第9章 アンの生い立ちとラカムとの出会い ―後編―
ジェームズ・ボニーと同じように、国王からの赦免状を持ってプロヴィデンス島へとやって来たラカムは、アンの美貌にひと目で心を奪われた。そして、アンが人妻と知りつつも、そんなことは関係ないとばかりにアンへの猛アプローチを開始する。また、アンとしても、美形であるラカムから言い寄られて悪い気などするはずもなかった。
もともと、海賊船の船長として他の乗組員よりも多い分け前を得ていたラカムは、アン・ボニーに入れ揚げて、彼女のために湯水の如く金を使った。しかし、それにも限りはある。ついに金が尽きると、ラカムはやむなく働きに出たのだった。
ラカムが出向いた先は、バージェス船長のもとだ。
バージェス船長は、もとは海賊であったが赦免され、今ではスペインに対する私掠船の任務についていた。
そして、彼に雇われたラカムを乗せたこの航海は、大成功を収めたのである。
彼らは数隻の船を拿捕したのだが、それらの船にはココナッツや砂糖などの高級品がたんまりと積まれていた。
獲物の船をプロヴィデンス島へ連行したあと、彼らは積み荷を商人たちに売却した。その分け前は、莫大な額になった。
バージェス船長は、新たな獲物を求めてすぐさま出航した。しかし、ラカムはそれについて行かなかった。
この時、ラカムの頭にはアン・ボニーのことしかなかったのだ。
こうして手に入れた莫大な金を、ラカムは、アンを楽しませるためだけにすべて使ってしまった。
アンは、自分のために惜しむことなく金を使う気前の良いラカムに、すっかり心を奪われてしまった。そして、ジェームズと別れて、ラカムと暮らしたいと思うようになっていったのだ。
「ねえ、ジェームズ」
アンが夫に呼びかける。
「私と別れて」
ずばりと彼女は言った。しかし、そんなアンを前に、ジェームズはたいして驚きもしない。
「ジョン・ラカム……あの男とともに行く気か?」
「ええ、そのつもりよ」
「お前のために言う。やめておけ。あの男は根っからの海賊だぞ。お前を幸せになんてできやしない」
「あんただって海賊だったじゃないか」
「……だからこそ言えるんだよ。海賊稼業に未来はない。やはり、人間は地道に働くことこそ一番の道なんだ」
「だから、あんたは退屈なのよ」
アンは、盛大に溜め息をついてみせた。
「もう一度言うわ。ジェームズ、私と別れてちょうだい」
「アン。俺は、今度こそまっとうに生きて、お前を幸せにしようと思ってこの島に来たんだ」
「ジェームズ。私はあなたを愛していたわ。でも、今はジョンといることが、私の幸せなのよ」
「アン……」
なかなか首を縦に振らないジェームズを前に、アンが最後の手段に出た。
「私と正式に別れてくれるなら、ラカムがあんたに相当の金を払うと言っているんだよ?」
その言葉に、ジェームズはしばし言葉を失くした。
そして、おもむろに、うなずいたのである。
アンは、ジェームズの許可を得ると、すぐさま幾人かに離婚の証人になって欲しいと頼んだ。
この話は巷の話題となり、話を聞き及んだ総督が、アンと、アン・フルワースを呼びつけた。
アン・フルワースは、カロライナからアン・ボニーとともにやって来た中年の女で、アンの母親という位置づけにしていた人物である。
総督は、二人に人々の噂の真偽を尋ねた。
アン・ボニーを知る人々は、アンの不品行についてありとあらゆる噂をし合っていたのだ。
アン・フルワースも、もちろん、そのことについてはすべてを知っていた。そうであるから、総督が尋ねることに何ひとつ否定することができなかったのである。
そこで、総督は声を荒げ、アン・ボニーに申し渡した。
「アン・ボニーよ。お前の離婚を、決して認めるわけにはいかない。破廉恥な離婚などしてみろ。ジョン・ラカムもろともお前を牢に入れてやるぞ。そして、鞭打ちの刑罰に処す。その鞭打ちを、ラカム自身にさせてやろう」
総督にここまで言われては、さしものアンも誓わないわけにはいかなかった。
「わかりました。これからは、夫と貞節を重んじます。そして、ジョン・ラカムはじめ、夫をないがしろにする仲間たちとは、もう二度と関わりを持ちません」
しかし、この誓いはすぐに破られることとなる。
もとより、このような誓いなど、アンに守るつもりなどは初めからなかったのだ。
アンとラカムは、まっとうな方法では一緒になれないことを知り、駆け落ちする計画を練りはじめた。
この頃からである。アン・ボニーが、再び男の格好をするようになったのは。
まず手はじめに、ラカムが、陸で働くことに飽き飽きしていたもと海賊たちを、何人か自分らの企てに引き入れた。
そして、アンとラカムは、プロヴィデンス島付近の小島に住むジョン・ハマンのスループ船に目をつけた。二人は、その船は小型だが船足には目を見張るものがあると知っていたのだ。
アンは、何度かこの船を訪れた。そして、ジョン・ハマンと取り引きがあるように見せかけながら、乗組員は何人いて、どんな見張りを置いていて、航海の予定と航路はどうなっているかなどを調査した。そこでわかったことには、乗組員は、なんとたったの二人であるというのだ。
こうして準備を進めた上で、アンとラカムは、引き入れた仲間たちとともにジョン・ハマンの船の襲撃を決行したのである。
好都合にも、雨模様の暗夜であった。
アンは、片手には抜き身の剣、もう片方の手にはピストルを携えて、敵船の乗組員がいるキャビンを目指した。
物音で目を覚ました乗組員に、アンはピストルを向けると言う。
「ちょっとでも抵抗しようとしたり、騒いだりしてごらん。お前たちの脳味噌が吹っ飛ぶよ」
その間に、ラカムと他の仲間たちは、船の乗っ取りに成功したのだ。
船は要塞を無事に抜け、警備船も言葉巧みにかわし、すべての帆を張って一路沖へと向かったのである。
その際、ラカムは二人の乗組員に、
「俺たちの仲間になるつもりはないか」
そう尋ねた。しかし、二人にそのつもりがないと悟ると、ラカムは彼らにボートを与えた。
「用が済んだら船は返す。ハマンにそう伝えてくれ」
そして、ラカムとアンは出航する。
二人には、駆け落ちをする前にやらなければならないことがあったのだ。
それは、復讐である。
二人は、リチャード・ターンレイという男を恨んでいた。
アンは先日、夫ジェームズ・ボニーがラカムに与える離婚証文の証人になってほしいと、ターンレイに頼んだ。
しかし、ターンレイはその依頼を拒絶した。そればかりか、この話を総督に知らせたのもまたターンレイであったのだ。
ラカムたちがプロヴィデンス島を脱出する前に、ターンレイは海亀漁に出ていた。ターンレイの行く先を知っていたラカムたちは、彼を追ってその島へと向かったのである。
ターンレイは、乗ってきたスループ船を離れ、息子と二人で野豚の肉を塩漬けにしていた。そんな時、ふと岸から船を見やると、小型スループ船が自船のすぐ近くに停泊しているのが見えた。また、何人かの男たちが降りて来ては、自船に乗り込んでいる。
ターンレイは、彼らは海賊ではないかと思った。この海域において、海賊は珍しいものではない。
しばらく見ていると、男たちはターンレイの船を降り、岸に向かっているようであった。
ターンレイは、息子を連れて森へと逃げた。
木立の間から覗いてみると、やって来る男たちの風体は明らかに良くなかった。
――あれは、海賊に違いない。
そう思ったターンレイは、息子とともにさらに奥の繁みへと身を隠した。
ラカムたちは、しばらくの間ターンレイを探し回った。しかし、ついに見つけることはできなかった。
やむなくターンレイ探しを諦めたが、ただで帰るつもりなどはない。
ラカムの号令のもと、一味はターンレイの船に乗り込み、帆も含めて積んであるものを根こそぎ奪った挙句、三人の乗組員までも連行した。
ラカム一味は、奪えるものがなくなると、スループ船のメインマストを切断した。そして、船をわざわざ沖の方まで曳いて行った上で、沈めてしまったのである。
ターンレイの船の乗組員に、もとは経験豊かな海賊であったが以前受けた傷のために足を悪くした男がいた。この男を連れて行けば邪魔になると判断したラカムは、連行することを拒んだ。そのため、この男はターンレイとともに島に隔離されることとなったのである。
男は、森に隠れていたターンレイを見つけ出すと、泣きながら言った。
「海賊に船を奪われ、沈められました。乗組員も、自分以外は全員連れて行かれました」
ターンレイは、男につかみかからんばかりに尋ねる。
「どんな海賊だった?」
「十人そこそこの海賊どもでした。奴ら……船長らしい男と、もう一人……若い奴が話しているのを聞きました」
「なんと言っていた?」
「ターンレイを見つけたら、死ぬまで鞭で打ちつけてやる……と」
それを聞き、ターンレイはすべてを理解した。
総督は、離婚したがっているアン・ボニーを呼びつけ、彼女を鞭打ちの刑罰に処すと脅したらしい。
――俺は、運悪く海賊に襲われたわけではない。これは、奴らにとっての復讐だったのか……。
そう。
ジョン・ラカムとアン・ボニーによる、自分たちの結婚を邪魔したターンレイに対する……復讐であったのだ。
ひとまず復讐を終え、再び数多いる海賊団の仲間入りを果たしたラカム一味。
彼らは、まずはベリー半島に足をのばすことにした。そして、目につく船をことごとく襲い、略奪していったのだ。
こうして、ラカムは再び海賊に身を置き、アンもまた刺激を求めて海賊の道へと入っていったのである。
再び海賊稼業に戻ったラカム。
そして、男装して海賊船に乗り込んだアン。
結局のところ、二人とも、平穏無事な日常には馴染めなかったのだろう。
次回は、アンと出会うよりも前のラカムの物語です。




