62.ストーカーが知らざる彼らの想い
お久しぶりです……!
泣き疲れて眠ってしまった少女から少し離れた場所に病室備え付けのパイプ椅子を置き、ユウは静かに人を待った。
少なくとも、数十分は経過しただろう。それくらいのタイミングで待ち人――ラザラスが現れた。
「……遅い」
「すみません……」
明らかに動揺している様子だった。
少女の異常性に薄々気付いているようにも見えたが、見て見ぬフリをしていたのだろうか。精神的に脆いラザラスらしい反応だ。ユウからすれば、あまり好ましいものではない。
とはいえ、精神的に脆いだけでなく、対人能力がポンコツなことを考えると仕方のない部分もある。ユウは動揺しつつも言葉を選んでいる青年を見守ることにした。
「あの、ロゼは落ち着き、ましたか……?」
「多分落ち着いてはいない。寝落ちただけだ……本人が一番動揺してんだ。支えてやれるように、お前は少し落ち着け」
「……」
「ラザラス、薄々お前もロゼが起こしてるもんが何か、察してたんだろ? 答え合わせといこうか」
ユウの問いかけに対し、ラザラスは躊躇いがちに口を開く。
「乖離系の、精神的な逃避行為ではないか、と……」
「同意見だ。このストーカー竜娘、どうも昔の……どう考えても虐げられてた頃の記憶がちらほら消し飛んでる。ついでに、まあ、基本的に正気じゃないわな。境遇考えたら男をストーカーなんかできるわけがねぇ」
「……」
「しかも、自分の魔法チートっぷりはお前のストーカーになるまで気付かなかったようだしな。そうじゃなきゃ、こいつならどうにかこうにか逃げ出せただろうに……多分、全部『飛ばしてた』んだろうな。物心付く前から」
耐え難い現実から精神を守るため、自分自身を『他人』であるかのように思い込んだり、精神を外界からシャットアウトしたり。そんな、無意識に出てしまう逃避行為。
比較的安全とはいえ明らかに『普通』はない環境下に置かれたことにより、ロゼッタは自身の状態に気付くのが遅れてしまったのだろう。
ユウ達は彼女の倫理観云々の前に、そもそもの様子がおかしいことに差はあれどほぼ全員が気付いてはいた。
しかし、自覚させてはならないと、口に出さないようにしていたのだ――『耐え難い現実』と向き合うには、彼女はまだまだ幼い。
「命を、くだらない目的で弄びやがって……」
残念ながら、ロゼッタは『誰』かも分からない『誰か』のために、愛も希望もない環境で産み出された命だ。悲しくもそれが、彼女にとっての『現実』だった。彼女は、生まれから発育、そして現在までの全てが狂っていた。本人も狂わなければ、乗り越えられなかったのだろう。
そして同じような産み出され方をした命を、ユウはよく知っている。
彼女ら自身には何の罪もないというのに、一方的に生を与えられ、地獄を味合わされた悲しくも愛おしい存在を。
「……」
怒りのあまり、手のひらに爪を立てるユウを見て、ラザラスは躊躇いがちに口を開く。
「その……アンジェから聞きましたが、ロゼは、俺に恐怖心を抱いたんですよね?」
「あれは話題が悪かったな。大方、育った環境下に魔力制御の入れ墨入れられた奴が大量にいたんだろ。んで、あれこれ思い出しちまった、と……こいつは小柄だし、害を加えてくる奴は基本的に大きな男だったんだろうな」
「……」
「一応言っておくが、こいつがお前に向けている好意は信じてやれよ。最初はお前がイケメンなのに加えて吊り橋効果か刷り込み的なアレだったとは思うが、今は違うだろうから」
「……はい」
ラザラスがロゼッタに恋愛的な意味で好かれていることをなかなか理解できないことはさておき、少なくとも彼が、ロゼッタから好意的に思われていることは彼自身に否定して欲しくない。
そんな意図を込めて口にした言葉だったが、ラザラスはどこか悲しげに見えた。
(信じていないわけじゃ、なさそうたが……)
ユウが黙って見守っていると、ラザラスは黙ってロゼッタに近付く。そして、眠る彼女に手を伸ばし……途中でぴたりと止めてしまった。
手を引き、ユウに視線を向けたラザラスは悲しそうな、困ったような顔で笑って見せる。
「……。人に触れたいなって思ったの、初めてなんですよね。だから、どうして良いか、分からなくて」
「おっ? ついに自覚したか?」
「茶化さないで下さい……」
ラザラスは顔を赤くして視線を逸らすが、ユウの発言を否定はしない。
遅めの『初恋』を、彼はようやく、完全に自覚したようだ。
「俺から言えることは……そうだな。どれだけ怖がられても、拒絶されても、ロゼッタが望むのなら、傍に居てやって欲しい。結構、精神的にキツい時もあるけどな」
「ユウさんは……辛かったですか?」
「どちらかというと『また拒んでしまった』って絶望して泣く姿を見る方がな。あれ見るくらいなら、『近付くな』って全力で蹴り飛ばされた方がまだマシだ」
「あぁ……」
ラザラスの顔が歪む。
ユウからは見えなかったが、男性に対する恐怖の感情を取り戻してしまったロゼッタは、なかなか酷い顔をしていたのだろう。
ユウは思わず、首から下げている煤けた二つの指輪を握りしめた。
(アリア……)
ユウの婚約者だったキメラドール――アリアは、声を出せなくなるほどに精神的にも肉体的にも痛め付けられ、自分自身を『汚い』と罵るほどに傷付き、放っておくとすぐに壊れてしまいそうな娘だった。
それでも、ユウは彼女を愛していたし、彼女から向けられる不器用な好意を疑うことなく信じていた。
だからこそユウは何度拒絶されようとも、何度泣かれようとも、死ぬまで寄り添い続けようと覚悟を決めていた。
――結局生き残ったのは、自分だけだったのだが。
「ユウさん……?」
「っ、悪い、気にすんな……」
流石に顔に出てしまったらしい。
ラザラスが心配そうにこちらを見ている。恥ずかしい。
「ガラじゃねぇが、俺はお前らにも幸せになって欲しい。応援していたもう片方は、何とかなりそうだしな」
誤魔化すようにそう言えば、何か言いたげにしつつもラザラスは「はい」と言って、おもむろに頷いた。
(困った。馬鹿じゃねぇんだよな、こいつ……気付かれてなきゃ良いんだが)
指輪を握りしめたまま、ユウはロゼッタに視線を移した。
変態ストーカーと最愛を重ねてしまうなんて、悪過ぎた話題の二次被害だ……そう思いつつ、深く息を吐き出す。
(全てが、終わったら……その時は……)
君に、逢いに行くよ。
○
「んー……んんー……場違い感!」
「まあ、オスカーさん……有名人ですしね」
「キミもなんだけどなぁ」
完全に身内の集まり状態だから仕方ないね。しかし多種多様って感じだなぁ、この中の何人が『あちら側の事情』を知る関係者なんだろう?
「ジュリー以外全員です」
「うーん、物騒!」
アンジェリアの何も包み隠す気のない補足を聞き、オスカーは天を仰ぐ。
ジュリアスと顔見知りであるということは、恐らく全員元からラザラスとアンジェリアの知り合いだったのだろう。
そして、その中にたまたまあちら側の人間が複数名いたのだろう。
結果、ジュリアスの事件でラザラスとアンジェリアを含む何人かが巻き込み事故的にあちら側関係者になってしまった、と……。
「どうしてピンポイントにそういう知り合いができるのやら……」
まだ若いのに。
ていうかラザラスは芸能関係者でもなんでもない一般人だったのに。何でそんなアウトローと知り合ってしまったのか。
オスカーはやれやれと息を吐く。
『あの、聞こえますか?』
そんな時、ジュリアスの声が頭に響いた。テレパシーが飛んできたのだ。
この男、魔力制御の腕輪を着けられている癖に……やはり飛竜とでも言うべきか。また暴走しなければ良いが。
「……」
しかし、オスカーは付与魔法の専門家。音魔法の素養が一ミリも無いわけではないが、テレパシーこと、高位音魔法【音波思念】なんてものは当然ながら使えない。
アンジェリアとジュリアス、そして恐らくユウはこれでもかという程に使いこなしているが、そう簡単に使えるものではないのだ。というかオスカーは音魔法自体が使えない。適性が低すぎて使おうとすることさえ不可能だ。
どうしたものかと考えていると、再びテレパシーが飛んでくる。
『あ、届いていますね。一方的に喋りますから、頭に色々思い浮かべて頂けたら』
(頭に……? まさかキミ、アンジェちゃんと同じ状況になってる……?)
『ですね。上級音魔法の【読心術】、元々全く使えないわけでは無かったのですが……制御ができません。完全に同じ状況です。困りました』
こちらの状況に気付いたらしく、アンジェリアがじっとこちらを見ている。
(つまり……今、私が何考えてるか分かるってこと?)
『あ、アンジェが便乗してきた。うん……分かるどころか、この場にいる全員の思念が見えるというか、片っ端から頭に入ってきて……正直、かなり気持ち悪い……アンタ、いつもこんな感じだったのかな……?』
今のジュリアスの状態は、一斉に、好き放題話しかけられているような状態に違いない。それは、あまりにも辛い。
オスカーを置き去りにしないように、アンジェリアもテレパシーを飛ばしてきた。
『うん。だから人混みが苦手なのもあるわね。それでも私は慣れてるから、ある程度は頑張れる……でもアンタは急にそうなったから、そりゃ、まあ……』
(一旦、人払いしようか?)
『気持ち悪いのもありますが……話したいことがあったので、結果的にその方が都合が良いですね……お願いしてもよろしいでしょうか……』
ジュリアスの要望を聞き、オスカーは軽く頷くとパタパタと手を振り、場にいる全員の注意を引いた。
「ちょっとごめん。ラズ君が居ない間に、ジュリー君とアンジェちゃんの二人と仕事の件で話し合いたいんだ。全員席外してもらって良い?」
それは、無茶な理由付けに見えて、真っ当な理由だった。今後、ALIAとオスカーが集う場面において、『ラザラス不在』は割とレアケースになり得る。これからの活動方針についても話さなければならない筈だ。
だからこそ今なのだろう、と全員が納得した……と見せかけ、ルーシオは眼鏡の奥で目を細めてみせる。
「……。というか、俺ら居座り過ぎな気がしてきた。病み上がりなんだし、そろそろ帰るべきかと」
「それもそうねぇ……ユウが居ないけど、アタシ達は先に帰りましょうか」
ルーシオだけでは無かった。女性言葉の美丈夫ーーグレンウィルも察したらしい。何にせよ、協力してくれるのならありがたいが。
「いやー、すまないねー」
「貸し一つ」
「アタシも」
「えー……ま、おれが困らないことなら、良いよ。困ることは断るけど」
そんな会話をしつつ、皆、ぞろぞろと帰っていく。その間際まで笑顔を見せていたジュリアスだが、ドアが閉まった途端に深くため息を吐いた。
「きっつ……」
「お疲れ」
これは早急に何とかすべきだ。ただでさえボロボロなジュリアスの精神が壊れてしまう。根本的に人と話すことが好きな彼には、あまりにも惨い。
「いや、別に人と話すの好きなわけじゃないです。むしろ本音を言わせていただくと、正直苦手な部類です。元々悪意には敏感ですし」
「マジで早急に何とかすべきだね!」
ことごとく思考を読まれることが、こんなにも大変とは。元々アンジェリアには読まれていたわけだが。
オスカーは困惑しつつも、ジュリアスに向き直る。
「で……どこから読めてた?」
「あの子……ロゼッタが居なくなった辺りから。ユウさんがテレパシーを使ったことに気付いて、今までそんなことなかったのに、おかしいなって思ってたら……ふいに、全員の考えてることが頭の中に流れ込んでくるように……」
「なるほど、ついさっきか……」
元々ジュリアスは光魔法だけでなく、音魔法の素養も非常に高い。近くで音魔法の気配を感じたことをきっかけに、うっかり引き出されてしまったのだろう。
「……。しばらくはキミの近くで光魔法発動させないように、キミの身内に伝えなきゃね」
また病院爆発の危機は避けたい。
うっかり光魔法が引き出されるような事態は避けたい。
「身近で光魔法使えるの、私かロゼしかいないから……大丈夫です、よ」
「よし」
アンジェリアが気を付ければ大丈夫そうだと知ったオスカーは安堵した。ロゼッタは知らん。
そんなことを、オスカーがぼんやりと考えていた時のことだった。
「……で、本題なんですけど」
困ったように笑っていたジュリアスの表情が強張る。オスカーは少し、嫌な予感がした。
――ロゼッタ退場後、自分は、何を考えていた?
「先程のメンバー。実は半分くらいが闇組織的な存在だって気付いてしまいました。そうじゃない人も、その辺の事実を知っていると」
「……っ」
「あと……ラズがあちら側に踏み込んでしまったことも、何となく察しました……合ってますよね?」
何も考えてはいけない。答えてはいけない。
本来、オスカーは魔導士としての高い素養で心を読むことを妨害できるのだが、相手が飛竜では敵わない。しかしジュリアスとラザラス、両名のことを思えば、これ以上思考を読ませてはいけない。
ちらりと横を見れば、アンジェリアも戦っているようだ。しかし、彼女も当然ながら、ジュリアスには敵わないだろう。
「……」
そうして全員が黙り込む。沈黙を破ったのは、ジュリアスだった。
「どうも……オレは、『気付かない』が正解みたいですね」
ふわりと、ジュリアスは破顔する。重い空気感が、薄れていく。
「ラズのことを考えたら、どっちが正解なのかなって……気付いたことを明かして、ラズに寄り添うのか。気付かないふりをして、何事もなかったかのように振る舞うのか……どちらが良いのか、悩んだんです。困らせるつもりは無かったんです。ごめんなさい」
「あー……そういうこと。だから『全員の思考が読めて気持ち悪い』ってはっきり言わなかったのか」
「それ言ったら空気が凍りつくかなって。全員、オレにはバレてないって思ってるでしょうし……ラズを心配してる人が大半でしたし。何なんですか、あのロゼッタって子は」
「ラズが依存してるストーカーよ」
「あー、うん。色んな意味でラズが道を踏み外したことはよく分かったよ……まあ、とりあえず。オレは気付いてないことにします。話を、合わせて頂けたら」
そう言って、ジュリアスは困ったように笑った。
「怖い、とか……そういうのは……」
「複雑な気持ちが全く無い、とかいうのは嘘だけど。それでも、オレがラズに道を踏み外させたんだって、その罪悪感に勝るものはない」
「ち、違う!」
アンジェリアは咄嗟にジュリアスの言葉を否定したが、今のジュリアスにそれは通用しない。ゆるゆると首を横に振るい、言葉を続ける。
「だからこそ、オレはこの事実を墓まで持っていくつもりだよ。『ごめん』って謝るのも、『ありがとう』ってお礼を言うのも、ラズには負担になるだろうから」
「……」
強いな、とオスカーは素直に感心した。ラザラスがジュリアスを大切に想うように、ジュリアスもラザラスを大切に想っていたようだ。
きっとこの二人は、立場が逆でも同じことになっていたのだろう。不安定で歪だが、良い信頼関係を築けている。
「うんうん、それが良いかも。おれが色々気付いてること察するのも時間の問題だろうし」
「ですよねー。だから、アンジェじゃなくてあなたにテレパシーを飛ばしたわけですが」
「ああ、そういうこと……」
アンジェリアは少し拗ねた様子で呟く。
「ご、ごめん……」
「こればっかりは、オスカーさん以外無いもの。仕方ないわ」
とはいえ、自分の立ち位置的に仕方ないのは理解しているようだ。
彼女は、完全に部外者というわけではない。むしろ協力者の位置だ。
集まった面々で、一番部外者に近い位置にいた者。そして頼るに値する人物は、オスカー以外いない。
「そうだねぇ……たった一人の『知らない役』。大変だろうけど、よろしく頼むよ。ジュリー君」
ならば、『保護者』として彼らを見守るべきだろう。ヘリオトロープとの戦いの決着が付く、その瞬間まで。
だが、それと同時に、願わずにはいられなかった。
(全てが、終わったら……その時は……)
みんなが、幸せになれたら良いなぁ。




