第6話 街の人々
お父様自ら街の人々に王国を出るという話を伝えてから数日が経ち、街の皆さんのことが気になっていた私は街に出て様子を見ることにしました。王国を離れる際に着る予定の動きやすい服装に着替えてマントを羽織ります。
「安いよ安いよ!」
「そこの奥さん、昼のおかずにどうだい!」
大通りはそれほど変わった様子はありません。人の波は途切れることなくやって来ます。少し安心しました。お父様が話し終わった後の皆さんは本当に悲しそうでしたから。そんなことを考えながら辺りを見回していると懐かしい顔がありました。
恥ずかしい話ですが私は幼い頃はお転婆で、よく館を抜け出しては街の探検をしたり、同い年ぐらいの子供達と遊んだりしていましたから。屋台のお兄さんがおじさんに、私より少し年上だった八百屋の後継が青年になっています。街はあまり変わらないですが人は大きく変わっていますね。
この街は近隣の土地を治めている貴族からは目の敵にされていますが、他領では手に入り難い貴重な魔物の素材や魔石が手に入るという事で商人の往来は途絶える事なく栄えています。
辺りを見渡せば多種多様な人種の方達が行き交っています。
この国は建国より人種による差別が禁止されているためこの街にも様々な人種の人が住んでいます。
人間、獣人、ドワーフ、エルフなど、人間以外の者達は国によっては厳しい差別を受ける事もあるらしいです。
奴隷として売るために攫われていまう者達もいるという話を聞きました。王国では奴隷そのものを禁止していますが、奴隷として国外に売るために人々を攫う者達は後を絶たないそうです。とんでもない人達もいたものです。
この街でそのような被害に遭う方はいません。盗賊などもこの街でそれを行えばどのような目に遭うのか分かっているからでしょう。犯罪率がかなり低いのも兵士の方たちの意識が高いおかげでもあるでしょうね。もちろんこの街に住む人々が善良だからという理由がもっとも大きいでしょうけど。
◇
幼い頃からの知り合いに今回のことについて話しをしにきました。まずやって来たのはこの街の鍛冶師たちの纏め役のような存在であるギムルさんの自宅にやって来ました。様々な工房が連なる通りの外れに一人で住んでいます。
声を掛けて扉を叩いても返事がありません。出掛けているのかと思いましたがもう一度声を掛けてみることにしました。
「ギムルさんいらっしゃいませんか?」
「——誰だっ! 休んでいる時に!!」
もしかして声が聞こえていないのかもしれないと思い声を張り上げてギムルさんを呼ぶと、雷鳴のような怒鳴り声と共に恐ろしい表情をした男性が現れました。立派な顎髭が特徴的で背はあまり高くありませんが体格が凄く良くて力自慢のドワーフです。
普通の方なら恐ろしくて腰を抜かしてしまうかもしれませんが私はもう慣れているので全く怖くありません。フードを取って挨拶をします。
「ギムルさんこんにちは、お休みのところすみません」
「んあ? お嬢じゃねぇか、どうしたこんな時に、今は忙しいだろう?」
訪ねて来たのが私だと気付くと表情を緩めて優しく声を掛けてくれました。勘違いされやすいですがギムルさんは優しいんです。とりあえず工房に入れと言われたので中に入らせてもらいました。テーブルに座るとお茶を出してくれました。
「私のせいでこんな事になって、街の皆さんがどうされているのか気になってしまって」
「お嬢のせいじゃないだろ、この国の馬鹿どものせいさ、これまでのことを考えればよく今までもったと思うがな」
人間よりも長命で長くこの他に住んでいるギムルさんは私の祖父の代からこの街で槌を振るってきたそうです。それもあってフリーデン家と王家や他の貴族との関係もお見通しみたいです。
そういえば昔「よくお前達はこんな王国の為に尽くしているな」と言っていました。その時は意味が分かりませんでしたが、フリーデン家が王家や他の貴族からどういった扱いを受けていたか知っていたのでしょうね。
「……ギムルさんはどうされるのですか?」
「俺か? まぁ俺は独り身だからな、お嬢達について行ってもいいがな…… 旅となると邪魔になるかもしれん。まぁお嬢達がいい土地を見つけて俺が必要になったら呼んでくれ、今更知らん貴族にこき使われるつもりはねぇしな」
どうやら私達がこの街を出た後でギムルさんもこの街を出ようと考えているようです。ギムルさんが私達が新しく住む場所に来てくれると心強いです。
ギムルさんと出会ったのは私が初めて屋敷を抜け出した時でした。私の初めての冒険、目に見えるもの全てがキラキラして見えて楽しかったのを覚えています。探索を続けていると街の外れにある家からカンカンと規則的な音がするのが気になった私は窓から中を覗こうとしました。しかし窓ガラスが曇っていて何も見えなかったので開いていたドアから中を覗いたんです。大きな槌を振るうたびに火花が飛び散ってとても綺麗でした。それに見取れていた私はギムルさんに気付かれてしまい怒鳴られて泣いてしまいました。困った様子のギムルさんに「見学してもいいから泣き止んでくれ」と言われてお菓子をもらったのを覚えています。その時からずっと良くしてもらってます。屋敷を抜け出した時はいつもギムルさんの家に来ていました。
ギムルさんはそれからしばらくして私が領主の娘だと知ることになるのですが、大して驚くこともなく寧ろ納得している様子でした。「ああ、あの一族の娘か、通りで」と呟いていたのを覚えています。
どういう意味でしょうか?
「お嬢……ちょっと待っていてくれるか」
「はい、分かりました」
思い出話をしているとギムルさんが立ち上がり工房の奥に行きました。お茶を飲みながら待っていると、暫くして布に包まれた何かを大事そうに持って現れました。
「これをやる」
ギムルさんは説明もなく唐突に包みを私に渡しました。何だろうと思いながら包みを開いてみるとそれは一振りの短剣でした。
抜いてみろと言われたので美しい装飾がなされた鞘から抜いてみると——
「これは……凄い……」
現れたのは眩い輝きを放つ銀色の刃、何よりもその軽さに驚いしまいました。手に持つだけでただの短剣ではないことが伝わってきます。今まで多くの短剣に触れる機会がありましたがこれほどの物を手にしたことがありません。
この軽さの正体はまさか——
「お嬢が嫁に行く時に持たせようと思ったんだがな……王国を出るなら今渡しておいた方が良いと思ってな。持ってけ」
「ギムルさん……ですが、これ……」
「ミスリルで作った短剣だ。軽いし、魔法を付与しやすい。魔法を使うお嬢には持ってこいの武器だろう」
やはりそうでしたか。魔法金属ミスリル。
鉄よりも硬度が高く、そして軽い、何より魔法を付与しても傷まないためとても貴重で近接戦闘も行う魔法使いは重宝するものです。
「こんな高価な物を貰うわけには……」
「お嬢ならそう言うかと思ったが……そうだな、さっき言った通り良い場所を見つけたら俺を呼んでくれれば良い」
「……ギムルさん、ありがたく頂きます」
「ああ、そうしてくれ」
素晴らしい短剣を頂いてしまいました。
私には何のお返しも出来ないので申し訳ないです。
これは私が一人前になるまでは使わずにとっておくことにしましょう。
それにしても私達が国を出た後のギムルさんのことが心配です。鍛治師ギムルの高名は王国中に響いていますから、もしも新しくやってくる貴族がギムルさんに何かをしいた場合、何が起こるか分かりません。
「ギムルさん、新しい貴族の方が来たら失礼なことをしたら駄目ですよ」
そう言うとギムルさんは野太い声でケラケラと笑いながら「半端者が来たら殴り飛ばしてやる」と返事をしました。いつまでも変わりないその姿に安堵して心安らぐのですがそれを心配しているのにもう。
◇
きっとギムルさんを呼べるような場所を見つけて呼びますと約束をして今度は幼い頃によく遊んだ女の子の所に向かいます。
そこは小さな定食屋さん、昔とちっとも変わらない店構えでやはり私の心を和ませてくれます。
「こんにちは! お仕事中にすみませんエミーさん、ミリーはいますか?」
「——ミレイ様!? ……ミリーなら奥の部屋でゼン達と話しをしてますよ」
エミーさんは私の友人であるミリーの母親、早くに旦那さんを亡くしたそうですが女手一つで定食屋を営みながらミリーを育てた肝っ玉お母さんです。ちょっとだけふくよかになりしたね。
少し話をしてから部屋に案内してもらいます。
「ミレイです。入ってもよろしいですか?」
扉をノックして呼びかけると慌てたような声がしてすぐに扉が開きました。そこには大人びた姿になったミリーの姿がありました。
「——ミレイ! ……様、どうしたんですか突然?」
子供の頃のように私を呼びそうになったミリーを見て嬉しくなりました。
出会ってすぐの頃、私達は名前が似ていたことで姉妹のようにすぐに仲良くなり遊んでいました。遊びをあまり知らなかった私に色々なことを教えてくれました。
ミリーの後ろにはやはり見覚えのある青年たちがいました。この辺りの子供達のガキ大将と言われていたゼンとそのお友達たちです。突然やって来た私に驚いたのか目を見開いて固まっています。ゼン達はミリーの少し年上のご近所さんで何度か遊んだことがありました。
「どうしているのか気になって」
「そう……ですか、どうぞ」
何やらたどたどしく話すミリー、ゼン達も立ちっぱなしでこちらの様子を伺っています。とりあえず部屋に入れてもらってテーブルに腰掛けます。部屋の様子は随分と変わりました。それは当然ですね。ミリーと遊んでいた頃からもう随分と時間が経ちましたから。
貴族と認識されたら昔みたいな関係になるのは難しいですよね……ですが、
「もうすぐ貴族じゃなくなるんですから、そんなに畏まらないでください。昔みたいに話してくれて大丈夫です」
「……うん、分かった。その、ミレイ……大丈夫? レオン様が言っていたように本当にこの国から出て行くの?」
ミリーは少し悩むように視線を巡らすと昔のように話してくれました。立ちっぱなしでゼン達にも言ったつもりですが彼等はそう簡単には昔には戻ってくれないみたい。まあ男女の違いというのは大きいかもしれないですね。
「大丈夫、私達の家族は逞しいもの、知っているでしょ?」
「確かに、レオン様たちがお強いのは知っているけど……ん〜……」
他にも気になる事があるのか言い淀むので、何でも言ってとミリーの言葉を待っていると、ミリーは私の顔を見少し言い辛いそうに口を開きました。
「ミレイって、ちょっと抜けてる所があるじゃない? ……天然というか何というか……ちょっと心配なのよ」
——えっ?
思い掛けないことを言われてしまった私は絶句して固まってしまいました。言葉の意味を咀嚼するのに時間がかかり、それが終わると自分のどこが天然なのだろうかと考え始めましたが何も思いつきません。
「……その、私の何処が抜けてるの?」
これでも私は学園では成績も良く、同じ学年のエレナさんと一、ニを争っていました。それに武道においては男女問わず誰にも負けたことはありません。それに不本意ではありますが悪女のような扱いを受けていたことも知っています。まさか、天然なんてことはありえません。
「だって小さい頃、誘拐犯について行ったことがあったじゃない」
呆れたような表情をしたミリーは話し始めました。だけど私は誘拐された覚えなどありません。確かに幼い頃に見たことのないおじさん達について行った記憶はありますが……
えっ?
あれって誘拐だったんですか?
あまり遅くなると怒られてしまうからもう帰ると言うとおじさん達は追いかけてきましたけど、途中で居なくなっていました。あれはオーガごっこかと思っていたんですが……
「その様子だと気づいてなかったんだね。たぶん兵士の女の人が慌てた様子でミレイのことを探していたのを覚えているよ」
「……」
どうやら私は知らぬ間にやらかしてしまっていたようです。天然と言われても仕方のないような気もしますが……天然とは認めません。その後もミリーがあまりにも私のことを心配してくれるので自然と笑みが溢れてしまいます。
「ふふっ」
「……何で笑ってるの? 本当に心配なんだからね」
皆んなのことが心配で様子を見に来たのに、逆に心配ばかりされて思わず声を出して笑ってしまいました。そんな私を見たミリーはムッとした表情になり「心配してるんだからね?」と言って少し怒り出してしまいました。
「ごめんね、みんなの事が心配だから来たのよ。それなのに私達の心配ばかりでつい。私は大丈夫、それに私が貴族じゃなれば昔みたいに対等に貴女と遊べるでしょ?」
そう言うとミリーは不機嫌な表情が笑顔になるなり抱きついてきました。昔は嬉しいことがあるとよく抱きついてきましたね。
懐かしいです。
昔のように誰とでも気軽に接することが出来るように戻れると思うと心配ごとだけじゃなくて、楽しみなこともあるのかもしれないですね。
この街の人は優しくて暖かくて、歩いているだけで元気になってきます。
私は歳を重ねるにつれ、街を自由に歩くことも少なくなりました。
貴族としての行動を取らなければならない状況が多くなりフリーデン伯爵家の名誉を傷つけないように行動するよう心がけてきました。
その結果、学園では冷たいという印象を持たれるという結果になってしまいました。気を張りすぎていた事を後悔しています。
貴族の世界では例え子供だとしても弱みを見せることは出来ません。何が親の弱みになってしまうか分からないからです。何とか貴族としての態度をとろうとしていたのですがそれがあのような結果になるとは、
「出て行ったら当分は会えなくなると思うけどまたきっと会えます。ゼン達もお元気で、ミリーをよろしくね」
「あ、ああ」
◇
「……なあミリー」
突然やってきた領主の娘ミレイに驚いて固まっていたゼンはミレイが帰ってから少ししてミリーに声を掛けた。
「ん? どうしたのゼン」
「ミレイ様ってあんな感じだったか?」
「昔から誰にでも優しかったけど、やっぱりエルザ様に似てかなり綺麗になってたね。昔からお人形さんって感じだったけど、久しぶりに話せて嬉しかったな」
「いや、そういうことじゃないんだけどさ」
「どういうこと? ……ああ、そういえばゼンはミレイに痛い目に遭わされたことがあったよね」
「……ああ」
昔のことを思い出して笑うミリーを見てゼンは苦い顔をした。
「問題児だったゼンはあれから真面目になったんだよね。あんたのお母さんが息子を改心させてくれたミレイは天使だって言ってたのを覚えてるよ」
「……」
ゼンは幼い頃、近くに住んでいた幼馴染のミリーと遊ぶことがあったがそのミリーにミレイという友人が出来たことを知った。幼心にミリーを取られたと思ったゼンはミレイに喧嘩を売ったことがあった。周辺の子供達のガキ大将だったゼンと良いとこ育ちに見える可愛らしい華奢な女の子、泣かされるのはどっちかなんて誰の目にも明らかだった。
はずなのだが……ゼンは悲しいほどあっさりミレイに負かされてしまい号泣した。
年下の女の子に泣かされ、ガキ大将としてのプライドをズタズタにされたゼンはそれから両親の言うことも聞くようになった。だがその時のトラウマで今でもミレイが少し苦手である。
ちなみにゼンと同年代の男達はこの出来事を今でも鮮明に覚えており、あのガキ大将だった頃のゼンを倒したミレイを今でも尊敬している。残念ながら恋心なんて甘酸っぱいものはないが。
「そういえば……ゼンはあんなに大人しかったかしら?」
ミレイは屋敷への帰り道でふと足を止めて呟いた。
彼を変えたのは自分であるとは知らないミレイはゼンの幼い頃との印象の違いが気になったが、「大人になったのね」と結論付けてまた歩き出した。
お読みいただきありがとうございますm(_ _)m