6話『決心』
「な、んで……『御厨』がここ、に?」
ひどいハスキーボイスだが、かろうじて聞き取れるレベルではあった。
俺は――先ほど以上に激しく混乱しており、未だ現実を受け止められていなかった。
「私の名前をご存知なんですか?」
彼女は彼女で驚いているようで、目を丸くしている。
「やっぱり、おまえ……御厨、なのか?」
彼女は数瞬の間、驚いたような仕草をしたが、すぐに元の柔らかな表情を取り戻す。
「ええ、そうですよ。後ほど名乗ろうとは思っていましたが、改めまして。私は如月御厨と申します」
彼女は俺の目の前まで到着すると、仄かに笑みを浮かべて自己紹介をした。
間近で見るとやっぱりそうだ、間違いない! ……御厨だ!
「ま……まさか、生きていたなんて! 御厨っ……会いたかった!」
感極まった俺は、彼女に――御厨に抱きついた。
「きゃっ!?」
御厨は驚いて声を上げる。
――むにゅぐにゅ、むにゅっ。
女性アバターどうしで、胸が押しつぶれ合うがお構いなしだ。
ギュッと離れないように強く抱きしめる。
だって、もう会えないと思っていた人に会えたのだから。
もう一生、味わえない温もりだと思っていたのだから。
「生きていたなら、なんで会いに来てくれなかったんだよ! ったく……でも、もういい。そばにいてくれればいいんだ」
「あ、あのっ……勘違いですよ」
御厨を抱きしめる腕に力を込めて、頬ずりをする。もう一生、離さないという意志を込めて!
俺は御厨と触れ合っていられるこの瞬間が、何より幸せで夢見た光景だった。
御厨はというと、腕の中で顔を真っ赤にしてもがいている。ちょっと抵抗が強い気がするが、それも照れ隠しの一貫ってことだよな。
「御厨っ……御厨ッ、ずっと会いたかったよ」
「はぁっ、んっ……そ、そんなっ、離れない……。私の話を聞いて、ください……!」
しばらくするともがき疲れたのか、軽く息切れして少し艶かしい。
「いつでも聞いてやるさ。でも、今はおまえを感じさせてくれ……!!」
それでも離さなかった。離したくない。ずっと望んでいたことなのだから。
照れ隠しで抵抗をするが、本音では御厨も喜んでくれるはず――。
「あっ、んっ……ふぅ、はぁっ。だ、だからですね……!」
腕の中の御厨は、うつむいてわなわなと震えていた。
あれ? もしかして怒ってる?
「みく――」
「勘違いって言ってます~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッッッ」
しびれを切らした御厨が叫ぶと同時に、俺と御厨の間でまばゆい光が弾けて炸裂した。
――光魔法!
俺の身体(女の子アバター)は、その場から五mほど吹き飛ばされる。咄嗟に受け身を取ったので、大したダメージにはなならなかったが、それよりも精神的ダメージが強い。
「そんな……御厨が、俺を……拒絶する、なんて……」
せっかく受け身を取ったが、精神的ダメージによりorzをしてしまう。
「だ、だから勘違いです。もう一度言いますが、私の名前は、如月御厨ですよ」
「……きさらぎ?」
俺はと言うと、目をパチクリさせて呆然と彼女を見つめる他なかった。
御厨? は服装の乱れを正すと、ひとつ咳払いをした後に口を開く。
「はい。如月ゲームスの社長令嬢をしています。……って、自己紹介は少し変ですよね」
自分の失言を誤魔化すように苦笑いをする。
「…………そんな。別……人、なのか」
よく見ると御厨と、雰囲気が違う。この子は物腰柔らかで、上品な雰囲気を併せ持っている。
つまりは容姿が酷似した別人。御厨ではないということだ。
一番会いたかったヤツに会えなくて落胆で肩を落とすが、どこか安心している俺がいた。
分かっている。御厨がここにいるはずがないんだ。
そんな折、俺の中に一つ疑念が生まれる。
ここは仮想世界――俺の過去を調べた如月さんが、御厨に酷似したアバターを使って偽名を名乗っているのではないか?
ネットの仮想世界で疑えばキリがない。だが、一度芽生えた疑念は消えなかった。
「別人、ですか?」
不思議そうに小首を傾げる如月さん。微笑みを絶やさない。
俺は少し迷った末に一つの質問をすることにした。本来、マナー違反とされる行為なので、申し訳ない気持ちになる。
「知り合いと似ていてな。……如月さんは、そのアバターと現実の姿は似てるのか?」
「そうですね。このアバターは、会社のデザイナーに頼んで私の姿を再現していただきました。名前も会社にいる以上、本名を使用していますよ」
最後に『神場くんと面識はありませんからね』と続ける。
「そっか、ありがとな」
俺の不躾な質問に、眉根一つ動かさずに答えてくれた。
つまり、如月さんの言い分が正しければ、御厨と同名で容姿が酷似した人物がいるということ。
……ふむ。こんな時、どうしてネカマのトラウマ事件を思い出してしまうんだ。いやまぁ、実際にネカマ被害に遭っているから、純粋に信用できないからだろうな。
――それに、そう簡単に受け入れられない心は正直だ。
そのように疑う心と、如月さんを……御厨に似たこの人を、信じたいと思う気持ちがせめぎ合っていた。
「……あの、どうかしましたか?」
微笑みを絶やさない中、怪訝そうに俺を観察する如月さん。
俺は誤魔化すように苦笑いを作って言葉を紡いだ。
「ああいや、気にしないでくれ。それといきなり抱きついたりして、本当に悪かったよ……」
「そ、その件は以後お気をつけくださいね。ですが、私も感情的になって申し訳ございませんでした」
最敬礼。四五度のお辞儀をされる。
「い、いや。俺が全面的に悪いんだし気にしないでくれ」
本当に俺のせいだ。居心地の悪さを感じて、視線を逸らしてしまう。
初対面の女の子に抱きついたなんて、ネットの世界だからといっても勘違いじゃ済まされないよな。
「……この件は他言無用でお願いします。誰かに知られたら、その……良くありませんからね」
如月さんは思い出したのか、再びほんのり赤く頬を染めて恥ずかしそうに言った。
「もちろんだよ」
「でしたら、この件はおしまいです。さっそくですが、体験入社の会場に案内しますね」
「えっ、いいのか? こう……抱きついちゃったんだけど」
てっきり何かお咎めがあると思っていたので、肩透かしを食らった形だ。
「女の子同士のスキンシップですから♪」
いたずらっぽく、人差し指を唇に添えて言う如月さん。
「いやいやいや、実は俺は男で――」
「ふふ、知っていますよ。神場くんの情報は登録情報から確認済みです。そのうえで、私がそのアバターをご用意させていただきました」
「みっ――如月さんだったのかよ!?」
「『御厨』でいいですよ。その代わり、私も神場くんをサイキョーくん……いえ『サイキョーさん』と呼ばせていただきますね」
「そのネーミングはどこからっ?」
「トワイライト・ユニバースの最上位プレイヤーですから。それどころか、私はゲーム内最強のプレイヤーだと思っているので、サイキョーさんです♪」
「……もう任せるよ、御厨」
御厨に似た……この子も御厨だけど。ややこしいな、今後はさん付けしよう。
――御厨さんに最強と言われると悪い気がしない。
御厨さんの前では、強い俺でありたい『願望』だろう。
他の人に言われると嫌味にしか聞こえないが、御厨……ひいては、御厨さんは特別な感覚があるのだ。
むしろ心地いいので、不満そうにしながらも許可をする。
本当は『兄さん』とか一度呼んでもらいたいが、社会的にすでに終わりつつある俺が、その奥にあるアウトゾーンに踏み込むことになるので自重だ。
「はい、サイキョーさん♪ では、話を戻しますね。女性アバターに関してですが、これには事情があるんです」
「じ、事情?」
俺の疑問をさらりと流して、御厨さんはなおも言葉を続ける。
「いいですか、社内に入ったら絶対に『男性であることを明かさない』とお約束ください。――特に、口調や仕草は細心の注意を払うようお願いしますね」
ネカマであれと強調して言われたよ。
「いやでも」
「もしも明かせば……大変なことになります」
「大変なことって何!?」
「行けば分かりますよ♪ あ、入社許可証はアイテムリストにある『ゲストキー』になります。こちらは本社サーバーに入る
ためのアイテムであると同時に、入社許可証でもあるのでなくさないでくださいね」
話をぶった切られる。
その後、入社許可証を皮切りに、如月さんが注意説明するのをボンヤリと聞いていた。
「………………」
うん、改めて見ると本当によく似てる。『あいつ』の近くに一番長くいた俺が間違えるほどだ。
この姿は現実の御厨さんを再現した姿だと言う。もし仮にそれが本当だとしたら……俺はどうしたいのだろう。
その答えは出ないが、ハッキリしていることが一つあった。
御厨さんの微笑みは見ていて落ち着くのだ。
単純な自分に嫌気が差すが、本音とはいつも単純なものだと思う。余計なことを考えずに、浮かんだ思い・感覚が『本音』なのだから。
それでも俺は……。
複雑な心境を表しようがなく、モヤモヤと霧がかったわだかまりが渦巻いている。
「サイキョーさん? 私の顔に何かついていますか?」
「! あ、ああいや。なんでもないんだ」
いつの間にか説明を終えていたらしい御厨さんが、俺の顔を覗き込んでいた。
ハッと意識を取り戻して、慌てて取り繕う。
結局のところ今は答えが出ない。それでいい気がした。
「それでは、行きましょうか」
さいわい御厨さんは気にしていなかったらしく、踵を返して案内するように階段に向かった。
俺もついて行こうと――ん?
……って、俺は何を流されているんだ! この体験入社、断るんだろっ。
「あの、御厨さ――」「言い忘れていました。一点、ご忠告を。こちらをご了承いただけない場合、残念ながら体験入社にご参加いただくことができません」
階段を登り始めていた御厨さんは、俺の言葉を遮って滑舌良く言い切った。
――しかしながら、俺にとっては都合が良い。
断りたいならこのあと御厨さんが言う『忠告』とやらを否定すればいいのだ。
それで参加不可になればいい。
我ながら姑息な方法だが、今後の作業で女性アバターだけじゃなくて、性格上もネカマを演じることが必須ならば尚さら無理な話であって。
嫌なことを無理矢理やっても長続きしないものだ。
ここでキッパリと断ったほうが、互いにとっていい結果になることだろうと信じている。
御厨さんのことはとても気になったが、何も一緒に仕事をしなくても彼女について調べる方法はあるだろう。
神場涼――流されない男でありたい。
如月さんは一拍置くと、こちらを振り向いて真剣みを帯びた声で紡いだ。
「知ってのとおり、トワイライト・ユニバースは精神を仮想世界に投影するVRMMORPGです。ユーザーさんが普段遊んでいる環境は、私たちが安全を保証していますが……今から行うデバッグでは『安全は保証されません』。それでもよろしいですか?」
「これまた物騒な言葉が出てきたな」
暗に危険って言っているようなものじゃねーか。
「私たちデバッガーは、ユーザーの皆さんに安全に遊んでもらうために『あえて危険な想いをする職業』です。一昔前の画面の前でプレイするゲームとはまるで趣が違います」
御厨さんの目も声も、先ほどの彼女からは想像できないほどに冷たかった。
まるで脅して……いや、『身を引かせようとしている』ように感じる。
ははっ。あり得ない。
もしも的中ならおかしな話だけどな。
「脅しかな?」
「いえ、心構えの問題です。安全面では、最新IT技術による安全装置を使用して、細心の注意を払っているので万に一つも事故は起こらないでしょう」
一転、ふんわり柔らかな表情に戻る。
「つまり、ここから先は『億が一』の可能性で、何かあっても自己責任ってことか」
「ふふ、察しが良くて助かります。中に入ったら、もう後戻り出来ないと思ってくださいね」
胸の下で手を組むみながら、変わらない笑みで安心させてくれる。
服の上からは分からなかったが、強調されると意識してしまう。
どうやら御厨さんのアバターは胸が大きいようだ。
着痩せするタイプってやつか。そういえば、このアバターの胸といい感じに潰れていたな。
……やばい、今さらながら恥ずかしくなってきた。
俺は脳裏に浮かんだ邪念を払拭しようと、一つ咳払いをする。
「なあ。ひとつ質問だけど……御厨さんもその環境に身を置いてるの?」
「私もまたデバッガーですからね」
「危険なのに……?」
「たとえ危険でも、私はデバッガーをやめません。――理由はとても単純明快です。デバッガーであることを誇りに思っているからですよ」
迷いなく言い切った御厨さんは言葉どおり誇らしげで。
一切の揺ぎを感じない強い意思を感じた。
……それでいてどこか――不安定な何かが渦巻いているように見える。
俺は目を閉じて考える。
はてして、どれほど経っただろうか?
目を開けて心に浮かんだ言葉を紡いだ。
「…………そっか。ありがとう。――決めたよ。俺、体験入社はやらない」
「そう、ですか。仕方ありませ」「その代わり」
今度は俺が御厨さんの言葉を遮って……『決意』を口にする。
「正式に如月ゲームスに入社するよ」
無意識のうちに出していた言葉が、スッと心に落ちた。
もう後戻りはしない。
前を向いて歩く選択をした。
この仕事が危険で、彼女が従事しているというのなら迷うことはない。
今までの迷いが嘘のように晴れやかな気持ちだった。
俺は御厨さんを危険から守りたいと思った。
この時、確信に近いものを感じていた――嘘偽りのない本音の選択をしたと。
約束と後悔を清算するために俺は立ち上がる。
『御厨さんを守るために』。
出会ったばかりの人を守りたいから入社する?
世間からは、アホか、と笑われそうだ。
それでも俺はいい。
誰に笑われても、俺は御厨さんを守ると決めたのだ。
御厨じゃない、御厨さんを……御厨さんの笑顔を、絶やさないために――。
だから後悔はしない。過ちは繰り返さない。今度こそ俺は。
「一緒にデバッグしよう」
――外れていた運命の歯車が、カチリとはまって……ゆっくりと動き出した気がした。