38.ストーカー、王子様の家族事情を知る。
クリスティナの母親が言っていた通り、家の中はとても綺麗に片付いていた。懐かしさからか、ラザラスが辺りを見回しているうちにロゼッタは姿を現した……もはや『ストーカー』の概念からして怪しくなってきたが、本人達は全く気にしていないので大丈夫なのだろう。
「ここが俺の実家ね。十七まではこっちに住んでたんだ」
「……ひとりで暮らすには、ちょっと広すぎますね」
「そうだなぁ、母さんが入院したのが十歳くらいからだったな、その辺りからはずっとひとり」
遠回しに家庭事情が聞けないかと思い、部屋の広さについて尋ねる。するとラザラスの方はあっさりと意図を察してしまったようで、困ったように笑って肩を竦めてみせた。
「十五からか、本当にひとりになったのは……当時はマジで母親だと思ってたから、流石に寂しかったね」
「あ……そっか、『育ての母親』、なんですもんね……」
「そういうこと。ちなみに、あの人が母親じゃなくって里親的な存在だったり、父親が竜人で母親がキメラドールだったり、その両方がステフィリアっていう亜人保護団体の戦闘員だったりしてたの知ったのは二年前」
「……。最近過ぎません?」
「本当にそう思う。それまでは、実の両親と育ての親が手を組んで『父親は俺が魔法使えないことを理由に兄さんだけ取って俺と母親を家から追い出した屑男』っていう謎設定貫かれてたんだよね……というわけで、真相を知った瞬間の俺の気持ちを十文字以内で答えてくれ」
「えっ、ええー……」
「あはは、冗談だよ」
困惑するロゼッタを前に、ラザラスはクスクスと笑う。テーブルの上に持ってきた弁当と茶のペットボトルをふたつ並べ、片方をロゼッタに差し出す。ロゼッタが影の外に出てきた理由がこれだ。
「確かになー、母さんって後半働いてなかったのに、ステフィリアが崩壊するまでは何故か家に金入ってたからな……屑男が養育費くれるわけないとか、それにしたって変なタイミングで切りすぎてるとか、今にして思えば変なとこ多数だったんだけど、当時は全く気付かなくて。外見も母さんには全く似てなかったけど、そこは絶望的に父親に似たんだって思ってたし……いや、実際母親の遺伝子は身体能力くらいしか引っ張ってないみたいだけど」
「ラズさんの運動神経って、お母さん譲りだったんですね」
「そ。戦闘用に作られたキメラドールで、身体能力がすごかったらしい……ほら、クィールって何故か怪力だろ? あんな感じで」
(……。本当に普通ではなかったんですね……)
キメラドールは遺伝子単位で調整が行われている。そのため、好みの能力を付与することも難しくはないらしい。
彼らは基本的に愛玩用ペットとして作られているようだが、例外的に戦闘力を強化したキメラドールも存在するそうだ。クィールや、ラザラスの実の母親はそのパターンである。
ラザラスの異常な運動能力は、母親から引っ張ってきた才能だったのだろう。その代わり、父親が間違いなく保有していたであろう魔法能力は全く引き継げなかったようだが……。
「君……どこまで知ってるんだっけ。多分、エマさん辺りが好き勝手話してるよな?」
「えーと……ラズさんがお兄さんの代わりやってるんだろうなってことは、知ってます」
「ちょっと曖昧な感じか。でも、正解。俺には双子の兄さんがいて、兄さんとクィールは元々ステフィリアの戦闘員だった。当時は今、俺達がやってることより規模は大きくて、ヘリオトロープ……亜人とかキメラドールの売買やってる組織な。そこと水面下で戦争やってる感じだったみたいだよ。兄さんとクィールが戦ってた時期は本当に殲滅一歩手前くらいまで行ってたらしい」
「……でも、駄目だったんですね……」
「まあ、そういうことだな。兄さんが死んで、クィールも兄さんが死んだショックで心を壊して再起不能になって……そのまま、なし崩しにステフィリアは駄目になったらしい。けど、その頃には色々あってステフィリアを抜けてグランディディエに移り住んでたエマさんを中心にもう一度立ち上がったんだよ。今は完全に敵の拠点がグランディディエになってるから、グランディディエで乱闘してる感じ」
ラザラスはご飯を口に運び、茶を飲む。話に夢中になって、全く箸が進んでいなかった。ロゼッタも慌てて弁当に手を付ける。それを見て、ラザラスは笑みを浮かべた。
「別に、急がなくて良いからな。流石に明日の朝までもぐもぐされると困るけど」
「げほっ、そ、そんなことしませんよ……!」
もぐもぐとか言わないで欲しい。可愛い。
それにしても、なおのことラザラスが当時の紛争に巻き込まれていないことが気になってきた。
結果的には巻き込まれなくて良かったと思うのだが、どうして彼だけ実の両親から引き離されて育ったのだろうか……?
「ラズさんは……何で、ステフィリアに残らなかったんですか?」
あまりにも気になってしまい、地雷でないことを祈りながらも聞いてみることにした。
「あ、ああ……それ、なぁ……」
隠す気のないストレート具合だったためか、ラザラスが非常に困惑している。慌ててロゼッタが発言を撤回しようとするも、彼は頭を振るい、話を続けた。
「俺ら、竜人と戦闘用キメラのハーフだからな。ヘリオトロープ側としても注目してて、特に赤ん坊の時点で魔力がえげつなかった兄さんが欲しかったみたいだ……でも、兄さんじゃなくて俺が間違って誘拐されちゃって……帰してくれるわけもなく、俺はベリル街の粗大ゴミ置き場に不法投棄されてたらしい……それ拾って育ててくれたのが、母さん」
「……は?」
「はは、とんでもない話だよな……俺も君と全く同じ反応したよ」
――違った。自分自身の境遇に困惑してた。
「えーと、えーと……その、わたし、法律とか全然詳しくないんですけど、拾って育ててたのは大丈夫、だったんですか……?」
「全然大丈夫じゃないよ。その辺の事情その他諸々は数年後に発見してくれた両親がどうにかしてくれたみたいだ。色んなとこに根回しして、どうにか」
「どうにか」
そういえばラザラスが国籍について教えてくれた際、かなり意味不明なことを口にしていた。しかし、赤ん坊の段階で不法投棄されたのならば国籍がややこしいことになってしまうのも無理もないだろう。
「だから、生まれはロードクロサイトだよ。完全にグランディディエ育ちになったし、母さんが生粋のグランディディエ人だったから、それに合わせて国籍取った感じ。多分、向こうにいた時は全然違う名前だったんだろうけど、母さんが付けた名前を採用して戸籍名は『ラザラス=マクファーレン』になってる」
戸籍名と今名乗っている名前が少し違うのは、件の事件に関する事情だろう。
恐らく容姿は流されなかったのだろうが、本名は大々的に流されてしまったに違いない。それで姓を変更せざるを得なかった、ということだろうか。
ロゼッタは「メディア関係者をコンクリートに沈めたい」という思いを一旦押し殺し、間違っても話がそちらに向かわないように質問を投げかけることにした。
「ラズさんのお母さん、一体何を思ってラズさんを拾ったんでしょう……?」
あっ、この質問も駄目だった――ラザラスの何とも言えない笑みを見て、ロゼッタは彼のいつもとは違う方向性の『闇』を感じ取っていた。
「婚約者に逃げられたらしい……それで『子ども欲しかったのになー』ってとこに、俺が落ちてたんだってさ」
「えっ、えっ、それ、色々と」
「俺、当時からめっちゃ母さんに懐いてたらしいし、運動神経が良いってのも見た目で分かるような話じゃないし、魔法使えないんだったらこれも何かの縁だから巻き込まないようにそのまま育ててて貰おうってなって、実の両親から支援を受けながら、一応何かあった時のためにってことで微妙にステフィリア関係者なティナ一家が住んでた場所の隣に移り住んでもらって、それで何か良い感じに……うん、何も良くねーよ! 大丈夫じゃねーよ!!」
ラザラスは何とか育ての母親を庇いたかったようだが、色々と事故っているので不可能だった。もはや気になる部分しかないような異常事態だ。
(これを知った時のラズさん……色んな意味で大変だっただろうな……)
曰く、出生の事実に関してはラザラスがエマ達の下に入ってから教えてもらった話なのだとか。
困惑しかしないような内容ではあったが、ステフィリアと彼の関係を話す下りでどう足掻いても話さざるをえなかったのだろう。
「まあ、感謝してるのは確かだし、母さんが好きだっていう気持ちは変わらないよ……ただ、逃げた婚約者の名前が『ラザラス』じゃないことを切実に祈りたい……」
「あー……」
「多分、エマさん達に聞いたら分かるんだけどさぁ……あんまり、聞きたくないよな……」
流石にそれはないと信じたいが、拾った赤子を何も言わずに育ててしまうような人だったようで、ちょっと安心出来ない部分があるのは事実だ。
ただ、ラザラスの育ての母、エリシアが『良い人』であったことは息子の姿を見ていれば何となく分かる。感覚大崩壊はエリシアのせいではない。
ロゼッタが『例の事件』について考えていることが分かったのか、ラザラスはどこか悲しげに笑う。
「一応言っとくけど、『例の事件』が起きたのは母さんが死んでからだ。それだけは良かったと思ってる。直接巻き込まずに、済んだからさ……まあ、知っての通り、母さんの墓石は滅茶苦茶にされたんだけど……」
「……ラズさん悪くないじゃないですか」
「実は、そうとも言い切れない」
はは、と乾いた笑い声を漏らし、ラザラスはどこかぼんやりとした様子で話し始めた。
「俺は、自分が『普通じゃない』ことを自覚してなかったんだ。だから、才能があるからって偉そうに威張り散らしてるように見えててもおかしくなかった……確かに、周りを見下してなかったかといえば、完全には否定できないし」
「……」
「だからなのか、人がやたらと寄ってくる割にはどこか距離置かれてるようなところがあって、友人関係も広く浅くしか築けなかったんだ……そこで、俺が加害者みたいな感じの報道が流れた。まともに付き合ってもない、偉そうな人間を庇おうなんて、普通思えないよ」
事件から数年が経過し、基本的に何でも出来てしまうラザラスが『本当に苦手とすること』が分かったからこそ、客観的に当時を振り返れるようになったと彼は語る。
しかし、それでも、当時の傷が癒えるわけではない。
「俺は大体のことは出来てしまうから、どう頑張ったって、どんなに努力したって出来ない奴の気持ちなんて、全然分からなかった……魔法を使うようになって、やっと分かったんだ。『出来ない』って、惨めな気持ちになることなんだなって……だから、例の事件の関係者を恨むつもりは無いし、今更理解されようとかそういう気持ちもない。でも、割り切って新しく人と関係を築いていく気にもなれなかった……今も、そこは変われない」
ペットボトルの中身を飲み干し、ラザラスはゆるゆると首を横に振るう。
「ごめん、暗い話になった」
「……聞きたかったことではあるので、何も気にしません」
「そう? じゃあ……この流れで、他にも色々と話そうかな。君が、俺を嫌いになるようなこと、全部」
驚いてラザラスの顔を見上げれば、彼はその顔に笑みを貼り付けていた。奥が見えない、どこか不気味な印象を与える笑い方だった――恐らく、試されているのだろう。
それも無理はない。
自分に理由がある、と思ってはいるようだが、周囲にいた人間の大半が離れていってしまったこと、攻撃してくる存在になってしまったことは、彼に相当なトラウマを植え付けた出来事だ。
だからこそ、彼はロゼッタも『真相』を知れば離れていくと思っているのだろう。
いわば、『最後の確認』がしたいのだ。
「わたし、何聞かされても離れませんよ? ストーカーですし」
「あはは、すごい自信だな……でも、このままだと気持ちの整理が出来なくてさ。だから、ちょっとだけ付き合って欲しい」
ラザラスから面と向かって何かを頼まれるのは、初めてのことだった。
ロゼッタはそれを喜ばしく思うと同時、離れていかないのであれば『ストーカー』にさえ縋ってしまうこの男の危険な弱さに対して複雑な心境を抱いていた。




