第10章 ラカムの半生
ジョン・ラカムは、もとはチャールズ・ヴェインを船長とする一味の操舵手であった。
イングランドの私掠船長ウッズ・ロジャーズが二隻の軍艦を伴ってプロヴィデンス島にやって来た時、ヴェイン一味もこの島にいた。
島にはごろつきのような海賊どもが溢れており、彼らはみな投降して赦免状を得たが、ヴェイン一味だけはそれを受けることを拒み、ロジャーズ総督の目を盗んで島を離れたのだった。
ラカムは、ヴェインとは兄弟分の間柄であった。
だが、この二人は、あることをきっかけに仲違いをして別々の針路を進むこととなる。
それは、一七一八年十一月二十三日のこと。
その日、ヴェイン一味は、一隻の船を見かけて大砲を撃った。
黒旗を掲げれば、いつものように、たちまちのうちに降伏してくるだろうと見くびっていたのだ。しかし、ことはそううまくはいかなかった。
降伏するどころか、相手は一斉射撃を行ってきた。また、なんと、向こうの船に軍艦旗が上がったのである。
それは、フランス軍の旗であった。
ヴェインは、軍艦と戦うつもりはなかった。
すぐさま帆を張り逃げ出したが、軍艦は全速力で追跡を開始した。
逃げながら、ヴェイン一味は話し合う。船長ヴェインの主張は、戦わずに逃げるべきだというものであった。それに対し、操舵手のラカムが声を上げる。
「俺たちよりも多くの武器弾薬、大砲を敵が持っていたとしても、接舷して斬り込めば勝機はあるぜ!」
この時、多数の者がラカムを支持した。しかし、ヴェインは引かずに言う。
「そいつは危険すぎる。軍艦は俺たちよりもずっと手強いぜ。俺たちが斬り込む前に、逆に奴らに沈められるのが落ちさ」
このヴェインの言葉に賛同した者は、わずか十五人あまり。残りは、すべてラカムの側についたのである。
この口論に決着をつけるため、ヴェインは船長としての権限を行使した。
それは、戦闘、追撃、追跡などの緊急時において収拾のつかない状況に陥った際、決定権は船長にあるというものである。それ以外は、どんなことも多数決に従うというのが決まりであった。
こうしてヴェイン一味は、フランス軍艦からなんとか逃げきることに成功したのだった。
しかし、その翌日の二十四日、ヴェインはみなの票決にさらされることとなった。
このことで船長の名誉と威信は失墜し、彼は臆病者の烙印を押され指揮権を剥奪されたのである。そして、破廉恥の科により、仲間たちから追放されたのだった。
ヴェインは、ブリガンティーン船を降ろされた。そして、フランス軍艦に追われている際にヴェインを支持した者たちとともに、以前拿捕して連行していた小型スループに乗せられたのだ。
ヴェインは仲間たちに見捨てられたわけだが、ラカムは彼らに充分な食糧と弾薬を与えた。
こうして、ヴェインのスループ船はホンジュラス湾へと向かい、ラカムの乗ったブリガンティーン船は小アンチル諸島へと向かった。
ブリガンティーン船の新たな船長に選ばれたのは、真っ先にフランス軍艦に斬り込むことを提案したラカムである。これは、満場一致の意見であった。
ある時、プリンセス島へと向かう航海で、ラカム一味は莫大な戦利品を得た。
彼らは、ダイスを投げてこれらを山分けする。そして、分配が終わると、財宝を樽につめてプリンセス島の海岸に埋めた。また、新たな獲物を積めるようにするためである。
「ジャック」
ラカムは振り向く。海岸を見張っていた仲間の声だった。見れば、海亀漁をしていたと思われるジャマイカの旗を掲げたスループ船が寄港しようとしていた。
ラカムは、すぐさまこの船にボートを送り、船長を自分のもとへと連れて来させた。
漁船の船長は、海賊を前に震えながら、ラカムに聞かれるがままに答える。そして、ラカム一味は知った。海賊に対する赦免の期限がまだ切れていないということを。
ラカムは、ヴェイン一味に身を置いていた時に投降せず逃げ出したという経緯があるので、国王の恩赦は自分たちには適応されないのではないかと懸念していた。しかし、もしもまだ間に合うというならば、ただちに投降して赦免を得たいとも思っていた。
「おい」
しばらく話し合っていたラカム一味だったが、結論が出るなり漁船の船長に向き直る。船長は、蒼褪めた様子でがたがたと震えていたが、にこりと笑ったラカムを前にほんのわずかながら落ち着きを取り戻したようだった。
「知らせてくれて、礼を言うぜ」
そう言うなり、ラカムは漁船の船長を解放した。彼は、ラカムの行動に呆気にとられているようであった。
海賊とは、例外なく野蛮である。そして、そのほとんどが、残忍かつ残酷なことを平然と行う。だから彼は、海賊に連行された時に死を覚悟したに違いない。だが、ラカムは彼に対して残酷な仕打ちをするどころか、戦利品の財宝の中から、数々の品を礼として与えたのであった。
「……あなたたちは……海賊、ではないのですか……?」
与えられた品々を前に、漁船の船長がようやくといったふうに言葉を紡ぐ。
「あ? 当然、海賊だぜ。お前にやったそれだって、ついさっき奪って来たもんさ」
「海賊が、なぜ……」
心底意味がわからないという表情の彼を前に、ラカムは含み笑いをもらす。
「俺は、意味のない殺しはしねえのさ」
「……」
「それにな。お前にそいつを与えるには、わけがある」
「……わけ?」
「ああ。ひとつ、頼まれてくれねえか」
「……なんでしょう?」
「すぐにジャマイカへ戻り、ウッズ・ロジャーズ総督に伝えてもらいたい。約束通りに赦免してもらえるなら、俺たちはすぐに投降するつもりだとな」
「……はい、わかりました。で、でも、それなら、赦免の期限は切れていないので、問題ないはずですよ」
「まあ、俺たちの場合、ちょっとわけありなのよ。なあ、頼まれてくれねえか? お前に損はさせねえからさ」
ラカムにそう頼まれ、漁船の船長は喜んでこの役目を引き受けた。
船長は、ジャマイカに着くと、ラカムが言った通りのことを総督に告げた。しかし、この時にはすでに、総督はラカム海賊団討伐の準備を進めていたのである。というのも、船長が到着するよりも前に、先日、ヴェインとラカムらに襲われた船の乗組員たちがこの島に到着していたのだ。そして彼らは、総督にラカムたちの海賊行為を逐一報告していたのだった。
そんな中に出向いた彼は、ラカムからの申し出を伝えた。そこで、総督はこれを利用しようと考えたのだ。
総督は、彼にラカムらの居所を問い質した。
――なんだ、あれは……。
ほとんどの乗組員が上陸している中、ラカムはたまたま甲板にいた。遠くに船影が見える。ラカムは、望遠鏡を取り出して船影に向けた。それは、二隻のスループ船のようだった。ただのスループ船ではない。明らかに武装しており、大砲に弾を込めているのが見てとれた。
これは、ラカムにとってはまったく予期していないことだった。
――あれは、十中八九こちらに向かっている。しかし、なぜ? いや、そんなもの、決まっている。……俺たちを討伐するためか……っ!
自問自答をしているうちに、近づいて来た二隻のスループ船が一斉に砲撃を開始した。
ラカムは、防戦する間もなく、ボートで岸に逃げるほかはなかった。
ラカムの乗っていた船を拿捕した私掠船団は、捕らえたラカム一味を乗せるとジャマイカへと戻って行った。この船は、ヴェインと別れる少し前に手に入れたもので、もとはといえば、総督にラカムらの海賊行為を報告した乗組員たちのものであった。
私掠船団が船を見つけた時、甲板にはラカムらが奪ったであろう戦利品が乱雑に置かれていた。また、甲板にいたラカムは、砲撃とともに逃げてしまったらしい。
私掠船団は、逃げたラカム一味を深追いすることはなく、積み荷を乗せた船をジャマイカへと連行したのだった。
「どうする、ジャック?」
仲間の言葉に、ラカムは低く唸った。
船を取り上げられたラカム一味は、今後の方針も定まらぬまま森の中にいた。彼らが持っていたのはボート二隻とカヌー一隻、そして少量の弾薬と小火器のみである。
「プロヴィデンス島に行く」
ラカムが言った。
「赦免を願い出るんだ」
「けどよ、ジャック。俺たちは、ヴェインのもとにいた時に島を逃げ出しているんだぜ」
この仲間の言葉にうなずく者は多かった。赦免を願い出ても、一度赦免の布告に抗ったという理由で赦免されずその場で捕まるかもしれない。もしもそうなったなら、縛り首になるのは目に見えていたからだ。
この時、意見は大きくわかれた。
結局、ラカムは、彼につく六人の仲間とともに一隻のボートに乗り込み、プロヴィデンス島を目指した。それ以外の仲間とは、ここで別れ、それぞれが別々の道を歩むことになったのである。
「なあ、ジャック。このボートでプロヴィデンス島まで行くつもりか?」
仲間の言葉に、
「道すがら、いい獲物にでも会えればいいんだがなあ」
ラカムは、この状況すらも楽しんでいるかのように飄々と答えた。
彼らは、初めにパイン島で補給をし、キューバの北へと針路をとる。そこで、ラカムが口にしたような「いい獲物」と出会ったのである。
相手はスペインの商船だった。彼らからボートとランチ数隻を奪い、頑丈な作りのボートに乗り移ると自分たちが乗ってきたボートを沈めた。そうして航海を続け、一七一九年五月の中頃、無事にプロヴィデンス島へと上陸したのである。
ラカム一味は国王への赦免を願い出た。そこで、以前、赦免の布告に抗った経緯を問われた。
「あの時の船長はヴェインだった。俺たちは、ヴェインに無理矢理に仲間に引き込まれ、やむなく抗ってしまったんだ」
ラカムを中心に、みなは口々にそう告げた。その言葉が認められたのか、ラカム一味は国王からの赦免状をようやく手にすることができたのである。
一味は、持って来た戦利品を売りさばいて金にした。ラカムは、船長としてみなよりも多くの分け前を得ていたので、かなり羽振りが良かった。
そんなある日、ふと立ち寄った酒場で、一人の女が声をかけて来たのだ。
「あら、いい男ね」
ラカムは、こちらに振り向きざまにグラスを傾ける女の美しさに目を奪われた。
彼女の名は、アン・ボニー。
ラカムが生涯愛し続けた、ただ一人の女である。
こうして、海賊から足を洗った地で最愛の女と出会ったラカムだが、彼が彼女と愛し合うことは世間が許さなかった。しかし、それで諦めるようなラカムでもない。彼は、やはり根っからの海賊であったのだ。
――正当な方法で手に入れることができないならば、奪ってしまえばいい。
ラカムは、ようやく得た安寧な生活を惜しむことなく捨てた。それは、アンと一緒にいたいがためであるが、理由はそれだけでもない。
ラカムは、平穏な生活に飽きていたのだ。また、アンもそれは同じであった。
こうしてラカムは、アンとともに、再び海賊の道へと入って行ったのだった。




