55.ストーカー、王子様に手を伸ばす。
ラザラスは仰向けにベッドに倒れ込み、深く、本当に深く、ため息を吐いた――どう考えても訳ありだ。
下手に口を開くべきではないし、何なら姿を現すべきでもないと思う。だが、放置していて良いものなのだろうか……ロゼッタは悩んだ。
(どうしちゃったんでしょう……)
そうして、しばしの間、静寂が続く。
不幸中の幸い、それを破ったのは、ラザラスだった。
「はは……ッ、駄目、だなぁ……」
ようやく口を開いたかと思えば、ラザラスは酷く自嘲的な様子だった。ロゼッタは影の中から身を出し、ベッドに転がる彼の顔を覗き込もうとする。表情を見ようと思ったのだ。
それが出来なかったのは、彼が両腕で顔を隠してしまっていたからだ。唯一露出した口元が、歪に弧を描いている。
「ごめん……困らせてるだろ?」
「いえいえ、わたしはいないものだと思って下さい」
「……。話、聞いて貰っても良いかな? あまり、良い話じゃないんだけど」
いないものだとは、思いたくないらしい。
ラザラスは顔を隠したまま、おもむろに口を開く。
「はい。わたしで、良ければ」
「ありがとう……独り言だって、思ってくれて良いから。無理して、フォローしなくて良いから……ごめん」
声音が、非常に弱々しい。今のラザラスは、ロゼッタが見てきた中で最もと言っても良い程に深く、落ち込んでいた。
先程のグレンウィルとのやり取りに原因があることは分かっているのだが、ここまで沈むようなやり取りだったようには到底思えない。
「……」
同意を取っておきながら、ラザラスが話し始めるまでには少々時間がかかった。
それでも静かに待ち続けていれば、彼は姿勢も表情も変えず、口籠りつつ話し始めた。
「知ってると思うけど、5年前の話……俺ね、生き別れた兄さんに見付けて貰いたくて、俳優になろうとしたんだ。兄さんと同じ顔の俺がテレビに出て有名になれば、向こうから連絡して貰えるんじゃないかって、そう思ったんだ」
ラザラスの声は、微かに震えていた。
(そもそもの行動が、1年遅れちゃってたんだ……)
今でこそロゼッタは知っているが、ラザラスが暴行事件に巻き込まれたのは5年前で、彼の兄、ジャレットが死亡したのは6年前だ。開始時点で既に間に合っていないのだ。
「知らなかったにしたって、死人に見付けて貰おうとしたわけだよ……笑える、だろ?」
「ッ、知らなかったのでしょう……? 仕方がないじゃないですか……!」
「そう、俺は知らなかった。でも、俺の近くにいたグレンさんは知ってた。知ってたのに、教えてくれなかったんだ……でも、今なら、全部納得出来る……グレンさんは何も悪くない。勝手に不貞腐れてる、俺が悪い……グレンさんを責めるべきなんかじゃ、ないのに……」
思い付いたことを、そのままよく考えずに口にしているのだろうか。
要領の得ない話ぶりは、ラザラスらしくないものだった。
どうやら彼は、『グレンウィルに何かを秘密にされる』という状況にトラウマがあるらしい。
それで先程は妙に嫌味な態度になってしまったのだろう……そしてそれを、悔やんで落ち込んでいるのだろう。
「俺が『自分に兄がいることを知ってる』ってグレンさんは知らなかったらしいし、そもそも俳優を目指した動機を話してなかったんだから、言う必要なんてなかった。下手に裏社会に首突っ込む可能性を考えたら、言わないって結論になるのも無理はない……今回だって、俺のために言わないでくれたのは分かってるつもり、なんだ」
(え……もしかして、お兄ちゃんって、クィールさんだけじゃなくて、ラズさんにも何か関係してるの……?)
ラザラスよりはいくらか平常心を保っているロゼッタは状況判断でそう考えはしたが、口には出さなかった。少なくともこれは、今のラザラスを相手に話すべき内容ではない。
「それなのに……勝手にあれこれ思い出して、当たり散らして、自分でやったくせに、一方的に落ち込んでる。本当、馬鹿みたいだ……ッ」
グレンウィルに対し、「俺の方は繰り返しませんから」とラザラスが言っていたことを、ロゼッタは思い出す。ああ、そういえばと。ロゼッタは目を伏せた。
(時期からして……ジュリーさん助けられなかった時、ラズさんが引きこもっちゃってた理由、なんだろうなぁ……)
『色々あって、誰とも話したくなくて、引きこもって……端末の電源を落としていた。そんなことやってたもんだから、ジュリーは郵便受けに手紙を突っ込むっていうアナログなことをやるようになってさ。最後の手紙であいつは自分の『正体』を明かしてくれて、それを読んでから、端末に電源を入れ直して……その頃にはもう、手遅れだった』
そもそも俳優を目指さなければ、ラザラスは数多のトラウマを抱かずに済んだのだ。
確かに彼はどこに出しても人目を引く美貌の持ち主であるし、加えて昔は随分とヤンチャだったようだが、それでも「兄に会いたい」という動機がなければ、俳優を志すことは無かったのだろう。
そして精神を病んでしまった後になって「俳優になっていたとしても兄には会えなかった」、「志した時点で手遅れだった」と知ってしまった上に、そうなる前に止められる人物が身近にいたのだと気付いてしまったのだ。
確かにグレンウィルは悪くないのだが、真相を知ったラザラスが受けたショックは、計り知れない。
(話の内容じゃなくって、状況が辛かったんだね)
過去の出来事を理由にグレンウィルを一方的に責めて、落ち込んで引きこもって、その結果、唯一の親友を助けられなかった――あまりにも、彼にとって辛いことが連鎖し過ぎている。
「ラズさん」
恐る恐る、ロゼッタはベッドに上った。そして、ラザラスの淡い金色の髪に手を伸ばす。頭をそっと撫でてみたが、これといって彼が拒絶するようなことはなかった。
「落ち込んだって良いじゃないですか。わたしだって、落ち込む時は落ち込みますよ」
「……」
「別に慰めようとして言ってるわけじゃないですからね。当たり前のこと言ってるだけです」
彼が負い目を感じているのは、ジュリアスだけでなく、グレンウィルもなのだろう。さらに言えば、グレンウィルの方もラザラスに対して思うところがありそうだ。
「ただ、心配だったんですよね。グレンさんは戦闘員じゃありませんし、お兄ちゃんは身体が大きいですし、何かあったらただじゃ済まないって、そう思ったんですよね……グレンさんも、それくらい分かってますよ」
「……俺が臆病なだけだよ。『無害そう』とか『大丈夫そう』とか、そういう感覚的なものは、あまり、信じたくない……」
「ふふ、それだけグレンさんが大切なんでしょう? ラズさんに危害があるわけじゃないのに、気になって仕方がなかったんですよね」
ここでようやく、ラザラスが腕を下ろした。少しだけ潤んだ青の瞳が、痛々しい。
無数の傷跡が残る白い右手が、ロゼッタの頬に伸びる。避ける理由はない。
じっとしていれば、彼の長い指が、暖かな手のひらが、頬を優しく撫でてくれた。指先が震えていることには、気付かない振りをした。
「君は……強いね。俺なんかより、ずっと辛い目にあってきただろうに」
ごめん、とラザラスの唇が動く。今にも泣き出してしまいそうな笑顔を向けられる。
(辛い目……)
しかし、ここでロゼッタは、自分自身が妙に困惑していることに気付いてしまった。
「ロゼ?」
「今、ちょっと考えてみたんですけれど……よく、分からないんです。自分の過去のことを考えても、何だか、他の人の話を聞いてるみたいなんですよね」
自分はこれまで、これでもかという程に嫌な思いをしてきた。誰に話しても同情されそうなくらいに、ろくな経験をしてこなかった。それは、分かっている。
だが、そのどれもこれもが、特にベンジャミンの屋敷に売られる以前のことは、妙に『他人事』に感じられて……思い出そうとしても、切り取られた漫画のコマのようで、妙に断片的で。まるで外から、自分ではない『誰か』を眺めているような、そのような錯覚を覚えるのだ。
「ッ、それって……」
「というわけで、わたしのことは置いておきましょっか」
ラザラスは目を見開き、身体を起こす。ロゼッタに生じている『異変』に、気付いたのかも知れない。けれどそれは、ロゼッタ本人には関係のない話である。
(こんなこと考えちゃ悪いけれど……悪い思い出に縛られるって、良いこととは思えないし。わたし、楽できてるってことだよね)
痛いのは嫌で、生理的な涙が溢れるものだ。そして男性に襲われそうになれば本能的な恐怖は感じる。だが、それだけだ。
ラザラス達のように悲惨な過去の経験に囚われ、身動きが取れなくなるようなことはない。それならば何も心配しなくて良いだろうと、ロゼッタはラザラスのスマートフォンを手に取る。
「直接行ってしまえば、ドアを開けた拍子にお兄ちゃんが逃げ出すかもしれませんからね。謝るなら、電話が良いですよね」
「……え?」
「気にしてるんでしょう? 悪いことしたって思ってるんでしょう? 拗れちゃう前に、さくっと謝っちゃいましょう? 少々支離滅裂でも、あの人は頭良さそうですし、色々分かってそうですし、伝わりますよ。ラズさんはもう、嫌なんでしょう?」
「あ……そういうこと、ね」
ははは、と眉尻を下げ、ラザラスは困ったと言わんばかりに笑う。逃げ道を断つために、ロゼッタは勝手にスマートフォンを操作し、グレンウィルに電話を掛けてからラザラスに手渡した。
「……。謝って楽になろうなんて、ずるい気もするけれどね」
「謝罪とかそもそも自己満足みたいなもんですよ。自己満足して楽になっちゃえば良いんです」
「君……時々、妙に大人びたこと言うよな。でも、そういうの、助かるよ……ありがとう」
ラザラスの手が、ロゼッタの頭の上に乗る。ぽふぽふと軽く叩いてから、彼は立ち上がり、電話越しではあったがグレンに謝罪の言葉を送った。
盗聴するまでもなく、グレンウィルがその言葉を受け入れたことは、明らかだった。ラザラスの方も、いくらか気持ちが楽になったようで、ロゼッタとしては大変満足だった。
(ラズさんが……元気になったら、良いなぁ)
ベッドに腰掛け、電話をしながら笑みを見せるようになったラザラスの姿を見て、ロゼッタもまた、破顔する。
ラザラスのグレンウィルへの態度は、昔馴染みだという割には妙に固い印象があった。恐らく2年前の事件が関連しているのだろうが、これさえなければ元々、ラザラスとグレンは仲が良かったのだろう。完全に元通りとまではいかずとも、わだかまりが無くなれば良いなとロゼッタは密かに願った。
「はい、では……また明日」
穏やかな様子で、ラザラスが電話を切る。
「!」
――だが、その直後。
彼は眉間にシワを寄せ、再びスマートフォンを耳元に持っていった。
「ラズさん?」
「アンジェから着信が入ってた……アンジェから掛かってくることなんて、無いんだよ」
グレンとやり取りしていた、ほんの数分の間にアンジェリアが電話を掛けてきていたようだ。
どうやらラザラス“から”電話を掛けることはあっても、アンジェリアから電話が掛かってくることは殆どないという理由で、ラザラスは並々ならぬ不安を感じ取ったらしい。
「もしもし、アンジェ? ……どうした?」
今日は仕事の日ではない。完全にオフの日だ。それは、アンジェリアも同様である。
折り返した電話は、すぐに繋がった。ロゼッタも、盗聴すべく魔法で聴力を強化する。
『ッ、……っ、ひ……、ぐ……っ』
「! アンジェ!?」
聴こえてきたのは、こらえることの出来ない嗚咽。
それだけで、ラザラスは理由を察した。
「今行く。大丈夫だ、君をひとりにはしない」
彼はロゼッタに目配せし、財布などの小物をいれた普段使いのメッセンジャーバッグを手に取った。棚に置いてあった家の鍵を手に取り、通話状態のまま玄関を飛び出す。置いていかれないように、ロゼッタは即座にラザラスの影に飛び込んだ。
「念のため聞くけれど、ベリル総合病院で良いんだよな?」
『っ、く……ッ、うん……』
「分かった。待っててくれ」
ベリル総合病院。行ったことはないが、場所は把握している。
放送局近くの純白の非常に大きな建物――現在ジュリアスが、入院している場所だ。
『最悪』の予感に顔面を蒼白にしつつ、ラザラスは足をもつれさせそうになりながらも、マンションを飛び出した。
『ごめん……っ、ごめんな、さい……っ』
アンジェリアが謝っている。ラザラスも泣きそうだ。
『……目覚め、たの。ジュリーが、意識を、取り戻して……っ』
しかし、不幸中の幸いといったところだろうか。
ここで想定される、最悪の予感が的中することは無かった。
(! な、なんだ、良いニュースじゃない……!)
声音からして明らかに容態急変だとかそういう感じだったのに。
ロゼッタは安堵しかけて、頭を振るう。
(違う……)
これは、目覚めて「良かった」という展開ではなかったのだろう。
大体それくらい、ジュリアスの話を聞いた時点で、察していた。
『でも……面会謝絶状態、なの……っ、私も、ジュリーに、会わせて貰えな……っ』
「ッ、アンジェ、大丈夫だ。今から行く。ジュリーには、先生方がついてるんだろう?悪いことは、起こらない筈だ……俺達も、分かっていた、筈だ……」
一旦立ち止まり、深呼吸し、ラザラスは自身に【肉体強化】を掛けた。ベリル街は人通りが多すぎる。例の如く屋根上を駆け抜ける気らしい。
ロゼッタは相変わらず不安定な彼の魔法を補強し、彼が一分一秒でも速く病院にたどり着けるように手を貸すことに徹した。
(ジュリーさん……)
生きていただけ良かったとは、意識が戻って良かったとは、無神経に言うことの出来ないジュリアスの状況。
誰がどう考えても、最低でもこんな事態が発生することくらい、分かっていた。覚悟していた。
それでも、ジュリアスを想うアンジェリアには、あまりにも残酷な状況だった。
ジュリアスが、目を覚ました――しかし人身売買組織に襲われて命の危機にさらされ、意識は戻ったが既に2年もの歳月が流れ、挙句、両足を失ってしまった彼が、正気でいられる筈が……なかったのだ。
病院到着後、泣きじゃくり、到底話の出来ない状態になっていたアンジェリアに代わり、ラザラスは別室で医師に話を聞かされる。
「今は、薬で眠って頂いています」
目覚めたばかりだというのに、眠らせなければならない状況。そうしなければ、自ら命を絶ってしまいそうな状態だったのだろう。
あまりにも皮肉な通告に、ラザラスは両手の拳を強く握り締める。
「……そうですか」
「面会が可能な状態になりましたら、またご連絡します……アークライトさん、今回はファウラーさんに連絡を入れましたが……次回は、あなたに連絡を入れた方が良いですか?」
「そう、ですね……お願いします。連絡先は――」
アンジェリアのことを思い、何とか平常心を保っている。そんな様子であった。
病院側も、表面上は平常心を保っているラザラスを頼ってきている。彼はそれを、理解しているのだ。それが自分の役割だからと、泣き叫びたいのを必死にこらえているのだ。
「……」
淡々と事務的な手続きを終え、錯乱気味のアンジェリアを隣町まで送った後、ラザラスは夜道を歩く。周囲に誰もいない状況になって、ラザラスは漸く、口を開いた。
「ロゼ……ありがとな。グレンさんのこと、君が解決してくれてなかったら……多分、折れてた……」
『わたしは、ここにいるだけです。いつだって、傍にいますから』
「それで、十分なんだ。君がいるだけで、俺は、本当に、救われるんだ……」
コンクリートの塀に手を付き、ラザラスは立ち止まった。夜の帳が下りたアスファルトに、ぽたりぽたりとシミが出来る。
影から出てラザラスの空いている手を握れば、弱々しく握り返された。冷え切った彼の手を両手で包み、ロゼッタは「傍にいます」とだけ口にする。ラザラスからの返事は、言葉にならなかった。
――ラザラス、アンジェリアの両名に「面会可能」の四文字が届いたのは、ジュリアスが目を覚ました日から二週間以上経過した後のことであった。
それが、早いのか遅いのか、どれだけ待ったのかが分からなくなってしまう程に……彼らは、ただ「待つ」という行為に、神経をすり減らすこととなる。




