1.ストーカー、助けられる。
――ろくでもない、人生だった。
猛獣用だろう、小柄な身体を伸ばすことさえ出来ない狭い檻の中で、赤毛の少女は苦痛に喘ぐ。
よく分からない注射を首筋に打たれた後、全身に広がった痺れと痛みがいつまで経っても引くことを知らない。
「ッ、い、たぃ……」
少女は双角と赤い鱗を持つ火竜の一族に生まれた“異端”だった。
額に一本しかない小さな角に、犬のようなふわふわとした側頭部の黒い耳。尾も鱗には覆われておらず、犬の尾を思わせる風貌だ。
本来背に生える筈の翼は腰に生え、鳥のような黒い羽毛に覆われたそれはあまりに小さく、飛ぶこともままならない。
ここには他にも檻が並べられていて、その中には火竜と思わしき人々が沢山詰め込まれている。だが、毒らしき物を投与されているのは少女だけだった。
他の者達は暴れ、泣き叫び、檻を壊そうと躍起になっているようだが、少女にはもうそんな気力はない。周囲を見ているだけの気力も尽きてしまった。
少女は重力に身を委ね、頭を冷たい鉄の上に落とした。
売り物として“繁殖”させられていた火竜の中に生まれた異端児は、人目につかないようにと室内で休む暇もなく下働きをさせられた。
安値で叩き売られた先で、家主の知人に手を出されかけた際に股間を蹴り上げて監視の目を掻い潜ってようやく外に出られたかと思えばこれだ。
仮に生き残ったとしても、この様子ではまた売られるのだ。自分達を捕まえたのが人身売買組織の者だということくらいは、分かっている。
だからといって、どうして自分なんて捕まえたのだろう。大した値にはならないと思うのに。今度は何をされるのだろう……もう、嫌だ。
――本当に、ろくでもない人生だ。
いっそのこと、毒に身を蝕まれて死んでしまいたい――失意の闇に溺れていく少女の耳に届いたのは、固く閉ざされた部屋の扉が弾け飛ぶ爆音だった。
「ッ、見つけた! ここだ!!」
聞こえてきたのは、まだ年若い青年の声。
頭を上げて様子を見たいと思ったが、少女にはそれをする気力すら残されていなかった。それどころか、こんな非常事態だというのに意識が朦朧としてくる。
ただ青年と、あともう一人。歩幅的に女性だろうか――とにかく二人組が、自分達が放り込まれた檻の山に近付いて来ていることが分かる。
「はー……良かった、間に合ったね。建物爆発させたら、ここも無事じゃ済まなかったからね……」
続いて聞こえたのは、中性的な声だ。性別は分からないが、声質で判断するなら年若い二人組である。
彼らは人身売買組織の人間ではないどころか、組織に相反する存在らしい。それは、檻の鍵を破壊し強引にこじ開けている音と、開放された火竜の歓喜の声で理解出来る。
要は、助けに来てくれたのだ……自分も、一緒に助けてもらえるだろうか。今度こそ、自由の身にしてもらえるだろうか。
沈みかけた意識をどうにか保ちながら、少女は二人の様子を伺い続ける。
「よし、皆動けるな? 悪いんだな、そこの窓から外に飛んで逃げて欲しい。外に狼型獣人の見た目だけ子どもな男性がいるから、後はその人の指示に従ってくれ」
「見た目だけ子ども!?」
「見た目は子どもだが、中身は俺の二倍くらい生きてるおじさんだ、安心しろ! とにかく、早く逃げてくれ、ここはあと十分くらいで爆発する!!」
「ごめんねー……うちの炎上芸人が道中で魔法陣沢山仕込んじゃったから……」
色々と物騒な話が聞こえてきた。どうやら、ここにいては危ないらしい。
少女は侵入してきた二人組が敵でないことは理解したが、それと同時に絶望を味わうこととなった。自分は他の人とは違う。動くことが出来ない、と。
「檻が多いね……ジャレット、間に合いそう?」
「こっちはあと数個ってところだ。奥にもう一個……ん?」
ジャレット、と呼ばれた青年は流れるような手付きで檻の鍵を破壊していき、最後の檻――少女が閉じ込められている檻の前に立った。
「ッ、おい! 大丈夫か!?」
鍵が他の檻と違っていたのか、少し苦戦しながらもジャレットは少女の檻をこじ開ける。身動きが取れずにいた少女をゆっくりと抱き上げ、青年は駆け出した。
適当に引っ張り上げるでもなく、引きずり出すでもない。優しい手付きと、確かな暖かさに少女は驚き、息を呑む。彼の顔が見たいと、少女は言うことを聞かない身体に鞭を打つ。
「クィール! この子だけ他の奴とちょっと違う! それに、やたら弱って……! 凄く、苦しそうなんだ、早く助けないと……!」
「ちょっ、どうしたの!? 落ち着いてラズ君!」
呼び名が違う。青年の名前がジャレットなのかラズなのか分からない。だけど、この様子だと多分ラズの方が本名だ。
少しひんやりとした、クィールのものと思われる細い指が少女の首筋を撫でる。
「! この様子、神経毒だね……魔力回路をやられてる。魔法を使わせないようにって魂胆かな……キメラドールじゃなくて、この子は本物の竜みたいだし」
「神経毒!? ジュリーがやられた奴と同じ奴か!? そんな……っ!!」
「落ち着いて。大丈夫。エマさんのところに連れて行こう? 早く解毒してもらって、安静にさせれば良くなる、大丈夫だから……」
自分を抱える青年の身体が、酷く震えていることに少女は気付いた。身体にそっと添えられていただけの指先に力がこもって来ている。
痛いが、それが悪意からくる行為ではないと分かっているためか、少女にはその痛みが好ましく感じられた。
しかし、一体どうして、この人はこんなにも怯えているのだろう。
少女は、鉛のように重い身体に叱咤して、薄らと瞼を開いた。
そして、感嘆の息を漏らす。
「うわ、ぁ……」
「! 目が覚めたのか!? 大丈夫か!?」
薄暗い中でも、分かる。
スラリとして程よく筋肉の付いた理想的な体躯に、短く切り揃えられた金糸のような眩い髪、陶器のように白く、艶やかな肌。自分と同じ、大海原を思わせる青色の瞳。
青年はどうしてこんなところにいるのか問い質したい程に、丹精で見目麗しく、整った――困った。青年の美しく整いすぎた容姿を表現するための語彙力が足りない。要するに、“イケメン”だった。
「あ、ぁ……」
こういう人、どっかで見た。具体的に言えば、こっそり覗いた絵本の中で見た。
この人、あれだ。白いお馬さんに乗ってる人だ。
「……王、子様、だ」
「はあっ!?」
「あー……うん、言いたいことは分かるよ」
白馬の王子様……ではなく、組織に殴り込んできた謎の王子様(?)の腕に抱えられたまま、少女は急に来た睡魔に身を委ね、ガクリと頭を落とした。
(イラスト:想汰様)