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39.ストーカー、『復讐』について語る。

 ロゼッタ=アークライト――名を求められた時、薔薇のような赤毛が美しい女優が演じていた役の名前を付けてしまったのだが、どうやら気付かれていないようで安心している――彼女は青い、海のような瞳を真っ直ぐこちらに向けていた。


「わたし、何聞かされても離れませんよ? ストーカーですし」


 ラザラスは基本的に顔をまじまじと見られること、顔で判断されることに強い嫌悪感を持っている。しかし何故か彼女は、ロゼッタだけは受け入れることが出来た。


 それは彼女が真面目で、どこまでも素直な性格をしているからだろう。人というものは、少なからず裏表を持つものだ……ラザラス自身も、酷く裏表のある性格をしていると自覚していた。


「あはは、すごい自信だな……でも、このままだと気持ちの整理が出来なくてさ。だから、ちょっとだけ付き合って欲しい」


 ストーカーといえばストーカーなのだろうが、それが彼女ならば、付き纏われていても構わないとラザラスは思っていた。

 狂っているのは分かっている。普通ではないと、おかしな状況だということも分かっている。けれど、それでも、ラザラスは彼女に縋らずにはいられなかった。


 だからこそ『拒絶』されるのならば、早い方が良い――きっと彼女は拒絶しない、それでも傍にいると言ってくれる。そんな淡い期待は、強引に打ち砕いた。


「俺、いざって時に、君のこと助けられないと思うよ。見てたなら分かってるだろ? 俺は、精神的な負荷が掛かると頭回らなくなるんだよ」


「わたし自身のことは自分で守ります。ラズさんも守ります。一ヶ月で魔法の腕を上げましたから、今度は大丈夫です」


「はは……強いね。一切、悩まないじゃないか」


 ロゼッタは、自力で戦える。

 そして、いざという時は迷わずに相手を殺めることが出来る。

 『守りたい』と決めた相手以外は、どうでも良い――恐らくは、自分と同じタイプの人間だ。


「うーん……的外れかもしれないんですけど……」


 ロゼッタは軽く目を泳がせ、ラザラスから目線をそらす。

 それでも話す時は目を合わせると決めているのだろうか。彼女は真っ直ぐにラザラスを見据え、口を開いた。


「わたし、助け求めたりしないんで。求めた時は血迷ってますから、助けなくて良いです。無視して下さい」


「え……」


「ラズさんは、ラズさんのことだけ守ってて下さい。そもそも、ラズさんが死んだら、お話になりませんし。ストーカー的な意味で」


 ロゼッタの発言は、ラザラスにとって非常に衝撃的なものであった。しかし、驚いている場合ではないと頭を振るい、ラザラスは顔を『作る』。

 軽薄で、何も考えていないような笑みを浮かべ、ロゼッタを見下すように視線を向ける。身長差がかなり開いているため、威圧感を出すのは他愛も無いことだった。


「……」


 圧を掛けるも、ロゼッタは全く引かない。彼女の青い瞳には一切の迷いがない。


(……今更すぎるってこと、か)


 ラザラスは自分が弱い人間であることを、彼女には散々見せつけてしまっている。しかも、彼女の頭の回転は極めて早い。

 一体どんな環境に置かれていたのか想像も出来ないが、即座に状況を判断する能力では彼女に勝てる気がしない。嫌われようとすればするだけ、何かを汲み取ってしまった彼女は近くに寄ってきそうだ。


 ため息を吐き、ラザラスは肩の力を抜いた。


「……三時間、だったな」


「三時間……?」


「ジュリーが俺に助けを求めてから、俺が助けに向かうまでの時間だよ……せめて一時間前に助けられていればこんなことにはなっていなかったって、医者には言われたよ」


「――ッ!」


「あいつは、タイムリミットの二時間前にSOSを出してくれてたってのにな」


 ロゼッタが目を見開く。ゆるゆると首を横に振るい、それでも、彼女はラザラスから目を逸らさない。


「行けなかった理由があったのでしょう? それは……そればかりは、もうどうしようもないじゃないですか」


「ああ、そうだな……厳密には、気付けなかったんだ。色々あって、誰とも話したくなくて、引きこもって……端末の電源を落としていた。そんなことやってたもんだから、ジュリーは郵便受けに手紙を突っ込むっていうアナログなことをやるようになってさ。最後の手紙であいつは自分の『正体(ALICE)』を明かしてくれて、それを読んでから、端末に電源を入れ直して……その頃にはもう、手遅れだった」



 カバンから今使っているものとは違う、画面が割れたスマートフォンを取り出す。

 今は使っていない端末だが、『あの日』以来、誰からも連絡が入らないと分かっているのに、ラザラスはこの端末を持ち歩くことをやめられなかった。


 ロゼッタの視線を感じながら、ラザラスは保存されている留守番メッセージを再生した。


『多分、もう……会えないから、先に言っとくね……ごめんなさい、アンタの過去、調べちゃった。それで、やっと分かったよ……何で、変に距離取られてるのかって。そりゃ、そうだよね……オレだって、それは同じだったんだから。お互い様、だよね……』


 複数回残されていた、ジュリアスからの着信の最後。そこに、彼は留守番メッセージを残していた。

 見えっ張りなジュリアスらしからぬ酷く震えた声で、今にも泣き叫びそうなのを堪えているような、そんな様子が伺える。


『アンタのこと、もっと信じて、勇気を出して、踏み込めば良かったんだ……今になって、本当に後悔してる……ッ、アンタみたいな人が、閉じこもったままなんて勿体無いよ。そこから引っ張り出す手助けができたらって……今になって、思うんだ……』


 ジュリアスが嗚咽を漏らす。ひっくひっくと涙を溢し、懸命に声を絞り出しているのが分かる、そんな声だった。


『ッ……困った、な……むしろ、さっさと……死にたい、くらいだったのに……こうなると、未練しか、ないや……怖い、よ……』


 この音声を初めて聞いた時には分からなかったが、録音の最中、ジュリアスは全身に回った毒と抵抗した際に付けられた数多の傷、そして両足が朽ちて逝く絶望感に耐えていた。むしろ、よくぞここまで理性を保ちきったと思う。


『ごめん、ごめんね……っ、最後まで、迷惑掛けて、ごめん……それでも、あえて、言わせて欲しいんだ……ごめん……たす、けて……』


 絞り出した言葉の最後に響く、酷く苦しげに咳き込む声。それと共に微かに聞こえる乾いた音は、彼が端末を手放した音だろう。そして、メッセージは途絶えた。

 ロゼッタの瞳が揺らぐ。ラザラスは端末をカバンにしまい、深く息を吐いた。


「位置情報も一緒に送られてきてたから、それを元にジュリーを見つけ出すことは出来たよ。でも致死量の毒を投与された影響で、ジュリーの身体は既に、色んな部分が壊れかけていた……特に、両足の神経は完全に壊死していてね。膝上で切断して、何ヶ月も油断出来ないような状態が続いて、今年になって何とか……ってところだな」


「……」


「俺が、メッセージの存在に早く気付けていれば、電話に出ることができていれば……こんなことにはならなかった……ッ」


 熱心な信者が神に赦しを乞う時の気分は、こんな感じだろうか。

 ラザラスは手の甲に爪を立て、奥歯を噛み締める。ロゼッタは最初こそ目を丸くしていたものの、冷静に最後まで話を聞いていた――そして、ラザラスにとって永遠にも感じられるような間の後、彼女は口を開く。


「事故じゃないですか、そんなの……絶対、こんな言葉じゃ納得出来ないでしょうけれど」


「……」


「そして、ラズさんはジュリーさんのような人を生み出さないために、悲劇を繰り返さないために、戦ってるんでしょう? もう、それで十分なんじゃないですか?」


 ラザラスをストーキングする程、彼に惚れ込んでしまっているロゼッタだが、これはあくまでも本心のようだ。

 演技の世界にいたこと、そして根本的に人を信用するのが苦手なことから、ラザラスは表情筋の動きで相手が嘘を吐いているか否かくらいは判別出来る。ロゼッタはラザラスを庇う意図で、こう言ったわけではない。


「俺が戦ってるのも……ただの、ひとりよがりな復讐だよ。ジュリーがこれを望んだわけじゃないし、多分、本当のことを知れば軽蔑されると思う」


「……だから、ハウライ語を勉強してるんですね?」


「はは、見抜かれたか? そうだな……全部に、決着が着いたら、『国外逃亡(そういうつもり)』でいた」


 はっきりと明言こそしなかったが、ロゼッタは「逃げるな」と目でラザラスを咎めている。それは「駄目だ」と彼女は訴えている。

 何故か、笑みが溢れた。至極当然のことを指摘されて、ラザラスの心は情けなさと惨めさで溢れかえっていた。


「俺だって、『復讐』っていう手段が間違っていることくらい分かってたさ。手を出してはいけないことだって分かってて、周囲に止められて……それでも、手を出した」


「……」


「分かってる、せめて最後に何か言ってから消えるよ」


 全てが終わったら、ラザラスは何も言わずにグランディディエから消えるつもりでいた。

 ロゼッタは、それが駄目だと言う。確かに、けじめくらいは付けて行くべきだとラザラスは思い知らされた。


「何を言っているんですか?」


 しかし、ロゼッタは違うと頭を振るった。


「良いじゃないですか、復讐。わたしは大賛成ですけど?」


「……は?」


 そういえば、とラザラスは思い知らされる。

 ロゼッタはその辺で平和に生きてきた世間知らずな女の子ではない。むしろ、彼女は生まれた時から人生ハードモードな最悪な境遇に置かれていたタイプの人間だ。


「わたし、感情を極力殺して生きてきたんですけど、感情その他諸々が絶好調な今なら思いますもん。『関係者全員コンクリートに埋めるぞ』って」


――彼女の『深淵』を覗いてしまった。


「復讐は何も産まないだとか、誰も幸せにならないだとか、そんなの知りませんよ。そんなふざけた綺麗事を言えるのは、部外者だからに過ぎません……やっちゃえば良いじゃないですか。むこうはどうせ『やれるもんならやってみろ』ってスタンスなんでしょう? それなら『じゃあやれるからやってやるよ』って感じで良いじゃないですか」


「軽いな……」


「こっちの命を軽く見てるのは向こうじゃないですか。ていうかアンジェさん辺りとか、あれ百パーセント容認しちゃってますよね? つまりわたしと同意見。だから、割とこの考え方普通だと思います。復讐やれる力があるんですから、やっちゃえば良いって考えてるんですよ。むしろ『やったって下さい』って感じですよ、絶対」


「おおう……」


「どうせこの国の司法関連はゴミですし、奴らにラズさんを裁く権限なんてありません、認めません。だから国外逃亡の必要なんてありません。ラズさんをしょっぴくなら、その前にわたしは『わたし達を飼っていた』人の名前を大声で叫びます。その人の『仲良しさん』の名前も連名公開です。消えてしまえば良いのに……そうだ、わたしがどこから『逃げてきた』か言いましょうか? 多分びっくりしますよ?」


 突然多弁になったロゼッタを止めずにそのまま喋らせてみる。

 彼女、頭の中では結構色々と考えていたようだ……。


(大変だったのは、分かっているつもりだったけど……)


 一方的にあれこれ知られている気がするのだが、彼女のことは何も知らない。

 聞けば答えてくれるだろうか?


「……」


 聞いてみたいとは思うが、軽率に踏み入れてはいけないデリケートな話になることは間違いない。

 せっかく元気になったのだから、落ち込ませてしまうのは可哀想だ。


「!? すみません、つい……」


 語るだけ語り、満足して我に返ったらしいロゼッタは頬を赤く染め、頭を振るう。二つに分けて結ばれたツインテールがパタパタと揺れた。


「いやいや、君、結構喋るんだなーって、思ってたんだ……ちなみに聞くんだけど、君が元いた場所、聞いても良いか?」


 間髪いれずにロゼッタは頷き、口を開く。


「ダヴィド=ベンジャミンのところです」


「法務卿じゃないか!?」


 ダヴィド=ベンジャミン――この国の司法を担う、清廉潔白と名高い男の名だ。


「ね? この国の司法はゴミでしょう? ちなみにベンジャミンは竜人大好きクソったれ変態野郎です」


「どこが清廉潔白だよ!! 真っ黒じゃねーか!!」


 ロゼッタは「お役に立てましたか?」と言いたげに首を傾げてみせる。ふわふわの耳といい、先程から忙しなく跳ねている尾といい、まるで犬のようだ。

 思わず、ラザラスはロゼッタの頭に手を伸ばす。彼女は一瞬びくりと身体を縮こませたが、そっと撫でてやると「えへへ」と嬉しそうにはにかんでみせた。


「……」


 こうしていると無邪気で可愛らしい女の子なのだが、残念ながら彼女も過去が闇に満ちている。過去が闇に満ち過ぎているせいで、幸福の沸点が異常に低くなってしまったのだろう。

 明るい少女だが、あっさりと『復讐』を肯定してしまう程度にはほの暗いものを持っているということだ。


 そんなことを考えているうちに、ラザラスの中でふつふつと怒りが湧き上がってきた。この国の司法をおかしくした男とその側近――何としても、消し去る必要があるだろう。


「ダヴィド=ベンジャミン……燃やしに行くか。ちゃんと証拠確保出来るように、下調べしてから」


「はーい。下っ端やってた関係でやばい情報入ってそうな場所は全部把握してますから、何かあったら言って下さいね」


 ロゼッタはかつての主人を売る気満々であった。

 当時は何も思っていなかったが、今にして思うと叩きのめしてやりたい、といったところだろうか。


「あはは、有能だなぁ……」


 利害関係が一致してしまった。

 これで彼女は、全てが終わるまでは意地でもラザラスの傍から離れないだろう。


 少なくとも、今は。

 今は、『孤独を感じる(ひとり)』になることも、『距離を置く(ひとり)』になる必要もなさそうだ。


(……ありがとう)


 手のひらから伝わってくるロゼッタの体温を感じながら、ラザラスは気の抜けたような笑みを浮かべるのであった。

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