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カリブに咲く花の名は  作者: 高山 由宇
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第2章 最悪の海賊

挿絵(By みてみん)


海賊の黄金期において「最悪」と呼ばれた海賊――エドワード・ロウ。

ロウの駆るブリガンティン船に出遭ってしまったラカム一味。

はたして、この危機を脱することができるのか……。


 それは、カリブ海をジャマイカに向けて航行中のことであった。まだ日も高いだろうというのに、その日は朝から重い雲が垂れ込み、湿った風が吹いていた。


「ジャック船長!」


 見張り台から声が上がった。


「どうした?」


 あまりの慌てように、ラカムも緊張して尋ねた。だが、


「海賊だ!」


 その発言に、ラカムは肩をすくめて見せる。


「おいおい。お前は誰の船に乗っているんだ? 海賊が海賊を恐れてんじゃねえよ」

「違う! ただの海賊じゃねえ!」


 そこで、ラカムは自らも望遠鏡を取り出して敵船の位置を確認した。一艘のブリガンティン船が見える。旗印を確認する。頭から爪先までの真っ赤なドクロが黒地に描かれていた。


挿絵(By みてみん)


「まさか……」


 ラカムも言葉を失った。


「ジャック、どうしたんだい?」


 常に冷静な船長の、ただならぬ表情を見て取ったボンが尋ねる。


「くそっ……おい、操舵室に伝令だ。なんとしてもこの海域を脱するぞ!」


 近くにいた乗組員の一人が操舵室へと走る。


「ジャック?」


 ボンが不安げにラカムの表情を伺った。


「最悪だ……」

「そんなに強い海賊なのか?」

「強いだと? いや、あの男が最悪なのはその残忍さだ。数多いる海賊どもの中でも、あの男ほど冷酷で残忍な男を俺は知らねえ。奴は……狂ってやがる」

「……誰だい?」

「お前も名前くらいは聞いたことがあるだろう。エドワード・ロウ。最悪の海賊と呼ばれている男だ」

「ロウ……あれが、そうなのか」

「ああ。だが、どんな凶悪な野郎であっても、捕まらなければいいだけさ。奴らのブリガンティンが俺たちのスループに追いつくのは無理だぜ」

「なあ、ジャック」

「ん? なんだ」

「もしもさ……もしも、ロウに捕まったら、どうなるんだ?」

「……」

「まあ、殺されるのは当然だろうけどさ。残忍な奴だって言っていたろう? まさか、拷問でもされるのか?」


 重い沈黙が流れた。そののちに、ラカムが溜め息まじりに口を開く。


「普通の拷問が可愛く見えちまうほどに、ひでえもんさ」

「……どんなだよ」

「俺はエドワード・ロウに会ったことはねえ。だから、全部聞いた話だ」

「……ああ」

「ある時な、襲ったポルトガル船の船長の唇を斬り落とし、それをその船員に食わせたりしたらしい。その上で、皆殺しにしたそうだ」


 ボンが、思わず口元を押さえる。


「それから、ある捕鯨船の船長の耳を削ぎ落とし、それを本人に食わせたという話も聞いたな。気晴らしのために、捕らえた船のコックをメインマストに括りつけて焼き殺したという話もある。船員らの指に火の点いた火縄を結びつけて焼き落としたり、マストに吊るして瀕死になったところで下ろして回復させ、また吊るすということを繰り返したとも聞く」

「……」

「残虐非道な男であることは間違いないだろうが、俺が最も恐ろしいと思った話が他にある」

「これ以上に気分の悪い話があるっていうのか?」

「捕虜の体から心臓を抉り出して、それを食ったんだとよ」

「は……? 食ったって……まさか、自分(てめえ)でか?」


 ラカムは無言でうなずいた。


「海賊は、大抵残虐非道な奴らの集まりさ。船を襲い、略奪し、時には拷問することもある。だがそれは、目的があればこそだ。宝の在処(ありか)を聞き出すため、とかな。しかし、エドワード・ロウ……奴だけは違う」

「……」

「奴は、何の目的もなく拷問する。言ってみれば、拷問こそが奴の目的なんだ。怒りに任せて捕らえた乗組員を皆殺しにし、楽しい気分だからと手近にいた仲間を斬り刻む。……手に負えねえ、拷問狂なんだよ。奴は」

「随分と詳しいんだな」

「ロウの手下だった男から聞いたからな。そいつは、命辛々ロウの船から逃げてきたらしい。ジャマイカの酒場で意気投合してな、話してくれたのさ。そいつを仲間にしようかとも思ったが、航海に出ることに対してかなり恐怖感を持っちまっているようだったからな、仕方なくやめたんだよ」

「へえ。なら、ロウに捕まったら最後……誰も無事じゃ済まないってわけだ」

「ああ。ほとんどな」

「……? 何か手立てがあるのか?」

「残忍なロウだが、無事に済ます類の人間もいるそうだ。それは……」


 ラカムが言いかけたところで、船が激しく揺れた。


「砲撃だっ!!」


 船員の誰かが声を張り上げる。また、


「くるぞっ!!」


 その声のすぐあとに爆撃音が上がり、ひと際大きな揺れに襲われた。水飛沫が上がる。まるで高波のような飛沫が、ラカムとボンの上に降り注いだ。


「……っ! ボン!!」


 次の瞬間にラカムが見たものは、波に攫われたボンがそのまま暗い海に呑み込まれるていく姿だった。


「くそっ……! ボンっ!」


 大声を張り上げてみるが、もうボンの姿はどこにも見当たらない。そうしている間にも次から次へと砲弾の雨が降り注ぎ、着弾するとともにスループは大きく傾いた。


「船長、今の音はなんだ!?」

「まさか、誰か落ちやがったか!?」

「ああ。ボンだ。ボンが落ちた……」


 部下の問いかけに、ラカムは重い息を吐き出して答える。そして、


操舵手(そうだしゅ)は何をしている!? 早くここを離れるんだ! お前たちも()を漕げ! 急げっ!!」


 そう声を張り上げた。その命令に従い、部下たちは一斉に動ぎ出した。




 ラカムの読み通り、ロウのブリガンティンは、船足の速さに重点を置いた小型スループに追いつくことはできなかった。

 ラカムは、ケイマン諸島のある島陰にスループを隠すと、ロウが諦めてこの海域を去るのを待つことにした。遠くに船影が見える。おそらくはロウのブリガンティンだろう。ラカムの船を探しているようだ。


「あっ……!」


 ラカムの傍らで、見張りの男が望遠鏡を手に声を上げた。


「どうした」

「……まずいことになったぞ、船長」


 声を震わせはじめた船員から望遠鏡を取り上げると、ラカムは船影へと焦点をあてた。そして、息を呑む。


「……ボンっ!!」


 望遠鏡の向こうでは、今まさに海から引き揚げられたボンが、ブリガンティン船に乗せられたところであった。


「……助けた、なんてことは……」


 部下の言葉に、


「あるわけがないだろっ……!」


 ラカムは憤りも露わに、吐き捨てるように言う。


「船長、どうするんだ」


 一連の流れを黙って見ていたウィリアムが、ここにきて口を挟んだ。


「エドワード・ロウのことは俺も聞いたことがある。拷問と殺戮を好む最悪の海賊だとな。あれがロウの船なら、ボンは間違いなく殺されるぞ」

「……」

「ボンを見捨てるのか」

「なら、どうする? ボン一人を取り戻すために、あのロウと戦うのか? 人間の数も大砲の数も歴然……。戦いを挑んで勝てる相手じゃねえんだよ」

「……勝てないかもしれない。けれど、仲間に見捨てられて死を待つだけというのは、辛すぎる」

「……だな。なら、好きにしろ。お前はボンを救いに行けばいいさ。だが、俺は動くつもりはない」


 ラカムが、望遠鏡を見張りの男に投げて返した。


「ウィリアム、お前は船長をやったことがあるか? 船長でなくてもいい。何かのリーダーになったことはあるか?」

「……いや」

「そうか。俺は、ある」

「……」

「ちんけな海賊団の船長かもしれねえが、俺は船長(キャプテン)として、乗組員(クルー)の安全を守ってやらなきゃならねえ。ボンは優秀な奴だし、もちろん大事な仲間だ。だがな、ボンを助けるためだけに他の乗組員(クルー)を危険な目に遭わせるわけにはいかねえのさ」

「ああ……そうだろうな。すまない」

「いや、いい。それにな、もしかしたら……ボンは無事に返されるかもしれねえ」

「どういうことだ?」

「いや、もしかしたらの話だ」


 ボンが捕らえられて三十分ほどが経った。


「船長、奴らが動くぜ!」


 望遠鏡を覗いていた男が、傍らのラカムに報告する。


「俺らの船が見つかったか!?」

「いや、そうじゃねえ」


 焦りを含んだラカムの問いかけに、見張りは望遠鏡を目に押し当てながら首を振った。


「奴ら、ジャマイカに向かっているようだ」

「ジャマイカ……」

「どんどん遠ざかって行く。このまま行ってくれればいいがな」

「おい。海に放り込まれた奴はいなかったか」

「いや、いないな。ボンは、たぶんまだあの船にいるぜ。生きているか死んでいるかはわからねえが」

「……」

「船長、これからどうする?」

「……ジャマイカに行くのはやめだ。俺たちはハバナに向かう」


 一味はラカムの言葉に従い、ブリガンティンの船影が見えなくなった頃合いを見計らって、北西に舵を切った。そして、キューバの大都市ハバナを目指したのだった。

 そこで補給を済ませたラカム一味は、宿で一泊するとすぐに船へと乗り込んだ。久々の港の活気にあてられた乗組員からは、もっとハバナの街を堪能しようという声も上がったが、ラカムはその意見を断固として聞き入れなかったのである。


「ラカム一味は、これからジャマイカへ向かう」


 ハバナを発ってすぐのこと。船の上でのラカムの言葉に、乗組員のほとんどが身を縮こませた。


「待ってくれ、ジャック船長! 今戻るのは自殺行為だ。忘れたのか。ロウの船が、ジャマイカに向かったんだぞ!」

「あれから、もう五日が経つ」

「まだ五日じゃねえか」

「ジャマイカまでは、どんなに急いでも二日はかかる。とすれば、あれから七日が経つことになる」

「船長、いい加減にしてくれ。今、ジャマイカに行って何になる? ボンが待っているとでも、本気で思っているのか!?」


 乗組員の問いかけにラカムはうなずいた。


「ボンは、生きている」


 ラカムの言葉に、乗組員一同は呆れて言葉を失った。その空気を破るようにウィリアムが口を開く。


「何か、根拠でもあるのか」

「ああ、ある」


 そう言ったものの、その根拠についてラカムが語ることはなかった。

 何はともあれ、船上においては船長の言葉は絶対である。乗組員は、否が応にも、船長の指示に従わざるを得なかった。しかし、彼らは、実のところ船長だからラカムに従っているというだけでもなかった。

 ラカムは頭がいい。また、海賊としては珍しいぐらいに人が好く、部下を思いやる心も持っている。彼らは、船長(キャプテン)ラカムを心から信頼していた。そこで、この場はラカムに従うべきだと考え、ロウがいるかもしれないジャマイカに針路を取ったのである。


 ラカム一味がジャマイカに着いたのは、ロウに襲われてから八日が経った、日の入の時刻であった。

 島陰にスループを隠したラカムは、数人の供をつけて船を降りた。その中にはウィリアムの姿もあった。

 それからさらに数日が経ち、ラカムたちが戻ってきた。出て行った時よりも、一人多い人数で。


「……そんな、まさか……」

「……ボン……っ!」

「……ボン! ボンだっ!!」


 ボン、ボンと、俄かに船上は賑わいを見せた。それもそうだろう。誰一人欠けることがないばかりか、死んだと思っていた仲間が無事に戻ったのだから。


「にしても、いったいどうして?」

「あの残虐非道の男が、敵船の船員(クルー)を見逃すなんて……」


 みなはボンに詰め寄り、口々に疑問を投げかける。困り果てているボンを見かねたラカムが、


「もういいだろう」


と一味を制した。


「とにかく、無事に戻ったんだ。これ以上の詮索はよせ。ボンも、話したくはねえだろうからな」


 ラカムにそう言われ、一味は口を噤んだ。しかし、みなが納得したわけではない。いや、納得した者などは、ウィリアムを含めて一人もいなかったであろう。

 なぜ、ボンは無事だったのか。

 ラカムとボンの前では口にしないまでも、しばらくの間はあれやこれやとあらゆる噂が船上を飛び交った。しかし、その真相は誰もわからない。どんな噂が流れていても、所詮噂は噂である。誰もがこれだという真実をつかめないままに時は経ち、しだいに噂も風化して行ったのだった。

次回、ウィリアムとボン、それぞれの秘密が明かされる……。

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