第12章 疑惑
「酒がねえ、だと?」
ラカムは、ぎろりとコックを睨みつけた。
「数日前にでかい獲物を仕留めたばかりじゃねえか。酒も、樽でたらふく積み込んだだろうが」
「数日前っていうがな、もう七日になるぜ。しかも、ここ最近は連日宴会続きだ。どう言われようとも、もうないんだよ。酒も、食い物もな」
「食い物もか」
「普通に食うぐらいならある。だが、宴会ができるほどにはねえな」
「……」
「そろそろ、獲物を探した方がいいんじゃねえのかい。ジャック」
コックの進言に少し考えた素振りをしたあとで、ラカムは立ち上がった。
「野郎ども、帆を張れ! 船影が見えたらすぐに報告しろ。どこの国の船だろうが構やしねえ」
船長の言葉に、仲間たちの士気も上がる。船上は雄たけびに包まれた。
「よっしゃあ! 一週間ぶりの戦闘だ!」
「腕が鳴るぜ」
そんな仲間たちを見ながら、
「後れをとるんじゃねえぞ」
ラカムは満足そうに最後の酒瓶を開けたのだった。
大砲が火を噴いた。前方で波飛沫が上がり、イスパニアの旗を掲げたキャラック船が激しく揺れている。敵船の乗組員が動揺している間に接舷すると、ラカムは真っ先にその船へと乗り込んだ。
「俺たちゃあ海賊だ! 金目の物と酒、食料を差し出してもらうぜ」
その声に、乗組員たちの間に緊張が走る。
「おとなしく差し出すなら危害を加えるつもりはねえよ。まずは酒と食料をここに持って来い」
しかし、おかしなことに乗組員の誰もが動こうとしない。不審に思っていると、
「誰が海賊になど屈するものか!」
奥から厳かな声が聞こえてきた。
「この船はイスパニア王室より預かったもの。私は王の勅命を受けて西インド諸島までやって来たのだ。海賊ごときに屈するわけにはいかない。貴様らなぞにくれてやる物など、この船には何ひとつとしてないわ!」
その声に応じるかのように、屈強な男たちがラカムらの前に立ちはだかった。よく見れば、その胸にはみなイスパニア王家の紋章をつけている。
「……っち。ただの商船じゃねえのかよ」
歴戦の兵士たちと戦ってまで酒や食料を得ようとは思わない。戦わずして勝つことこそがラカムのやり方なのだ。しかし、ここまできてしまったら戦わないわけにもいかなかった。
「おい、ボンっ……!」
戦闘開始から間もなく、メアリーは声を上げた。
「何をしている! ボンっ!?」
どうもアンの様子がおかしい。銃さばきにいつものきれが見られない。
「……くそっ……!」
目の前の敵を、手にしたカトラスで薙ぎ払うと、メアリーはアンのもとへと駆け寄ろうとした。しかし、銃声とともに降ってきた声に足を止める。
「ウィル、持ち場を離れるんじゃねえ!」
ラカムだ。彼の放った銃弾は、今にもアンに迫っていた敵の背後から、その心臓を撃ち抜いていた。
「戻れ、ウィリアム!」
メアリーはラカムの言葉に従った。
ラカムが、アンの助けに入ろうとしたメアリーをこうも叱責したのには理由がある。
海戦において、持ち場は絶対的なものであるからだ。
船上で戦う際には、おもに右舷と左舷とに分かれて戦う。たとえ右舷の仲間が苦戦を強いられていたとしても、左舷の仲間は助けには入らないというのが原則であった。なぜならば、仲間を助けるために右舷に集中してしまうと、船そのものが転覆してしまう恐れがあるからだ。
メアリーは戦いながらもアンを気遣う。しかし、ラカムの銃弾に助けられたあとのアンは、いつものように敵を次々と撃ち倒していった。
そして、ラカム海賊団はイスパニア海軍との戦闘において、なんとか勝利をおさめることができたのだった。
「ボン、今日はどうしたんだよ」
戦利品を山分けしている中、メアリーがアンに詰め寄った。
「ああ、ちょっと体調が悪くてさ。戦闘前の宴で飲み過ぎたのかもしれないな」
「飲み過ぎたって……そんなに飲んでいたか?」
「うん、まあ……」
「……?」
「あ……まあ、戦闘中に気を抜いたのは悪かったよ。もうあんなヘマはしないさ」
「……そうか。でも、いつも元気すぎるボンが体調が悪いというのは心配だな」
「心配かけて悪かったな。もう大丈夫だよ」
そこへ、
「おい、ボン」
仲間たちから離れたところで、ラカムがアンを手招きしている。アンはそれに従い、ラカムのもとへと歩み寄った。メアリーも、何とはなしに数歩離れてアンについていく。
ラカムが何やらアンに耳打ちしている。その後、アンは明るい声で、
「わかったわ、あとで行く」
そう答えた。
――ああ、やっぱりジャックも気になっているんだな。
今日のアンはおかしかった。アンがこれまで戦闘中に隙を見せたことなどはない。ましてや、一瞬でも気を抜くなど、普段のアンからは考えられないことだった。
船長としてアンに話でもあるのだろうと、メアリーはそう思ったのだ。
しかし、アンの次の言葉に、彼女を心配するのが馬鹿らしく思えてきた。
「ジョン、ベッドで待っててね」
アンはそう言って、ラカムにウィンクを投げかける。ラカムはそれに答えるように軽く手を上げると、戦利品の分配を見るために仲間たちの方へ行ってしまった。
メアリーは深く息を吐き出す。
――ああ、そうだ……。
メアリーは心の中で独りごちた。
――きっと、アンの言う通りだ。きっと、ただの飲み過ぎだったんだろうな……。
そう自分を納得させると、メアリーも仲間たちのもとへと戻って行ったのだった。
戦闘中、普段では考えられないアンの姿に疑惑を抱いたメアリー。
アンはただの飲み過ぎと言っていたが。
はたして……。




