第87話 兄たちの日常
「ミレイたちは大丈夫だろうか?」
「お嬢一人だと心配だがメアが側にいるから大丈夫じゃないか?」
信頼できる商人の捜索という仕事をしてヨハン宅へと戻ってきたアレクは依頼を受けたであろうミレイたちが帰ってこないことを心配していた。しかしその呟きを聞いたマクスウェルがそれを直ぐに否定する。
一人でいると何かと騒ぎに巻き込まれるミレイだがしっかり者のメアがいるなら平気だとマクスウェルは考えていた。
「……そうだな」
ミレイが一人だと何か騒動が起きると理解しているアレクは微妙な顔をしながらマクスウェルの言葉に頷く。
すると「グゥー」と気が抜けるような音が辺りに響いた。アレクがその音がした方を見ればネイナがお腹をさすっている姿があった。
「お腹が空いたにゃ! 今日は何かにゃ?」
ミレイたちのことを心配している自分をよそに今日の夕食は何だろうと腕を組んで唸るネイナを見てアレクはため息をついた。
「心配してと仕方ないな、ミレイも強くなったし平気だろう」
「そうそう、信じて待つのも兄の務めだぞ?」
軽い感じで兄の務めを語るマクスウェルの言葉にまたため息をついてアレクもこれ以上心配しても仕方ないという顔になった。
「——ご飯が出来たよ」
「魚があるにゃ!」
ヨハンとロナが夕食を持ってきてくれるとネイナが魚料理を見つけて叫ぶ、ミレイたちはいないが楽しいいつもの食事をとりながら夜は更けっていった。
「さてと、今日も行くとするか」
朝になると身支度を整えてからアレクは階下に降りる。そこにはヨハンとロナがおり既に食事の用意がされていた。
「ヨハンさん、ロナさん、ありがとうございます」
「いいのよ、それよりもミレイちゃんたちが帰ってこなくて心配だったでしょ?」
「ええ、まあ……ですがミレイもDランク冒険者ですから大丈夫でしょう」
とは言ったもののアレクはミレイが心配であまり寝れなかったのだが……
「それもそうだね。あの年齢でDランクなんて大したものだしね」
二人はアレクと同じくミレイを心配していたがDランク冒険者だから言われて安心したように笑みを浮かべた。すると何かを思い出したのかロナが考え込んで声を出した。
「……そういえば昔、ミレイちゃんみたいな若い黒髪の女冒険者がいましたねヨハン」
「……ああ、そういえばそうじゃったな。名前は何じゃったかの〜……思い出せんが確か【殲滅姫】何ていう物騒な二つ名が付けられていたな……」
「私も名前は思い出せませんが綺麗な子でしたね」
「そうじゃな、綺麗な子だったのう。確か小さな男の子がいつも側にいたような」
「そうでしたね。可愛らしい男の子がいつも側にいました」
ヨハンとロナは懐かしそうに話し始めた。
その話題に出ているのが自分の母親だとも知らずに興味深げに聞いている。母親がこの国でも冒険者をしていたとは知っているが詳しいことは知らないアレク、まさか偶々出会ったヨハンとロナの口から母親の話が出るなど想像もしないだろう。
「そんな冒険者がいたんですか」
「ああ、それはそれは強くてな、将来はSランク冒険者になるだろうと言われていたな。しかし突然姿を消して当時は話題になったな……依頼に失敗して亡くなったと言われていたが……そんな者も亡くなるということは……」
「こらヨハン! 心配させるようなことを言うんじゃないですよ!」
ミレイなら心配いらないという結論に至り安心していたヨハンだったがかつていた冒険者ですら依頼中に死んでしまったことを思い出してまた不安になったのか顔を曇らせた。それを聞いたロナはヨハンを叱り付ける。「彼女が受けていた依頼は難易度の高い依頼だろうからミレイは大丈夫ですよ」とヨハンに言う。
それを聞いたヨハンは「それはそうじゃな」とまた安堵した表情を浮かべる。
すると二階からだらしのない格好をしたマクスウェルが降りてきて楽しそうに話す三人に声をかけた。
「ふぁー、よく寝た。ん? 何の話をしていたんだ?」
「おはようマクスウェルさん。ちょっと昔話をな、ほれ、マクスウェルさんも朝食を食べなされ」
昔話には興味はないのかマクスウェルはそっかと返事をするとヨハンに勧められた通りに朝食を食べ始める。
まさか自分の幼い頃の話をしていたとは思わなかったのだろう、そしてヨハンたちもまさか自分たちが知っている可愛らしい男の子がこんなひねくれた男に成長しているとは夢にも思っていないに違いない。
「サンキュー、ヨハンさん」
ネイナも起きて食事を取ると三人はレオンからの指示である商人探しに出て行く。
「いらっしゃいませ、トリオン商会へようこそ」
アレクが新しい商会の様子を見に店に入ると中年の男性店員が笑顔で声をかけてくる。
(教育はよくされているようだな)
アレクは店員がどのような客に対しても丁寧に声をかけているのを見て評価をしていく。アレクたちが信頼できる商人を探していく手法としては実際に商店へ行きその雰囲気や店員の様子や客層を見ること、住民たちの評判を聞くこと、そしてネイナが商会の裏側を探ることなどである。
大きな商会によってはチカラのある冒険者を専属として雇っている場所もあるのでそもそも裏がありそうな商会へは潜入はしない。
「ここではどのような商品を扱っているんですか?」
「トリオン商会では様々な物を扱っております。武具防具に食料品、木材や宝飾品まで、この店舗では主に生活用品を扱っておりますがご要望がありましたらご用意させていただきます」
「そうですか、ご説明ありがとうございます」
「いえいえ、何か疑問に思うことがありましたら何なりと店員に声をお掛けになってください」
店員に声をかけたアレクは店の中を回って商品を見る。庶民的な価格の物から高級な物まで数多くの品揃えがある。アレクはその中から幾つかの物を選んで買って店を後にする。
(悪い噂もない。全ての客を平等に扱っている。悪くはないが……商売を手広くやりすぎているな)
アレクが気になったのは多くの商品を取り扱っていることだった。それ自体は悪いことではないのだが、商人の世界は甘いものではない。多くの商売に手を出せばそれだけ敵が増える。そしてこういった商会の裏には必ずチカラを持った貴族の存在がある。
トリオン商会はこの街でも一、二を争うほどの商会だという評判だった。そしてその名に恥じぬ立派な店構えと店員の教育、品揃えも完璧なのだが、あまり大きな貴族の後ろ盾はアレクが望むところではなかった。貴族が欲しいものを手に入れるためなら何でもするということは元伯爵家の嫡男として痛いほど分かっていたからだ。フリーデンという名、魔の森にある村の存在、そして何よりも魔晶石という大きな利益を生む物を知った時にこの商会の後ろ盾になっているであろう貴族がどのような動きをするのかという懸念があった。
(ネイナに後ろ盾を調べてもらうか、さてと次だ……ミレイは無事だろうか)
雲ひとつない青空を見ながらミレイが無事かと心配しながらアレクはまた新たな商会、商人を調べに人ごみの中へと消えていった。
「これは美味しそうな魚にゃ!」
アレクが大きな商会を調べていた頃、ネイナは食料品を扱う店を巡ってきた。そして予想通り彼女が特に気になったのは魚を取り扱っている店だった。
「お目が高いな嬢ちゃん、これは港から直送で送ってもらっているんだ。それも生きたままな」
ネイナの声に反応してハチマキをした中年のおっさんが声をかけてきた。よほど魚に自信があるのだろう、威勢のいい声で魚の説明をしていく。
「生きたまま!?」
「そうだ。方法は秘密だがお抱えの魔法使いがいるとだけ教えておこう」
「どうする? 買うか?」
「買いたいけど、勝手に買ったら怒られそうにゃ。でも美味しそうにゃ」
買うか買わないかを問われて頭を抱えて悩みだすネイナ、食事の担当は自分ではないので勝手に食材を買ったら怒られるのではないかと思い悩む。
そんなネイナの姿を見たおっちゃんが一言、
「全員の分を買えば怒られないんじゃないか?」
「きっとそうにゃ! これを八人分取っておいて欲しいにゃ、また後で取りに来るにゃ!」
「あいよ!」
結果的に自分の好みの魚を仲間とヨハン、ロナの分を買うことにしたネイナ、ただ単に好きな魚を買ったように見えるが仕事はしっかりとしていた。
魚は傷みやすい商品だ。特に海の魚を扱うとなると港近くならまだしも少し離れた地で扱うとなるとしっかりした販路と手段を持っていないと取り扱うことは出来ない。それにネイナは店員の態度や商品の品質もしっかりと確認をしていた。魔法使いを雇っているという情報も大きい。実戦的な魔法を使う魔法使いの数はそれほど多いわけではない、にも関わらず専属として雇うことが出来るということはそれだけ利益を出しているということだ。
(今日の晩御飯は魚にゃ)
ネイナは自分の食欲を満たしつつレオンからの依頼をしっかりとこなしスキップしながら歩みを進める。多くの人が行き交う道で誰にぶつかることもなく無駄に高い技能を使って人混みの中へと消えていった。
「あーあ、いい商人はいねーかなー」
フードを被ったまま歩くマクスウェルは面倒くさそうにしながらロンドールの街中を歩いていく。一見やる気のないように見えるが道に面した店の商人たちの動きや態度を見て評価を下していく。
(今も昔も人で溢れているなここは)
彼がこの街にいたのはまだ幼い頃の話だ。この国が故郷という訳ではないが多少は懐かしく思っていた。しかし、懐かしいからといってここにずっと居たいとは思っていない。マクスウェルの望みはさっさと依頼をこなして村へと戻り湖のほとりでのんびりと昼寝をすることだ。レオンとエルザの命でここに来ることになったが本当は適当に観光してさっと帰りたかった。何か目的があるとすれば最新の寝具を見つけることだろうか、寝ることが趣味のマクスウェルは最新の商品が集まるこの商王国にそのために来たと言ってもいい。実際、幾つかの寝具にはもう目星をつけていた。
(——ん? あいつらは)
適当に見えてしっかりと仕事をしているとマクスウェルは見覚えのある冒険者を見かけた。
それは先日、自分たちが襲われているところを助けた貴族を護衛していた冒険者たちだ。どうやら無事にロンドールまでたどり着くことが出来たようだ。
マクスウェルはフリーデンを害してきたエルドラン王国の貴族を嫌っている。もし何かあったら何の証拠も残さずに消すことも厭わないだろう。
しかし分別はついているのでエルドラン王国の貴族の護衛とはいえ一介の冒険者に手を出すことはない。
(面倒な、だが一応どこへ行くのか調べるとするか)
買い物を終えたのか荷物を持ちながら楽しそうにしている冒険者たちの後をつけていくマクスウェル、彼らはロンドールの中心街へと向かっていく。
彼らが入っていったのは高級宿であった。自分たちよりも後に来たくせにこんな宿に止まりやがってと八つ当たりのように苛立ちながらも様子を探っていく。
(あの貴族の馬車がないな、何処かへ行っているのか、エルドラン王国からわざわざ追っ手を差し向けられてまで商王国まで来たのは何故か……どうでもいいが、調べとかなければ巻き込まれそうな気がする)
マクスウェルの脳裏には自分の師匠によく似た女性の姿が思い浮かんでいた。師匠と同じく戦いの才能に満ち溢れており、似なくても良いのにトラブルに自ら巻き込まれていく感のある家族のような存在のことを。
大きくため息をついたマクスウェルは一旦、商人の捜索を中断してエルドラン王国の貴族が何をしにこの国にやって来たのかを調べることにした。
更新が遅くなり申し訳御座いません。
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