50.ストーカー、王子様の救いとなる。
別にロゼッタは「何を見ても平気」な子だと思っていたわけではない。しかし、正直なところ意外ではあった――自分自身の非情さを噛み締めながら、ラザラスは飛び込んだばかりの会場を見回す。
見る者によっては『地獄絵図』にしか映らないであろうそこは、ラザラス陣営からしてみれば確実な『勝利』を示していた。
「エマさん、大丈夫ですか?」
「問題ないよ。万が一起き上がっても、多少はやれるしね」
念の為、参加者の死体には変な外傷を残さないようにしようというのが今回の作戦だ。そのためエマは注射器入りの大量の毒薬――彼女は参加者に擬態していたため、ユウが隠し持っていたものだ――を見せつけてニヤリと笑う。
ユウが動転する参加者達を片っ端から襲い、身動きが取れなくなっているところにエマがすかさず毒薬を打ち込むのがセットになっている。
(ロゼ、ちゃっかり魔法は継続で掛けてくれてるんだな……)
ユウに掛けられた光魔法は継続しているようで、傍から見れば『怯えて逃げ回る参加者達が唐突に意識を失う』という謎の現象が発生している。
ユウは過去に「死神」呼ばわりされた自虐ネタで大鎌を使っているが、別に他の得物を扱えないわけではない。今回の彼の得物は特殊警棒である。姿を隠したまま、片っ端から参加者の腹部等を強打しているのだ――ロゼッタが元気なら、ユウに対して「ずる賢い」のコメントのひとつでも残してくれそうなのだが。
「……ロゼ、君は気にせず、そのまま隠れてると良い。俺は適当に暴れるからさ」
気になって話し掛けてみたが、ロゼッタは何も言わない。冗談を言う気力が無いのだろう。
もしかすると、既に彼女は逃げ出しており、影の中にはいないのかもしれない。ラザラスは影に隠れている彼女の気配を追えないため、その可能性も十分にある。
だが、それはそれで良い。怖いのなら、無理に自分に着いてくる必要はない。そこまで一緒にいたいとは流石に思っていない。
ひとまず今はロゼッタではなく、確保すべき人間を追うべきだろう。今回の作戦において、後に尋問に掛ける重要人物はあえて気絶させずに恐怖に震えて“頂いている”。エマやユウが襲っているのは処刑対象になっているだけの“その他大勢”だ。
重要人物の拘束はラザラスとレヴィの役回りである。クィールは本来グレンやルーシオと共に会場偽装の役目を担う筈だったのだが、彼女は先程保護した竜人キメラドールを運び出す側に回った。連絡は行っているだろうし、そもそもクィールは陽動部隊としての仕事がメインだったのだから彼女抜きでも別に問題はないだろう。
(……アイツ、か)
ラザラスの目が、細身の男を捉えた。
彼はどうにか外部と連絡を取ろうと必死になっているようだが、ヴォルフガングが会場に妨害電波を仕掛けたために繋がりようがない。焦り、苛立ち、『清廉潔白』と噂された男の顔は歪んでいた――今回の最重要人物、法務卿ダヴィド=ベンジャミンである。
レヴィはあえて他の要人を選んで捕縛してくれている。彼女の、否、皆の気遣いを噛み締めつつ、ラザラスは拳銃をホルスターに戻し、ベンジャミンの元に向かった。
「……」
――忘れもしない。
集中処置室の外で見た、数多の管に覆われ生死の境を彷徨う両足の無いジュリアスの姿を、目覚めぬ彼を見て泣き崩れたアンジェリアの姿を。
不自然に事件を隠蔽した警察とメディア、彼らにそれを指示した何者かへの憤りを、襲撃事件に関わった全ての人間と“自分自身”に抱いた怒りと憎しみを……ラザラスは決して、忘れない。
「ダヴィド=ベンジャミンだな?」
恐ろしい程に、低い声が出た。
恐怖か、絶望か、はたまた怒りか……何とも言えない表情をした男がこちらに視線を向ける。
「ッ、貴様……!」
ラザラスが武装しているのを見て、『敵』と判断したのだろう。彼は周囲を見回し、助けを求める。だが、彼を助ける者はもう、誰もいない。政府要人ということで彼も警護要員くらいは連れて来ていたのだろうが、その辺りの人間は早々にエマ達に沈められてしまったようだ。
「そりゃそうか。自分の腕に自信があるんだったら、それこそ『最初から』アンタが動いてるわな」
万が一メディア関係者に情報が漏れれば危険だから、とエマはラザラスに顔を隠すよう指示した。しかしこの状況、もうそんな必要はない。どうせ皆、最期には『黙らせる』のだから――ラザラスはゴーグルを下げ、素顔を顕にする。
「ぁ……まさ、か……」
「ああ、“私”のこと、ご存知でしたか?」
ぺたり、とベンジャミンが床に尻を付ける。彼の口が「リアン」と動いたことで、彼が全てを察したことに気付いた。
あまりにも情けない。法務卿の威厳など、そこには存在しない。
「なら……何故こんなことになったかも、理解出来ただろうな!?」
嗚呼、こんな情けない男に。
こんなにも情けなく、どうしようもない男のせいで――!!
「ぎゃあぁあっ!!」
無造作に伸ばされた足を踏み付け、掛ける。ボキリと軽い音がして、呆気なく骨が折れた。思い切り蹴飛ばしてやれば、いとも簡単に変な方向に足が向いた。ぎゃあぎゃあと喧しい男の頭を掴み、床に向かって勢いよく叩き付ける。
「ッ、くそ……っ、何、で……!」
ようやく諸悪の根源に辿りつけたというのに、その男を好きなだけ痛め付けることが出来るというのに、心は全く晴れることがない。
腹の底からこみ上げる激しい怒りと共にラザラスを支配したのは、どうしようもない悲しみだった。心は晴れない。それどころか、どんどん濁っていく。
(いっそ、コイツがあからさまな悪党でいてくれたら……)
漂うアンモニア臭に顔をしかめ、ラザラスは何か言いたげなベンジャミンを見下ろす。彼はマフィアの大物や武闘家などではなく、権力に溺れる政府役人なのだから無理もないが、ベンジャミンは少し痛めつければ呆気なく根を上げてしまう程度の『小物』に過ぎない存在だった。小物でしかない男を痛め付けたところで、達成感も爽快感もない。
これ以上、何をしても無意味に思えた。
あまりに痛め付けて心を壊されても厄介だ。ラザラスはベンジャミンを拘束するべく手錠を取り出す。
『……。わたし、いますよ。拘束、掛けられます』
「! 分かった、頼むよ」
手錠はロゼッタの不在を想定したものであって、本来は彼女に【魔力拘束】を使って貰う予定だった。彼女がいてくれるのならば、手錠は必要ない。もう任せてしまおうとラザラスがほんの少しだけ気を緩めた、その瞬間のことであった!
「きゃあっ!?」
「! ロゼ!!」
突然ロゼッタが影から弾き出される。ベンジャミンが顔を上げ、ニヤリと笑みを浮かべる――その手には、何やらスイッチ状の物が握られていた。
「いやはや……リアン君は魔法に頼らないタイプだったから参ったよ。けれども、最後の最後でやり返すチャンスをありがとう」
床に転がったロゼッタは意識こそあるものの、苦痛に顔を歪めている。ラザラスは迷わずベンジャミンに背を向け、彼女の元に走った。
「ロゼ!」
「ごめ、……な……」
ごめんなさい、と口にした彼女は酷く震えていた。脈が妙に早い。【魔力拘束】を跳ね返された上、【毒付与】を掛けられたのだろう。苦しむロゼッタを見て、ベンジャミンはニタニタと笑っていた。
「『ご主人様』に歯向かうから、そんな目に遭うんだ。これも、一度や二度じゃあるまいに」
「この……っ!」
一度や二度じゃない。
その言葉の意味を理解すると共に、再び強烈な怒りが湧き上がってくる――ベンジャミンは魔法能力の高い竜人マニアだ。竜人から何かしらの反撃を受けた時の対策をしていない筈がない。
そして『それ』を、かつて手元にいたロゼッタにしていない筈がない!!
ラザラスは奥歯を噛み締め、拳銃を構える。ロゼッタは必死に、声を張り上げた。
「駄目、です……それは、いけません……!」
「……」
「わたしは、大丈夫です!」
何が駄目なのか、大丈夫なのかと言い返したかった。けれども、冷や汗を流しながら微笑むロゼッタを見て、ラザラスは正気に返る。そして、弾丸を放った。
「ぎゃあっ!」
弾丸はベンジャミンの足を射貫いた。血が吹き出すが、この程度で人は死なない。
ラザラスはゴーグルを装着し直し、背後のロゼッタを抱き抱えた。そして、ベンジャミンを一瞥して口を開く。
「そう簡単に、殺してやるかよ」
この場でラザラスを怒り狂わせ、自分を殺させること――それが、ベンジャミンの狙いだったのだろう。どうせ自分はラザラスらに勝てるハズもなく、遅かれ早かれ殺される。
それなら尋問という名の拷問時に自身の背後にいる人間の名を漏らしてしまわないために、さっさと『退場』してしまおう……そんな魂胆でいたのだろう。
「ロゼ、サンキュ。声掛けてもらえなかったら、頭行ってたと思う」
「……いえ」
ロゼッタが非常に落ち込んでいる。ラザラスの足を引っ張ってしまったと思っているのだろう。ラザラスからしてみればベンジャミンの動きを察知出来なかったコチラが悪いと思うのだが、ロゼッタがそれを口にすることはない。
「ごめん、油断した……苦しいと思うけれど、少し我慢しててくれ」
ふるふるとロゼッタは首を横に振るうが、それに対しては何も答えない。この流れは「いいや自分が悪い」と言い合う流れだ。返せば返すだけ時間の無駄になってしまう。どうにかロゼッタに罪悪感を抱かせない方向に持っていきたいとは思ったが、流石に今ここで言い合っている場合ではない。
(それにしても、軽いな。帰ったら色々食わすか)
ロゼッタは跳ね返った魔力高速の影響で魔法の類は使えない。つまり、付与魔法【軽量化】などは使用していない筈だ。だというのに、妙に軽い。かなり痩せているようだ。
お蔭でロゼッタを片手に抱えた状態でベンジャミンを引きずることが出来るのだが、これまでの彼女の境遇を思えばあまり良い気はしない。少し太らせておきたい。
ラザラスがベンジャミン回収のために動こうとしたところ、その前にユウが横たわる情けない男を異空間に放り込んでしまった。姿を現しているのは、ロゼッタの魔法が解けてしまっているからだ。
「ジャレット。こいつはこのまま俺が持ってくから、そのままクィール達と合流してくれ。どうせもう終わりだ」
「……便利ですね、それ」
「だな。失禁野郎抱えていくのは流石に嫌だし、使えて良かったと思ってる」
そう言ってユウはロゼッタの頭に手を伸ばす――が、ラザラスは反射的に彼の手を弾いてしまった。これにはユウも目を丸くしている。
「……」
「す、すみません……」
何と無礼なことを。
そう思い、すぐに謝るもユウは困ったように笑みを浮かべ、ひらひらと手を振って次の要人を回収しに向かった。
「良いんじゃないか? 思ってたより、荒れてないみたいだしな」
去り際にユウが残した言葉によって、ラザラスは澱んでいた自分の心が楽になっていたことに気付かされた。ベンジャミンを前にした時の荒れた感情が、どこかに行ってしまっている。無くは無いが、我を失って暴れてしまいそうなレベルではない。
「あー……その、毒、大丈夫か?」
腕の中でぐったりとしているロゼッタの頬を、空いている親指でぐりぐりと撫でる。彼女が傍にいてくれていることが、気持ちを楽にしてくれたのだと理解する。
ロゼッタは少しの間されるがままになっていたが、そっとラザラスの手に自身の指を乗せ、へらりと気が抜けたような笑みを浮かべてみせた。
「もう平気です。何とか【魔力拘束】外せましたから、そのまま貰った毒も弾き返しちゃいました……ご迷惑をお掛けしました」
「え……そんなこと出来たのか?」
「自分でも驚いたんですけど、出来ちゃいました。今回のは化学毒じゃないからでしょうけど……だから、もう下ろして頂いて大丈夫ですよ。邪魔でしょう?」
ハッキリ言って、毒には良い思い出が無い。
しかし、しれっと【魔力拘束】を外してしまう魔法系チートなロゼッタの手によって、それさえも払拭されてしまった……何故だか、泣きそうになってしまった。
ラザラスは一度ユウ達の様子を見た後、ロゼッタに顔を見られないよう、彼女の顔が後ろに向くように縦抱きにし、そのまま外へ向かう。
「あの、ラズさん……?」
「……悪いけど、もうちょっと、このままで」
ロゼッタだけでなく、ユウ達にも悪い気がした。だが本当に離脱しても問題無さそうだったため、ここは甘えさせて貰うことにする。
抱きしめた彼女の身体から感じる鼓動と体温。彼女が確かに生きているという証明――それはごく普通で、当たり前のことだというのに。
「ありがとう。君がいてくれて、よかった」
今、ロゼッタの存在を感じ取れることが、ラザラスにとってはどうしようもなく嬉しく、かけがえのない救いとなっていた。




