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カリブに咲く花の名は  作者: 高山 由宇
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第8章 アンの生い立ちとラカムとの出会い ―中編―

挿絵(By みてみん)


アンの生い立ちの中編です。

おもに、アンの周りの人々のお話。


 明け方の早くに、女主人は眠っている夫をベッドに残し、義母の寝ている部屋へと出向いた。そこで、夫の裏切りの一部始終を話した。


 女主人が戻って来ると、女中部屋にも、家のどの部屋にも夫の姿はなかった。


 女主人は一人、昨夜のことを思い出す。

 昨夜、久し振りに夫と肌を合わせたのだが、夫は、終始「メアリー」の名を呼び続けていた。


 女主人の胸に、一度は押さえつけたものの、黒い思いが再び頭をもたげはじめた。昨夜のことでどうしようもなく湧き上がったその嫉妬心は、復讐心となって女中のメアリーへと向けられたのである。




 外出していた夫は、正午近くになってようやく家に帰って来た。そして、台所に立って昼食の準備をしている女主人を見つけたのだ。


「なぜ、お前がそんなことをしている?」


 夫の問いかけに、


「これからは、家事のすべてを私がやります」


 女主人はそう答える。


「どういうことだ。メアリーはどうした?」


 当然のように食い下がってきた夫に、


「牢に入れられましたわ」


 女主人は、冷ややかに言った。


「……なんだと?」

「銀のスプーンがなくなったという事件があったでしょう? あれ、メアリーの仕業だったらしいんですの。警察に調べてもらったら、銀のスプーンが三本、あの()のトランクから出てきたのだそうよ」

「な……っ、誰だっ? 一体誰がそんなことを言ったんだ!」

「……誰でもありませんわ。いつまでも犯人が見つからないので、私が警察に催促したんですの。そこで、警察が念のためにということで、この屋敷の中も捜すことになりましてね。見つけたそうですのよ。女中部屋に置いてあった、メアリーのトランクの中から」

「お前! お前は、そんな話を信じたのかっ?」

「信じるも信じないもありませんわ。メアリーのトランクの中から銀のスプーンが三本、出てきたのは確かなのですから」

「メアリーが盗みなどするものか!」

「どうしてそんなことが言えますの? 女中として家事全般を任せてはいたけれど、所詮は他人じゃありませんか。それに、メアリーがこの家に仕えるようになってから、わずか一、二年でしてよ。そう声を荒げてまでメアリーをかばおうとする、あなたの行動の方が、私には不思議でなりませんわ」


 こうして、いち女中であるメアリーの処遇を巡り、かつてないほど激しい夫婦喧嘩が勃発したのである。しかも、この時、夫の母親は女主人の側についた。そして、女主人と義母は連れ立って屋敷を離れ、もといた田舎の家へと二人で帰ってしまったのであった。




 メアリーは、長い間、牢に入れられていた。

 その牢の中で、彼女は身籠っていることがわかったのだが、裁判まではまだ半年近くもある。そこで、法廷に呼び出されたのだが、証拠不十分とうことで彼女は釈放されたのだった。

 釈放されてしばらくして、メアリーは女の子を出産した。

 その子こそが、のちのアン・ボニーである。


 同じ頃、女主人も子供を身籠っていることがわかった。

 このことを知った夫は、驚くとともに、自分のことは棚に上げて激しい嫉妬にかられた。腹の中の子は、妻が浮気をして作った子だと思ったからである。

 しかし、夫の立場からすれば、そう思うのも仕方がないのかもしれない。なにせ、夫は、妻が病床に就いて以来、自分たちは床をともにしたことなどは一度もないと思っていたのだから。

 そうして間もなく、彼女は男の子と女の子の双子を出産した。


 それからしばらくして、夫の母親が病気になった。そこで、最後の務めだとばかりに、彼女は息子に便りを出したのだ。妻と仲直りをするように、と。しかし、母親の願いも虚しく、息子はこれに耳を傾けることはなかった。


 いよいよ病状が芳しくなくなった頃、夫の母親は遺言状を作成した。

 遺産はすべて、息子の妻と、彼女の二人の子供のために使うように、と。そう管財人に委ね、数日後に息を引き取ったのである。


 生計の大部分を母親に頼っていた夫にとって、これはひどい仕打ちであった。しかし、彼の妻は、このような男にはもったいないくらいに優しい女であったのだ。

 彼女は、義母の遺産から、毎年一定の金額を夫に送った。

 二人は別居してはいたが、離婚はしていなかった。それは、決して復縁を期待してのことではない。ただ、弁護士である夫が、自分の立場を考えて離婚したがらなかったためである。


 別居をはじめて五年が経った。

 この頃になると、夫は女中のメアリーに産ませた子への愛情が募り、なんとか引き取りたいと思うようになっていた。しかし、その子が女の子であるということを町中の者が知っていたから、妻や周りの人々の目を欺くために男の子の格好をさせた。そうした上で夫は、アンのことを、親戚の子を引き取って自分の助手として育てているのだということにしたのである。


 夫が幼い男の子を引き取ったという話は、すぐに妻の耳にも届いた。しかし、彼女は、そんな男の子のいる親戚を知らない。そこで、友人に頼んで調べてもらうことにしたのだ。

 そうして、妻はほどなく知った。

 引き取られた男の子が実は女の子で、女中のメアリーとの間に生まれた子供であるということを。


 妻は、夫への仕送りを断つことを決めた。

 自分の子供たちの金が、不義の子の養育費となることに我慢がならなかったためである。

 このことに、夫はひどく腹を立てた。その腹いせに女中を家に呼び寄せ、愚かにも、公然と同棲をはじめたのだ。そして、当然のように、このことは近所でたいへんなスキャンダルとなった。


 彼は、間もなく後悔したことだろう。

 長い間弁護士として世間的に築いてきた信用が、女中との同棲というスキャンダルによって脆くも崩れたのだから。そして、一度崩れた信用は、そう簡単に取り戻すことなどできない。

 徐々に仕事の依頼が減り、彼は、この土地でこれからも生活していくのは困難であると悟ったのだった。


 その後、彼はメアリーと娘とを連れてコーク州へと行き、そこからカロライナ航路の船へと乗り込んだのである。


 新しい地でも、彼は弁護士を開業した。しかし、芳しくなく、のちに商売をはじめた。彼はこちらの方に才があったのか、その商売はなかなかの成功を収めたのである。


 そんな折に、メアリーが急死した。

 そこで、すでに成長していた娘のアンが、メアリーに代わって家事をするようになったのだ。


 メアリーは淑やかな女であったが、アンは違った。幼い頃から男の子の格好をさせていたのがいけなかったのか、彼女は気性の激しい男勝りな女に育った。


 しかしアンは、性格こそまるで似つかないが、母メアリーからその美貌を受け継いでいた。メアリーの生き写しであるアンを、父は娘として心から愛した。そこで、アンが成長するにつれ、彼女に良縁を見つけて幸福な暮らしをさせてやりたいと思うようになっていたのだ。


「アン、お前もそろそろいい頃だろう」


 ある日、父は見合い話を持ちかけようとしてアンに話しかけた。だが、次の瞬間、父の期待はあっさりと裏切られてしまう。


「私、ジェームズと結婚するわ」


 アンの言葉に、父は愕然とし、激しい怒りも覚えた。

 ジェームズとは、ジェームズ・ボニーのことだ。アンが、何日か前に出会ったばかりの若い船乗りである。しかも、この男は、国王の恩赦により赦免された海賊の一人であった。


「何を言っている。あんな奴は駄目だ。奴は、この間まで海賊だったんだぞ? いや、たとえ海賊でなくとも、船乗りなど信用できるものか」

「駄目と言われたって、もう決めたもの」

「決めた? そんなもの……俺が許さん!」

「許さないなんて、それこそ無理な話よ。だって、もう結婚しちゃったもの」


 アンは、父に何の相談もなく、すでに籍を入れてしまっていたのだった。こうして、アンはボニーの姓を名乗るようになった。


 このことで激怒した父は、アンを家から追い出してしまった。

 そこでアンは、ジェームズと二人で、職を求めてプロヴィデンス島へと渡ったのである。


 そして、この行動が、アンのこれからの人生を大きく揺さぶることになる。


 ジェームズはもとは海賊であったが、赦免された今となってはそのことを恥じているようで、プロヴィデンス島での彼はとても真面目に働いていた。

 しかし、年若いアンは、平坦に過ぎていく日常に満足することができない。たちまちのうちに、アンはジェームズの手に負えないほど放縦になっていった。


 アンは、好みの男を見つけると、夫のある身にも関わらずすぐに誘惑し、時にはその男と関係を持つこともしばしばだった。


 そして、そんな時に出会ったのが、ジョン・ラカムだったのである。

やっとラカムと出会いましたね。

このあと、アンは夫と別れることになるのですが、なぜ「ボニー」を名乗っているのでしょうか。

その答えは、次回で判明します。

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