5.ストーカー、彼の部屋を物色する。
影に入り込んでいる状態は、マジックミラーの内側から外側を眺めているような感覚に近い。
外側からは全く内部の様子は分からないのだが、内側はかなり小さな部屋のような状態となっている。
そこに潜んだまま、ロゼッタはラザラスの家まで運ばれていった――勿論、ラザラスはそのことに気付かないままである。
かなり警備に力が入った高そうなマンションの一階、奥の角部屋。そこがラザラスの家らしい。
影に隠れたロゼッタの存在は警備システムでも感知出来ないようである。
「ふぅ……」
あの後、しばらくラザラスは街を駆け、ロゼッタを捜索していた。
元々彼はひと仕事終えたばかりだったため、疲れていたのだろう。小さく漏れた溜め息に、ロゼッタはひとり胸を痛めた。それでも姿は表さないのだが。
ラザラスは周囲を少し確認してからドアを開き、玄関に足を踏み入れる。施錠し、電気を点け、彼は微かに口を動かす。
「【解除】」
魔力の流れを感知し、ロゼッタの耳がピクリと動く。今、解除されたのは【肉体強化】、【聴力強化】、【魔力感知補助】だろう。いずれも文字通りの効果を持つ付与魔法である。
なお、魔力感知補助は近くで魔力を発す存在を感知しやすくなる付与魔法だが、これを使ってもロゼッタの存在は感知できないらしい。影に隠れているのがバレない限り、彼女は無敵だった。
(あれ……? 今ので全部じゃないね)
ロゼッタはラザラスがまだ解除していない付与魔法の存在に気が付いた。付与魔法を解除しないまま、ラザラスは洗面所に向かっていく。
(! お風呂!? さ、流石にお風呂覗くのは犯罪行為だよね!!)
咄嗟にベッド下の影に移り、ロゼッタは風呂に向かうラザラスを見送った。
彼女、ストーキングの上に不法侵入をしている時点で既に絶賛犯罪行為中なのだが、その辺りのことは全く考えていないらしい。
(さて、と)
風呂場からシャワーの音が聞こえてくるのを見計らい、ロゼッタはこっそりとベッド下から抜け出した。
(寂しいお部屋、だなぁ)
ワンルームだが、かなり広めの一室である。物を置こうと思えば沢山置けるだろう。しかし、ラザラスの部屋は本当に最低限必要そうな物くらいしかなかった。
ベッドとベッド横のチェスト、ローテーブル、勉経机、本棚、テレビ台と、無難な家電製品。本棚に文庫本が多いのと、音楽が好きなのかその類の物が若干多いくらいで、後は本当に何も無かった。そのため、壁に掛けてあるエレキギターが妙に目立っている……これ、弾くのだろうか。
(……そういえば、メンタルがどうとか言われてたっけ)
単純に忙しくて物を揃える時間が無いだけかもしれないが、精神的に不安定だからこそ、部屋が殺風景になっている可能性がある。
しかしこれは逆に、彼が好きなものをいち早く知るチャンスだと判断したロゼッタは勉経机の上に転がっていた輪ゴムを拝借し、髪を二つに束ねた――彼女、ラザラスにバレない範囲で部屋を漁るつもりである。
(本は難しそうだから放置。机と、チェストくらいは……!)
ラザラスはどうやら風呂をシャワーだけで済ましてしまうタイプのようなので、時間はあまりなさそうだ。
本棚以外に狙いを絞り、ロゼッタは物音を立てないように気を付けながら机の上のノートを手に取った。
(わあ、文字綺麗だなぁ……何書いてるのか読めないなぁ……)
ただ、読めないなりにラザラスの文字が綺麗だということは理解出来た。彼が書く文字は書物の印刷された文字によく似ているのだ。
ノートを元の位置に戻し、卓上棚に並べられていたメモ帳に手を伸ばす。地図と表が描かれた走り書きが沢山あった。何かの研究資料だろうか。全く分からない。
(うーん、分からないもの見つけても仕方ないんだけどなぁ)
メモ帳と一緒に並んでいた難しそうな書物には古美術やら遺跡やらの写真が載っていた。
ラザラスは歴史学者なのだろうか? 残念ながらロゼッタには全く分からない。
そもそも彼女、文字が読めないのである。
(でも……多分これ、しばらく触ってない、よね?)
危うく「何も分からなかった」で終わってしまいそうだったのだが、ロゼッタはごく僅かに積もっていた埃の存在に気が付いた。
メモ帳も難しそうな書物も、最近は手に取っていないのだろう。最初に触ったノートは文字の配列からして歴史研究用の物では無さそうである。つまり、近頃のラザラスは別のことに集中しているようだ。
とはいえ、基本的に文字が読めない以上、ここを漁ってももう情報は手に入らないだろう。そう思い、ロゼッタはベッドへ視線を向けた。布団と枕だけのシンプルなベッドだが、ロゼッタには非常に魅力的に見えていた。
(あ、これはちょっと我慢出来ませんね!!)
もふり。
「ふわぁ……っ」
飛び込んだベッドのスプリングが軋み、ふかふかの布団がロゼッタを包み込んだ。爽やかな柑橘系の良い香りが鼻腔を擽る。
ラザラスに抱きしめられている気分になって、大変に幸せだった――しかし、虚しさからか突然正気に戻ってしまった。
彼女はベッドから降りると静かに布団を整え、両手で顔を覆う。
「変態かよ……」
いくらなんでも勘付いていたが、自分はラザラスが関わるとかなり思考力が低下してしまうらしい……。
遅れてやって来た羞恥心と戦いながら、ロゼッタはどうにかこうにかチェストへと意識を逸らした。
チェストの上にはミニコンポとCDが並んでいる。文字は読めないが、数種の決まったグループ、もしくは人物のCDを集めているらしかった。
こちらは卓上棚に置いてあった物とは異なり比較的よく使われているようで、ベッド横に置いてあるのも頷ける。
(……倒れてる)
コンポとCDだけが置かれたチェストには、ひとつだけ写真立てが置かれていた。モノクロカラーのお洒落な写真立ては、倒れてしまったのか写真が見えない形で伏せられている。
ロゼッタは写真立てを手に取り、それを見た瞬間に思わず口元を手で覆った。
(ひゃああ、顔面偏差値の異常事態だ!)
写真中央に映る、今より髪が長めのラザラスの他には写真を撮った本人らしき、黒い猫耳と尻尾の可愛らしい猫系獣人美少女と恥ずかしそうにはにかむ緑掛かった銀色のロングヘアの有翼人美少女、茶髪で中性的ルックスのモデル体型美丈夫――要は、美男美女しか写っていなかった。
あまりに顔面偏差値が高すぎる面々が揃ってしまった写真に目が眩んだロゼッタだが、この写真には彼女が真っ先に気にすべき存在が映っていることに気が付いた。それはラザラスではなく、彼の横に映っている青髪の人物である。
「この人、わたしと、同じ……?」
クィール同様に男性にしては華奢、女性にしては直線的で性別が分からないタイプだが、とりあえず美少年か美少女のどちらかである。この人物も例に漏れず美形だった。
しかし、注目すべきはその種族である。
この人物、額に小さな角があることと即頭部に獣耳があることが確認出来る。ロゼッタとは異なり、耳は白い毛に覆われているのだが、間違いなく同じ突然変異体の竜人だろう。
(わたし以外にもいたんだ……! この人、ラズさんのお友達かな、会えないかな……?)
そういえばクィールは「竜人の突然変異体は可愛らしい容姿になる」と言っていた。
恐らく、彼女はこの青い竜人の容姿を指してそう言っていたのだろう。あれは明らかに他の突然変異体を知っている発言だったが、この人物の存在があるならば理解出来る。
「あ……」
そしてロゼッタは、助けられた時にラザラスが異様に慌てていたことと『ジュリー』と口走っていたことも思い出した。
(さ、さてはこの子、ジュリーっていうんだ……じゃあ、女の子? わたしと同じ毒使われたんだよね……大丈夫だったのかな……?)
突然変異体、という言い方からして自分達は間違いなく希少種である。
火竜だけかと思いきや、知り合いと同じ希少種が混じっていて、しかもぐったりしていたとなればラザラスが慌ててしまうのも無理はないだろう。
恐らく、この『少女』と自分を重ねて、ラザラスは「少女が死んでしまうかもしれない」とあんなにも怯えていたのだ。
それだけ、ラザラスにとって彼女は大切な存在なのだろう。
(何か……モヤモヤする……!!)
よく分かっていない人物に謎の対抗心を燃やし、ロゼッタは奥歯を噛み締める。風呂場のドアが開いたのは、そんな時だった。
(早く隠れなきゃ!)
詳細をラザラスに聞けば良いのだろうが、状況ゆえに何も聞けない。モヤモヤした思いを押し殺し、ロゼッタは写真立てをチェストに戻して再びベッドの下に潜り込んだ。