第92話 話し合い
「そろそろ失礼しますね」
シーナさんと屋台で仕込みをしているジャンさんにお礼を言ってその場を後にします。そして食べ過ぎて少し苦しそうなルルを肩に乗せて人波の中へ。今日もたくさんの人たちが行き交っています。
小さな子供はルルを見て興味深げに指をさし、ルルもそれに応えるように尻尾をフリフリと揺らしています。あまり見知らぬ人には興味を持たなかったルルも最近では人と上手く付き合うようになりました。
ポコナちゃんやロロナちゃんたちと出会ってからでしょうか、村では子供の相手をしてあげることはありましたが、どこか面倒臭そうな様子が見て取れましたから。
まだこの街に来て大して日はたっていませんがネポロ村の皆さんは元気でしょうか、ゼレンさんは良い領主さんでしたから安心はしていますが、
「ーー!?」
そんなことを考えながらルルの頭を撫でていると突然肌を刺すような鋭い殺気を感じました。
瞬時に何が起こっても動けるような態勢をとりましたが殺気は直ぐに消え去りました。辺りを見回しても行き交う人がいるだけ、殺気を放った人物が誰なのかわかりません。ルルもその殺気の主を探していますが見当たらないようです。
人に殺気を向けられる謂れは……ないとは言えませんね。元エルドラン王国伯爵家の人間である私たちに気が付いた者がいてもおかしくはありません。特に名前を隠してはいませんから。
あとは道中で助けることになったあのエルドラン王国の貴族関連の人か、他国の領土内まで追っ手が来るなんてそうそうありませんからね。それとも冒険者の方でしょうか、私たちが冒険者として仕事をする中で邪魔だと思われた可能性はあります。
残念ですが実際にリーゲルさんたちには良くは思われていないでしょうから、他の方が同じように考えていても不思議ではありません。
「……そろそろ帰りましょうか」
「キュイ」
色々と思いを巡らせながら先ほどの殺気を放った人がいないだろうかと人々が賑わう市場を一回りしますが、先ほどの殺気の主を見つけることは出来ませんでした。
何もしないにも関わらず殺気を向けたのは何故なのでしょう……何かの計画でしょうか……それとも単に何か気にくわないことがあったことだけ?
……これ以上考えても無駄ですね。念のために警戒しながら宿に帰ることにしましょう。
◇
「お帰りなさいミレイちゃん」
道中は何者かの殺気を感じることもなく日が暮れて来た頃に宿に戻りました。今日も奥からいい匂いがしてきます。
「今日はどうだったミレイ」
「ティナさんに頼まれていたお医者さんを探していたんですが中々……」
「まあそう簡単には見つからないだろう。この街で医者をしているならそれなりに成功しているだろうからな」
「ええ、何だか変わった人もいましたけど、それに……」
殺気を感じたというのはヨハンさんとロナさんの前では控えておいた方がいいでしょう。心配させてしまいますから。
「……変わった人?」
「ええ、この街で仲良くなった方にお医者さんを紹介してもらったんですが、その方がルルを実験台だと言って襲ってきたんですよ」
「ほお、そんなことがあったのか」
「魔物と対等に戦うルルを襲うなんて面白い医者だにゃ」
「それでどうなったんだ?」
ルルが襲われそうになったと言うとヨハンさんとロナさんは驚いた顔をしていますがお兄様とネイナさん、マクスウェルさんは笑いながらその後どうなったのかを聞いてきました。
「えっと、ルルが頬に一撃を……」
「ルルに一発喰らったのかその医者は、それで無事だったのか?」
「ええ、ドアを突き破ってノビてしまいましたが」
「はっはっは、面白い医者だな。俺も会ってみたいぜ」
お兄様はルルの一撃を受けたパラケルさんの心配をしていますがマクスウェルさんはお腹を抱えて笑っています。ネイナさんも料理に夢中だったんですが釣られて笑い始めました。
「そんな医者いたかの?」
私の話を静かに聞いていたヨハンさんはパラケルさんのことを知らなかったようで首を傾げました。
「街の端に住んでいるんです。パラケルさんという方なんですがこの街の出身じゃないそうなのでお二人でも知らないかもしれないですね」
「街の端……そういえばおかしな医者が住み着いたと噂を聞いたことがあるような」
どうやらロナさんはパラケルさんのことを噂で聞いたことがあるようです。この街は大きいですから長年この街で暮らしてきたお二人でも知らないこともありますよね。
食事を終えるとメアが食器の片付けは自分でやるので今日は先に休んで下さいとお二人に言いました。私が何かを話したいと察してくれたみたいです。
「何か話したいことがあったみたいだが?」
「ええ、実は街中を歩いている時に殺気を感じたんです」
「殺気だと? 確かなのか?」
殺気を感じたと話すと皆さん先ほどまでの和やかな雰囲気は一変して真剣な表情に変わりました。特にお兄様は怖い顔をしています。やっぱりヨハンさんたちの前で話さなくて良かったです。
「……はい、明らかに私に向かって放たれたものだと思います」
「そうか……殺気を向けてきた相手は分かっているのか?」
「いえ、人混みの中で一瞬だったので」
「そうか、相手は何者なのか……心当たりはあるのか?」
「……冒険者の方ならありえるかもしれません。他は……貴族関連しか思い当たりません」
「エルドラン王国関連の者はおそらくないだろう。ここに泊まり初めてから不穏な気配は感じない」
お兄様がそういうのであればそうなんでしょう。もしも怪しい者がここを監視しているならばお兄様とマクスウェルさんが気付かないはずがありませんから。
「後はミレイの言うように冒険者か、それとも単にミレイを狙う犯罪者か、どちらにしても私たちはよそ者だ。目立つのは仕方がないし、冒険者としてミレイたちの活躍も目につくだろう」
「一部の冒険者は他人の活躍を妬むからな、そんなことをしている暇があったら修練でもすればいいのに馬鹿な連中もいるんだなこれが」
やはりお兄様とマクスウェルさんも殺気を放ったのが冒険者である可能性が高いのではないかと考えているようです。私もその可能性が高いと思いますが……
「冒険者ではない場合は問題だが、殺気を気付かれてしまうような相手なら問題ないだろう。手練れなら気づかせまい」
「そうですね」
確かに、お兄様の言う通り私に気付かれてしまうほどのチカラしかないならそこまで気にする必要もないのかもしれません。
あの時の……メフィストのような手練れが相手ならば私が気付くことも出来ないでしょうから、お父様やセバスと対等に戦う者が相手だとしたら殺気を感じたにも関わらず無事に生きていられるはずはありませんから。
「今後ミレイが外に出るときには私もご一緒した方がいいでしょうか?」
静かに私の話を聞いていたメアが外に出かける時は私について行った方がいいかと聞いて来ました。
「いえ、まだ特に何かあった訳ではありません。それに街の中ならそれほど手荒な手段は取れないでしょうから大丈夫です。依頼で外に行く時は手伝ってもらいますけどね」
「……分かりました」
安心させるためにも大丈夫だと言いましたがメアはまだ心配げな顔をしています。お兄様も心配そうな顔をしていますが幾分か表情が和らいできました。
「お嬢たちは依頼で外に行くこともあるからな、十分に気を付けてくれよ。今度また殺気を感じることがあるようならすぐに言え。その時はネイナをつけるからな」
「はい、その時はよろしくお願いしますネイナさん」
「任せて欲しいにゃ、闇の稼業の者が相手なら専門にゃ」
ネイナさんはシスイさんと同じように凄腕の元斥候兵ですからね。頼りになります。それにしてもネイナさん、普段はニコニコしていて魚が大好きな普通の綺麗な女性にしか見えないのに凄いですね。まさかこれも斥候兵として敵を欺くための演技だったりして……
「よし、この話はこれで終わりだな。で、さっき話に出た変な医者を村に連れて行く気なのかお嬢?」
「いえ、まだ直接話していないので何とも、親しくなった人によれば暴走しなければ性格は良いそうです。ちょっと生物の解剖が趣味みたいで」
「解剖ね……それでルルを襲ったのか、こんなに小さい動物に反撃されるなんて思いもしなかったんだろうな、その瞬間を見たかった」
「私も見たかったにゃ」
マクスウェルさんとネイナさんはパラケルさんがルルに吹き飛ばされるところを見たかったと残念そうな顔を一瞬しましたが、すぐに何かを想像したのか笑い出しました。
「キュイキュイ」
そんなマクスウェルさんたちを見たルルはまた今度あいつに会ったらもう一発喰らわせてやるつもりだから見せてあげると言っています。
全くもう……
「人に危害を加えては駄目ですよルル、今回はパラケルさんに大した怪我がなかったみたいだから良かったですけど」
「キュイ!」
襲われたのは自分の方だと抗議をしてくるルル、確かに捕まえようとしていたのはパラケさんです。それにあと少しで私が手を出してしまうところでした。
ですが、
「確かに今回は仕方なかったですけど、ルルだったら方法はいくらでもあったでしょう? 人に危害を加えたら魔物扱いをされてしまうかもしれませんから気を付けないと」
「……キュウ」
私がそう言うとルルは納得してくれたようで静かに頷きました。
あれ? そういえば……パラケルさんの頬があれほど腫れ上がっていたのは何故でしょうか……ルルが殴る前から腫れ上がっていましたが、もしかして……いや、もう過ぎたこと、ということにしておきましょう。
明日またパラケルさんの元へ行ってみましょうか、説明も必要になるでしょうから早いに越したことはありません。怒っていなければいいんですけど。
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