第16章 ウィリアムからメアリーへ
「私ね、妊娠しているのよ」
アンからそう告げられたのは昨日のことだった。一日が経った今も、その言葉が頭の中をぐるぐると巡っては消えることがない。
――妊娠? アンが? 誰との子を……?
疑問を浮かべては、
――そんなもの、ジャックとの子に決まっているじゃないか。
そう自分で答えを出す。
――ジャックは知っているのかな。
知っているはずだと、すぐに答えは出た。以前よりも二人でいることが増えたように感じたからだ。そして、さらに考える。
――ジャックはどうするつもりなのかな。
と。
――いくらなんでも、妊娠したアンを男と偽り続けるのは……無理だ。
そこまで考えて、メアリーは思い至った。
――そうか。だからあの時、あんなことを言ったのかな。
それは、オリバーに気があることをラカムに知られた時のことだった。
ラカムは、メアリーが女であることをオリバーに伝えたらどうかと提案したのだ。その時は何を軽はずみなことをと思ったのだが、実はそうでもなかったのかもしれない。ラカムは、アンに男の姿をさせておくことに限界を感じていたのだろう。
「……オリバー」
「……なんだ?」
メアリーは驚きのあまり勢いよく振り返った。まさか、つぶやきに返答があるとは思わなかったのだ。振り向いた先では、オリバーも驚いたような、それでいて訝しむような、複雑な表情を浮かべてメアリーを見据えていた。
「オリバー!」
メアリーはオリバーに詰め寄った。メアリーの気迫に後ずさりながらも、オリバーはメアリーの次の言葉を待っているようだった。
「オリバー……俺は……僕は……」
「……ウィリアム?」
「僕は……君に、聞いてもらいたいことがあるんだ」
「……ああ」
「でも、ここじゃ駄目だ」
「場所が関係あるのか? 人には知られたくない話か」
「……まあ、そうだね」
「どこならいい?」
そこで、メアリーはオリバーを連れ、誰もいないことを確認した上である船室に入って行った。
「それで? 話って何だい?」
「僕の、正体について」
「……は?」
「君は、きっと、とても驚くだろうね」
「なんなんだよ」
「ああ、そうだね。僕も、まどろっこしいのは嫌いだ。だから、単刀直入にいくとするよ」
そう言うと、メアリーは唐突に服を乱れさせる。
唖然とするオリバーの表情を見つめながら、最後に、メアリーは胸元を開いて見せた。白い胸が露わとなる。
オリバーが息を呑んだのがわかった。
「は……なに? ウィリアム……これは、いったい……」
「見ての通りだよ」
「……そんな……っ」
「僕は、メアリー。本当は、メアリーっていうんだ」
「……メアリー……。女……?」
「ああ、そうだよ。僕の名は、メアリー・リード。女だ」
「……なぜ、男装を?」
「男として育てられたから、この格好が一番しっくりくるんだ。でも、心は女のままだよ」
言葉を失っているオリバーに、メアリーは運命をわける一言を告げた。
「オリバー。僕は、君が好きだ」
オリバーの目が見開かれる。
一度溢れ出した想いはとまらない。次から次へと、その想いは出口を求めて体中を駆け巡った。そして、メアリーはさらに吐き出すように言葉を紡ぐ。
「オリバー、僕はひと目見た時から、女として君を愛してしまったんだ。僕のものになってくれないか? それとも、僕じゃ嫌かい? もっと女らしいのが好みかい? なあ、オリバー……」
その時だ。含んだような笑い声が上がった。
「……女として?」
オリバーが笑いながら尋ねる。
「まるで、男が好みの女に言うような台詞じゃないか」
再び声を上げて笑ったあと、
「いいよ」
オリバーがそう告げた。驚いているメアリーを、オリバーがきつく抱きしめる。
「俺も君が好きだ。もちろん、女として」
「オリバー。まさか、気づいていたのかい?」
「いや。でも、中性的だなとは思っていたよ。物腰も柔らかく品があると思っていたし。女だと言われれば、そうだろうなと納得もいく」
「そうか……」
「メアリー」
びくりと体がはねた。
「メアリー、でいいんだろう?」
尋ねられ、オリバーの腕の中でこくりとうなずく。
「この際、女に戻ったらどうだ?」
「……それは、女であることを公表しろ、と?」
「ああ」
「……」
「嫌か? なら、それが俺とつき合う条件、と言ったらどうだ?」
「オリバー……」
「なんてな」
オリバーが抱きしめる手を緩めた。体を離すと、鼻先がつきそうな距離でメアリーを見つめてくる。そして、どこか照れ臭そうな笑みを浮かべていた。
「俺は、独占欲が強いんだ。君は俺のものなんだと、周りに示したいのさ。……どうした?」
突如メアリーが笑い出す。それを訝しんだオリバーが、不安げな表情でメアリーの顔を覗き込んできた。
「まさか、君にそうまで想ってもらえるとは思わなかった。嬉しいよ」
メアリーが、これ以上ないほどに頬を赤らめて言う。オリバーは、そんなメアリーを再び強く抱きしめた。
「ジャックにも言われたんだ」
「……ジョン・ラカムに?」
抱きしめられながら告げるメアリーに、オリバーは疑問を呈する。
「ジャックは、僕が君のことを好きだということに気づいている。だから、僕の正体を君に伝えたらどうかと助言してくれたんだよ」
「は……? ラカムは、君が女だと知っているのか?」
「うん」
「まさか……。知っていて、女を船に乗せているのか?」
「うん。本当に、変わっているよね」
「……よく無事だったな」
「どういうことだい?」
「男の中に女が一人でいてさ。それに、ラカムは君の正体を知っていたんだろう? よく手を出されなかったな」
「……ああ」
「ラカムっていうのは、もしかして女に興味がないのか?」
「……いや」
「もしかして、海賊のくせに紳士だとか?」
「……」
「それとも……」
「一人ってわけじゃないんだよ」
「え?」
「もう一人、女が乗っているんだ……この船には」
「……誰だ?」
「それは、言えない、けれど……」
「もしかして、ボン?」
「……っ」
「そうなのか? 年齢が離れているわりに、君とボンは親友のようにいつも一緒にいるのだと聞いていた。そうか。そういう事情があったのか」
「オリバー、頼む……っ」
背中に回したメアリーの手に力が入る。
「頼む。言わないでくれ、誰にも」
「メアリー……。ボンは、君にとって大切な存在なんだな」
「ああ。大切だよ、誰よりも。……友として」
「そうか。わかった、誰にも言わない」
「ありがとう。その代わり、僕は君の言う通りにするよ」
「いいのか?」
「うん。そうして欲しいんだろう?」
「……ああ」
「なら、早速、今からでも……」
メアリーは身を離そうとしたが、オリバーが強引に引き戻した。そして、その耳元で囁くように尋ねる。
「なあ。キスしていいか?」
耳に吐息がかかる。その熱とくすぐったさを感じて、メアリーは身震いした。
オリバーは返事を待たず、メアリーに顔を近づけた。
最初は、軽く触れるだけのキス。その後、二回、三回と続くうちに、どんどん深いものへと変わっていった。
「……オリバー!」
「メアリーっ」
堪らず、メアリーがこれまでよりも強く抱きしめる。オリバーも強く抱きしめ返した。
こうして、夫アルベルトを失って以来、メアリーには再び最愛の人ができた。これをきっかけとして、彼女は、ウィリアムからメアリーに戻る決心をしたのだった。
想いが通じ合ったメアリーとオリバー。
この後、二人は船の上で公認のカップルとなります。