19.ストーカー、勉強する。
(さて……)
負傷したことで魔力を消費し、疲れていたのだろう。ラザラスは帰宅後即座にベッドに沈んでしまった。ある程度待機してから、ロゼッタはぬるりとベッド下から這い出てきた。今日こそは捜索活動に専念する、そう決めたのだ。
(しかしハードな毎日だよなぁ、ラズさん……)
ロゼッタもロゼッタで、ここ二週間はストーカー行為と並行して魔法の練習や作成だけで精一杯なところがあった。
彼女の場合は常にときめきがキャパオーバーしていたこともあるが、そもそも入ってくる情報量が多過ぎるのである。そのため、初日以降はあまりラザラスの部屋を探索出来ていなかったりする。
ストーカー行為を初めてから、今日で二週間。改めてラザラスの部屋を捜索するに辺り、ロゼッタは以前解読を諦めていた机の上の物達へと手を伸ばした。
「【魔法鑑定】」
ここに来た当初、自分は『闇に溶け込むことしかできない』とばかり思っていた。
しかし、【魔法創造】の存在に気が付き、【魔法鑑定】を得たことで大体のことが出来るということに気付いてしまったのである――それならば、魔法を使えば『文字読めない問題』も解決するのではないかと判断したのだ。
「うん……これ、使えそう」
脳裏に浮かんだ複数の魔法からひとつを選択し、ロゼッタは少し埃が被っていた卓上棚の書籍を手に取った。
「【瞬読】」
書籍を開いてはいない。しかし、ロゼッタの頭の中には確かに「書籍の内容」がざっくりと残っていた。この本には、人間の種族および居住地について詳細に記されているらしい。ただ、細かく知る場合は無属性魔法【瞬読】では少々効果不足らしい。
それならば、とロゼッタは同属性の【文書解読】を使用する。【瞬読】に比べると明らかに想定される必要魔力と所要時間が上回っていたため、【瞬読】の確認も兼ねて後回しにした魔法である。
というのもラザラスの家、よくよく見てみると異様に本が多いのだ。しかも活字の本ばかりである。
ロゼッタが手に取ったものに関しては全て活字だったため、基本的にこの家には漫画や雑誌の類が無いのだと考えて良さそうだ。こうなると当然一冊一冊の情報量が多くなってしまうし、片っ端から手を伸ばすとなると流石に夜が明けてしまう。
「……この本、ありがたいなぁ」
文書解読の結果が出た。ぱらりぱらりとページを捲り、図が挿入されている見開きを確認する。文字は全く読めないのだが、魔法の効果でロゼッタはそれらを『理解は出来ている』。そしてラザラスの所持していた書物は、結果的に彼女に大切な知識を与えることとなった。
【人類は『ヒト族』と『亜人族』に二分される。遥か昔、人類は『ヒト族』のみであったのだが、その身に宿す魔力を正しく扱うために独自の進化を遂げた者達がいた。それが『亜人族』である。そのため、かつては『魔法使い』といえば『亜人族』であった。
近年、他種族の婚姻が認められたことによって血統や種族も多様化し、ヒト族のカリスマ的魔法使いが誕生することも、全く魔法が使えない亜人族も珍しくはない】
(ふむふむ、ラズさんは昔懐かしきヒト族ってことだね!)
室内に閉じ込められて育ってきたロゼッタは、この手の事情には非常に疎い。
彼女が理解出来ているのはヒト族などのさほど珍しくない主要な人種、もしくは亜人族で外見的特徴からある程度絞れる人種に限られる。
【亜人族の有翼人種には体格も比較的大柄で、翼が大きな『鷹種』、『白鳥種』、美しい声を持ち、音魔法の才能が高く、芸能人に多い『ウグイス種』や『カナリア種』、あらゆる魔法の素質が極めて高い『フクロウ種』、『鴉種』などが存在する。翼を形成する遺伝子は潜性遺伝子であるために比較的生まれにくい種ではあるが、スフェーンやロードクロサイト共和国は人口の八割が有翼人種で構成されている】
「う……スフェーンとロードクロサイト共和国ってどこだろう。そもそも、この国どこだろう……」
ラザラスの周りには有翼人が三人と、耳が翼になっている人が一人いる。しかし、周りを見たところ明らかに『人口の八割が有翼人』ではない。つまりここは、スフェーンとロードクロサイト王国ではない。どちらにせよ、国名くらいは知っておかなければ後々苦労するかもしれない。ただでさえ、「国が分からない」という理由で有翼人以外のページに飛ぶ勇気が出ない。
ひとまずラザラスの国籍=この国の名前に違いないと考えたロゼッタは、彼の国籍が分かりそうな物が置いていないか辺りを見回し始めた。
「……あ、でも、ラズさんってハーフだよね。国籍、この国じゃなかったりするかも……」
「国籍はこの国……『グランディディエ』にしてあるよ。だけど、俺自身はハウライ人の父親とキメラドールの子で育ちも特殊だから、ちょっと法に触れるような国籍の取り方したんじゃないかなーって思う」
「へえ……って、えっ!?」
突然のラザラスの声に振り返れば、ベッドに横になったまま身体をこちらに向けている彼の姿があった。驚くロゼッタに、ラザラスは楽しそうに笑いかける。
「はは、隠れるんだったら、独り言癖なんとかした方が良いんじゃないか? よくよく考えてみたら、二週間前からちょいちょい君の声聞こえてたぞ」
「き、聞こえて、た……?」
「聞こえてたよ。幻聴の類だと思って無視してたけどさ」
……闇を感じる。
闇を感じたので、この件にはこれ以上触れないことにした。ロゼッタはしれっとベッド下に戻るため、持っていた書籍を机の上に戻した。
「あ、あー……見つかっちゃいましたか。でも、まだ良いですよね? 隠れた状態から発見されたわけじゃないですし」
見つかりはした。しかし、これはそもそも隠れていなかったのでノーカンだろうと言いくるめることにした――無茶苦茶である。だが、多分ラザラスならOKサインが出るとロゼッタは信じていた。
問題のラザラスはゆっくりと身体を起こし、ゆらゆらと手を泳がせ始めた。一体何をしているのだろうか。
「いや、声に反応してるだけだよ。見えてない……ていうか、何も見えなくて。目が、両目とも開かない……」
「えぇっ!?」
ロゼッタは慌ててラザラスの傍に移動した。ロゼッタが近付こうがお構いなしに、ラザラスはゆらゆらと手を泳がせている。どうやら天井からぶら下がっている電気の紐を探しているようだ。部屋を明るくしたいらしい。
「電気ですか? 電気点けますね」
「ありがとう。うん……君がくっついててくれて助かったよ」
「……。わたしが言うのも何ですけれど、ストーカーに感謝しちゃ駄目だと思います……」
「君、面白いなぁ」
本当にこの男、大丈夫なんだろうか? ……色々と。
ラザラスの代わりに部屋の電気を点け、ロゼッタは彼の顔を覗き込んだ。
「ッ、これ……」
エマに治療を受けた時点では右目だけだった腫れが、左目にも広がっている。
否、左目に関しては明らかに腫れ方が違うため、雑菌か何かの影響を受けているのだろう。ラザラスを殴った男が付与魔法で毒などを拳に乗せていた可能性も考えられる。
「痛くて、目が覚めたんだ。そしたら、何も見えなくてさ。どうしようかと思ってたら君がひとりで喋ってたから、声掛けることにした。今、明かり点けてくれたんだろ? ありがとな」
「んー、何かもう何言っても駄目な気がしてきたので、この際ですし看病しますね」
体格的にストーカーに負けることはないと思っているのかもしれないが、ラザラスの対ストーカーへの警戒心が安心と実績のポンコツである。
ストーカーであるロゼッタが「警戒心を持て」というのも何だか違う気がしたため、諦めてラザラスのスマートフォンに手を伸ばした。
「ラズさん、エマさん辺りに連絡入れた方が良いかと。わたしじゃ治療は出来ませんし」
「……今、何時だ? 流石に、もう夜も遅いし……」
「エマさんはともかく、ユウなら許してくれると思うんですよね」
「ユウさんと仲良いなー。まあ、朝になってからで良いよ、迷惑だろうし」
「ラズさんが連絡入れないんだったら、わたしがそれ借りて勝手に電話しますよ。ユウにイタ電って奴を百回くらい掛けますよ、良いんですか?」
「はいはい……」
このまま二度寝しそうなラザラスにスマートフォンを押し付けどうにかこうにか電話を入れる方向に持っていき、ロゼッタは冷凍庫から氷枕を取り出した。スマートフォンを押し付けた際、彼の体温が高いことに気が付いたのだ。
氷枕にタオルを巻き、ベッドに置く。ラザラスは『ユウ』以外の全てが聞き取れない謎の言語を話していた。
「えっ」
「ハウライ語。父親の故郷の母国語だな。勉強したいから、スマホの音声認識を公用語じゃなくてハウライ語にしてるんだ。いつか、行ってみたいし」
突然「両目が見えない」と言い出したものだから完全に流していたが、ラザラスは自分の父親が『ハウライ』という異国の生まれであること、母親がキメラドールであること、そして、この国の名前が『グランディディエ』であるということを教えてくれていた。
異国の言葉ではあったが、発音が正確なのか電話はしっかりとユウに繋がった。どうやらすぐに来てくれるらしい。ロゼッタは玄関の鍵を開け、ベッド下の影に潜り込む。
(ハウライが雪国で、お父様がラズさんっぽい容姿なのか、キメラドールだっていうお母様がラズさんっぽい容姿なのか……)
彼の育ちの件を含め、色々と気になることが増えた。だが、困った事に調べている場合ではない。謎協定のルール上、今は隠れなければならないのが何とも辛い。
ベッドがぎしりと音を立てた。身体が辛いのだろう、ラザラスが横になったらしい。
「あ……えーと、ロゼ?」
その状態で、彼はロゼッタの名を呼んだ。
ロゼッタは「ロゼ呼び最高じゃん?」という心の叫びを必死に押し殺し、極めて冷静にテレパシーを飛ばす。
『なんでしょう?』
「失礼を承知で言うけど、君……世の中のこととか、あまり分からないんだろ? 俺も万能かって言われたら、かなり微妙なんだけどさ……これも、何かの縁だと思ってる。だから、知りたいことがあったら、教えるよ」
「!」
ロゼッタが卓上本棚から本を取って読んでいたことに気付いていたのだろう。文字は読めても詳細は分かっていなかった彼女のためにと、ラザラスは少し躊躇いがちにロゼッタに声を掛けた。
『良いんですか……? わたし、国の名前とか、文字とか、いまいち分からなくって……』
「うん、俺の専門は民族文化学だから、国名や文字なら役に立てるかもしれないな」
『民族文化学……?』
「ヒト族に限らず人種とか、地方の文化……祭事とか、伝統とか。そういうのに興味があって、大学で勉強してたんだ。卒業は出来てないけど、知識はそれなりにある……と、思う」
『ラズさん頭良さそう! 本沢山あるし!』
「ははっ、どうだかな。言っとくけど、本棚の本は大体趣味の推理小説だから、学問はあまり関係ないよ」
推理小説ってどんな小説だろう。
ロゼッタがラザラスに質問を投げ掛けようとしたその瞬間、玄関のドアが開いた。
「楽しそうだね。良かった、意識が朦朧としてるとか、そんなことはなかったみたいだね」
入ってきたのはユウと、それからエマだ。エマはどこか冷静さを欠いた様子でラザラスに駆け寄り、包帯だらけの顔に指を這わせた。
「気付けなくて、ごめん」
「えっ」
「アンタをボコった男が遅効性の毒仕込んでたことが後から発覚してね……解除不可らしいから、しばらくは我慢してもらうことになるかな」
「いやいや、遅効性なんて凄腕の魔法使いでもない限りは気付けませんよ。こちらこそ、わざわざすみません……」
彼らは彼らでラザラスを殴った男に話を聞いていたようなのだが、男も相当気が動転していらしく魔法の解除方法が分からないのだという。そもそもこの手の付与魔法は解除出来ない場合の方が多いため、ラザラスもあまり期待していなかったようだ。
「んー、まあ、ロゼッタがいますから、何とかなりますよ……ただ、そっちの仕事に顔出しするのは、ちょっと無理かなーって……」
「……。あんな、アタシらも、鬼じゃないから。全治3週間ってとこだけど……」
「3週間くらい、僕とレヴィで何とかするから。気にせず休んでて……」
結果的にラザラスは毒が抜け、腫れが完全に引くまで三週間程度、両目が使えない生活を強いられることとなった――顔面がミイラ状態になったラザラスを見て、本格的に何も知らない相方が悲鳴を上げるのは、数時間後のことである。