第15章 告白
「オリバー、ちょっといいかな」
メアリーがそう言ってオリバーを呼び止めたのは、ラカムと別れてからすぐのことだった。
「なんだよ、ウィリアム。改まって」
訝しみながらも振り返るオリバーに、メアリーは真剣な眼差しを向ける。
「君に、話したいことがある」
「話? ……俺に?」
「うん。とても重要な話だよ」
「なんだよ?」
「……うん」
「もったいぶるなよ。回りくどい言い方は君らしくない」
「ああ……そうだね」
「なんだ?」
「うん、実はね……」
その時だった。突如として船が大きく揺れたのだ。見つめ合う二人の間に波飛沫が降り注ぐ。
「なんだ!?」
「今の音……砲撃かっ?」
二人が一斉に海へと目を向けると、
「敵襲だ!」
と、見張りから声が上がった。
「……攻撃を受けてからじゃ遅いだろうがっ」
苛立ち紛れにぼやくと、メアリーはすぐさま臨戦態勢をとる。
「おい、見張り! どこの船だ!?」
船の揺れに急いで甲板に出てきたらしいラカムが、メアリー以上の苛立ちを含ませた怒声を見張りの男にぶつける。
「……イスパニアだ!」
「イスパニアか。この間沈めた奴は、確かイスパニア国王の勅命を受けているとか言っていたな。まさか、報復か?」
「す、すまねえ、船長!」
「お前の処分は後回しだ。勝てばいい。だが、ただの一人でも味方に死人を出しやがったら、その時には命はないと思え」
その言葉にはいつもの飄々とした軽さはない。見張りは顔を強張らせ、身を縮こませた。
「ジャック、やはりあれは海軍だ!」
大型のブリガンティン船には、イスパニア国旗が掲げられている。また、二十はあろうかという砲門がすべてこちらを向いていた。それらが肉眼で見てとれるほどに、ラカム海賊団は敵の接近を許してしまっていたのだった。
「お前ら、次の砲撃に備えろ! それから、操舵室に伝えろ! 全速力でこの海域を離脱する」
「逃げるのか?」
メアリーの問いかけに、ラカムはうなずく。
「奴らの大砲の数を見ろ。この船にはその半分も積んじゃいねえんだ」
「なら、逃げられるかどうか……」
「いや、この距離なら、うまくすれば逃げられる。奴らの大砲は威力はでかいが遠くには飛ばないはずだ。逆に俺たちの大砲は長距離用。最初の一発さえ避けられれば、俺たちの船足なら逃げ切れる」
「最初の一発って言ったって、全部で二十発だぞ」
「ああ……」
操舵室に伝令が届いたのだろう。敵船との間に距離が出始めたところで、敵船の大砲が一斉に火を噴いた。
砲弾の雨がラカム海賊団を襲う。
どぼんどぼんどぼん……っと、砲弾の大半は海に落ちて消えたが、その衝撃は凄まじく、大時化を思わせるほどに激しく船が揺れた。乗組員たちはみな、それぞれに手近なものにしがみついて耐える。また、船に届いた砲弾もいくつかあった。そのうちのひとつが甲板に穴を開けた。しかし、浸水はない。マストも一本折られたらしい。それには乗組員の表情が曇った。それも仕方がないだろう。なにせ、船足の速さに重点を置いた旗艦のマストを折られたのだから。だが、その時だった。
「諦めるな!」
ラカムの声が響いた。
「マストを一本失ったぐらいがなんだ! お前ら、ぼさぼさするな! とっとと櫓を漕げ! 気落ちしている暇なんかねえぞ!」
その声に、乗組員たちもみるみる気力を取り戻していく。
全員、一丸となって櫓を漕いだ。
見れば敵船では弾込めを行っていたが、それが終わり再びこちらに砲門を向けた時には、先程の二倍もの距離がそこには出来上がっていた。それでも敵は何発かは飛ばしてきたが、すべて海の中へと消えていった。今回はかすりもしない。そこで、向こうの指揮官は弾が無駄になると悟ったのか、撃つのをやめた。
だが、それでもラカム海賊団を捕らえることを諦めたわけではないらしい。追って来たのだ。しばらくは追いかけっこが続いた。しかし、どんどん距離は伸び、いつしか船影は水平線の彼方に消えて見えなくなってしまった。
そこへきて、乗組員たちはようやく肩の力を抜くことができたのだった。
「おい、全員無事かっ?」
ラカムの呼びかけに、
「おう!」
「へい!」
「みんな生きているぜ!」
と、方々から声が上がる。そこで、ラカムもようやくひと息ついたようだった。
メアリーは、手にしていた櫓を離すと立ち上がった。何気なく振り向くと、そこにはアンがいた。すぐ後ろで櫓を漕いでいたのはアンだったらしい。
「……ボン」
メアリーが呼びかけるも、アンはうつむいたまま反応を示さない。喧嘩別れしたのはつい先程のことだ。まだ怒っているのだろうと思っていると、アンがおもむろに立ち上がった。そのまま、小走りでメアリーの横をすり抜けていく。何事かと見つめていると、アンが手すりから身を乗り出しているのが見えた。
「ア……ボン!」
驚きのあまりに駆け寄ると、アンが海に向かって吐いているところだった。そこで初めて、メアリーはアンの体調不良を知った。そう思って見れば、アンの顔はかなり蒼褪めている。
「……大丈夫か? 船酔いかい?」
そう尋ねてみたものの、メアリーは腑に落ちない。アンが船酔いを起こしたところを、これまでに一度だって見たことがなかったからだ。そう思っているうちに、もう一度アンが海に向かって吐いた。メアリーは、その背を優しくさすってやる。すると、アンもいくらか落ち着いたらしい。蒼褪めていた頬にもわずかに赤みが戻ったようだ。
「アン……」
「メアリー」
アンがメアリーの言葉を遮る。そして、そのまま、まっすぐにメアリーを見つめた。
どきりと、メアリーの胸は高鳴った。
アンの眼差しには決意の色が込められていた。
アンも緊張しているようだが、メアリーも同じだった。緊張と期待の入り混じった思いの中、アンの次の言葉を待つ。
そうして、アンがついに口を開いた。
「メアリー、私ね……」
「……うん」
「妊娠しているのよ」
……その時、風が起こった。
塩気を孕んだ海の風が、対峙する二人の間を勢いよく吹き抜けていったのだった。
まったく予想していなかったアンの告白に驚きを隠せないメアリー。
メアリーとしてもアンとしても、隔絶された海の上で、このまま正体を隠し続けることがはたしてできるのだろうか。




