21.ストーカー、元カノさんの正体を知る。
『はー……良かった。無事に終わったわね……』
社員食堂にて、アンジェリアは紅茶を飲んでほっと一息つく。
五年のキャリアで何とか乗り切ったものの、今日の収録は色々と危うかったのだ――目の前でカフェオレの入ったカップを握りしめて落ち込み倒している男、ラザラスのせいで。
「悪いな……」
『リアルタイムコメントが見えないのは辛いわね。ストーカーさん使って何とか出来ない……?』
今日の放送はリアルタイムコメントが流れるタイプのもので、普段はそのコメントを見ながら臨機応変に話題を変えていた。
しかし、現在ラザラスは両目が塞がってしまっている。ロゼッタは少しでも彼の力になろうと頑張ったのだが、【空間把握】にも限界がある。基本的にこの魔法は周囲にあるものの位置関係を瞬時に把握するために使うものであって、細かいものを透視することには向いていない。ロゼッタでも近くにいる人の表情が見えるようにするだけで精一杯だった。
つまり現状、ラザラス自身が画面上を素早く、そして大量に流れていくリアルタイムコメントを認識し、読むことは不可能なのだ。
結果、ラザラスは失言を恐れてしまい、今日はほとんど言葉を発することが出来なかったのだ。そして彼がろくに喋らなかったため、アンジェリアはひとりで色々と語り続ける羽目になってしまった……だが彼女、本来はあまり喋ることを得意としていない。
今日は乗り切れても、これが続けばどこかでボロが出てしまうだろうと察していた。
「音読してもらうのもありなんだが、ロゼは文字がまともに読めないらしくてな……そんなの、読み間違った瞬間に放送事故不可避だろ……?」
『なるほどね……』
『ごめんなさい』
「いやいや、文字はいつか教えるから。俺がボコ……じゃなくて、壁にぶち当たったのが全ての原因だし、君は気にしないで欲しいかな」
『アンタ、さっきは階段から落ちたって言ってたわよ。せめてもうちょっと上手に嘘吐いて。設定はちゃんと考えてきて』
「すまん……」
ラザラスの怪我の原因は完全にアンジェリアにバレているのだが、彼女はわざとそこに触れないでいる。勝手に見てしまっている以上、困らせることが確定していることは極力聞かないのが彼女のポリシーだった。
「明日の放送……階段から落ちて目が見えてないって、言ってしまうか? それならリアルタイムコメントからズレた会話してても、納得してもらえるんじゃないか?」
『それ、放送直後にパパラッチ襲撃からのアンタの身バレが避けられない気がするんだけど。身バレしたら絶対困るわよ?』
「身バレに関しては最初から覚悟決めてるよ。そんなことより、俺が足引っ張ってALIAの位が下がることの方が気になる。身バレしたとしても俺はジュリー帰ってきたら引退するつもりだし、何なら君らに迷惑掛ける前に国外逃亡するよ」
『アンタねぇ……』
「時間稼ぎの手段に俺が使えるなら、それで十分だ」
ラザラスの価値観はあくまでもALIAを守ることに偏っている。自分自身はどうでも良いと言わんばかりの振る舞いに、アンジェリアは深く溜め息を吐いた。
そんなことよりも、ロゼッタはまたしても登場したラザラスの元カノ(?)が気になって仕方がなかった。
『元カノ強……じゃなかった、あの、魔力感知して居場所特定しないって約束してくれるんだったら、わたし、無属性魔法の【識字】で流れてるコメントの意味読解してラズさんに伝えますよ』
「元カノ……?」
『気にしないで下さい』
「んー、じゃあ明日軽く試してもらっても良いか? 俺は今魔力感知使えないし、アンジェが黙っててくれたら何も分からないから……悪いな」
『いえいえ、お気になさらず。分かりました。【識字】、練習しておきます』
ジュリー――気を抜くと出てくるし、気を抜かなくても出てくるこの名前。
どうやらラザラスがLIANとして活動する理由は彼女にあるらしい……というより、会話の内容からして消えた片割れ、ALICEの正体がジュリーで間違いないだろう。
(でも、二人揃って病んでない限りはジュリーさん生存確定だね。良かった良かった……って、良くない! 『元』カノじゃなくて『現』カノの可能性出てきた!!)
『あの……ロゼッタ? ちょっと、良い?』
本音がダダ漏れだったのだろう、困惑した様子でアンジェリアがロゼッタのみに照準を絞り、テレパシーを飛ばしてきた。
『もしかしなくても、現カノってジュリーのこと、よね? ラズの現カノがジュリーだと思ってる?』
『思ってます。ボーイッシュな感じで滅茶苦茶可愛いらしい竜人さんですよね。ラズさんの部屋に写真がありました。それにはアンジェさん達も写ってましたけど』
「……ッ!!!」
「どうした!? どうした、アンジェ!!」
『そうよね、ジュリーってかなりの童顔だもの……! しかも『ジュリー』しか呼び名知らないんじゃ、誤解しちゃうのも無理はないわね……!』
アンジェが急に声もなく笑い始めた。ラザラス視点だと非常に怖いことになっているのが、ロゼッタ視点だと大体事情が把握出来る。どうやら、何かを間違えたらしい。
『えっ、何ですか!?』
『もしかしなくても、ストーカーさんは私達のこと、あまり知らないのよね?』
『そうですね。申し訳ないのですが……ただ、あなたの歌声と、アリスさんって言う男性の相方がいるってことくらいは……って、あぁっ!?』
『あっ、気付いた? やっと気付いたの?』
くすくすと笑い、アンジェリアは紅茶を飲み干した――よくよく考えてみれば、『ボーイッシュ』とかそういう問題ではなかったのだ。
『ねえ、ラズ。ストーカーさん、アンタがジュリージュリー言うから、無駄に嫉妬してたわよ。ジュリーの性別を凌駕した可愛らしい見た目が悪いような気もするけれど』
「えっ、いや、俺、彼女も彼氏もいないって言ったのに。あとそれジュリー泣くぞ」
『アンタの外見でそれはなかなか信じられないものよ。それと、本人いないから言ってるのよ。見た目が幼いの、それなりに気にしてるみたいだし……しかも成人してもあまり変わらなかったから、成長期が遅いってわけじゃ無かったみたいだし……ふふっ』
『待って、待って』
会話の方向性が見えない。あと、急にアンジェリアが楽しそうだ。
カップを起き、アンジェリアはスマートフォンを取り出し、ラザラスが持つ杖の前にそれを置いた。
待受画面に設定されていたのは、末永く爆発して欲しい感じの幸せそうな写真だった。アンジェリアの髪の長さからして、撮影日は今から二年くらい前だろうか。
『ジュリーの本名は『ジュリアス=グレイ』。ジュリアスって言えば分かると思うけど、男の子よ。あと、ラズにジュリーを譲る気はないから』
(! ていうか、ピュアァ……)
それは、ツーショット写真に慣れていないふたりが勇気を出して撮って貰いました感満載の写真だった。女の子二人に見えなくもないのだが、手の骨格等をよく見ればジュリアスはちゃんと男の子である。よく見なければ分からないのが若干問題なのだが。
微妙に抱き寄せられているアンジェリアも若干照れているのだが、抱き寄せている側、ジュリアスが非常に恥ずかしそうにしている。客観的に見てもアンジェリアを意識しまくっている……ピュアっピュアだ。
『カップルさん?』
『私視点だと、両片想いって奴』
『あー、なるほど……ジュリーさんの思念がダダ漏れなんだ……』
『たまーに物凄く気まずいことになったわね。この写真撮ってもらった時も凄かったわ……懐かしいな……』
楽しそうに思い出語りをしてくれるアンジェリアだが、何だか寂しそうである。それも無理はない。
今、ジュリアスはいない。ここに深刻な事情が絡むことを、既にあらゆる情報を入手しているロゼッタが理解出来ない筈が無かった。
(生きてはいるけど……って感じ、だね。間違いなく)
違法組織の人間に毒を投与された後、ジュリアスは芸能活動を続けることが出来なくなってしまった――様々な事情を照らし合わせて考えるに、恐らく、現在のジュリアスは意識不明の重体と化している。意識が無い以上、芸能界への復帰は絶望的だ。
恐らく、事が起こったのは2年前。
ラザラスはアリスが不在となったALIAを守るために芸能界に、そしてジュリアスや家族の仇討ちを願い、裏社会に飛び込んだのだろう。
前者に関してはジュリアス復活までの時間稼ぎに過ぎないということがラザラスの発言から判明している。ラザラスは元俳優志望だったようだが、このまま留まる気はないということか。
彼はアンジェリアのマネージャーのような立ち位置であると同時に、単独トークを苦手とする彼女のサポート役でもあるのだろう。
アンジェリアのタイプからして、間違いなく会話上手なタイプと予想されるジュリアスがいたからこそ成り立っていたALIAの番組を、売れっ子ではあるが芸歴の浅いALIAの存在そのものを守るためには、残されたアンジェリアがある程度信頼を寄せている人間を連れてくるしかない。そこで白羽の矢が立ったのがラザラスだったのだ。
(会って、話してみたかったんだけど、なぁ……)
ジュリアスは生きている。
……しかし、その状況は絶望的だ。
これまで散々警戒していたジュリアスに加え、彼を好いていることをハッキリ明言してくれたアンジェリアもラザラスと恋愛関係に発展しそうにない。ラザラスも彼女らを応援しているように見えるし、このふたりの存在を警戒する必要は無くなった。
そんな嬉しいニュースを得たというのに、ロゼッタはどんよりと沈んでしまっていた。
(ジュリーさん……こんなに、愛されてる人だったのに、ね)
同じ種族で、同じ毒を投与されたというのに、ロゼッタとジュリアスのその後は大きく異なっていた。
ジュリアスが深く愛されていることをこれでもかと思い知らされただけに、それが、無性に申し訳なく思えてしまった。
(……逆だったら、良かったのかな)
頭を振るい、ロゼッタは顔を上げる。
気分は沈んだままだが、こんなことを考えても仕方がない……落ち込むロゼッタの視界に、何故かアンジェリアが握りしめていた空のカップを取り上げるラザラスの姿が映った。
「えっ」
「アンジェ、逃げろ。今日はもう終わりだろ? カップは片付けとくから、このまま窓から飛んで撤収しろ。『破天荒おじさん』がこっちに来てる。悪い、俺が目立つ容姿になってたばっかりに……!」
(……え?)
影の中だからか、何も聞こえない。ラザラスは今度こそ本当に幻聴を聞いているのかもしれない。慌てて、ロゼッタは自身に【聴力強化】を掛けた。
しかし、それは杞憂だった。離れた場所で、確かに誰かがラザラスの事と思わしき話をしている。ラザラスは現在、魔法を使用していない。つまり彼は、元から異常なレベルで耳が良いのだろう。
ラザラスが普段、雀の涙な魔力を消費して使っている【聴力強化】は明らかに魔力の無駄遣いだ――後でやめるように助言しよう。ロゼッタはひとり、謎の決意を固めた。
「俺、目が悪い代わりに耳が滅茶苦茶良いんだよ。突撃取材のターゲットに俺が選ばれたっぽい。間違いなく芸能人だとは思われていなさそう……あれ、生放送だとしたら話題に出した人間に逃げられるなんて事故は避けたいだろうし、俺はこのままここにいようと思う。でも、君がテレビに映るのは、まずい……!」
「で、でも、あの人のあの番組って、全国区じゃ……」
「もう仕方ない! 運良く生放送じゃなかったら没にするよう後で働きかけてみるけど……とにかく俺は、あの人に迷惑を掛けるのは、絶対に嫌だ」
事情を理解したアンジェリアは困惑し、ラザラスを心配しつつもこの場から離れた。
「気が変わってくれないかな……んー、こっち来てるな。無理か」
ラザラスは深く溜め息を吐き、コンコンコンと指で軽くテーブルを叩く。彼はしばらく破天荒おじさん御一行の様子を伺ってから立ち上がり、アンジェリアと自分が使っていたカップを下膳口に持っていく。
その姿を、アンジェリアより濃い色合いの銀髪を持つ熟年の美丈夫が眺めていた。マイクを手にした美丈夫は優雅に笑みを浮かべ、ラザラスに声を掛ける。
「ねえ、そこの顔面事故ってるキミ~! おれとお話しようよ~」
(うわああああぁ!!)
――彼が『破天荒おじさん』と呼ばれている理由が、一瞬で理解出来てしまった。




