン・ウランジュールがいかにも心配そうに、ねこなで声で理由を説明します。
麻子はこのクラナガンという人が神殿に入ってきてからずっと、腹が立ってムカムカしていたので、なるべく顔を見ないようにしていました。
シガル長老が目で麻子を呼んだので、長老の側に行って立ち上がるのを助けます。
「まぁ、待て。わしにはマクシミリアンの居場所がわかる」
長老の言葉を聞いたクラナガンはギョッとした顔をしましたが、すぐに大声で祭儀場の外へ声をかけました。
「ケンドリックス! 入って来なさい!」
「はい」
扉の外から若い男の人の返事が聞こえてきました。
「お待ちください。まだ儀式は終わっていません。ここには家長の方しか入れません」
「ええい、どけっ!」
廊下でパルマおばさんと数人の人がもめているような声がしていましたが、ふいに物凄い魔力の波動がこちらにまで伝わってきました。
その波動に押されるようにして扉が開きます。
そこにいた少年は、白い衣装に身を包んでいました。髪も真っ白で、透き通った白い肌には目だけが黒々と輝いています。
「エスタルさん……」
麻子だけは、その少年が白竜のエスタルだとわかりましたが、他の人たちは強い魔力にあてられたようにぼんやりとしています。
「入れ!」
エスタルに促されて祭儀場に入って来た青年を見て、今度は麻子が驚きました。
『健人さん?!!』
………………………………
扉の外に立っていたのは、麻子の隣の家に住んでいた柳健人だったのです。
『どうして……?』
健人は母親と一緒にお父さんがいるカナダに行ったはずです。
なぜ異世界に、この場所にいるのでしょう。
長老の手を取りながら呆然と立っていた麻子に、健人の方も気づいたようです。
『麻ちゃんなのか? 驚いたな、なんでこんなところにいるんだ?』
『健人さんも……おばさんとカナダに行ったのではないの?』
『……実は、父親がカナダにいるというのは嘘なんだ。父はこちらの世界にいる……』
健人と麻子が話しているのを遮ったのは、その父親でした。
「ニホン語は使うなと言っただろう。ケンドリックス、シガル長老に挨拶しなさい」
まさか?!
クラナガン・ウランジュールが健人の父親?
麻子が衝撃に目を彷徨わせていると、白竜のエスタルがニヤリと笑いながらこちらの方を眺めていました。
「お初にお目にかかります。サラ・ウィローズとクラナガンの息子、柳健人と申します」
健人の挨拶に、いぶかし気な顔をしながらも、シガル長老は薄目で健人の魔力量を見ているようでした。
「ふん、ここにきてクラナガンが離婚したサラの息子を連れて来たのは、こういうわけかい。確かに魔力量は飛び抜けて高いようだね」
「長老、次代の長は我が息子にこそ相応しい。マクシミリアン・バンダルはこの儀式を欠席するような男だ。それがすべてを物語っていると思うが」
クラナガンの言葉に応えたのは、意外なことにエスタルでした。
「ん? あの魔法使いはここにいるぞ。こそこそ隠れておらんで、出てきたらどうじゃ」
例の抜け道の側で控えていたイレーネが慌てて幕を上げると、供物の間からマクスが出てきました。
「なぬ、バンダル?! ま、まさか、生きて……おったのか……?」
悲鳴のようなクラナガンの叫びを聞いて、ドンペル家の家長は思わず後ずさりをはじめました。
マクスは一段高い所から皆を見下ろすと、クラナガンとドンペルに不敵な笑みを投げかけます。
「ああ、あんたがたがご丁寧な接待をしてくれたが、ここにいるアサコと子鈴神に助けられてな。久しぶりだな、ドンペル。あんたが盛った毒はよく効いたよ」
「「毒だと?!」」
事態を静観していた他の家長たちの中に動揺が広がります。
周りの人たちが自分から距離をおき始めたのを感じて、ドンペルは言い訳をはじめました。
「ち、違う! 私じゃない。そこにいるクラナガンの指示だ! 私は反対したんだ」
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語るに落ちるというのはこのことでしょうか。
クラナガンは口を開こうとしましたが、全員から非難するような眼差しを受けて、とうとうがっくりと首を垂れました。
マクスを出し抜こうとして企んだ悪行が、すべて自分に帰ってくるとは思ってもみなかったでしょう。
「……情けない、これがナサイア一族だというのかい?」
シガル長老の思わず漏れたような静かな一言が、そこにいたすべての人たちの胸に突き刺さりました。
静まり返ったその場に、場違いな高笑いが響き渡りました。
皆がハッとして振り返ると、そこには神殿の高い天井の方にまですっくと首をもたげた巨大な白竜が立っていたのです。




